エリス王国の迎え
「先師、そろそろ入港のようです」
掛けられた声に、顔を上げた。
扉を開けて立っているのは、恥ずかしそうにしたマデリだ。
着ている第一種正装は、金糸と銀糸の細かな刺繍が施された司長クラスのもの。その豪奢な衣装に戸惑っているのだろう。
「そうですか。しかし、マデリ。僕のことは先師と呼ばなくても構いません。すでに、マデリは学を収めています。共に、国のために働く女王の臣下です。ですから、僕もマデリと呼んでいるのです」
「そうだな。吾はアムルと呼んでいる」
その後ろから不意に現れたフレアが、マデリに抱きついた。
小さく悲鳴を上げて、マデリが逃げようとする。
「でも、もう大人になったな。吾と同じくらいか」
逃げられないように抑えながら、顔を寄せた。
「う、うちはもうすぐ二十二になります」
「そうか、吾は十九で止まっているから、マデリがお姉さんになるのか」
「陛下、お戯れが過ぎます」
マデリに会えて嬉しいのは分かるが、女王の威厳もあったものじゃない。フレアはフレアらしくとは言ったけれど、これでは侍従長になったフレデリカも苦労をしているだろう。
「分かった、分かった。でも、どうして今なの。出港してから時間もあったのに」
「うちは、外交儀礼のことを学ばないといけなかったのです」
「そうなの、立派な上級官吏になったじゃない」
フレアが身体を離して、マデリを見る。
「そんな、うちはまだ何も出来ません。上級なんてまだ早いです。うちは賢者様や印綬の方々を知っているから、王宮も気を使われただけです」
「マデリ、それには僕たちは関与していません。贔屓ではないのです。ボルグ統括先師が王宮に推薦し、初級政務官の登録をしていたブランカ様を叱ったそうです」
「ボルグ先師が、ですか」
「はい。国の非常時に有能な人材を浪費するのかと」
「うちはそんなに有能ではありません」
「マデリ、謙遜はやめなさい。あなたがすることは、ボルグ先師の期待に応え、上級政務官に任命したブランカ様を納得させることです。僕も、マデリはそれが出来ると信じているのですから」
「あ、ありがとうございます」
真っ赤になってマデリが頭を下げる。
「吾の政務官だな。よろしく頼む」
フレアがその肩を叩くと、僕に目を向けた。
「それで、セリはどこだ」
「随伴の船に乗っています。海上で何かあった時は、盾になる船です」
「そうなのか。この船にはいないのか。でも、護衛ならばすぐに会えるな」
「いえ、セリも上級政務官です。護衛の一隊を任され、陰供として目立たぬように動きますから、目の届くところにはいません」
「そうなのか。しかし、二人共上級の王宮官吏になったのだな。セリは軍務司か」
「セリはまだ所属を決めさせていません。しばらくは、僕の下で働いてもらうつもりです」
その言葉に、フレアは安心したようだ。また、すぐに会えると思っているのだろう。
女王としての自覚が出来る前に決別した二人のことが、気になっているのだ。
「それよりも、船が入港するようです。僕たちは甲板に上がりましょう」
立ち上がると部屋を出る。
すぐ横に見える階段を昇れば、甲板になった。
先に駆け上がっていたフレアの足は、甲板に上がったところで止まる。
「アムル。なんだ、これは」
フレアの呆れたような声に、続いた僕も答えることが出来なかった。
港には幾つもの建物が建設中であり、通りはラルク王国の王都よりも広い道が作られている。
何百人もの男たちが作業をし、休憩所であろう屋根だけの建物では、女たちが食事の準備もしていた。
「王権移譲をしてから、まだ半年よね」
「はい。それまで、国は疲弊し尽くしていたはずです」
そう、仕官の道を探していた時、六年前にこの国を訪れた。王が廃位され二十四年だったエリスの地は、暗く沈んでいた。
痩せた人々が蹲り、生気のない目をしていた。
王が立ったことで、未来が見えたのは分かる。希望が生まれたのも分かる。
しかし、それから更に六年もの間、王は立たなかったのだ。国の荒廃は進み、民は苦しみに沈んだはずだ。
それが、この変わりようは何だ。
「面白いじゃない。一体何をしたのかしらね」
いつの間に来たのか、ミルザも港を見下ろした。
「ご存知ではないのですか」
「知らないわよ。だってね、エリス王国にいるエルフはレイムなのよ。あの意地汚くて、偉そうなレイムなの」
いや、レイムと言われても知らないし。ただ、ミルザと仲が良くないのだけは分かる。
「でも、とにかく私は客人だからね。レイムも態度を改めてくるはずよ」
一人で納得したように頷く。
「賢者様、奥に王国旗が見えます」
その僕に、マデリの声が掛けられる。
「そうですか。では、同行をしている外務司長に挨拶に向かわせて下さい」
「いえ、向こうから来ているようです」
声と同時に、旗が動き出している。
「そのようですね。マデリは迎えの準備を。陛下、僕たちは下船してそこの山の麓に見える高台にでも上がりましょうか」
言いながら、ミルザを見る。
ミルザも僕を見ると小さく頷いた。
「分かりましたよ。身を隠して様子を見るに、私がいれば目立つから邪魔なのでしょ」
さすがに、こちらの意図を汲み取るのが早い。
「お願いします」
横を向くミルザに言い、そのまま荷物下ろす船夫に混ざって、僕はフレアと共にタラップを降りた。
真新しい石畳に覆われた広い港には、港湾夫たちが荷物を下ろす船夫の補助に動いている。エルグの民に対して、彼らの顔には怖れも嫌悪も感じられないのが驚きだ。
彼らのルクスに黒い靄も見えない。荒廃した国では、人心も荒廃するはずだ。それが、わずかに淀みが見えるだけだ。
活気に満ちた港を横切るように進んでいく。
高台へと続く階段に足を掛けた時、エリスの王国旗を掲げた一団が並ぶのが見えた。
先頭に立つのは、政務服から外務司長だというのが分かる。
民にエルグに対する差別見られないが、エルス王国ではやはりエルグの王国は一段下に観られているようだ。
王の迎えに外務司長では、女王との釣り合いが取れない。このままフレアには帰って貰ってもよいかもしれない。
高台に上がり、港を見下ろした。
「荒廃していたと聞いていたけど、民は元気そうだ」
外務司長クラスの一団には、気にも留めていないようにフレアが言う。
「王宮の宝物庫と食料庫が開いたはずですが、それでも余裕はないはずです。どのような政策を取っているのでしょうか」
「吾もゆっくり見てみたいな」
「そうでしょうが、外務司長の迎えでは、陛下を向かわせるわけには参りません。王宮での待遇も屈辱になるでしょうから」
「では、使節団に混じればどうだ。吾は今も平民と同じ服だ」
「向こうのエルフも、ルクスの隠蔽は見破ります。そうなれば、話はややこしくなるだけです」
「そうか。では、出来るのはこの港の散策ぐらいか」
「はい。僕がお供しますよ」
「そうだな、アムルも農夫みたいな格好だからな。だが、その外套はさすがにくたびれ過ぎている。本当にどこかの農夫だ」
「ですが、これは大事な外套です」
僕の一言に、フレアは横を向いた。
そう、これは出会った時にフレアが僕にくれた外套だ。フレア自身が縫った外套だ。
「大事にしてくれるのは嬉しいが、それはもう価値もない、新しいものを用意しないとだめだな」
「僕は、この外套を頂いてから真の道を見出すことが出来ました。それに、これは陛下との絆です。これほどの価値のある外套がどこにあるのです」
「それは、吾も同じだ。吾はその外套を譲ったことで、一国を貰った」
フレアが顔を戻した。
「吾はアムルに貰い過ぎで、何も返せてはいない」
その瞳は赤く燃えるようだ。
「そのようなことはありません。この外套の価値は一国ということです」
「いや、国は新しくなっている。綺麗になっている。でも、外套は破れ、汚れていくではないか。それでは、吾の器量が笑われよう。改めて、アムルには外套を用意する」
「それは、もったいないお言葉です。では、その時はこの外套は家宝とします」
「それはいいが、人には見せたらだめだ」
「どうしてです」
「縫いが甘いからな。縫製士に見られたら笑われてしまいそうだ」
フレアが瞳だけでなく耳まで赤くした時、高台のさらに上から強いルクスを感じた。
「陛下、こちらに」
僕はフレアを護るように身体を入れ替えた。
「凄いルクスだな。吾と同じくらいか」
彼女も感じたようだ。フレアほどではないが、それでも匹敵するほどに強いルクス。
エリスの王が来たのか。
この国に現れたラミエルも尋常ではないルクスだったと聞いた。万が一のこともある。
「どちらにしても、船に戻りましょう」
「しかし、この国の王かもしれないぞ」
「でしたら、なおさらこの格好はまずいでしょう」
進めようとした足は、そこで止まった。
「恰好は気にしなくていいだろう」
流れる声に、再び身体を入れ替える。
いつの間に来たのか、昇ってきた階段の手摺に少年が腰を下ろしていた。
読んで頂きありがとうございます。
面白ければ、☆☆☆☆☆。つまらなければ☆。付けて下さるようお願い致します。
これからの励みにもしますので、ブックまーマーク、感想なども下さればと願います。