第2話 ポーツマス魔法学院 ― 追放か下働きか
ダイエー王国・ポーツマス魔法学院 ― 追放か下働きか
昼下がりの教室は、いつもと変わらぬ魔力のざわめきに包まれていた。窓の外には初夏の光がきらめき、庭の花々が風に揺れている。魔法陣の描かれた黒板の前で、白衣をまとった講師が杖を振るい、魔力操作の基本について説明していた。
その時だった。
――ドン! 重たい扉が勢いよく開かれる音が響き、教室中の生徒が一斉に顔を上げた。
「ポーツマス学院長……!?」
ざわめきが広がった。青い長髪を後ろで束ね、鋭い眼差しをした壮年の男が、ゆっくりと歩み入ってきた。ポーツマス=アーセナル、学院長その人である。普段は滅多に学生の前に姿を現さない人物が、授業を遮って現れたのだ。生徒たちは息を呑んで彼の動きを見つめた。
学院長の視線はただ一人に向けられていた。
金の髪に蒼い瞳を持つ少女――リース=グラスゴー。ギリーラ王国の名門、公爵家の令嬢。優雅な立ち居振る舞いと端正な顔立ちは、教室の誰よりも目立っていた。
「リース=グラスゴー」
学院長の声は冷たく、重く響いた。
「お前の父、ギリーラ王国のグラスゴー公爵は、本日未明、国家反逆罪により処刑された」
――え。
リースの胸に雷が落ちたような衝撃が走った。信じられない。つい昨日まで文を交わし、無事を祈る言葉を読み返していた父が。処刑……? そんなはずが――。
教室がざわめきに包まれる。
「反逆罪……?」「公爵家が?」「信じられない……」
友人と呼べる者すら、その噂を囁き合う声には好奇と軽蔑が混ざっていた。
学院長は続ける。
「グラスゴー家は取り潰しとなった。お前にはもはや後ろ盾も、学費を払う家も存在しない」
突きつけられた現実に、リースの唇は震えた。父の死。家の崩壊。そして自分の未来の喪失。頭が真っ白になり、視界が揺れる。
「よって、リース=グラスゴー。直ちに学院を去れ」
学院長の声は無慈悲であった。
「お、落ち着いてください学院長!」
慌てて講師が間に入った。リースの隣で魔法を指導していた若い教師が、学院長をなだめようと声を上げる。
「生徒の前でそのような話をされては、あまりに……」
しかし学院長は一瞥しただけで、冷ややかに言葉を返した。
「事実を伝えることに躊躇はいらん。貴族の身分を失った者に、この学院で学ぶ資格はない」
リースは椅子から立ち上がろうとしたが、膝が震えてうまく立てなかった。友人と思っていたクラスメイトたちは、目を逸らすか、小声で噂を交わすばかり。誰も手を差し伸べてはくれない。
その沈黙の中、学院長はさらに突きつけた。
「ただし――選択肢を与えよう。お前には二つの道がある」
リースは顔を上げた。蒼い瞳が揺れている。
学院長の声は冷酷に続いた。
「一つは、今日中に荷をまとめ、この学院から立ち去ること。もはや居場所はない。帰る家も、迎え入れる親族もいまい。だが、去るならばそれ以上は干渉しない」
息が詰まる。学院を出て行け? だが、どこへ? 異国で頼れる者もいない自分に、それは死を意味する。
「もう一つは――」
学院長は口角をわずかに吊り上げた。
「学院の下働きとして残ることだ。掃除、雑用、使い走り……授業を受けることは許されぬ。ただの労働者として、生徒たちの影で働くのだ」
教室がどよめく。
「下働き……?」「元公爵令嬢が?」
嘲笑を含んだ視線が突き刺さった。華やかな制服に身を包むリースの姿と、汚れた雑巾を持つ姿を想像して、口元を歪める者すらいる。
リースは唇を噛んだ。屈辱で視界が滲む。
けれど――生きるためには。父の無念を知るためには。ここを出て死ぬよりは、屈辱を飲むしかない。
「選べ」
学院長の声は冷徹に響いた。
「今すぐだ。今日中に決断せよ」
リースは小さく息を吸い込み、震える声で答えた。
「……わ、私は……」
胸の奥で、亡き父の声が聞こえた気がした。
――生きろ、リース。どんな屈辱にも耐えて。真実を見つけろ。
涙を拭い、彼女は顔を上げる。蒼い瞳には、かすかな決意が宿っていた。
「学院に……残ります。下働きとしてでも」
その瞬間、ざわめきは笑いへと変わった。
「公爵令嬢が雑用係?」「見ものだな」
嘲りの声が耳を刺す。だがリースは負けじと立ち尽くした。
学院長は冷淡にうなずいた。
「よかろう。お前の居場所は講堂の裏手だ。掃除用具を持って、今夜から働け」
講師は心配そうにリースを見つめたが、何も言えなかった。
リースは震える手をぎゅっと握りしめ、胸の奥で誓った。
――必ず、生き抜く。この学院の冷たい石の廊下を歩き、屈辱の中にいても。いつの日か、父の真実を暴き、自分の名を取り戻すために。
こうして、公爵令嬢リース=グラスゴーの新しい日々――学院の下働きとしての屈辱の日々が始まろうとしていた。




