エルフの登壇
空は抜けるように青く、崖の上に聳える公領主館も陽光に照らされていた。
吾の暮していていた外北守護領地の町は、人通りも多く別の町のように思えるほど明るく輝いて見える。
荷物を抱えた少女と肩がぶつかり、
「ごめんなさい」
謝る少女と同時にフレアも小さく頭を下げた。
人にぶつかって謝られたのは、初めてだ。
この国は、この国の民は変わってきている。
ラルク王国は生まれ変わろうとしていた。
港に向かう道は多くの人で賑わい活気に満ちている。港には三艘の外洋帆船が停泊し、露店が軒を並べていた。
その中を自由に歩ける。
身に着けた隠蔽の聖符が湧き出るルクスを隠し、今の吾には平民と同じルクスしか感じさせない。現に今もぶつかった衝撃が残っている。
誰も吾のことを女王だとは思ってもいない。
本当に、この聖符は凄い。そして、それを作ったあいつは凄い。
通りを逸れて高台へと向かう。
しばらく歩くと大きな天幕が見えてきた。
かつて働かされていた縫製工房は、跡形もなく撤去されて広場に変わり、仮設の天幕の周りには様々な露店が軒を並べて人だかりも出来ている。
この景色をアリスアにも見せたかった。
「陛下、お待ちしておりました」
不意に頭の中に囁きが聞こえ、吾は足を止めた。
人混みの中でもすぐに分かった。テントの入り口で、汚れた外套を身に纏ったその姿が、目に飛び込んできたのだ。
沸き立つ心を抑え、緩む頬を引き締め、吾はアムルを睨みつけた。
ウラノス王国から帰ってきても王宮には近寄らず、この五年近く会うこともなかった。その理由は、吾だって分かっているさ。
国中に学院と開学を作り、覚醒の為の施設に人材の育成、さらには各守護領地の都市計画までもしているのだ。それは忙しいだろう。
それでもよ。
王宮に顔を出すことだって出来るじゃないか。
「お一人で参られたのですか。護衛の者は」
頭に響く声を無視して、吾は足を進めた。
「フレデリカに協力して貰って、抜け出てきたわよ」
怒鳴るように言ってやると、アムルが慌てたように吾を引っ張る。
「駄目ですよ、目立ちますから」
「何よ。このルクスを抑える聖符を送ってきて、ここで落ち合うっていうことは、こっそりと来いって言うことでしょ」
アムルの慌てた顔を見るのも久しぶりだ。
でも、印綬と同格で天籍に移ったから歳も取っておらず、別れた時が昨日のように思い返される。
「違いますよ。目立たぬようにということで、抜け出してということではありません。護衛も付いていなくては危ないではないですか」
引かれたのは、テントの陰の狭い場所だ。アムルの顔が近く、早くなった吾の鼓動が聞かれそうだ。
「この吾を倒せる者がいるわけがない」
そう、吾のルクスは強大だ。不意打ちをされてもこの身体に触れることも出来ないはずだ。
「それは、そうでしょうが。万一ということもあります」
「万一、それはアムルが襲うということか」
「そんな訳はありません。陛下が地方の芝居小屋を見たいと言われたから、その聖符を送ったのです」
アムルが周りを気にするように、後ろに退いた。
なんだ。側にいてもいいじゃないか。
追いかけるように、肩をぶつける。
「それで、本当にここに入るのですか」
頭に響く声に、顔を上げた。
テントの上には天空劇団との看板が掲げられている。
簡易な造りの芝居小屋だが、ここの席は手に入らないことでも有名だ。王都でも噂になっているほどだ。
なんせ、エルフが舞台に上がるのだ。
吾だって、王権移譲の時にエルフの姿を見ただけで、大半の人々はそれを見ることなく一生を終えるのだ。
それに――アムルが一緒なのだ。
「ですが、内容はあまりお勧めできません」
何よ。アムルは演目の内容を知っているの。まさか、先に観たのではないでしょうね。王宮に顔も出さないくせに。
「それよりも、言うことがあるでしょ」
「ご健勝のようで、お慶び申し上げます」
再び頭に声が響く。
そんなことじゃないわよ。もういい。
先に立ってテントに足を進めた。
慌てたようにアムルが二枚のチケットを入口の男に渡す。
「こちらのようですね」
アムルが前を示した。
席の決められたチケットを用意してくれていたようだ。
でもね。吾たちは平民の格好だ。その席は公貴たちが座る席ではないの。アムルが横にいるのならば、別に立ち見でもよかったのに。
吾は案内されるままに席についた。
王宮の劇団ではなく、地方回りの芝居小屋だからか公貴の姿は見えない。でも、周囲に座るのは商人たちであろう着飾った男女だ。
彼らの目はどこか笑っているように感じられる。
まるで、吾たちは二人で出掛けるために、無理をしてこの席を取ったようだ。
そう思ったのもつかの間、浮かんでいた光球が消えた。
周囲は暗く、闇に包まれる。
「ようこそ、天空劇団にお越しくださいました」
声と同時に新たな光球が上がり、壇上に現れた壮年の男を浮かび上がらせた。
「本日の演目は、栄光のラルク王国でございます」
声を残して舞台は暗転する。
何よ、内容は勧められないって。問題ないじゃない。この国の栄光という演目で、悪いわけないじゃない。
吾は深く席に身体を預けた。
楽団の柔らかな音楽が響き始める。
王宮劇団のような壮麗な楽団ではないが、この小さな芝居小屋では十分な楽団のようだ。
遅れて舞台の中央に小さな明かりが灯り、その光の中に人影が浮かんだ。
王宮劇団でも演奏会でも最初に行われるこの世界の根幹、六種十国の理だ。
正直、毎度のことで飽きてはいる。
それでも、周囲からは大きな拍手が起こった。
「創聖皇は世界を創られ、大地に命を与えられました。木々は茂り、動物たちは走り回る、この地が生まれたのです。しかし、生命の調和を護るはずの人は、未熟過ぎました。自らの欲望に他の命を狩る姿に創聖皇は嘆かれ、自らの心の欠片を地に振り撒かれたのです」
光の周囲に四つの人影が浮かび上がった。
「心の欠片は、四つの人種を産み出しました。人種樹のエルミ、人種巌のエルナ、人種獣のエルス、人種人のエルム。人種として完成したそれら種族は共存していました」
言葉に合わせるように、光を中心に四人が輪になって踊り出す。
「生産性は上がり、豊かな暮らしが訪れたのです」
やがて、その踊りは乱れ出し、互いにぶつかって争い始めた。
楽団の奏でる調べは、昏く重いものに変わる。
「しかし、余剰生産物は貧富の格差を作り、人種の確執を生み出しました。人々はやがて争いをはじめ、人種ごとの国が乱立し、世界は戦が絶えなくなりました。虐げられ、殺された者たちの怒りと哀しみは妖気となって蓄積し、獣を侵食して妖獣とせしめ、人の母体に入った妖気は我ら人種妖のエルグを新たに作りました」
光の中にもう一つの人影が浮かび上がった。
わずかに遅れて、中心の光が消えて舞台全体が照らされる。
「創聖皇は自らの心を汚されていくことを大いに悲しみ、世界を作り直されました。それぞれの人種を分けて人種ごとに二つの国を与え、争うことのないように軍が越えられない不戦の結界を敷きました。また、妖気から身を護れるようにルクスを与えました。そして、国が乱立せぬように印綬を授けられて正統な王を選任されました」
楽団の音楽は明るいものに変わっていく。
「しかし、立った王が民を苦しめ、創聖皇の心に背く時は、警鐘として赤い雲を引かれました。反省し、修正すればそれを消えますが、そうでなければ警鐘の雲は消えることはありません。そしてそれは三本までになり、四本目はありません。四本目の警鐘の雲の代わりに王は廃位され、新たな王を選任するために印綬は消えるのです。もしも、王を担うほどの人材が現れない時は、三十年を持って不戦の結界は消え去り、同種の王が合わせて国を治めるようにしました」
見守る人々からは、声一つ聞こえてこない。全ての観客が、この芝居小屋という娯楽に、集中しているのだ。
「また、創聖皇の意思を伝える人種聖のエルフを作りました。これによって六種十国の理が完成されました」
音楽は大きく鳴り響き、言葉の余韻を残すように消えていく。
同時に、テントが震えるほどの歓声と拍手が起こった。
まだ、本編も始まっていないのにこの盛り上がりは凄い。
「民にも心の余裕が出来たのですね」
アムルの声に頷く。
そうだ。吾が平民だった頃は、芝居小屋なんて来ることもなかったし、見たこともなかった。
それだけ、国が豊かになったのだ。吾がそれをしたのだ。
「さて、それでは今日の演目の話をしてやろう」
不意に声が響き、舞台の上に人形のような小さな人影が宙に浮かび上がる。
「エルフだ」
声は幾重にも広がり、再び歓声が沸き起こった。
白いドレスを身に纏った女性のエルフは、腕を組んで観客を見渡していた。
「世界の国々を見てきたけど、この国ほど未開な国を知らないね」
吐き捨てるように言う言葉だが、観客は拍手を持って迎える。
彼らはただエルフを見たことに、感動をしているようだ。
「それでは、今日の演目だ。未開ゆえに、この国には成長がある。演目は栄光のラルク王国」
言いながら、エルフの顔が向けられた。
「国を見れば、民を見れば、その国の王が分る。しかし、この国は別だ。正直、国の女王は愚王だ。しかし、この国には導きし光。極星がある」
吾を見ながら言いやがる。
再び湧き上がった歓声に混じって、アムルの溜息が聞こえた。
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