キルア砦
昇ってくる朝日に空は紫色に染まり、吹き抜ける風も心地よかった。
王が立って天気は安定し、広がる緑も輝きを増している。数日前まで工兵という作業部隊が工事をしていたが、彼らもここを出て静かになった。
穏やかな一日の始まりのようにさえ思える。
現にもう一人の見張りであるはずの上官は、狭間を背に眠りこけていた。
不意に、リブラムは狭間から身体を乗り出した。
奥の山裾に何かが動いたように見えたのだ。
場所が遠く過ぎて何だったのかは分からない。しかし、黒い影が確かに通った。
「どうかしたのか」
後ろから掛けられた声に、振り替える。
途端に緊張が走り、直立の姿勢を取った。
身に着けている甲冑の肩当には一本の白い線。王立軍の軍制では大尉とかいう偉い人だ。
このキルア砦に別動隊として来ている隊長殿で、名前を確かルーフスと言っていた。
「あの山裾に、黒い影が見えました」
「山裾か」
隊長が山を一瞥するとそのまま眠っている上官のナグを見る。
起こしたいが、ぼくは直立の姿勢を取り続けるしかなかった
「起きろ」
同時に響く鋭い声に、ナグが目を開けて立ち上がる。
「下の広場まで行って、顔を洗ってこい」
「はい、失礼しました」
兜を手に慌てて走っていくその姿を隊長は見送ると、
「新兵か」
静かに言った。
どうやらぼくに聞いているようだ。
「はい、この近くのナリデ公の下で警護兵をしていました。公貴の軍が解散し、王立軍が出来たので志願しました」
「名前と階級は」
「リブラム初級兵です」
「リブラム、どうしてまた兵になったのだ。辞めて他の仕事もあったろう」
どうしてまた兵になった。頭の中で言葉が反響する。こんな質問を偉い人からされたのは初めてだ。
「王立軍は、王様の軍で国の軍だと聞きました。公領主の為でなく、国の為に働けるからです」
公領主や公貴の便利な駒として使われたくなかった。
民を威圧し、物品を押収するのが嫌だった。
人に必要とされたかった。
この近くにある家を守りたい。父と母を幼い弟と妹を護りたいと思った。
そして、ぼくにはこの仕事しかできない。
様々な思いが湧き上がるが、出てきた言葉はそれだけだった。
微かに、ルーフス隊長が笑った気がする。
馬鹿にした笑いではない、どこか嬉しそうな笑みだ。
「不戦の結界が消えかかっていることは知っているな」
「はい、その為にここに詰めると聞いています」
「そうか。不戦の結界はかなり弱まっている。消えるのも時間の問題だ」
そこまで切羽詰まっているのだ。
でも、それだからこそぼくはここにいる。
この関の西の町、バテル町はぼくの故郷だ。町の者は西に避難させていると聞いているけど、あそこにリルザの軍を入れたくない。
「ここでこの前まで工事をしていたのは、その為なのですね。ここで足止め出来るなら、戦い抜きます」
狭間から門の前を見る。
門の前には身長の何倍もある土塁が築かれていた。ここに入って来た何百人もの工兵というのが、何日も掛かって作ったのだ。
あの土塁で押し寄せる敵を叩き、その後は門を閉じて籠城する。それで、一月持ちこたえられれば――。
「ここに援軍は来ない」
ぼくの心を見透かしたように、隊長が言う。
ここは足止めのための捨て石ということだ。ここで、敵の足を止め、その間に軍を整えるための時間稼ぎ。
いや、それでもいい。
この国は変わってきている。
無理難題を押し付ける公貴はいなくなり、作物の採れない今は税も免除されている。
空腹に腹を抱えていた町の人にも王宮から食料が届けられて、無償で配られるのだ。その上、学問を習うのは義務だと言われ、弟たちにも学院に通わせてくれるそうだ。
今まで、考えることもなかったことだ。
それをあの王様がしてくれている。ならば、ぼくもこの命を捧げる覚悟は出来ている。
「分かりました。それでは精一杯の時間稼ぎをします」
「ほう、面白いなおまえ。この砦の意味が分かるか」
隊長が顔を向けた。
鋭い目をした隊長だが、その瞳の奥に暖かさを感じる。
「ぼくは、いえ、自分は命令に従うだけです」
慌てて言い方を変えた。
王立軍では、自身のことを自分と言わなければならない。偉くなれば小官と言うそうだが、下っ端のぼくは自分だ。これが、軍の規律の一つだと教えられた。
「いいよ、どうせ死ぬんだ。おまえの思うことを言ってみな」
「はい。この付近の人たちを避難させていると聞きました。そうなれば、リルザの軍を迎え撃つのは西になります。その準備の時間が必要ですから、ここでその時間を稼ぎます」
その為に、ここにいる兵は百五十人ほどの少ない数なのだ。時間稼ぎに多くの兵を割くより、迎え撃つ兵を厚くした方がいい。
「リルザはどれほどの兵を動かすか分かるか」
「一万くらいですか」
一万と言ってもその全てが襲ってはこない。数か所に分けて侵攻するだろうから、ここに来るのは数千の兵のはずだ。
ぼくの言葉に、隊長が首を振る。
「四十万だな」
四十万。
それでは、この砦どころの話ではない。一瞬でキルア砦は踏みつぶされる。それに、そんな大軍を相手に、この国は戦えるのだろうか。
「それで、ここではどれほどの足止めを出来る」
「この砦はキルア山にあります。砦の全周を包囲することは出来ません。攻め口は正面の街道だけですから、一度に攻めれるのは二千でしょうか」
考えろ、考えろ。
ぼくが敵ならば、どう動く。
二千の兵を入れ替えながら、間断なく攻め続けさせる。そうすれば百人程度の砦ならば一昼夜もあれば落とせるはずだ。
「それでも、足止めにもなりません。一日もあれば落ちてしまいます」
「そうだな。だが、それを三日に伸ばす方法もある」
三日。
無理だ。どうすればそこまで持ち応えられるのだろうか。
相手よりも有利な点は何だ。
ここが防御に適した砦であること。こちらからは相手の動きが見えること。
そうか。こちらからは見えるが、相手からは見えない。
ならば、リルザはここにどれほどの兵がいるかを知らない。ここに何千もの兵がいると思わせればどうだろうか。
「どんな偽装をしようと、そんなものはすぐに見破られるさ。威力偵察として襲い掛かれば、その反応で分かる」
隊長が言いながら、ぼくの目を真っ直ぐに見た。
これは、ぼくを試しているのだ。
どこまで深く考えられるか、ぼくは試されているのだ。
正面から受けても駄目。
偽装しても駄目。
打って出ても全滅するだけだ。
それでも、三日間は時間を稼ぎたい。
どうすればいい。どうすれば敵の足を止められる。
「交渉します」
ぼくは顔を上げた。
「この砦を引き渡すので無傷で撤退させるように交渉し、日を稼いだうえで迎え撃ちます」
その言葉に、隊長が笑みを見せる。
「七十点だな」
隊長が言った時、青ざめたナグが駆け戻って来た。
「おまえの名は」
声はナグに向けられる。
「ナグ上級兵です」
「ナグ、今度見張りを怠れば、軍務怠慢で処罰する。敵は十日も待たずに来るぞ」
隊長はナグに目も向けずに言う。
しかし、十日。では、ぼくの見た黒い影はリルザの軍だったのだろうか。
「それと、リブラム初級兵は小官付きとして貰い受ける。ナグのバディは新たに編成する」
「分かりました」
ナグが直立し、ぼくは、ぼくも直立をするしかなかった。
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