不戦の結界
吾は息を付くと周囲を眺めた。
こんなに楽しいのは、どのくらいぶりだろう。
印綬が手元に来る前のように、皆の垣根がないのだ。隆也たちは呼び捨てで名前を呼びあい、サラとレイムに至っては隆也の頭を叩いている。
吾たちも集まって宴をするが、皆は吾を陛下と呼んで遠慮をしていた。
「ある意味、凄いな」
声を掛けてきたのは、ベルゼだ。
「デリス王国ではどうなの」
「昔は集まっていたが、それでも名前の後には殿を付けていたな。王は一段高い所で、杯を傾けていただけだ」
「吾の国では、こういう席で印綬たちは名前を呼びあっている。吾だけ陛下と呼ばれている」
声をアムルに向けた。
そうだ、垣根なんかいらないのだ。
「陛下ですが、臣下というものは――」
「親友であり、家族だ」
アムルの言葉に、隆也の声が重なる。
「そこに必要なのは、礼ではなく信頼ではないのか」
「信頼はもちろんあります。忠誠とはそういうものですから」
「硬い、アムルは」
シルフがカップを抱えたままアムルの後ろに立った。
「隆也は、忠など求めていない。耳の痛い話をしろという」
耳の痛い話。吾が一番嫌いなものだ。
「それを聞くのですか」
「聞く。でも、聞くだけ。やり方は変えない」
「なるほど、大した方ですね」
相槌のように思えるが、深い意味がありそうだ。だけど、吾には耳が痛い。
まるで、吾と比べられているようだ。
「違う、アムル」
シルフが続ける。
「お前のように臣下という立場で、忠誠がという者の耳の痛い話は聞かない。シルフたちのように、家族の話なら聞く」
思わず心の中で喝采を送った。
そう、そうなの。
目の前で片膝を付き、恐れながらと言われれば聞くのも嫌になる。
隆也の印綬の者たちは分かっている。
その隆也に目を移した。
「礼が必要ないとは何だ」
隆也はサラに耳を引っ張られていた。
何、何が起こっている。
「隆也は、わたしをないがしろにして、アレクを大切にしているのか」
「違うだろ。印綬の話じゃない。こういう場で礼儀は必要ないと」
「わたしは必要ないのか」
「そうだぞ、隆也。最近おまえは人使いも荒い」
レイムまでもが隆也の髪を引っ張り出す。
これは、嫌だ。嫌だけど、少し羨ましい。彼らは、平等なのだから。
「悪いな、いつものことなんだ」
吾のカップにラムザスが林檎酒を注ぐ。
「いつもなの」
「あぁ、いつもだな。ダリアもこの騒ぎに怒り出すのだが、今回はマデリとセリを連れてきてくれたから機嫌がいい」
ラムザスの視線の先に、ダリアと並んで笑うマデリとセリがいた。
良かった、マデリたちも楽しそうだ。
「確かに、量りきれない王かもしれないけどね。私は聖獣を見て、レイムとも話した。駄目かもしれないわよ」
ミルザがカップを抱えて目の前に漂ってくる。
「何が駄目なの」
「扱いが特別すぎる。レイムは王権移譲の場にも隆也王に促されて参加したらしい。あり得ない事よ。思うにその特別扱いは、それだけの苦難が用意されているのじゃないかしら。死と絶望と背中合わせの苦難がね」
苦難、確かに三帝にレイムというエルフが会いに行き、聖獣までもが付き従う。それだけの扱いが必要な道を進ませようとしているのだろうか。
アムルに目を移した。
アムルは少し考えこみ、
「僕には創聖皇の意図は分かりません。ですが、隆也王たちは如何に苦難であろうと進むしかないのでしょう。それこそが、秘匿されているエリス王国への指針ではないでしょうか」
静かに言った。
「では、その指針はどう見ているのよ」
ミルザがその前に動く。
「言ったように、僕には分りません。創聖皇のご意思は、読めません」
確かにそうだ。
推し量ることは出来ても、それが真実だとは限らない。
「今のところは、そこまでにしておくといい」
ラムザスが豪快に笑い、吾に目を戻した。
「ところで、フレア女王たちは王宮の改革には手を出すのか」
その問いに、吾もカップを口に運ぶ。
「今もしている。吾は即位式前に内務大司長を拘束し、軍務大司長を解任した。王宮官吏の半分以上は辞めてしまった」
「そうか、補充はどうしている」
「身分に関係なく、採用している。しかし、隆也はルクスも関係ないと聞いた」
吾の言葉に、ラムザスが深く頷く。
「我も変な固定観念があった。王宮政務官はルクスの強い公貴の出でしか出来ないと考えていた。隆也にどうしてだと問われて、返事が出来なかった」
「でも、ルクスに関係なくならば、公貴の反発が大きいのだろう」
「公貴か。我も含めてだが、なぜ公貴は特別だと思い込んでいたのだろう」
その言い方は、公貴が、ルクスが特別ではないようだ。
吾も公貴は嫌いだ。しかし、存在するものとして疑念は持たなかった。ルクスは強い者が偉いと思っていた。
でも、隆也は違う。
公貴がどうして偉いのだと問われれば、吾もルクスが強い家系だからだというだろう。
ルクスは人としての器量の大きさだ。
でも、吾はそんな公貴は数えるほどしか知らない。
今は身分に関係なく平民からも人を集めている。身分の壁を失くして、ルクスの壁を失くさないのはなぜだろう。
「ルクスが関係ないと言うならば、この国は、エルス王国は、公貴をどう扱うのだ」
ベルゼの声が重い。
「公貴は全て廃止だ。領地は国に返してもらい、代わりに王都に屋敷を与える。当代に限り、年に幾らかの金を与えて当代がいなくなれば、屋敷も返してもらう」
「追い出すのか」
「民として、平等に扱う」
「内乱が起きるぞ」
ベルゼは吐く息と同時に言った。
「私兵を持つことは既に禁じている。それに、隆也は反乱したければすればいいとの考えだ。そうすれば、敵味方がはっきりと分かる」
ベルゼの眉間に深い皺が刻まれる。
多分、吾と同じことを考えているはずだ。
公貴が反乱を起こせば、必ず官吏からも同調する者がいるだろう。そうなれば、軍務司も危うい。
反乱は天逆だが、生贄の首謀者たちを作ればいい。その時には王はいないのだ。
「フレアには話したそうだが、軍は全てが王の軍だ。命令系統は一つしかない」
「しかし、さすがに軍務大司長がいるでしょう」
「我だよ」
ラムザスが笑う。
「我は、王に軍は向けんよ。それにな、反乱をするなら早くしてほしいのだ。リルザ王国との不戦の結界が、復旧していないのでな」
いきなりとんでもないことを言いだす。
「王不在は三十年近くと聞いたが」
ベルゼも驚いたようだ。
「王が立てば、新たな結界が出来るのではないのですか」
横から身を乗り出してきたのは、アムルだ。
「それがな、どうも創聖皇は戻すつもりはないらしいのだ。このまま消してしまうかもしれん」
レイムが隆也から手を離し、顔を向けてきた。
「何よ、どういうことよ」
ミルザが吾の前に飛んでくる。
「知らないわ。カリウス帝がそう言っていたのだから」
「あ、あんた。カリウス帝に本当に会ったのね」
「思い出しても震えてくる。ライラもやつれていたな」
呟くように言うと、レイムが林檎酒を煽った。
三帝の一人でしょ、エルフがそこまで恐れるって、一体どんな相手なの。
思う吾の肩に、アムルの身体が当たる。
「結界を消すということは、衝突を許容するということですか」
「そうだろうな」
アムルの問いに、隆也が静かに答えた。
「では」
「おれは、覚悟を決めている。おまえ達にとっても試金石になるかもしれないな」
試金石。
その経緯、結果次第では全ての不戦の結界が消えるかもしれないということか。
王旗の紋章をアムルは外に向かうものだと解釈した。吾もそうかもしれないとは思ったが、国同士の衝突などは考えてはいなかった。
「まあ、なるようになるだろう」
隆也の惚けた声が聞こえた。
この王は、一体どういう王なのだろうか。
吾も王としての威厳がないと言われるが、それ以上だ。そして、いい加減な性格のように思える。
しかし、考えていることは吾の想像以上だ。
現に、アムルも言葉を失くしていた。
一体、どんな王なのだろうか。
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