閑話6 アーセナル編最終回 鉱山から始まる牢獄生活
アーセナル失墜 ― 鉱山送りの果てに
鉄の格子の向こうから聞こえる鎖の音に、アーセナルは心底から震えた。
――どうして、このわたしが。
つい数日前まで、彼はポーツマス学院の院長として、豪奢な椅子にふんぞり返っていた。だが今はどうだ。両手に重い鉄鎖をつけられ、粗末な囚人服に身を包み、護送兵の背に押されながら歩く。行き先は鉱山。囚人労働の場である。
「おい、新入りだぞ」
坑道の入り口で待ち構えていた看守が、鼻で笑った。
「こいつが例の学院長さまだってよ。ふふん、世も末だな」
アーセナルは顔を真っ赤にして怒鳴ろうとした。
「わ、私は侯爵家の血を引く――」
その言葉を最後まで言わせず、看守は容赦なく鉄の杖を背中に叩きつけた。
「ここじゃ身分なんざクソの役にも立たん。お前はただの囚人だ」
痛みに顔を歪め、アーセナルは押し込まれるように坑道へ入った。暗く湿った空気、鼻をつく硫黄のにおい。頭上から滴る水滴が、背筋を冷やす。
最初の夜、アーセナルは粗末な木製の寝台に座り込み、隣の囚人たちの会話を耳にした。
「おい、聞いたか。あの坊ちゃん、学院長だったらしいぜ」
「へぇ? あのポーツマス学院の? ははっ、じゃあ俺らと同じ鎖に繋がれてるのは笑えるな」
囚人たちは薄汚れた顔をほころばせ、乾いた笑いをこぼす。アーセナルは悔しさに歯を食いしばった。
「無礼者ども! 貴様ら、わたしが誰か知っているのか!」
その瞬間、近くにいた大男が、どんと胸を突き飛ばした。
「ここにいるのは、みんな囚人だ。お前も同じだろうが」
床に転がり、鉄鎖がカランと鳴る。
嗚呼、この屈辱――だが誰一人、彼を助けようとはしなかった。
翌朝、労働の号令が響く。
「全員、ツルハシを持て!」
アーセナルは渡されたツルハシの重さに腕を震わせた。見れば、周囲の囚人たちは慣れた手つきで岩を砕いていく。鉱石の破片が飛び散り、肺に刺さるような粉塵が漂う。
「おい、新入り。突っ立ってると監督に殴られるぞ」
囚人仲間の一人――白髪混じりの初老の男が、ぼそりと忠告した。
「わ、私は貴族だぞ! こんなことをする必要は――」
言い終わるより早く、背中に鞭が走った。
「働け! 口を動かす暇があれば石を砕け!」
監督の怒声とともに、アーセナルの背に赤い線が走る。
痛みに悲鳴をあげながら、彼はぎこちなくツルハシを振り下ろした。だが石はほとんど削れない。すぐに腕が震え、息が上がる。
「おい貴族さま、ずいぶん華奢な腕だな」
「ははっ、これじゃ明日まで持たねぇぞ」
周囲の囚人たちの嘲りの声。アーセナルは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「黙れ! 私は……私は学院長だったのだ!」
しかし、その言葉は坑道の闇に虚しく響くだけだった。
数日が過ぎた。アーセナルは慣れない労働に体を壊し、足元もおぼつかなくなっていた。
ある夜、同じ部屋の囚人仲間が小声で語りかけてきた。
「坊ちゃんよ、無駄に身分を振りかざすのはやめとけ。ここじゃ逆に命を縮める」
「う、うるさい……」
「お前さん、まだわかっちゃいない。ここは人を選ばない。みんな同じ鉄鎖の下だ」
その言葉に、アーセナルの胸はかすかに揺らいだ。だがプライドが彼を支配していた。認めれば、自分が完全に墜ちたことになる。それだけは耐えられなかった。
やがて、坑道での事故が起きた。岩が崩れ、囚人の一人が下敷きになる。
必死で岩をどけようとする仲間たちの姿を見ながら、アーセナルはただ後ずさりしていた。
「ひ、ひぃ……!」
「手を貸せ! このままじゃ死ぬぞ!」
叫ばれても、アーセナルの足は動かない。恐怖が体を縛り、助けを求める声に背を向けた。
その場を見ていた看守が冷笑する。
「こいつは仲間を助ける気もないのか。さすが貴族さまだ」
周囲の囚人たちの視線は、冷ややかなものに変わった。以後、アーセナルに話しかける者はほとんどいなくなった。孤立。静かな敵意。坑道の暗闇よりも重苦しい空気が、彼を覆っていく。
夜、粗末な寝台に身を横たえ、アーセナルはぼんやりと天井を見つめた。
学院で贅沢を貪り、愛人に金を注ぎ込み、偉そうに命令していた日々。
あのとき、自分は何を得ていたのだろうか。
今残っているのは、朽ちかけたツルハシと、体に残る鞭の痕だけだ。
「……なぜだ、なぜ私が……」
声は闇に吸い込まれ、誰からも返事はない。
かつて学院長と呼ばれた男の姿はもうなく、ただ一人の囚人がそこにいた。




