エルフのミルザ
何なんだ、あの芝居は。
それに、民も民だ。自分たちの国の女王がコケにされているというのに、なぜ歓声と拍手を送るのだ。
気分が悪い。
芝居小屋を出ると、軒を並べた露店に足を向けた。
人々の喧騒と食欲をそそる香りに満ちている。
吾は近くの露店に進むと、葡萄酒と鹿肉の焼いたものを勝手に取った。
すぐに、そのカウンターに銀貨が置かれる。
「陛下、少し落ち着きください」
囁く声に、
「落ち着け、あの芝居を見てか」
アムルを睨みつけ、すぐ近くのテーブルに足を向けた。
「何だ、『あたしの名前はフレア、少しルクスが強くて頭の弱い女の子。あたしは女王だから好きなことが出来るの』あれが吾なのか。あれのどこが栄光のラルク王国なのよ」
椅子に腰を落とすと葡萄酒を煽った。
「ですから、お勧めはしなかったのです。それに、あくまでも芝居です」
何よ、分かった風に。
「アムルは、あの芝居を観たの」
「観てはいません。ですが、あの状況では内容は想像がつきます」
なによ、どうすれば想像なんて出来るのよ。
「これから、芝居には吾の許可が必要なようにしようかしら」
「おやめください。それに、陛下がそのように感情的では、マデリも仕え辛くなります」
マデリ、マデリと言ったの。
「マデリが吾の所に来るの」
「はい。マデリは上級学院での学びを終えました。陛下のお付きにしたいと考えています」
「マデリが来るのね。でも、嫌がってはいないの。吾は嫌われていないの」
「嫌われるわけがありません。マデリは陛下を敬愛されています」
その一言で、全身の力が抜けるようだ。本当なの、怒ってはいないの。
「セリ――は」
アムルを見上げた。
「学びを終えたセリも陛下の護衛として同道します。ですが、まさか抜け出されとは思ってもいなかったようですから、怒っているかもしれません」
「怒っているの」
「自分自身に対してですよ。それを読み切れなかった自身に、セリは腹を立てているかもしれません」
言いながらアムルは露店に戻り、葡萄酒の樽とカップを手に戻って来る。
カップは二つだ。吾のカップはある。
「どうしたの、誰か来るの。セリか、マデリが来るの」
「いえ、違います。客人です。もうすぐ、葡萄酒の好きな客人が来るはずですから」
何、誰が来るのよ。自分だけ知った風にして、教えてくれてもいいじゃない。
いいわよ。吾だって聞いてやるものか。
どうせ、官吏の誰かでしょうが、横を向いてやる。
「ところで、あの頭に響く話声、あれはどうするの。吾にも出来る。やり方を教えて」
「声をルクスに乗せて送ります。ですが、これはルクスを汚しますので、使わないほうがいいです。それより陛下、そろそろ客人です」
その言葉を待っていたように、テーブルの上にルクスの光が集約した。
光の中から現れたのは、あの憎たらしいエルフだ。
「芝居の途中で帰るのはないわよね」
エルフは宙に浮いたまま、仁王立ちの格好で腕を組む。
「お、おまえ」
「おまえじゃない。これから芝居はいいとこなのに」
その言葉と同時に芝居のテントから歓声が漏れ、僅かに遅れて周囲から響く驚きの声が、その歓声を消す。
エルフが現れたのだ、それはそうだろう。でも、吾は目の前のこいつが気に入らない。
そのエルフの前に、重い息を付きながらアムルが葡萄酒のカップを置いた。
「ほう、これを私にかい」
「はい。ですから、周囲に結界をお願いします。これでは、変装した意味もございません」
「よかろう」
エルフが空中に指で模様を描く。
これは、空に刻んだ聖符のようだ。
「もう、周囲には見えないし、声も届かないぞ」
「助かります。ですが、女王陛下には聖符によるルクスの隠匿を施しています。なぜ気が付かれたのです」
「甘いな。ルクスの隠匿は出来ているようだけど、エルフを誤魔化せるほどではない。賢者にも見えているのだろう」
「そうですか、まだ甘いですか。確かに、僕にも見ることは出来ました」
「しかし、誇ってもいいぞ、そこまで出来ればたいしたものだ。それに、私が来ることも分っていたのか」
「回りくど過ぎましたので、察しはつきました」
「ほう、回りくどいとな。私はミルザという。噂の賢者とやらの読みを聞かせて欲しいな」
その言葉に、アムルが頷いた。
「芝居小屋にエルフが出るとなると、評判も広がりましょう。演目がラルク王国に肯定的ならば、王都はおろか王宮にも届きます」
そうだ、吾も侍女たちが話しているのを聞いたのだ。それで、興味を持った。
「そして、この時期に合わせてこの場所です」
この時期、エリス王国の即位式のことだろうか。そうか、この外北守護領地の港から、使節団の船は出る。ここでの芝居は吾を引き寄せるためなのか。
でも、なぜ。
「あなたが王宮に出向くほどの人物なのか、女王を見極めるためにここに来るように仕向けた。そして、演目とは逆に女王をくさすことで小屋を出させて、見極めのための会談を行う。そういう所でしょう」
アムルの言葉に、ミルザが笑い出す。
「さすがだな、賢者と評判になり、創聖皇が印綬の継承者以外に天籍を与えただけのことはある」
当り前よ、吾のアムルなのよ。
「でもな、愚王と言ったのは本当のことだぞ」
ミルザが顔を向けた。
「それは、異なことを」
吾よりも先に、アムルが口を開く。
「愚王ではないと」
「ここをご覧ください、民の楽しそうな姿をご覧ください。女王の治世が正しいことの現れです」
アムルの言葉に、ミルザが空を示す。
見なくても分かっている。天を割る一本の警鐘雲のことを言っているのだ。
「これは、根が深すぎます。さすがに女王をもってしても簡単にはいきません」
「本当にそうか」
ミルザがカップを両腕で抱え込んだ。
「どういう事でしょうか」
それには答えず、ミルザは自分の身体ほどのカップを持ち上げて一気に葡萄酒を飲み干す。
どこに、あの量の葡萄酒が入るのよ。
吾の驚きをよそに、空いたカップをテーブルに置き、アムルが当然のように樽の葡萄酒を注ぐ。
「ところで、エリス王国の即位式に二人とも行くのか」
「取り敢えずは、ですね。向こうの迎えの様子を見て、女王が参加するのかを決めます」
「そのためにも、平民の出で立ちか。迎えが数人の外務司程度ならば、そのまま船に戻るのか」
「はい。即位式の時、国によってはエルグの王は他国の外務司長よりも下座になると聞きます。女王をそのような席には着けさせられません」
「なるほど。しかし、相手の国が非礼と取れば、その国からの物流は止められるぞ」
「構いません。今は国に十分な備蓄があります」
はっきりと言うアムルの言葉に、吾はただ感心するしかなかった。
国の為に、どんなに屈辱を感じても参加しなければいけないと思っていたのだ。それを、アムルはそこまで吾のことを考えてくれていた。
「では、その時はおまえが出席するのか」
「そのつもりで来ています」
「やはり、面白いな。いいだろう、エリス王国まで付き合ってやるぞ」
ミルザは楽しそうに言うと、抱え上げたカップを口に運ぶ。
「ありがとうございます。ですが、一つ分からないことがあります」
「ほう、賢者に分からないことか。なんだ」
「なぜ、今になっての見極めかです」
途端に、ミルザの顔から笑みが消えた。
「そこを聞くか」
「なぜ、今なのかが気になります」
アムルの目も鋭いものに変わる。
あの全てを呑み込む闇を思わす瞳だ。
「世界が、動く合図なのかと」
世界が、動く。どういう意味なの。
「エリス王国の新王は、ラミエルを討伐した英雄王と聞きました。そして、その王旗は十字に交差する剣だとも」
「ほう、それと世界にどう関係するのだ」
「ラルク王国の王旗は外に向かう武だと考えます。同じように、エリス王の王旗も意味するのは外に向かうものではないのですか」
「世界が動くか」
ミルザはテーブルの上に降りると、胡坐をかいた。
「正直、私には分からない。ただ、カルマス帝から全てのエルフにエルグの国に関わるなとの指令が、フレア女王の王権移譲の後で出された」
王権移譲、五年近くも前のことだ。
そういえば、アムルはあの時に、三帝と何かを話していた。
「少し前に私はカルマス帝に言われてな、フレア女王の元に行ってみないかと。他に行きたがった者は数多くいたけど、私に声が掛けられた」
「その為の見極めですか」
「当たり前だ。私はな、これでも上位のエルフ。下らない相手ならば、カルマス帝の頼みでもお断りする」
「分かりました。それでは行きましょうか」
「それでいいのか」
「はい。見極めの答えも分かりました。それに、それ以上は分かりようもありませんから」
見極めの答え。吾は合格したようだ。
そして、それ以上というのは世界が動くかということだろう。
吾には思いも寄らなかった考えだ。
「船には、私の部屋も用意してよね」
ミルザは吾に目を向けると、ほほ笑む。
怒っていたことも忘れ、思わず頷いた。本当に、エルフというのはお人形のように綺麗なんだ。
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