開戦の布告
昇る朝日は周囲を青く染め上げ、渡ってくる風も心地よかった。
「主上、さすがにこの恰好では士気にかかわりませんか」
カザムの言葉に、振り返る。
カザムも鎧を脱ぎ、外套を羽織っていた。鎧を脱がなかったのは、近衛騎士たちだけだ。
彼らには、国の紋章の描かれた鎧こそがステータスなのだ。
いや、その中で一人だけ鎧を脱いだ者がいる。
「最初からそこまでの士気はないだろ。それより、あのロークという者はどうだった」
おれは馬を下げて、カザムの馬を並ばせた。
「面白い男です。公貴やルクスに捉われていない柔軟さがります」
「確かに、ルクスに汚れはないな」
「戦場に立てば、その力を発揮するように思われます」
「それでは、ロークは士官学院に進めさせるのか」
おれの言葉に、カザムが笑みを見せた。生き死にを見詰めてきた凄味のある笑みだ。
「命のやり取りです。それを指揮するには、能力以上に二つの要素が必要です。一つは兵の気持ちを知るために戦場で刃の下を潜ることです」
「もう一つは」
「運です。主上のように死地を乗り越え、生き残る運が絶対に必要です」
カザムの凄味のある笑みの理由が分かった。ロークにその試練を与えるというのだ。
そして、それはカザムもその死地に足を踏み入れることを意味する。
「カザム、おまえは常におれと一緒だ。忘れるな」
「主上には敵いません。ですが、先駆けはお許しください」
頭を下げるカザムに、首を振る。
「おまえたちの連絡網が一番早く、信頼がおける。進む時は一緒だ」
「いえ、自分たちの連絡網も」
カザムの言葉はそこで止まった。
腰に付けた遠隔書式の箱が動き出したのだ。
わずかに時間を置いて、
「キルア砦にリルザの軍が侵攻したようです。ルーフスが先遣隊を撃退し、これから交渉に向かうと連絡がありました」
困ったように言う。
「それでは、これからリルザのアセットも活発になるな」
「はい。関以外の領境を越えて来るでしょう」
「敵を分断するためにも、おれが囮にならなければならない」
「承知しています。アセットの全てを排除せず、一部は残すようにします。同時に街道に監視を置きましょう」
さすがに、カザムは理解が早い。
「それで、民の脱出はどれほど進んでいる」
「ほぼ完了しています。ただ、固くなに離れたがらない者もおりますので、そのままにしている者もいます」
離れたがらないか、無理に移動させるために人手を割くことも出来ない。その場所に固執するならば、仕方がないと思うべきだ。
「分かった、それはいい。残った元公貴たちの反乱の予兆はどうだ」
「主上の読み通り、外北はこの侵攻の連絡が届けば反乱するはずです。それに呼応して南部の反乱も散発的に起きましょう」
反乱への備えは、すでにサラとシルフが展開している。それに、手も打つ。
「主上、前に政務官たちの馬車が見えます」
不意に、カザムが言う。
先行させていたダリアたちの乗る馬車だ。
「開戦ならば、レイムから連絡もあったのだろう。カザム、馬を頼む」
おれは馬車の横で馬を下りた。
サラやカザムたちは馬から馬車に飛び移るが、おれにそれは出来ない。
馬車も止まり、その扉が開かれた。
「隆也王、開戦とのことですので、ご決済をお願い致します」
決済か。そのまま進めてくれればいいが、玉璽はおれのルクスに反応するからな。
馬車に乗り込むと、目の前に厚い書類が置かれる。
「まずは、銀行券の数も揃っていますので、銀行開設の勅令をお願いします。続けて、州の設置の勅令と王立商工業施設の設立の承認、臨時政務官の承認もお願いします」
ダリアたち政務官が覗き込むようにおれの手にする玉璽を見た。
この玉璽が押された瞬間、国の在り方は大きく変わるのだ。
直ちに、遠隔書式で全国に通知がいき、法令として発布されて各行政府庁がその門戸を開く。
「全ての通貨の交換に関する勅令は、どうなのだ」
おれの言葉に、
「やはり、十日の猶予期間しか与えずに、通貨交換の義務を課しますか」
政務官たちが疲れたような目を向ける。
何だよ。
「当然だろ。一シリング以上の交換は銀行へ預け入れとして預金通帳に記載される。何の問題があるのだ」
「いえ、その先手の苛烈さに、ただ恐れ入るばかりです」
何のことだと言いたいが、確かに実務をしている彼らも気が付いているよな。
今の商業ギルド発行の通貨を持っていても、猶予期間を過ぎれば交換が出来なくなる。
商業ギルドも国からは一掃され、小売業も国が関与するのだ。旧貨幣を持っていても何も買えない。
それでは、反乱を企てた公貴はどうやって兵を集める。
新たな通貨に交換をしても手元に渡されるのは一シリングまでで、銀行からの引き出しは時間を掛けられる。
さらには、反乱を起こせばその預金も封鎖だ。
様子を見ようにも、十日を過ぎれば旧貨幣は新通貨に交換されず、交換義務違反として罪にもなる。旧貨幣を手に他国に逃げようにも、開戦すればそれもままならない。
政務官たちが公貴に同情してしまうのも、分からないものでもなかった。
「だが、おまえたちが同情をする相手は平民のはずだ。それで、公貴と退職政務官たちの調査は終わったか」
「サラ様からの連絡では、ほぼ全員の横領と職権の乱用が確認され、中には殺人までも犯しているとのことでした」
「直ちに、全ての国に対して逃亡した彼らの罪状の通知と引き渡しの依頼を書式で通達」
おれの言葉に、ダリアが驚いたように顔を上げる。
他国への罪人の捕縛、引き渡しには直接の依頼が原則になる。書類での依頼は黙殺されるのが通例だ。それを言いたいのだろう。
それを説明しようとするおれの言葉は、蒼い光と響いてきた声に飲み込まれた。
「リルザの大義潰しさ」
現出したレイムが勝ち誇ったように腕を組み、続ける。
「今頃、リルザの外務司士が各国に向かっている所だな。隆也王の専横に苦慮した公貴、政務官を保護し、彼らの依頼で軍を動かしたとな」
「そうですか。その前に彼らの罪を暴き、リルザ王国の大義に正義はないと伝えるためのものなのですね。捕縛、引き渡しの依頼は建前に過ぎないのですね」
ダリアが大きく頷いた。
「共に他国には関係のない話だ。だが、不戦の結界が消えて始まる戦に、全ての耳目が集まっている。リルザ王国には軍を動かす大義を喧伝する必要があるからな」
全てを言い終え、レイムがどや顔を向けてきた。
「そうだよ、その通りさ。でも、レイム。サラの所に行っていたのではないのか」
「外北が動いた」
言いながら、おれの前に腰を下ろす。
「領地の他の公貴と元衛士、傭兵崩れと領民の一部を従えて動き出した。サラは北への道を開けて展開している」
北への道とは、港へ続く道のことなのだろう。
「反乱の兵力は、どのくらいだ」
「多く見積もっても三千。寄せ集めのその数ならば、相手にもならん」
では、サラは元公領主のザイルスを追い立てて港から脱出させると、そのまま外東に向かうはずだ。サラの動きならばそう時間もかからないだろう。
これで、外東の兵力も厚くなる。
「南はどうだ」
「あのシルフだぞ。各個撃破に時間も掛からんだろ」
レイムが当然のように言った。
確かにそうだよな。反乱軍に同情するほどだ。
「分かった。それではレイムには開戦の布告を頼む。エリス王国はリルザ王国の理不尽な侵攻を受け、国民と国土防衛のために戦闘状態に入ったと国中に布告を頼む」
「ついに始まったな。それで、落としどころはどこだ」
「キルア砦に対峙するリルザの関を落とす」
「そこで、停戦の提案か」
「こっちは攻められた側だ。停戦は向こうから言わせるさ」
おれの言葉に、レイムが楽しそうに笑いだす。
「四十万を相手に、十万でひっくり返すか。それで、どのくらいの戦いになる。早くせぬと冬が来るぞ」
「その前に終わる。長期になるほどこっちが不利になる」
相手は四十万。それが足枷になる。
そして、それはまだレイムたちのは理解できないだろう。
「冬までか、まあ良かろう。あたしは開戦の布告をした後で、キルア砦に行ってやろう」
「どうした、それ以上は聞かないのか」
「隆也のいた世界は戦の絶えたことのない世界ではないか。隆也のいた国も血塗られた歴史の国ではないか。しかし、この世界では、初めての経験だぞ」
レイムの顔から笑みが消える。
「血生臭い戦など、この世界は無縁だった。隆也の蓄えた戦の知識など、この世界の者は誰も持っておらん」
一転静かな声が、馬車の中に染み渡るようだった。
もしかすれば、それもあって創聖皇はおれを日本に生まれさせたのだろうか。
この世界を血で浄化させるつもりなのだろうか。
ならば、おれの生きる意味は。
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