4 あの日あの時あの一瞬
食事が終わり養父がタクシーを呼ぼうとしていたが私は少し散歩して帰ろうと提案した。
港近くの公園を抜けるとタクシー乗り場がある。そこまで歩こうと言う話になった。
公園は、きれいに整備されて緑が豊かだった。遠くに向かいの港の工場の灯りがネオンの様に輝いていた。
街灯の下にベンチがあったので休憩する事にした。すぐ近くには自動販売機もあった。
「パパ、コーヒー。ブラックでいいの?」
「ああ。ありがとう。あっそうだ愛ちゃん。
はい!財布」
分厚い財布を渡してくる。
「アハっ!それくらい持ってるよ」
笑いながら自販機に向かった。自分の分は甘ったるいミルクティーを買った。これだけはまだ大人の振りが出来ない。
小走りで戻ってくると父はタバコを吸っていた。ベンチに深く腰掛けて星空を仰ぐように、ゆっくり煙を吐き出していた。
良く見ると遠くの工場の煙突の煙と重なって不思議な光景だなと腰を落としてジッと見ていた。
養父が私に気づき「ハッ」として直ぐにタバコの火を消した。そう言えば養父が私の前でタバコを吸う姿は、ほとんど見た事が無いかも知れない。私の健康を気にしてくれていたのだ。
「はい」
コーヒーを渡す。
「ああ...ありがとう」
養父の横に座ると養父の方から肩を抱き寄せてくれた。夜の港の風はワンピース一枚では少し寒かった。それを察してくれたのだろう。
急に抱き寄せられてミルクティーを養父のワイシャツに、こぼしてしまった。
「パパ!ごめんなさい。」
慌ててハンカチをバックから取り出そうとしたが
「大丈夫。大丈夫。」
と、抱き締めてくれていた。
安心して頭を養父の胸に預けるとタバコの匂いがした。
アロマの様な香りだ。そして心臓の鼓動。
ドクッ、ドクッ、ドクッ…
正確な時計のように鳴っている。
あの日の事が思い出された。あの雨の夜。
養父の背中で聴いたあの心臓の鼓動。
「そうだ。あれは幻なんかじゃない。
私の耳に鼓膜に何より私の心臓に響いた。
記憶に刻まれた。あの音。」
私は決心が、ついた。今こそ聞こう、あの日の事を…。
私は消え入るような声で切り出した。もう涙が、にじみ初めていた。言葉より感情が先走りしてしまったのだ。
「パパァ…。あの雨の夜の事、覚えてる?」
「ああ...覚えてるよ。
養父が静かに答えた。私はパッと身を起こし養父の目を見た。嘘りない瞳だった。
「本当!本当なのね!」
私は嬉しさのあまり堰を切るように話始めた。
「私ね。あの日の事。もしかして夢だったのかなって思ってたの。だってパパあれから何も変わらないでしょ。私だけパパの事が好きなのかなぁって...。
こんなに気持ちを伝えてるのに。もしかして、あんな事したから、わたしの事、嫌いになったのかなって、心配だったの。」
すると養父は私の髪の毛を押さえて胸元に抱き寄せると優しく髪の毛を撫でてくれた。
それが答えだと私は思い込んだ。身勝手な解釈をしたのだ。養父は言葉に困って黙っていただけかもしれない。幼な過ぎたのだ。
でも、本当は、わかっていた。養父が母を深く愛していた事。
どうしようもない程高い壁が養父との間にあった。母と言う存在だ。
私はそれを誤魔化し続けて養父に露骨なアプローチを掛け続けた。養父は本当は困っていたはずだ。都合のいい時だけ幼な娘を演じ、時には大人の女性の真似をして…。今思えば滑稽でしかないが...
そろそろ帰ろうと一緒に立ち上がったが少し養父は足が、ふらついていた。
もともと、お酒は強い方では、なかった。接待で飲む事はあったらしいが自宅で飲む事は、ほとんどなかった。
でも、その夜は養父も楽しかったのだろう。ビールとワインを飲んでいた。お店からタクシーに乗り自宅に帰れば、何も問題は、なかったのに、わたしの企てで水を差してしまったのだ。
私の方が支えるようにしてタクシー乗り場まで歩いた。実際は対した支えになっていなかったかも知れないが…。
タクシーに乗り込むと養父がボソッと、つぶやいた。
「そう言えば愛ちゃんの欲しいものって何だったの?」
ドキッとした。一瞬、心臓が止まるかと思った。
私は両膝に両手のこぶしを置いて、少し間を置いて、答えた。
「ハハッ!大丈夫。それは今日じゃなくても大丈夫だから...」
そう言葉をにごした。
「そっか...いつでも言っていいからね!」
養父は、そう言うと寝息を立てだした。日頃の社長業務。さらに、我がまま娘のお守り。疲れて寝入ってしまったのだろう。
私は父の横顔が見たかった。でも見れなかった。
涙が両手のこぶしに、ポト、ポトッと落ちていく。
あの日養父の手にも涙の雫を落とした。
もうあの日には戻れない。
あの時。あの一瞬に...。
続く