ロークの道
息を付くことも出来なかった。
これから戦場に向かうのだ。それも、遠く離れた場所ではない。ここが戦場になるかも知れないのだ。
そんな場所で、国の指針を話している。
次々と机に置かれていく紙は、遠隔書式の紙だ。
各印綬の継承者との連絡網と言っていたが、それが他の印綬の方々からの連絡なのだろう。
中央銀行券に生産拠点、物流体制、聞いたこともない言葉が多く、話の内容は半分も理解できない。
それでも、全国に置かれる学院の無償化に伴う予算や、農地開拓の灌漑など少しは理解出来ることもあった。
そう、この王は本当に国を、国体を大きく変えるつもりなのだ。
少しの休憩が入り、やっと大きく息を付くことが出来た。
天幕の柱に、背中を預ける。
正直、父の解雇や公貴の廃止などはどうでもよかった。
バウゼン家を継ぐのは優秀な兄であり、上級政務官として期待されているのは優秀な弟だ。
昔から近所の平民と遊び、領民に対する無茶な税制と労役に反対していたオレは、家族から嫌われていたほどだ。
家に未練などは持ってはいない。
父のコネで送り込まれたこの近衛騎士団にも、馴染めずにいる。
軍務の中心であるはずの近衛騎士団は、オレの信じる創聖皇の教え、正義とはかけ離れていたのだ。
軍の選良たる近衛は国民の上に立ち、尊敬と配慮を受ける立場だと思い込む。
それが出来ないオレは、この国に未来はないと諦めていた。
王が立たず、リルザ王国が軍を進めて来るならば、オレ一人で盾になると肚も括っていた。
それが。
王は立った。
平民たちの噂では、ラミエルを討伐した英雄王。創聖皇が用意された王の中の王。
平民と違い、オレはその全てを信じたわけではない。
それでも、王は立った。
公貴たちにも噂は立った。その王はあまりにも無能で、自己中心的な愚王。
自分のみが偉いと信じて公貴を廃し、上級政務官を気に入らないと解雇し、商業ギルドを敵に回し、平民の人気取りに後先考えずに食料庫を開放した。愚王の中の愚王。
それを信じたわけでもない。
オレには、分からないのだ。
国の向かう先が分らなければ、オレには自分がどこに向えばいいのかも分からない。
「若いの、ロークといったか」
不意に掛けられた声に、オレは顔を上げた。
いつの間にか横に立つ男を見る。
王の傍らにいた男だ。
「それで、主上をどう見るね」
主上、王のことだろうか。
「王には様々な噂が飛び交っています。ですが、オレには分かりません。ここで話を聞いていても、分かりません」
「ほう、正直だな。主上が気に掛けたられのも分る。遅れたが、自分はカザムと言う。王の個人的な従者ゆえ、王のことは主上と呼ばせてもらっておる」
個人的な従者。王宮には所属していないということか。
「カザム殿、それでは、王はどういう方なのですか」
「計り知れないお方だ。自分たちごときで、理解など出来るはずもない」
「国を隆盛に導く賢王とも、破滅に導く愚王とも、その噂は両極端です。理解出来なくても、垣間見ることは出来るのではないですか」
その言葉に、カザムが笑う。
そうだ。従者として付き従っているのだ。愚王に付き従うことなどない。
「愚問でした、忘れて下さい」
「いや、若いのはなかなか賢いようだ。それでは、自分からも聞きたい」
カザムが顔を向ける。
白髪混じった引きしまった顔立ちに、射貫くような鋭い目。ただ者ではない。
「近衛騎士団、そこにいる者としてどう見るね」
「物の役には立ちますまい」
溜息と同時に言葉になった。
「成すべきことを成さず、批判と不満に埋もれては練度どころではありません。それは、オレの部下も同じことです」
「だが、ルクスは強いのだろ」
ルクスが強いか。オレもそう思い込んでいたな。それこそが誇りでもあった。
「先ほど、王が息を付かれた時、身体に震えが走りました。あれは王から発せられたルクスの威圧でしょう。王はルクスを隠しているようですが、それでも漏れてくるルクスでこれです」
あの王の前で、近衛のルクスの強さなど意味をなさない。王にとって、平民も近衛もそのルクスにおいてはその差などないも等しいだろう。
光球の光の強さなど、太陽に比べればわずかな瞬きにもならないのだ。
「強いなど、そんなことを言えるほど、恥知らずじゃありません」
「面白い男だな」
カザムが椅子を引き寄せ、座るように手を伸ばす。
一礼し、その椅子に腰を落とした。
「まず、主上が国をどこに向かわせるのか。自分の知っていることを教えよう」
カザムが向き合うように椅子に座る。
「主上はな、民に上下を付けない。全てが同列で平等の民と見ている。創聖皇が人に、人種に上下を付けていないようにな」
「全ての民は平等ですか。確かに、公貴というのは人が作った身分です。ですが、微細なルクスでも、やはり優劣はあるのではないでしょうか」
「ルクスとは何だ」
「人の器量……です」
言葉が詰まった。言っていて、自分の中にも疑問が浮かび上がったのだ。
では、器量とはなんだ。人の器とはなんだ。
先ほど、民もオレもルクスにそこまでの大きな差はないと感じたのだ。
「愚直すぎるほどに真面目だな」
カザムが小さく笑う。
呆れられたのか。確かにそうかもしれない。
「しかし、それは悪いことではない。自分も、若い頃は同じだ」
言うと、その目は一変したように鋭くおれを射貫いてきた。
「だからこそ、一つ教えておこう」
「何でしょうか」
「おまえは、覚悟を決めたことがあるか」
「はい。王の立つ前、リルザ王国の侵攻が近い時に民の盾になると決めました」
「それは覚悟ではない、決意だ。覚悟は生き方に現れる」
生き方、オレはまだ覚悟が定まっていないのか。
「いいか。己の立つ場所を知り、足を踏み出すのが覚悟だ。国の向かう先が知りたいと言ったな。覚悟を決めた者は、国の向かう先に関係なく己の信じた道を進む」
カザムの言葉は、オレを根底から打ち崩す。
同時に、理解出来たのだ。自分も他の近衛と同じだということに。
不平、不満、批判を言わないだけで、何を成すべきか分かっていない一人だということに、気が付いたのだ。
「カザム殿、確かに言われる通りです。オレはこの国をどうするのかを聞く前に、向かうべき道へ進むべきでした。しかし、オレにはどこに進めばいいのかを分かっていませんでした。それは、今も同じです」
「そうだな。言うのは簡単だが、分かっていないのが当然だ。しかし、心配するな。自分も主上に出会って、進むべき道を知った」
「カザム殿がですか」
「そうだ。そして、覚悟を決めた。ここにいる王宮官吏を見ろ」
その言葉に、天蓋のいたる所で座り込む政務官たちを見る。一様に疲れ切った様子だが、その目は輝いていた。
「彼らは、旧公貴に官吏、地方の権力者、全てを敵に回して戦っている。家にも帰れず、睡眠時間を削って戦っている。国を一新する覚悟を持ち、一歩も引かぬ覚悟を持っている。それは、王が道を指し示したからだ」
覚悟。
そうだ。オレが民の盾になると誓ったのは決意だ。覚悟はその先にある。
「オレの進むべき道はどこでしょう」
「おまえも道を知った。今は、おまえのいる足元を固めればいい。そうすれば、どこに進むか、自ずと見えてくる」
おれの足元。
そういうことか。ここがオレの一歩目なのか。
「お言葉、感謝します」
椅子を降り、オレはカザムにその場で礼を示した。
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