第36話 シュワーラ=エレメントの恋心
銀髪の副団長と芽吹く想い ― 許容範囲の年齢
その日、事務所の仕事がひと段落したのは、夕暮れ時だった。
窓の外は茜色に染まり、城下の屋根がオレンジと紫の境界に沈んでいく。帳簿を閉じて肩を回した瞬間、背後から扉がノックされた。
「リース嬢、少しよろしいか」
聞き慣れた低い声に振り向くと、そこには銀髪をきっちり後ろでまとめた副団長――シュワーラ=エレメントの姿があった。冷静な瞳が、こちらを静かに見つめている。
「副団長……どうかしましたか?」
「いや、急ぎではない。ただ、君に聞いてみたいことがあった」
珍しいことだった。彼がわざわざ私的な質問をしてくるなんて。わたしは椅子から立ち上がり、軽く頭を下げた。
「何でしょう」
彼は一瞬、言葉を選ぶように視線を外した。そして窓の外に沈む夕陽を眺めながら、静かに口を開いた。
「……君は、結婚の相手に求める年齢の条件はあるか?」
「……え?」
思わず固まる。まさかそんな話題を振られるとは思わなかった。
彼の表情はいつも通り冷静だったけれど、その銀の瞳の奥には、わずかな緊張が見えた気がする。
「つまり……自分より年上はどこまで許容できるか、ということだ」
「な、なんでそんなことを……」
「興味があってな」
興味。そう言い切られても、胸がざわめく。
けれど、答えないわけにもいかない。
(……わたしは前世のことを誰にも言えない。でも、あの頃、三十歳まで生きていたんだっけ)
その記憶が頭をよぎる。リースとしての自分はまだ十六歳だけれど、心のどこかで大人の感覚を持っている。だから自然と、答えは決まっていた。
「……三十歳くらい、ですかね」
ぽつりと口にすると、彼の肩がわずかに動いた。
普段は感情を表に出さない副団長が、ほんの一瞬、驚いたように目を見開いたのだ。
「……三十歳、か」
「はい。別に年が離れていても、相手が誠実であれば大丈夫だと思います」
そう言うと、彼は目を伏せ、口元をほんの少し緩めた。
静かに息を吐き、言葉を噛みしめるように繰り返す。
「……なるほど。三十歳まで、か」
その声音は、安堵の響きを含んでいた。
わたしは首を傾げる。
「副団長……どうしてそんなに詳しく?」
「いや……別に深い意味はない。ただ……」
彼はそこで言葉を切り、少しの沈黙のあと、ゆっくりとした笑みを浮かべた。
「……思っていた以上に、答えが嬉しかった」
「っ!」
不意打ちの言葉に、顔が熱くなる。
副団長の笑みはごくわずかで、普段の冷静な雰囲気は崩れていない。けれど、そのわずかな変化がかえって胸を強く打った。
(……副団長が、こんなふうに笑うなんて)
心臓の鼓動が速くなるのを抑えられなかった。
それから数日後。
騎士団の食堂で、わたしはロベルトと並んで昼食をとっていた。彼は相変わらず冗談を交えながらも、どこか不安そうに視線を泳がせている。
「なあリース。お前、結婚相手の条件とか、あるのか?」
「えっ……」
思わずスプーンを止めた。なぜか最近、立て続けにそんな質問を受ける気がする。
「いや……別に深い意味はないんだけどな。ただ、気になって」
彼の笑顔はぎこちなく、その裏に隠された感情を読み取ることができなかった。
わたしは少し迷ってから、前に答えたのと同じことを言った。
「三十歳くらいまでは……大丈夫だと思います」
「三十歳……?」
ロベルトは微妙に目を見開き、すぐに眉を寄せた。
「なんか、それ聞くと急に焦るな……」
彼の呟きに首を傾げる。
けれど詳しくは聞けなかった。
その夜、城の廊下を歩いていると、再び副団長に呼び止められた。
「リース嬢」
銀の瞳が真剣にこちらを見ている。
胸の鼓動がまた速くなる。
「この前の答え……三十歳まで許容できると言ったな」
「は、はい」
彼は一歩近づき、低く落ち着いた声で告げた。
「俺は二十八だ。……あと二年しか猶予がない」
「えっ……!」
思わず息を呑む。
副団長の言葉は淡々としているのに、その奥に隠された感情が痛いほど伝わってきた。
「だからこそ、時間を無駄にしたくない。……君と過ごす時間を、もっと大切にしたいと思っている」
銀の髪が月光に照らされ、その真剣な横顔が胸に焼きついた。
わたしは返事をすることができず、ただ立ち尽くすしかなかった。
けれどその瞬間、自分の心の奥で何かが確かに揺れたのを感じていた。
一方、ロベルトは自室でひとり、拳を握りしめていた。
リースが「三十歳まで」と答えたことが、妙に胸をざわつかせる。
(副団長……あの人は二十八歳だ。リースの答え、あいつにとっては……)
胸の奥に広がる不安と焦燥。
彼はようやく、自分が彼女を誰よりも大切に思っていることを自覚し始めていた。
「……負けられない」
夜風が吹き込む窓辺で、彼は強く誓った。
こうして、銀髪の副団長と若き騎士、そしてひとりの少女の想いが、静かに交錯していくのだった。




