掃討作戦
「シルフ殿」
声を掛けるのと槍の穂先が向けられるのは、同時だった。
「なんだ、アベルか」
すぐに穂先は輝きを残して眼前から消える。
しかし、怖いお人だ。少女の容姿だが、全てが刃のように思えるような鋭さがある。
「そんな影にいると危ない」
その言葉に、廊下の影から出ると礼を示した。
「礼はいい、話したいことがあるなら、ふこっち」
シルフ殿はそのまま足を進め、執務室の扉を開ける。
そのシルフ殿に付き従う秘書官たちは道を空けるように、横に下がった。
「内密の話」
「いえ、政務官の方々の同席もかまいません」
わしは立ち上がると、その足を進める。
「それで、隆也王からの言伝」
シルフ殿は智の印綬の継承者、切れ者なのだろう。しかし、それ故か言葉は最低限の短さで、発音のニュアンスで質問がどうかも理解しなければならない。
慣れるには、しばらく時間が掛かりそうだ。
「はい。主上からの言伝をお伝えに参りました」
案内されるまま、シルフ殿の前に腰を下ろした。
「主上とサラ殿、ラムザス殿はキルア関を奪還、カルディナ関と周辺の四つの集落と町、街道駅を奪取してリルザ王国に楔を打ち込みました。総指揮官であるバルキアは逃走し、敵の第一軍は先ほど瓦解しました」
「逆侵攻が、成功した」
「左様です。それに伴い、わしら忍びはこの地に残る第五、第六軍の掌握集落と町に偽装した伝令を出し、進出中の第三軍の一部には噂を流しました」
「ほう、面白い。如何な伝令だ」
シルフ殿の顔が上がる。
「偽伝令は時間差を置いて三便。一つは、カルディナ関の陥落とバルキアの討ち死ににより現在地を動くな。一つは、カルディナ関の陥落とバルキアの捕縛の為にアルディナ街道駅に全軍集結せよ。そして、最後の一つはリルザの外西守護地の陥落とバルキアの逃走の為に直ちに全軍撤退せよ、です」
「情報の錯綜。分散して宿営する軍は混乱するしかない。そして、錯綜する情報の全てが、カルディナ関の陥落。遠隔書式を持っている者が混乱を鎮めようとしても、カルディナ関陥落の事実は隠せない。――それで」
シルフ殿は興味を示したように身体を乗り出した。
「シルフ殿には、時間をおいて各集落と町に軍使を送るようにと主上からの指示です。武装を解除し、直ちに投降せよ。帰国させる用意はあると」
「降伏勧告。それで、敵は動く」
「はい。相手に軍務経験の者は少ないですから、大勢は投降に傾くと言われました」
「動かなければ」
「最後通牒を出すようにと。投降すれば帰国の道はあるが、しなければ踏み潰す。残っているのはここだけだと伝えるようにです。それでも動かなければ、討てとの指示です」
わしの言葉に、シルフ殿が笑い出した。
「そこまで言われて踏み止まる軍など、今のリルザにいない」
しかし、すぐに笑みは消えて鋭い目を向けてくる。
「だが、面倒なことをしなくても討てる」
それはそうだと思う。
シルフ殿は、南部の反乱も数日のうちに平定したと聞いた。それも、殲滅させる勢いでだ。
「いえ、主上は敵の被害も極力抑えたいとのお考えです。
「投降した者はどうする。王からは彼らに街道の整備をさせると聞いただけ」
「はい。捕虜を軍務司士以上と衛士に分けます。それをレイム殿がルクスの汚れで判別し、汚れの酷い者を帰国させます」
「送り返して、リルス王国を内部から荒らす。他は」
「ルクスの清廉な者は内陸に移動させ、一定地区の街道の拡充整備、農地の開墾整備をさせた後に帰国、残りはこの地域での街道拡充と農地の整備をさせた後で帰国です」
「捕虜を帰す」
「はい。帰します」
その言葉に、シルフが考え込むように目を閉じた。
どのくらいそうしていたか、再び笑みを見せる。
「隆也王は、捻くれている」
全てを理解したように頷いた。
「ナミス。今の話は聞いたな。伝令の準備を。伝令にはリルザの鎧を着せよ」
「承知しました」
政務官の一人が執務室を飛び出し、傍らの秘書官が手を上げた。
「何」
「申しわけありません。わたくしには捕虜たちを帰国させる意味が分かりません。今後の対応もありますので、教えて頂けませんか」
その秘書官にシルフ殿がもう一度頷く。
「いい。リルザには全ての商業ギルドが付いている。リルザの持つほぼ全ての軍が壊滅した今、商業ギルドは傭兵を送り込んでリルザの軍務を掌握する。それは厄介」
シルフ殿の言葉に、わしの方が驚いた。
わし自身も主上からの命令書を見ただけで、その意味を把握は出来なかった。ただ、主上らしい人道的な意味しかないのかと思っていたのだ。
それが、裏にそういう意図が隠されていたのか。
「軍を帰国させれば、リルザ王国は軍の掌握を赦さず、傭兵と軍の不仲で混乱するしかない。それに、三十万もの捕虜がいれば、人手も食糧も不足してこの国が疲弊するしかない」
シルフ殿はわしに目を戻し、続ける。
「それで、その後はリルザに移動」
「いえ。主上の考えでは、他国から休戦の仲介が入るとのお考えです。その前に、さらに街道駅を二駅分まで進出し、緩衝地域にすると言われていました」
今ならば分かる。傭兵を移動させ、軍務の掌握をするために商業ギルドには時間が必要だ。その為の休戦。
そして、その休戦協定が破られ、不意打ちを受けた際の緩衝地域。
「それを受ける」
「はい。仲介はラルク王国だろうとお考えです。唯一、エリス王国の即位式に王を派遣した国になり、リルザ王国が休戦を破ってラルク王国の顔を潰したところで、問題にならないエルグの国と見ております。主上はそれを承知で、ラルクには恩もあるために、受けるとのことでした」
「それだけでない。今の侵攻場所が、補給限界点。今のこのエリスには、これ以上の補給を出来るほどの国力はない」
シルフ殿は笑みを見せたままだ。
「休戦の間に国内の生産性を上げる。同時に、新兵の訓練と装備の更新、捕虜にこの国の寛容さを見せ、リルザの国体に疑問を持たせる。さらには、ラルクに恩を売る」
なるほど。これにも、そこまでの意図があったのだ。
さすがは、智の印綬の継承者だ。そして、わしらの主上だ。思考の深さに、身体震えて来るぞ。
伝言を伝え終えて礼をするわしに、
「アベル、用件終わったなら、話がしたい」
シルフ殿が声を落とす。
「はい」
「アツナ、ここに酒席の用意。アツナたちもここに」
シルフ殿の言葉に、秘書官が酒席の指示をして他の政務官たちも席に付く。
なんだ。ここで酒を酌み交わしての話。
何の話をするんだ。
正直、感情の見えないシルフ殿はわしは苦手だ。だが、アレク殿への伝言は他の者に任せていいが、シルフ殿は他の者には荷が重すぎると考え、足を運んだのだ。
「アベル。アセットは忍びとなって名は二つあると聞いた」
「はい。わしらは甲賀と呼ばれています。カザム殿たちは伊賀と呼ばれています。主上のいた世界での名前らしいです」
「異世界。それで、役割は」
「まだ決まっていませんが、ゆくゆくは甲賀が諜報と言って他国の情報収集、伊賀が防諜と言って他国のアセットの排除になります」
「アベル、ここは酒席。敬語は不要」
シルフ殿の言葉と同時に、林檎酒のカップが置かれる。
敬語は不要と言われても。確かに、主上との酒の席ではそこまで言葉を気にすることはない。だが、それは今までの付き合いがあるからだ。
シルフ殿がカップに口を付ける。
「それには、人がいる」
「はい。人手は不足しています。一族は全員で四百人ですから」
「アベル殿、王宮のアセットは如何なのですか」
アツナたちもカップに手を伸ばした。
シルフ殿付きの政務官たちは、こうした酒席に慣れているようだ。シルフ殿は厳しい人かと思ったが、存外このような一面もあるのだ。
「あれは駄目です。練度も技術も低く、役には立ちません」
「それでは、王宮アセットは予算の無駄」
「厳しいようですが、そう言わざる負えません」
「では、やはりアベルたちが王宮アセット、王宮忍びになればいい。予算を回せる」
シルフ殿が当然のように言う。
「いえ、わしらは主上にのみお仕えします」
「同じこと。隆也王の元に、佞臣は生まれない。アベルたちは王宮に入ればいい。もし、隆也王が廃位になれば、シルフ達と一緒に王宮を出る」
何の問題もないように、あっさりと言った。
同時に、わしにも理解出来た。
これは、シルフ殿が主上に対して絶対の信頼を置いているということだと。印綬の継承者たちとわしらの主上には、強い信が結ばれていたのだ。
わしは何も口に出来ず、ただ頭を下げるしかなかった。
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