第1話
一
復讐を達成した、あの甘美な感覚。
彼は転生したらしい。
そのことに気付いたのは今世の身体が……少女の身体が、十四になってからだ。
小さな村に生まれ落ち、村を焼かれ、一晩いくらで好事家たちに嬲られ、病を発し、山に捨てられて今に至る。
全身が痛い。彼は思った。
山で迷った時はむやみに歩かず頂上を目指すと良い。修験の記憶から彼はその知識を引っ張り出し、獣道を這いずった。
黒い髪を振り乱し、鋭い棘に身体は切り裂かれ、血を流しながら這いずり続けた。
頂上。
達成感はない。あれにくらべれば、全く……。彼は物足りなさを感じていた。
尾根道を眺める。
松明が見えた。
グランデル領主のコロース・ヴァインシュタインはキツネ狩りに飽き飽きしていたので、人買いたちが夜毎『欠陥品』を捨てに来るこの山の噂をあてにした。
しかし、欠陥品であるゆえかコロースを楽しませるほどに生きのいい獲物はおらず、コロースは自分の太鼓腹を掻き、従者たちも皆あくびを噛み殺していた。
「しかたない。屋敷で楽しむか」
一頭、見目の良い欠陥品を拾っていたのだ。銀髪青眼の少女には縄をかけて従者が捕えている。これを土産に帰ろう。拷問部屋の洋梨はちゃんと研いでいただろうかとコロースは馬の上で思いを馳せる。
ふと、山の上から何かが聴こえた。
獣の声かと思われたそれは、黒い影を伴ってコロースの前に現れた。
影は風になり、松明へ向かっていった。
松明を掲げ持っていた肉を裂いた。血しぶきが跳ぶ。それに驚いた肉が剣を抜くが、彼は風だ。手当たり次第に切り裂く。
「―――! ―――!」
一等太い肉が何かを叫んでいる。我は領主なるぞ、だろうか。風にはどうでもいいことだ。切り裂く。脂肪が絡まる感触。血。
太い肉は大きな肉に乗ったまま逃げていった。
あとに残されたのは一体の小さな肉。
「誰」
今度は彼の意識にはっきり聴こえた。ささやかな声だったが。
「きみは、誰」
さて、誰だっただろうか。風、と答えるのも芸がない。彼は、ふと自分の足がないことに気が付いた。ああ、なんだ。とっくに体は限界を迎えていたのか。
ならば、答えは一つしかない。
「名はビショウ。復讐を求める怨霊です」
小さな肉は、高い位置にあるくびれを曲げてその名を繰り返した。
「ビ、ショウ……」
小さな肉は……少女は失禁していた。膝も震え、立っているのがやっとだった。少女に縄をかけた者たちは死体となり、領主は腹を裂かれて馬で逃げていった。悪臭が漂う藪の中、影は頭を下げるような気配を発した。
「怖がらせて申し訳ありません。あなたから、気配がしたので」
「けはい……」
「復讐の気配です。さあ、あの領主へ復讐しに参りましょう」
少女は気を失った。
肉を切り裂かぬように気を付けて、ビショウはその身に抱き上げる。
空を飛んだ。
山路に落ちていた松明の火は木陰で見えなくなり、向こうに紫色の朝焼けが見えた。
小さくなった山の麓に、屋敷が見えた。
ビショウは笑う。
二
「ああ、なんだ、なんだあれは!」
半狂乱になったコロースは屋敷へ戻っていた。脂肪の層により急所を外れた傷跡を布で抑えながら、留守を守っていた執事に言った。
「いいか、何が訪ねて来ても追い返せ! あれは山の魔物だ!」
「わかりました、コロース様。ですが医者を」
「医者など要らぬ! ええい、私は帝国の第一騎士、コロース・ヴァインシュタインだぞ!」
蝋燭の明かりが消えた。窓が鳴り、すべての光が消える。
影が窓を割った。
「名はビショウ。この娘の復讐を代行する」
割れた窓ガラスが月の光を反射する。その中で裸の少女を抱いた影が宣言した。
コロースは家宝の槍を掴んだ。
しかし、遅い。
「不殺生、滅!」
銀の穂先が届く前に、影の手が到達した。
コロースの頭蓋が分かれた。縦に四つ、まるで盛り付けられる前の洋梨のように。
復讐は成し遂げられた。
影の低い唸り声が響く。それは異界の言葉、読経であった。
執事は主人の頭を繋ぎ合わせる医者を呼びに行った。
三
「気が付かれましたか」
声がして少女は目覚める。
ビショウが体を支えている。風が強い。
「下は見ないほうが良い」
その時、少女は自分が空を飛んでいることに気が付いた。
「あなたの名はわかります。シータ、かつてそう呼ばれていた」
「あ……シー、タ……」
ビショウは少女の記憶を読んだ。シータの目から涙が零れ落ち、空に散っていく。
「次はどこへ復讐に参りましょう。あなたを攫った人買いですか」
「……もう」
「妄?」
「もう、誰も傷つけないで」
ビショウは、困った。