閑話2 レスターの手紙 ― 春の寮にて
レスターの手紙 ― 春の寮にて
春の風が学生寮の窓を揺らしていた。
ポーツマス魔法学院の寮は、石造りの壁に若葉の蔦が絡まり、陽射しに照らされるたびに柔らかな緑をきらめかせている。
中庭の桜はもう散り始め、花びらが白い敷石に舞い落ちていた。
レスター=ブラッドフォードは、自室の机に突っ伏すように座っていた。
数日前、彼は王都で思いがけずリースを見かけてしまった。
学院から追放されたはずの元婚約者――リース=グラスゴー。
あの日の彼女は、学院にいたころよりもずっと生き生きとしていた。
騎士団の制服を着込み、まっすぐとした瞳で仲間と話す姿は、もう「落ちこぼれの公爵令嬢」などではなかった。
その凛とした空気を思い出すだけで、レスターの胸は締めつけられる。
「……なんで、今さらこんな気持ちになるんだ」
彼は頭を抱える。
隣の部屋からは、春を祝うような学生たちの笑い声が漏れてくる。
でも、自分の心は晴れなかった。
◆
コンコン、と扉が叩かれた。
入ってきたのは、婚約者であるクローリー=ジリンガムだ。
鮮やかなピンク色の髪を揺らし、少し不機嫌そうに腕を組んでいる。
「ねえレスター、顔色が悪いわよ。まさか、この前のことをまだ考えてるんじゃないでしょうね?」
「この前……?」
「リースのことよ」
図星を刺され、レスターは視線を逸らした。
クローリーは机に近づき、じっと彼を見下ろす。
「あなた、あの子を見て何か感じたんでしょ? 私にはわかるわ。だって、あの時のあなたの目……あんな顔、私には向けてくれたことなかった」
声が少し震えていた。嫉妬と不安が混ざった響きだった。
「クローリー……違う、そうじゃない」
レスターは否定しようとするが、言葉は弱々しかった。
本当は、否定できなかった。リースを見て、胸を打たれたのは事実なのだ。
「私はあなたの婚約者よ。伯爵家の娘として、あなたの隣に立つべき人間。忘れないで」
クローリーは言い捨てるように言うと、踵を返して部屋を出ていった。
扉が閉じられた後、レスターは深くため息をついた。
◆
夜。
春の夜風がカーテンを揺らし、花の香りがふわりと漂ってくる。
レスターは机に向かい、ペンを取った。
「父上に……聞かなくては」
彼は決意する。
伯爵家の跡取りとしての自分、学院の学生としての自分、そしてひとりの人間としての自分――そのすべてが揺らいでいた。
この想いを抑え込むには、父に意見を仰ぐしかない。
羊皮紙に、インクの文字が走った。
父上へ
春の候、いかがお過ごしでしょうか。
私は学院の寮にて勉学に励んでおりますが、先日、思いもよらぬ人物を目にいたしました。
かつて私の婚約者であったリース=グラスゴー嬢です。
彼女は今、王都の騎士団に身を置き、学院にいたころよりもずっと活き活きとした表情を見せておりました。
父上、私は困惑しております。
クローリー嬢との婚約が定められていることは承知しております。
しかし、あの姿を見てしまった今、どうしても心が揺れずにはいられません。
父上はリース嬢の今の立場をご存じでしょうか。
そして、私がこの先どう振る舞うべきか、ご助言をいただければ幸いです。
季節の変わり目、父上におかれましてもご自愛くださいませ。
息子 レスター
最後の一文字を書き終えると、胸の奥から長い息が漏れた。
窓の外では、夜桜の花びらが月明かりに照らされ、ひらひらと舞い落ちている。
レスターは手紙を封じ、明朝、使いの者に託すつもりで机の上に置いた。
その瞳には、春の夜の光と同じように、どこか淡い揺らぎが宿っていた。




