第5話
一
シータは海岸沿いを歩いていた。
彼女は旅を続けるしかない。すでに帝国軍から追われる身になっている。
「お兄様……」
シータは砂浜に膝をつく。
「疲れましたか、シータ。休憩のついでに復讐はいかがですか」
ビショウが語り掛けた。その影を振りかぶった酒瓶が通り過ぎる。
「何言ってんだいこの復讐馬鹿は。シータ、何も考えずに休みな」
ドランカが酒瓶を担いで腰を下ろす。
すると、一隻のボートがシータたちの前に現れた。水上迷彩を施した帝国軍のボートから兵士たちが降りて来る。銃口は天に向けられたまま。
「ご機嫌麗しゅう、シータ・ツエルブお嬢様。某は帝国軍のピープ・ストーン大佐です」
指揮官らしき軍服の男は綺麗なお辞儀をした。
「大人しく投降していただきましょう。あなたには英雄になってもらいます」
「英雄ぅ?」
おもわず声を発したのはドランカだった。ドランカの身長は軍人たちと比べても巨大である。
「解放軍の英雄としてその名を上げたあなたを人質として、我々は停戦交渉をするのです。戦争は終わり、あなたのような悲劇の子供たちはいなくなるでしょう」
「それは本当ですか」
シータがたずねる。
「ええ、神に誓って」
無論、嘘だった。
ピープ・ストーンは二枚舌として帝国でも有名であり、このような約束を捕虜と取り付けては残忍に殺している。ビショウには全てわかっていた。
そして、気付いたのはもう一人。
「あんた、何回神様を裏切ってるんだい?」
ドランカが前へ出る。
「あんたからプンプン臭うんだよ。嘘つきの臭いがね」
「交渉決裂ですか。仕方ありません」
「きゃあ!」
いつの間にかシータが囚われていた。ビショウは気付かなかった。怨霊の意識を逸らすという『迷路』が迷彩服に編み込まれていたのだ。これほどシータに近付かれてはビショウは動けない。
「まったく飲まなきゃやってられないよ」
ドランカが酒瓶をあおった。
彼女がふらりと倒れ込んだかと思うと、シータの右腕を捕らえていた兵士が昏倒した。死角から頭突きを食らわせたのだ。左腕を捕らえていた兵士も酒瓶の一撃を食らって倒れる。骨が折れる音がした。
「ヒック、飲めばぁ飲むほど、強くなるってぇね」
ドランカが暴れた。サーベルの連撃をふにゃふにゃと躱し、兵士たちの頭を、腹を、股間を蹴り上げる。たぶん彼女は飲んでいなくても強い。
ビショウはシータを抱えて空へと舞い上がった。
「ここはあたしに任せなぁ! って、もう行ったのかい。まあいいや!」
ドランカの声が聴こえた。
ビショウとシータは空中で復讐の作戦を立て直す。
「軍人たちは迷路を備えていました。どうにかしなければ復讐は難しいです」
「ドランカさんは無事?」
「心配ないでしょう。あなたよりよほど頑丈だ。とはいえ早く決着をつけなければ……」
「迷路をなくしてしまえばいいのね、ドランカさん!」
兵士たちが天へ銃を構える前にシータは叫んだ。
「全員の服を脱がせて!」
突拍子もない申し出に、しかしドランカは頷いた。
「合点承知」
ドランカがさらに暴れた。兵士たちは服を破られ、裸で砂浜を逃げ惑った。
「おらおら待て待てーッ! さすが軍人いい身体してんねーッ!」
「な、な、なんたる破廉恥な! やめてぇええええ!」
ピープ・ストーン大佐は軍服を脱がされながら叫んだ。完全に素っ裸になったところでドランカはその背中を蹴り転がす。裸の男が三回転して砂が飛び散った。
上空より舞い降りる影が一つ。いや、二つ。
「この娘の復讐を代行する」
舌を突き出してピープ・ストーン大佐は次の交渉を考えようした。しかし、もう遅い。
「不両舌、滅!」
軍服をひん剥かれた貧相な体が、真っ二つに裂けた。
二
「ぺっぺっ、変なの飲んじゃった」
血まみれになったドランカは海水で血を落とす。
「しょっぱ、うおしょっぱ。海ってこんなにしょっぱいのかい」
ドランカはやかましくうろたえる。
ビショウは気にすることなく、読経に入っている。
「助けていただいてありがとう、ドランカさん」
シータは痛む胸を抑えてお礼を言った。
「いいっての。シータが無事ならそれでいいのさ」
「ですが、お酒はほどほどに」
「わかったよぉ」
ドランカはすっかり酒が抜けていたが頬を赤くして答えた。
「あたしにゃ、娘がいたのさ。夫と一緒に帝国軍に殺されちまったけど」
「え」
ドランカは服を絞りながら言う。
「生きていりゃあんたくらいになるのかねぇ。そう思ったら、あと酒の力を借りたら、怖さなんてふっとんじまうのさ」
余計な一言はあったが、ドランカの言葉にシータは胸を打たれたのだった。
「私も、お兄様たちに会えるなら……」
シータは決意を新たにする。
三
解放軍の駐屯地となった酒場にて。
「シータが、帝国軍に指名手配されてるだと!」
手配書を手に入れてコー・ツエルブは呻いた。シータが生きてる可能性が高まったことは嬉しいが、まさか命を狙われているとは。
「一刻も早く保護しなければ」
「コー、俺たちで探すからお前は任務に専念しろ」
コーはショックだったが、仲間たちの声に頷く。
「シータ……」
酒場の扉が開く。兵士の一人が対応した。
「なんだお仲間か、入った入った……げぶっ」
兵士が口から血を吐いた。コーは構えた。
襲撃者は異様な姿だった。全身に包帯を巻き、額から金色の髪が一房だけ覗いていて、解放軍の軍服を肩に引っかけている。しかし、それは偽装だと本能的にコーは察する。
コーの隣に座っていた仲間が倒れた。柄が装飾されたナイフが額から生えている。目にも留まらぬ速さで襲撃者が投げたのだ。他の仲間たちも次々と倒れていく。
生きている者はコーと襲撃者だけになった。ナイフを手に包帯姿の襲撃者はコーを見下ろす。
「残念です、あと十年若ければ私の好みでしょうに」
「うおおおおおおお!」
コーが銃剣を構えた。その腕にナイフが刺さるが、気にせず振り上げる。
「なにっ」
顔を狙われた襲撃者はひるんだ。
銃剣を間一髪で避けて襲撃者は酒場を飛び出していく。コーはその後を追う。暗闇からナイフが飛んでくる。肩に刺さるが、膨張した筋肉によって半ばで止まる。コーはナイフが飛んできた方向へすかさず身を翻し、発砲した。
「馬鹿な……!」
「俺は死なない、シータを迎えに行くまでは!」
弾を込め直しながらコーは走る。しかし襲撃者の姿はすでになかった。金髪が一房、焦げた断面を晒して落ちていた。
「奴は一体……そうだ、本部に連絡を!」
コーはナイフを身体に生やしたまま、本部へと駆けていった。