消失
山道を荷馬車と軽装衛士が連なり、明るい声が木霊していた。
勝ち戦からの凱旋だ。皆が疲れを忘れて嬉しそうに放している。
「でも、デュアス様もこの戦で長兄を討たれ、イスラバ公国の王になれたのよね」
ベルミの感慨深い声が、耳を打った。
そう、これで私たちも公王様の使用人になる。
先のベルドラム戦役で夫を亡くし、生活のために縁故を頼って公王家の末子、デュアス様の下働きになった。
それが瞬く間に継承争いで次兄を討ち取り、今回の征伐戦で長兄を討伐したのだ。
私は王宮の使用人だ。
これで、少しは生活も楽になる。
家に残してきた母にも娘にも、もう空腹を我慢することもなくなるはずだ。
「ベルミ、イザベル」
不意に前から声が掛けられた。
道の端に立っているのは、給仕長のボルナ様。
私はベルミに続いて駆け寄ると、その場で礼を示す。
「公王様と側近が近くで合議を行う。二人はこの子を連れて、三人で給仕せよ。わしらはこのまま王都に帰還して凱旋の宴を準備をする」
「承知しました。それで、この子は」
「わしらに寝返ったイノグ公の娘、デトルだ」
デトルと呼ばれた少女が、怯えたように礼を示した。
公の娘。体のいい人質だ。
それも、下働きの給仕をさせるのだから、イノグ公の寝返りのタイミングも遅きに失したのだろう。
不憫な娘だ。
「承知しました」
もう一度礼を示した私たちに、ボルナ様が付いてくるように言いながら、背を見せる。
向かう先は、山道を逸れて上へと向かう細い獣道。
そこをわずかに上った先に、近衛隊が陣を張る小さな広場が見えた。
「すでに厨士たちが準備している。お前たちはその奥に進め」
奥。
指さす先に見えるのは、大きく口を開けた洞窟。
あの中で合議をしているのだろうか。
私たちが進んでいくと、洞窟の入り口には食前酒が用意されていた。それを手に取り、洞窟に足を踏み入れる。
中は思ったよりも広く、壁に掛けられた篝火に足元に不安もなかった。
奥へと下っていくと、私にも、いや皆がここでの合議を理解した。足が止まり、息を呑んでしまう。
林立する水晶。さらに奥に見える広い空間に水晶は密集していき、大きさを増していた。
そして、その空間の中心には巨木を思わす水晶が柱のように立ち並んでいる。
その前に立つ近衛が、公王様たちがいる場所を教えていた。
私たちが足を進めていくと近衛は左右に避ける。
林立する水晶の中で、公王様たちは合議をしていたのだ。
案内されるままに、私たちはその中に足を進めた。
巨木のような水晶は壁のように立ち、丸く広い空間が中に広がっている。そこにいるのは王様を中心にした十五人の側近たち。私などが見たこともない雲の上の方々だ。
「やっと来たか。早速、皆にカップを配ってくれ」
公王様の声が水晶に反響して聞こえる。あぁ、私たちの公王様はこんなに若くて、威厳のあるお方なのだ。
それに、この水晶の柱に囲まれた荘厳な空間。私たちの公王様の座る玉座にこそふさわしい場所だ。
「それでは、公王。マリアルドへの一番槍は、このベントにお任せを」
「構わんが、それでは王都で軍を休める暇もないぞ」
「不用です。それに、これは速度こそが勝機。一気にマリアルド王国には楔を打ち込んで見せましょう」
ベントの豪快な笑いが響く。
マリアルド王国。
私は配りながら、その意味を理解できた。
公王様は、宗主国であるマリアルド王国を落とすおつもりなのだ。このイスラバ公国を統一し、その勢いのままマリアルド王国に侵攻する。
半年前の北方のエンデス王国との戦で、マリアルド王国も王を失くした。
その王位継承の争いが起こり、内乱状態にあると聞く。
幸い、その戦ではエンデス王国の王も討ち死にのために、軍は引いた。しかし、周辺国の動向は怪しくなっている。
公王様はこの機に乗じてアリアルド王国を呑み込み、国の安定を保つお考えなのだ。
「それでは、再編を――」
公王様の声を遮るかのように、篝火に照らされただけの洞窟内に陽光のような鋭い光が走った。
それも数秒だろうか。光は篝火も消し去り、闇のみが世界を占めた。
声を上げるが、それすらも闇に吸い込まれたかのように響くことはない。
何、これはどういうことなの。
何が起こったのか理解できないまま、私はその場で蹲るしかなかった。
無明の闇は、目が慣れることはない。ただ、人の根源的な恐れがそこにあるだけだ。
それがどれほど続いたのかは、定かではない。でも、一日二日ではないことは確かだと思う。私はその長さに正気を失いかけるところだったのだ。
そう、それは不意に現れた。
陽光のような鋭い光が再び走り、世界を白く染めて消えていく。
わずかに遅れて火花が散り、炎が灯った。
公王様の顔がその炎に見えたが、私の目には眩しすぎてすぐに目を閉じる。
しばらくしてその光に目が慣れると、他の者も同じだったのだろう、周囲でいくつもの篝火が上がった。
その中に浮かび上がったのは、十三人。ここにいたのは、公王様と側近の十五人、それに私たちで十九人だったはずだ。
「周囲の状況を確認」
公王様の声に、一人が水晶の壁から外に出る。
しかし、
「陛下、周囲がおかしいのです。あったはずの水晶が見えず、目に見えない物が足元にあります」
すぐに戻ると蒼ざめた顔で叫ぶ。
私は、すぐ近くの水晶の隙間から顔を出した。
戻ってきた男の落とした篝火が見えるが、そこのはあったはずの水晶が確かに見えない。
どういうことなのだろうか。水晶の壁に手を置いて、顔を近づけた。
途端に、以前と同じように水晶に満ちた洞窟が見えた。
これか。
「この水晶の壁に手を当てれば、水晶が見えます。でも、手を離せば消えてしまうようです」
咄嗟に私は叫んだ。
「水晶の壁。君の名前は」
「イザベラと申します」
「では、イザベラ」
公王様は壁の水晶を剣で欠くと、
「これを持ってついてこい」
その欠片を私に渡す。
公王様直々の命だ。
「承知しました」
私はそれを取ると、水晶の壁から出た。
公王様の持つ篝火には、入ってきた時と同じ水晶の洞窟が照らされている。しかし、そこに居たはずの近衛の姿は見えない。
そのまま洞窟を進んでいくと、その先に陽光の差し込む入り口が見えてきた。
木々の生い茂った山肌。眼下に見えるはずの道はなく、居たはずの荷馬車も軍の姿もない。
「何があったの」
思わず呟いた言葉に、
「こんなことが出来るのは、創聖皇だけだな」
公王様が答える。
創聖皇、この世界全体に干渉したの。
「イザベル、ここまで待て。余は全員を呼んでくる」
公王様が洞窟に戻っていくのを見送りながら、私はその場に腰を落とした。
残してきた母と娘はどうなったのだろうか。
すぐにでもここを離れて、家に戻りたかった。
この山を越えて、さらに馬車で十日余り。道がなくなったのであれば、山を越えるだけで一月は掛かりそうだ。
家が、故郷がどうなっているかなど考えたくもなかった。
ただ、悲しさと悔しさに涙が止まらなかった。
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