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第7話 堕天シスターは想いを秘める

「キスってどんな味がするんですか」


 天使の顔で放たれた悪魔の囁き。そこから始まったのは安寧とは程遠い同居生活、その基盤の崩壊。

 家族になったばかりの義妹と一線を超えた晩秋の夜は、楓都に過去一番の頭痛を覚えさせていた。


 そして、彼は思い出す。

 どうしてこうなったか。自分の過ちを発端とし、誤魔化して躱そうとした結果、最悪の事態を引き当てたのだ。


 否、男としては役得というか、間違いなく満たされるものがあった。

 しかし望んだものではないから複雑だし、懐かれているとは思ったがこんな事をされるなんて想像だにしてなくて楓都の思考は混迷を極めている。


 なのに、つい先ほど強引に楓都へキスをしたシエルは視線を逸らし、赤らんだ頬に手をやりいくつかの指で唇に触れていて、余韻を味わっている様子。


 楓都は何度か唸るように喉から声を捻り出して、キスの感触が残る唇を開いた。


「びっくりした……、俺は何を言ったらいいか分からない。……もう満足した?」

「……う、うん。す、凄かった。柔らかいし熱があって引き込まれるのに、でも意外と、あっさりしてるんだ、みたい、な? 怖いって思ったこともあったけど、実際は悪くないな、って」


 ようやく取り戻した会話も、シエルはさっきのことでいっぱいいっぱいなのか、惜しげもなく感想を語り出した。


 恥ずかしさを常に携えながらも、赤くした表情をころころと変えていく。最後に、彼女がはにかむと何故か楓都の方がぶわっと羞恥が湧くようだった。


 聞いてるのが恥ずかしくて、楓都はリアクションに困る。実況されている気分で、キスされたことよりこっちの方が耳が熱くなる思いだ。


「感想は聞いてないんだけど……まあ、納得して貰えたらそれで。俺ら義理とはいえ兄妹だから、今後は……ね?」

「……それは保証しかねます」

「え?」

「嘘だよ。きっとね」


 間を空けた後に怖い事を言って、楓都がほぼ息に近い声を零したと思えば、シエルは悪戯っぽく言って有耶無耶にしてしまう。

 もう楓都は翻弄されている気しかしなかった。


 余裕があるはずだった。正直に言えばキスはこれが初めてではないし、同い年といえ昔から妹のように思ってきたシエル相手にこんなに揺さぶられるとは考えもしなかったのだ。


(なんで俺はこんなに……)


 またどちらかと言えば、キスよりも今のシエルの表情とか仕草とか言動の方が楓都を動揺させている。

 ここまで小悪魔だったのか、と彼はシエルへの見方が変わりそうで必死に鼓動を押さえ付けるばかりだ。


「勘弁して欲しい……」

「嫌、だった?」


 楓都の無意識の呟きに、どこか不安そうにシエルが尋ねる。

 見上げる瞳は静かに濡れるように膜を張っていた。


 本当はここで拒絶しないといけなかったのかもしれない。

 だけど、そんなのを見せられたら楓都はこれ以上拒めなかった。


「嫌じゃなかった。けど、俺はシエルを大切にしたいんだよ?」


 最後にするつもりにせよ裏切ったどの口が言う、と自責しながらも楓都は微かに口の端で弧を描く。


「……そっか。ごめんね。無理をしたのは謝るね」

「それは大丈夫。俺も今までめちゃくちゃしてきたから。理由だって聞かない」


 シエルは《《今日は》》これ以上の迷惑をかけまいと、申し訳なさを含んだ笑みを見せる。


「うん。分かった。でも、忘れないで。私、楓都の義妹いもうとだから。大好きな家族だから。もう二度とどっかに行くの禁止ね」

「難しいことを言うなあ」


 可愛らしく言って両腕に手を添えられても、素直にそのお願いは聞けない。

 だって、いずれそれぞれの道を見つけなければならないのだ。


 そう思った楓都ははぐらかしてしまうつもりだったのに「だったら遠慮しないよ?」と、こてんと小首を傾げたシエルが本気で言うのだから、心臓を掴まれたような気分を味わう。


 困った妹が過ぎる、と悩ませながらも「とりあえずは」と言って半分の了承に留めてしまえば、シエルも渋々頷いた。


 ため息混じらせた楓都は一瞬外した視線をシエルに戻す。

 すると、次の瞬間には、そこにぐったりしたシスターがいた。


「……はー、良かった。嫌われると思った」

「それはないよ」

「だって、あんなことしたら全部壊れるって思うもん」

「じゃあ、なんでしたんだ」

「しなきゃ、楓都が絶対どこかに行く気がしたの。もう無理。心臓破裂する……!」


 ぼふん、と音でも立てそうな勢いで、顔から熱を放出したシエルはソファにへたり込んだ。


 あう、あう、とクッションに喘ぐように顔を沈めて、こちらを見てはまた沈めたりと限界に達しているようだった。


 楓都は自分の方が翻弄されているようにしか思えなかったが、ちゃんとシエルの方がギリギリだったらしい。


「俺はまだどこにも行かない。シエルを置いては無理だよ」

「……だったらよし」


 シスターになると決めているシエルと、無神論者で将来は義理の母の会社で働くと決めている楓都では道が違う。


 本当はここにいてはいけないのだ。無神論は彼女たちの教えを真っ向から否定するようなもの。


 それでも家族だから、今はこの関係を守り続ける意思がある。


 沢山の想いを内包した楓都は苦笑気味に言って優しげな眼差しを彼女に向けると、シエルはまた一つ頷く。


「ほんと、しんどい。あー、むちゃくちゃしたなあ」

「ほんとだよ」

「こんなことするなんて、思いもしなかった」

「キス一つで、じたばたするなんて子供だなあ」

「うーっ! 初めてだったんだもん、しょうがないでしょ……」


 足とクッションを抱えていたシエルは、治まらない興奮と勢いに任せた後悔からソファから脚を投げ出しばたばたとさせて、一人で暴れていた。


 経験のなさからくる可愛らしい姿を楓都が揶揄えば睨んできたので更にふっ、と笑みを見せると「お勤め行ってくるー!」と立ち上がって楓都の横をぷんすかしながら通り抜けていく。


 彼女に「行ってら」と声を掛けてようやく楓都は安堵を感じられた。


「あと、お義兄ちゃん!」

「なに?」

「おはよう」

「うん。おはよう」


 わざわざ楓都の名前を口にしない時のシエルには意味がある。

 きっと妹を置いて夜遊びに出かけてしまうような兄への、せめてもの抵抗だったのだろう。


 本当は言えなかったかもしれない、『おはよう』を突き付けて彼女はリビングを後にする。


(今日からはちゃんとやらないとな)


 微笑ましく思って、楓都はこの日常を当たり前にすべく兄としての胸に想いを溜める。


 だけど、妹の胸の内と言えば……


(絶対もう一回キスしてやる……!)


 堕天使としてしっかり堕ちきっていた。


 そして、どちらも知らない。思い描いた家族生活とは真反対の、インモラルで背徳的な同居生活が始まることを。


 だから、今はまだ唇を乾かしたままだった。

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