第8話 シスターさんは牽制したい
「何かお悩みかね神父様?」
「だから俺は神父じゃない」
教室に付くなり楓都は微妙な顔付きで机に伸びていた。
そこへ、悪友というか親友というか、楓都と一番分かり合える友人――葛西柊間が、後ろ手を組み半笑いで絡んでくる。
朝は何とか切り抜け……られなかったのが尾を引いていて、ダレているのを彼に見つかったのだ。
今後の同居生活に頭を悩ませる楓都に、元気出せよといった顔で柊間が隣に座った。
「神父は向いてると思うんだどなあ」
「これは向き不向きじゃないから。信徒でもないのに神父にはなれないよ。なるつもりもないし」
「そのくせ、よく他人の相談にのってるのに?」
「あれはコミュニケーションの一種だし、人助けだよ。あと得意だからね」
「ま、何があったか知らないけど、何時でも聞いてやるから。俺も世話になったしなぁ」
「君は彼女との関係を先に進める事に注力した方がいいよ」
「うぐっ……でも、そう上手くいけば苦労しないだろ」
絡み半分で残り半分くらいは心配してくれたのだろうが、柊間はバツが悪そうに逆にダメージを受ける。
誰しも認めるビジュアルと友好的な姿勢、勉強はあまり得意でないものの運動神経の良さからモテる男、それが柊間である。
ややチャラついているが基本的に誠実だし、友達思いで楓都は中学の頃から信用していた。
その彼には意中の女子がおり、告白までしているのだが保留になっていて度々楓都が相談に乗っているのだ。
「女に振り回されるのは男の宿命、って死んだ爺さんも言ってたし、頑張れよ」
「そりゃあ、楓都にも言えると思うぜ?」
「……かもね」
「ほら、なんか揉め事だ」
「ん?」
彼が振り向いた先にはいつの間にか人集りが出来ていた。
中心にいるのは、今朝一悶着合った義妹のシエル。
そして、燐音と無言で対峙するように二人が立っている。
剣呑とした雰囲気というより何か言いたげなのがシエルで、意にも介してなさそうなのが燐音。
普段、二人が揉めるようなことはないし、寧ろ仲が良いくらいなので周囲は騒然として、色めき立つ。
しかし、楓都はどうしてそうなっているかを知っているこの中で唯一の人間だ。
今朝からあまり気分は良くなかったが、ついぞ胃まで痛くなってきた。
きりり、と締め付けられるような腹痛が強まる前に、彼は席を立つ。遠巻きに見つめるクラスメイトの横を抜けて、楓都は二人の間に割って入った。
「二人とも、そろそろ予鈴が鳴るから席に……」
穏便に済ませようとした楓都だったが、シエルも燐音も皆まで言わせてくれなかった。
「楓都は静かに」
「少し黙ってて」
ハモりはしなかったが、意味は同じ。シエルの一切笑っていない笑みと、燐音のじとりとした冷やかな視線が楓都を射抜く。
眼光鋭く、とかではないのだが凄まじい圧があった。そもそも例え自分が原因だとしても、女子同士の諍いに割って入るなど間違いだったのだ。
これ以上は危険を伴うと見て、楓都は「わかった」と、それきり口を閉ざした。
また、それは周囲のクラスメイトも一歩後ずさるほどの威圧感で「東雲が封殺されたぞ」「東雲くんでも流石にあの二人は無理か……」とか「多分今から刺されるぞあれ」と、小声のどよめきが耳に入ってくるが、当の二人は周囲の視線など全く気にしていない様子だった。
「私、楓都の義妹になったから」
「知ってるよ」
「それだけ?」
「それだけだよ」
間は長かった割に、二人が交わしたのは端的なものだった。
宣言は何を意味するのか、周囲には分かっていない。養父を亡くしたシエルが引き取られ、楓都と義理の兄妹になった事はこの数日で既に知られている。
わざわざ何のために宣言したのか、楓都には意図を計りかねた。けれども燐音はシエルが楓都へ抱く気持ちを察しているから、牽制されていると理解しつつ知らんぷりで接する。
そして、クラスメイトたちもまたシエルの気持ちを何となく理解している。
なにせ、シエルが恋をしない天使と言われるのは、正しく言えば『もう二度と彼以外に恋をしない』とまで思われているからだ。口にするのは野暮だからと誰も訂正せず、楓都たちを見守っているのだ。
故に彼女の宣言の意味はわからずとも、楓都絡みで何かあったな、とは口に出さずに察していた。
何も分かっていないのは楓都だけ。鈍感と言うより、それは彼の生い立ちによる。
だから、今はまだ動き始めたばかりの恋模様だった。
「朝の件はもう一回謝っとく」
「別に大丈夫。こっちも解決したし、それも伝えに来ただけだからね」
燐音には楓都への恋心はないので、争うつもりはないらしく友人として謝る。それを受けるシエルは表面上はそれなりの愛想を使った。
それからまた静かな視線のかち合いが起きる。
シエルの瞳の奥には静かだが確かな探るような光が宿っていた。燐音が楓都に対して本当のところどういう感情を抱いているのか、相手の出方を窺い、その本心を見極めようとする静かな観察だった。
燐音もそれを受け流すように、驚くほど相変わらずで飄々としている。
しかし、睨み合いでもないので、それから直ぐにどちらの視線も外されて、ふっと互いに息を吐きこぼした。
「……予鈴が鳴るし、帰るね」
言って、シエルはくるりと踵を返し、間に立っていた楓都を一瞥することもなく、まっすぐに教室のドアへ向かって歩き出した。それから、最後にドアの手前で立ち止まり振り返ると「またね、お兄ちゃん」と、愛らしく手を振って教室から出ていった。
一方の燐音もまた、何事もなかったかのように自分の席がある教室の隅の方へと向かい、静かに座った。その横顔からは、先ほどの沈黙の中で彼女が何を思い、何を感じたのかを読み取る事は叶わなかった。
ぽつんと残された楓都は、なんだったんだと思いつつも、押し寄せる精神的な疲労感と何とも言えないじんわり痛む胃の辺りを手で押さえながら自分の席へと帰ってきた。
椅子に深く腰掛けて、ため息と言うよりもほっと小さく息を吐き出した。この問題は自分のせいであり、発端全てが自分であるが故に罪悪感と後ろめたさがある。
机に突っ伏しそうになる楓都の様子を見かねた柊間が、どこか同情と呆れが混ざったような顔で覗き込んできた。
そして、慰めるように楓都の肩にポンッと手を置く。
「女子に振り回されるのは何とやらだな……」
「身に染みるねそれは」
ついさっき友人に掛けたセリフが、ニヤついた悪い笑み付きで帰ってくる。
義妹が内側に抱えている複雑な感情や、燐音が何を考えているのか、この悪友は特有の嗅覚でとっくに勘付いているらしかった。
楓都が困り眉で柊間を見上げたその瞬間、朝のプチ騒動に終わりを告げるよう、けたたましい予鈴のチャイムの音が学校中に鳴り響く。
そうして、クラスメイトたちや教室外の野次馬たち一斉に散らばる喧騒の中、楓都には神父が笑っている声が聞こえた気がした。




