第33話 ロベルトの芽生え
ロベルトの芽生え
◇
ナースソルト温泉から戻った翌日。
ロベルトは騎士団の訓練場で、木剣を握っていた。
午前の空気は少しひんやりしていて、額から滴る汗をすっと冷ます。
仲間と模擬戦を繰り返すたびに、温泉でほぐした体がまた張り詰めていく。
だが、集中すべきはずの心は、どうしても昨夜の光景に引き戻されてしまう。
――湯上がりのリース。
頬をほんのり紅潮させ、濡れた髪を後ろでまとめて、にこやかに微笑んでいた。
柔らかな白い首筋と、潤んだ瞳。その姿を思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。
「……っ!」
剣を振る腕に力が入りすぎ、相手の木剣を思わずはじき飛ばしてしまった。
「お、おいロベルト! どうしたんだよ、今日はやけに本気じゃないか」
仲間が苦笑しながら木剣を拾う。ロベルトは慌てて頭を下げた。
「ごめん、ちょっと考えごとしてて……」
その「考えごと」が何かは、とても口にできなかった。
◇
訓練が終わったあと、休憩室で水を飲んでいると、リースが事務仕事を抱えて入ってきた。
「皆さん、お疲れさまです。訓練記録、ここに置きますね」
涼やかな声。
彼女が笑顔を見せると、疲れた団員たちの表情も和らぐ。
ロベルトは思わず目で追ってしまった。
机に書類を並べる仕草。
ペンを持つ細い指。
仕事に向かう真剣な横顔。
(なんで、こんなに気になるんだろう……)
自分の胸の高鳴りに戸惑いながら、彼はごまかすように水を一気に飲み干した。
◇
夜。寮の一室。
窓から差し込む月明かりを浴びながら、ロベルトは机に突っ伏していた。
剣の手入れを終えたのに、眠れない。
頭の中にはリースの姿ばかりが浮かぶ。
(俺は……ただ憧れてるだけなのか? それとも……)
考えかけて、彼は苦い笑みを漏らした。
――自分が第三王子であることを、リースは知らない。
騎士団に身を置くときは、素性を隠すのが条件だった。
王族という立場を利用せず、純粋に仲間として認められたい。
他国の姫との婚約が解消されたロベルトは、自分の存在価値に悩んでいた。
(もし正体を知ったら……リースは、どう思うだろうか?)
王子としてではなく、ただ一人の少年として見てほしい。そう願うほどに、彼女への想いは強くなる。
◇
数日後。
ロベルトは、リースと二人きりで買い出しに出る機会を得た。
団の食堂で使う野菜や調味料を揃えるためだ。
「アトラスさんもキャンベルさんも忙しいから、僕らが行くことになったね」
「はい、久しぶりの外出なので楽しみです」
市場の通りは活気にあふれ、色とりどりの果物や香辛料の匂いが漂う。
リースは値段を比べ、手際よく買い物を進めていく。
その姿にロベルトは目を奪われながら、つい口をついて出た。
「リースって……すごいよな」
「え?」
「事務もできるし、気配りもできるし、みんなに頼られてて……俺なんかより、よっぽど大人だ」
リースは少し驚いた顔をして、ふっと笑った。
「そんなことないですよ。私だって失敗ばかりです」
「……そう見えない」
思わず真剣に言ってしまい、ロベルトは赤面した。
リースは困ったように笑みを浮かべて、かごの中のリンゴを指で転がした。
「ありがとうね。でも……そう言ってくれるのは、ロベルトくらいだよ。
ロベルトだってすごい訓練頑張ってカッコいいよ」
その言葉が胸に深く刺さった。
◇
買い物を終え、夕暮れの道を並んで歩く。風に揺れる銀髪に、橙色の光が差し込んで美しく輝いた。
(俺は……やっぱり、好きなんだ)
ようやく、自分の気持ちをはっきり認める。
リースと過ごす時間が楽しくて、彼女の笑顔を見ると安心して、他の誰よりも大切に思える。
それは憧れなんかじゃなく、恋だった。
◇
だが、心に影も差していた。
――自分が王子だと明かせないこと。
仲間として共にいるために隠してきた秘密が、リースとの距離を近づければ近づけるほど、重くのしかかる。
(もし打ち明けたら、リースは……俺をどう見るだろう)
ただの仲間として見てくれるだろうか。
それとも、王族として壁を作られてしまうのだろうか。
そんな不安を胸に抱えながらも、ロベルトは横を歩くリースを見た。
彼女は夕空に向かって、目を細めて微笑んでいる。
その横顔を見て、彼は小さく拳を握った。
「――絶対に、俺の力で守りたい」
王子としてではなく、一人の騎士として。彼女に恥じない男になるために。
その決意とともに、ロベルトの胸には確かな恋心が根を下ろしていた。




