第32話 騎士団の日常と温泉旅行
騎士団の日常と温泉旅行
◇
アトラスとキャンベル――二人のベテランが騎士団の事務所に加わってから、驚くほど仕事がスムーズになった。
アトラスは数字や書類の管理に強く、伝票の山を片っ端から片付けていく。
元・学院事務員として揉まれた経験が伊達ではなく、複雑な帳簿も彼の手にかかれば一瞬で整頓される。
一方、キャンベルは厨房仕込みの要領の良さで、雑務の段取りを次々と改善した。
食材や備品の在庫を見抜く目は鋭く、無駄が出ないよう発注をまとめる手腕は見事だった。
おかげでリースは、これまで休みもなく働き詰めだったのが嘘のように、週に一度はしっかり休暇をもらえるようになったのだ。
「助かりましたね、アトラスさん」
「いや、リースが必死で繋いでたからだろ。俺たちはちょっと整理しただけさ」
アトラスは照れくさそうに笑う。
リースは「ふふ」と肩を揺らし、胸の奥に温かな充実感を抱いた。
ようやく、普通の生活のリズムが戻ってきた――そう思えた矢先のことだった。
◇
昼休み、休憩室で湯気の立つお茶をすするリースの前に、ひょっこり顔を出したのはロベルトだった。
まだ少年の面影を残す若い騎士見習いで、快活な笑顔が印象的だ。
「なあリース、今度の日曜、暇?」
「え、日曜ですか? お休みですけど……」
リースが首をかしげると、ロベルトは少し声を弾ませて言った。
「実はさ、みんなで温泉に行かないかって話になってさ! ナースソルト温泉って知ってる? 日帰りでちょうど戻って来られる距離なんだ」
「温泉……!」
リースの胸がぱっと高鳴った。
前世の記憶で、リースは温泉が大好きだった。
湯けむりに包まれ、心も体も解きほぐされる時間――その幸福感を思い出しただけで、笑顔がこぼれる。
「もちろん二人きりじゃなくてさ。騎士団の仲間や侍女さんたちも一緒に行くよ。だから安心して」
「はいっ、ぜひ行きたいです!」
思わず身を乗り出して答えると、ロベルトはちょっと驚いたように瞬きをして、すぐに嬉しそうに笑った。
「よかった! みんな喜ぶな」
◇
日曜の朝。
リースは遠足前の子どものようにわくわくしながら、団員たちと馬車に乗り込んだ。
馬車の窓から春の青空と、緑に芽吹く木々が流れていく。途中でおしゃべりに花を咲かせ、気づけば目的地に到着していた。
ナースソルト温泉は山間の小さな町で、白い湯けむりがあちこちから立ちのぼっている。
軒先には温泉饅頭の店が並び、ほかほかの香りに団員たちの目が輝いた。
「おいしそう! 帰りに買って帰ろうよ!」
「いや、今食べてもいいだろ!」
そんなやり取りをしながら、みんなで分け合う。
柔らかな餡の甘さが口いっぱいに広がり、リースは思わずほっと笑みをこぼした。
◇
いよいよ温泉へ。
男湯と女湯に分かれ、リースは侍女たちと一緒に湯船に浸かった。湯気に包まれ、じんわりと体の芯から温まっていく。
「はぁ……最高……」
思わず声が漏れる。
前世で大好きだった温泉の心地よさが、こうして再び味わえるなんて。
夢のようだとすら思えた。
◇
湯上がり、リースが涼しい風に吹かれながら外に出ると、そこにロベルトがいた。
頬をほんのり赤く染め、彼女を見ると視線を逸らす。
「……ど、どうしたんですか?」
不思議そうに尋ねると、ロベルトは言葉を詰まらせながら答えた。
「いや……リース、なんか……すごく綺麗で……」
その純情な一言に、リースは思わず吹き出しそうになった。
だが堪えて、代わりに優しく笑う。
「ふふ……ありがとう」
そして、ロベルトの頭に手を伸ばし、軽く撫でた。
「えっ!? ちょ、子ども扱いするなよ!」
「可愛いんだから、仕方ないでしょ」
からかうように言うと、ロベルトは顔を真っ赤にして唇を尖らせた。
「……俺、リースより一つ下なだけなんだぞ。年下扱いはやめてくれよ」
「ふふ、ごめんなさい。でも、そういうところが可愛いのよ」
そう言って笑うと、ロベルトはますますむくれて、少し視線を逸らした。
だが、その横顔がまた可愛らしくて、リースは心の中で「ご褒美だわ」と密かに思った。
◇
帰り道、温泉饅頭を手にした仲間たちの笑い声が馬車に響く。
リースは窓の外に沈む夕陽を見ながら、胸の奥にじんわりとした幸福感を抱いた。
学院で孤独に働き詰めだった日々は、もう遠い過去だ。
今は仲間がいて、支えてくれる人たちがいて、こうして楽しい思い出を積み重ねている。
「これからは……もっと前を向いて、生きていける」
そう小さく呟き、リースはそっと目を閉じた。
頬を撫でる春風が、まるで未来を祝福してくれるように感じられた。




