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冤罪で家が滅んだ公爵令嬢リースは婚約破棄された上に、学院の下働きにされた後、追放されて野垂れ死からの前世の記憶を取り戻して復讐する!  作者: 山田 バルス


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第23話 リース視点 密命 ― 食堂の灯りと願いごと

密命 ― 食堂の灯りと願いごと(リース視点)


 ――カン、カン。

 木の床に桶を置く音が響いた。


 夜も更けた騎士団本部の食堂は、ひっそりと静まり返っていた。

 昼間はあれほど賑やかだった声や笑いも、片付けを終えた後の今は影もなく、まるで別の場所みたいに静まり返っている。


「ふぅ……今日も、なんとか片付いた」


 エプロンの端で額の汗を拭う。

 この食堂で働き始めて三か月。

 最初は焦がしたシチューや、塩を入れ忘れたスープで何度も落ち込んだ。けれど、いまではすっかり手が慣れて、団員の人たちから「おいしかったよ」なんて笑顔をもらえるようになった。

 それが嬉しくて、疲れていても自然と頬が緩むのだ。



「リース、まだ残ってたのか」


 背後からかけられた声に振り向くと、紫の髪をした若い騎士――エリオットが立っていた。

 鎧姿のままで、肩には薄く埃が積もっている。


「エリオットさん。今日はずいぶん遅いんですね」

「ちょっと、準備があってな」


 彼は椅子に腰を下ろし、ため息をついた。

 いつもより落ち着いた表情。私は胸がざわついた。


「……遠征ですか?」

「さすがだな。よく分かった」


 苦笑しながら頷くエリオット。


「しばらく、この場所を離れる」


 胸の奥に冷たい風が吹いたような気がした。

 毎日食堂に顔を出しては冗談を言い、時には皿を運ぶのを手伝ってくれる彼がいなくなるなんて。


 それでも私は笑顔を作る。


「寂しいですけど……。どうかお気をつけて。帰ってきたら、またシチューを食べてくださいね」

「……ああ。必ず帰ってくる」


 彼は立ち上がり、静かに背を向ける。

 その後ろ姿を見送りながら、胸の奥にじんわりとした痛みを抱えた。

 寂しいけれど、無事に戻ってきてほしい――それが一番の願いだった。



 翌日。

 昼下がりの食堂に元気な声が響いた。


「リース! やっぱりここにいた!」


 金髪の少年、ロベルトだ。

 十七歳の彼はまだ正式な団員ではないが、友人が団にいるため、よく遊びにやって来る。


「ロベルト君。今日も見学?」

「うん! ここにいると面白いからさ」


 子犬のような笑顔で席に飛び込む彼を見ていると、不思議と疲れが和らぐ。


「そういえば昨日ね、街に新しい菓子屋ができてたんだ」

「菓子屋ですか?」

「そう! それがもう甘くて……で、その隣にある宿屋の主人がね――」


 ロベルトは次々に街の話をしてくれる。

 人混みや商人のこと、旅人の犬の話。

 私は耳を傾けるだけで心が躍った。


 そして――。


「あ、そうそう! 街道を北に行ったところに、温泉があるんだって!」

「……え? 温泉?」


 その言葉を聞いた瞬間、私は思わず身を乗り出していた。


 温泉――!

 前世の記憶が鮮やかに蘇る。

 休日に友人と湯煙に包まれた旅館を巡った、あの心地よい日々。

 まさか、この世界にもあるなんて!


「本当にあるんですか?」

「あるある! 俺も行ったことないけど、日帰りでも行けるって聞いたよ。ねえ、今度一緒に行こうよ!」


 胸が弾んだ。

 けれど――。


「でも……」


 すぐに冷静な自分が顔を出す。


「今は騎士団の方々も遠征の準備で忙しいですし、私も食堂の仕事が……」

「えー、そうなの?」

「はい。でも……手が空いたら、ぜひ行きたいです」


 そう告げると、ロベルトは少し残念そうに肩を落としたが、すぐに笑顔を見せた。


「よし、約束だな!」

「はい、約束です」


 小指を差し出され、私も笑って絡める。



 その夜、片付けを終えて食堂の椅子に腰かけ、私はひとり考え込んでいた。


「……もし、誰か代わりに働いてくれる人がいたら」


 私が一日だけでも食堂を離れられるのなら。

 誰か新しい人が加わって、料理や掃除を分担できるのなら。

 そうすれば――温泉に行けるかもしれない。


 けれど現実は、私ひとりで回している部分が多い。

 いなくなれば、きっと団員のみんなが困ってしまう。


「はぁ……」


 ため息をつきながらも、心の奥で期待する気持ちを隠せなかった。

 新しい仲間が来てくれれば。

 私の願いも、少しは叶うかもしれない。


 温泉の湯気に包まれて、のんびりと過ごす自分を想像する。

 その幻想があまりに心地よくて、思わず笑ってしまった。


「……いいなぁ、温泉」


 夢みたいな呟きを残して、私は灯りを落とした。


 夜の食堂はまた静けさに戻る。

 けれど私の胸の奥は、湯煙のようにあたたかく揺れていた。

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