歳園さんの美しき怒り
_人人人人人人_
> 登場人物 <
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■歳園 姫子
- 飛び抜けて成績が優秀だったため、カンニング疑惑をかけられた
- しかしそれ以外に疑惑をかけられる要素が無かったため、すぐにたち消えた
- しかし、疑惑をかけられて怒ったため、真犯人を探すことにした
■忠信 和臣
- 少女の隣の席の少年
- 少女に協力することになる
■稲垣
- 数学教師
- 少女に一旦疑惑をかけて、怒りを買ってしまう
■阿木くん
- テニス部部員
- 容疑者の一人
■尾藤くん
- テニス部部員
- 容疑者の一人
■清水さん
- テニス部マネージャー
- 容疑者の一人
和臣はまだ読んだことは無いのだが、『不思議の国のアリス』にはハートの女王という人物が出てくるらしい。
怒らせると怖いらしい。
それでいてとても怒りっぽいらしい。
まるで歳園姫子さんのようだなあと、和臣は思った。
*
その歳園姫子さんは席についたまま、美しき切れ長の目を細めて、教壇の稲垣を睨みつけた。
これだ。和臣は思った。歳園姫子さんは怒りっぽく、怒らせると怖いが、怒っている姿がこの世で一番美しい。
和臣は特等席から歳園さんを見つめた。隣の席なのだ。
「……証拠はあるんでしょうね?」
歳園さんは稲垣教師に問いかけた。
美しき怒りに気を取られて忘れかけていたが、今は緊迫した状況だった。
稲垣によると、歳園さんは(稲垣が担当した)数学の授業で、テストの問題用紙を盗み見たらしい。
そして満点を取ったのだと、稲垣は主張している。
「……まず第一に、問題用紙を誰かが盗んだのは確かだ。これを見なさい」
稲垣はスーツの懐から、折りたたまれたA4のルーズリーフを取り出した。
「何者かが問題用紙を盗み、このルーズリーフにメモを取ったようだ。ゴミ箱から見つかったよ」
稲垣はルーズリーフを歳園さんに差し出した。
歳園さんは一瞥すると、
「私の字ではないですね」
「おそらく実行犯は別にいるのだろう。歳園さん、あなたはこの教室で恐れられている。誰かに命令して、問題用紙を盗ませたのではないか」
「なぜ私を疑うのか、そして証拠は?」
歳園さんは最初の問いを繰り返した。
「歳園さん、あなたの答案はこれだ。ルーズリーフのメモと一致している。特に問4なんてひどいものだ」
稲垣は歳園さんの答案用紙を差し出した。歳園さんはそちらも一瞥すると、
「問4はこうしか解きようが無いと思います」
「それでも、解答の道筋が出題者とまるっきり一致するなんてことが、あり得るだろうか?」
「……稲垣先生と同じ程度の解答しかできないなんて、私もまだまだね」
歳園さんは呟いた。意図してかどうかは分からないが、かなり挑発的な言動と言える。
もともと静かだった教室がさらに静まり返った。誰かが息を呑んだ。
「あ、あの先生」
和臣は割って入ることにした。
「問題用紙がいつ盗まれたのか、そしてそのメモがいつ書かれたのか、そういったことを考えてみてはどうでしょうか?」
和臣は稲垣に問いかけた。
稲垣は細い目(こちらは元々細い)で和臣を見た。
「問題用紙は3日前から一昨日にかけて作り、昨日のテストで配布した。あまり時間が無いので、メモを見てすぐに覚えられるものが犯人だと思われる。
歳園さんは記憶力にも自信があったはずだ」
稲垣は歳園さんを見た。
「ええ、私は記憶力が良いので、必要条件と十分条件の違いを覚えています。数学の授業で出てきた概念でしたね?」
歳園さんは稲垣に問いかけた。
つまり、歳園さんはメモを見て覚えられるかもしれないが、メモを見て覚えられるものが歳園さんだけとは限らない、ということを、皮肉交じりに言っているのだ。
「授業をよく聞いてくれて感謝するよ」
稲垣も皮肉交じりに言った。
「この件はさらに検討が必要だ。今日はここまでにしよう」
*
「……忠臣みたいな名前の、君」
歳園さんは和臣に話しかけた。
「忠信和臣だけど……」
「ああ、そうだった。忠信君」
記憶力が良いと主張したばかりのわりに、人の名前を全く覚えていない。
「手伝ってほしい。私は、私の潔白を証明するために行動に出ることにした」
「行動って?」
「調査だ。真犯人を見つけて、土下座させる。さらに稲垣教師にも土下座させる。その様子をスマホで取って、クラウドに保管する」
やはり『ハートの女王』の怒りは怖い。敵にだけは回したくない。
「……流出させないでね」
「無論だ。それで、忠信くんは手伝ってくれるのか?」
「手伝うけど、なんで僕が必要なの? 一人でできそうな気がするけど」
「私は、この学校の人間の顔をほとんど覚えていない。興味が無さすぎて」
「……ああ、そう」
「それでは、調査開始だ。ひとまず職員室で聞き込みしよう」
「いきなりハードな場所から始まるなあ」
歳園さんは上履きをカッカと鳴らして、教室を出た。
*
「稲垣教師」
歳園さんは職員室に入ると、コーヒーを飲んでいた稲垣に話しかけた。
「……君か」
「早速ですが、3日前と一昨日の行動を詳細に思い出してください」
「聞き込みかね。まあ、確かに思い出す必要はあるな」
稲垣はコーヒーを飲みながら、しばし沈黙した。
「問題用紙はいつものように、部活の合間に作成した」
「何部ですか?」
「テニス部だよ。覚えていないのか? 記憶力が良いのに」
「興味が無さすぎて」
「……テニス部の部室に机とパソコンと簡易的なプリンターが置いてある。
そこで問題用紙を作成した。完成したのは一昨日の午後4時頃だ」
「その後は?」
「部活動は午後6時までだ。その後、部室を出て、職員室で人数分にまでコピーした。
ただ、職員室に入ってからは、盗まれることは無いという気がするな」
「なぜです? 誰もいなかったとか?」
「逆だよ。常に誰かの目がある。それにコピーしたあとは施錠した引き出しの中に入れておいた。鍵には別状ない」
「なるほど、つまり怪しいのはテニス部ということですね。
忠信くん、行こうか」
「ま、待て。まさか君たち、誰彼問わず犯人扱いするつもりか?」
稲垣が慌てて聞いた。
「しかたない。私も犯人扱いされましたからね」
歳園さんは答えると、カッカと上履きを鳴らして、職員室を出た。
「……しょうがない、せめて私もついていこう」
稲垣はコーヒーを飲み干して、歳園さんの後を追った。
最後に和臣が、教師たちに会釈をして職員室を出た。
*
「それで、部室というのは」
「運動場横の部室棟にあるよ。テニス部は、2階の東寄り」
和臣が教えると、二人は外履きに履き替えて運動場に向かった。
後ろからは苦い顔をした稲垣がついてくる。
「ここだな」
歳園さんは階段を上がると、2階東寄りの部屋のドアを開け放った。
「頼もう!」
「誰だよ!」
「今着替え中!」
まさに放課後が始まったところだったので、テニス部は着替え中だった。
歳園さんはまるで気にせずに部室に入ると、人数を数え始めた。
「9人いるな。これで全員か?」
「いきなり入ってきてなんだよ!」
テニス部たちは歳園さんに困惑していた。
「私は歳園姫子。この中学校の2年生だ。
実はテニス部顧問の稲垣先生の情報によると、ここでテストの問題用紙が盗まれたそうだ。
私にも容疑がかかっている。私は潔白を証明するために、真犯人を見つけて土下座させることにした」
歳園さんはテニス部たちに説明した。
「俺たちも知らないって!」
「ふむ、確かに3年生と1年生は無関係である可能性が高いな。除外しよう」
歳園さんは3年生と1年生を部屋の外に放り出した。
(ちなみに、ネクタイの色で見分けるのは容易だ)
「残りは2人か。どちらかが犯人だな」
歳園さんは阿木と尾藤の2人を交互に見た。
「何の騒ぎ?」
外から声がした。入ってきたのはマネージャーの清水さんだ。
「ああ、『テニサーの姫』さん、あなたも2年生だった」
相変わらず他人の覚え方が曖昧だった。
「清水です」
清水さんに、歳園さんはここに入ってきたときと同じ自己紹介をした。
「……というわけで、あなたも犯人である可能性があるな」
「疑うなら、どうぞご勝手に」
清水さんは肩をすくめた。
「清水さん、一昨日の部活動の最中、どういう行動を取っていたか覚えている?」
「基本的にテニスコートにいたけど、一度トイレに行った。あと、みんなのドリンクを作るために、一度部室に入ったよ」
「トイレってどこ?」
歳園さんがぶしつけに聞いた。
「部室棟には無いです。運動場にあるトイレは汚れているから、校舎まで行ったよ」
「ドリンクづくりというのは?」
「あそこに」
清水さんは部室の端にある、大きな水筒を指差した。
「あの水筒の中に冷水を入れて、粉末も入れて、よく振る。結構重たいけど、まあ、大した作業じゃないよ」
「なるほど……。3分から5分ってとこかな。
稲垣教師」
歳園さんは稲垣を呼んだ。
「清水さんが部室に来たときを覚えていますか?」
「ああ、確かに来たよ。その時私は……、確か、プリンターを使っていたんじゃなかったかな」
「あ、たぶん、そうでした」
清水さんもその光景を思い出したようだ。
「完成したのは16時ごろと仰っていましたが」
「うん、たぶんそんな頃合いだろう」
「ドリンクを仕込んだのも、16時ごろだったと思う。いつもその時間、少し空くから」
稲垣と清水さんの意見に食い違いは無い。
「プリンターはディスプレイの隣か……」
歳園さんはプリンターのある場所を確認した。小さな机にディスプレイとプリンターが並んでいる。
「コピーする部分に問題用紙を忘れていたとか?」
和臣が言ってみる。
「それは無いな。問題用紙は3枚に及ぶから、どうしたって取り出す作業は入る。そもそも、このプリンターは本当にプリントしかできないタイプだし」
稲垣が答えた。
「ふむ。では、他の容疑者の話を聞こう」
*
阿木は気の弱そうな顔を歳園さんに向けた。
「僕も容疑者なの……?」
「一昨日の行動を知りたい。
問題用紙が作られたのは3日前から一昨日にかけてで、完成したのは一昨日の午後4時頃だ。稲垣教師は『問4』をカンニングされたと主張しているが、問4はテストの後半だから、一昨日が怪しいことになる」
「でも僕は当日、早退したよ」
「早退した時間によって、可能性は変わってくる。
さあ、何時頃だった?」
「部活が始まってすぐだから、午後3時半くらいかな。
家から電話があって、急いで帰ったんだ」
「家から電話?」
「要件まで言わなきゃいけない?」
「いや、それは行き過ぎか。
まあとにかく、午後3時半に早退したと。それなら、部室に荷物を取りに来たんじゃないか?」
「荷物も取ったし、着替えもしたよ」
ここで歳園さんは稲垣を見た。
「ああ、確かに早退しに帰ってきたよ。その時、私は問題作成に集中していた。軽く話して、すぐに開放した」
「つまり、まだ問題は作成途中だった?」
「うん、そのはずだ」
「……ということは、阿木くんが犯人とは考えづらいのでは?」
和臣が言った。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。尾藤くんはどうだ?」
尾藤は普段は快活そうな少年だったが、今はやや不機嫌だった。
「当日にラケットが壊れた」
「ラケットが? で、どういう対応を?」
「部室に行って、新しいラケットを持って帰った」
「じゃあ、部室に入っているな」
「そうだよ。でも、問題用紙を盗んだとか、そんなことはしてないよ」
「可能性の話だ。何時頃に部室に入った?」
「4時……、半ってとこかな?」
「稲垣教師のほうはどうだ?」
歳園さんが向き直ると、稲垣も待っていたかのように、
「確かにそんな時間だ。私は問題作成が一段落して、仮眠を取っていた」
「仮眠! 重要じゃないですか!」
「いや、少しうとうとした程度だ。尾藤が入ってきたのにも気づいて、少し会話したはずだ」
「ああ、『おつかれ様です』って言ったよ、確か」
「……問題用紙は?」
「清水さんが入ってきたときにプリントして、そのまま机に置いておいたと思うが……」
「尾藤くん、君は机に近づいたか?」
「とんでもない。ラケットを取っただけだって」
「……なるほど。ある程度情報を得られたので、ここで解散する。ご苦労だった」
歳園さんは足音も高らかに出ていった。
「なんなの、あの人」
清水さんが嫌悪をあらわにした。
「強烈なキャラクターですね」
阿木が呟いた。
「真犯人が見つかればともかく、これで歳園さんが犯人だったら、逆に土下座させる」
尾藤が言った。
和臣は足音を忍ばせて部室を出た。
*
「ふむ、隣の部屋は空きか」
歳園さんは何事も無かったかのように隣の部屋を開けた。
「ここは本来、野球部の部屋なんだけど、不祥事で活動停止だって」
和臣が説明する。
「誰かがここを利用した可能性もあるか……。どちらにせよ、問題用紙を盗むトリックを暴かないとな」
歳園さんはしばらく美しき顔を伏せていたが、
「容疑者は3人。阿木くんが3時半、清水さんが4時、尾藤くんが4時半にそれぞれ部室に行っている。
問題用紙のほうは、3時半にはまだPCの中、4時頃プリント、4時半には机の上に置いてあった。
これだけ見ると、尾藤くんが怪しいように思えるが……」
「思えるが、なに?」
「証拠が無い。尾藤くんは机に近づいていないし、問題用紙を盗んだという証拠も無い。
証拠もないのに疑うと言う行為は、まさに私が受けた行為だから、繰り返すわけにはいかない」
「誇り高い」
和臣は歳園さんの言葉に感心した。
「じゃあ、他の可能性としては?」
「可能性の話だが、稲垣教師が問題用紙を横流ししたとか」
「稲垣先生が?」
「横流しなら、アリバイの問題はそもそも意味がなくなる。職員室に帰ってからでも誰かに渡せばいい」
「でも、問題用紙を盗まれたと騒ぎ出したのは、稲垣先生だよ。それって、自分の立場が怪しくならない?」
和臣の指摘に、歳園さんはうなずいた。
「そうだな。稲垣教師が私を疑い出さなければ、そもそもカンニングの話すら無かった。そして、彼が犯人だとすればそちらのほうが都合が良かったはずだ。
つまり、不合理だ。不合理は嫌だな……」
歳園さんは美しき顔を歪めた。
「こんなとき、TVやなんかの名探偵だったら、あっさり解決するんだろうがな。私はどうやら、力不足のようだ」
「TV」
和臣は反射的に言った。
「なんだ、忠信くん。私だってテレビを見るときもあるよ」
「いや、そうだろうけど。
あの部室、テレビも置いてあったなと思って」
「ああ、試合のビデオでも見るんだろうな。予算があって良いなあ。私も予算がほしい」
「テレビがあればできる……、でも」
「できるって、何が?」
「問題を盗むことが。でもそうだとすると、イメージと少し違うな」
考え込み始めた和臣を見て、歳園さんは
「私を置いてけぼりにするな!」
と言った。
*
「今日は散々だったな。変な女子が着替え中に入ってくるし」
放課後の校門前。尾藤が愚痴るのが聞こえる。
「そうだね……」
阿木が相槌を打つが、どこか気がない調子だ。
「変で悪かったな」
歳園さんが二人に詰め寄った。和臣と一緒に待ち伏せしていたのだ。
「な、なんだよ、お前ら」
「実は尾藤くん、君には用は無い」
歳園さんは尾藤を押しのけると、阿木に話しかけた。
「阿木くん、君は問題用紙を盗んだんだろう?
いや、『問題データ』を盗んだと言ったほうがいいか」
阿木の目が大きく見開かれた。
「……そこまで分かっているなら、しょうがないね。僕がやったよ」
「っておい!」
尾藤が割り込んできた。
「そんなわけないだろ、こいつが部室に入ったとき、問題はまだ作っている最中だったらしいじゃないか!」
「そこがポイントなんだ」
歳園さんは指をぴんと立てた。
「もっとも、こいつは受け売りの推理だがね。解いたのは、忠信くんだ」
和臣は尾藤に説明した。
「部室にある先生のPCに、これが刺さっていた」
和臣はケーブルを見せた。
「これ……、USBか?」
「いや、HDMI。PC本体とディスプレイをつなぐケーブルだ。
阿木くんは事前にこのケーブルを刺して、PCをディスプレイと部室のテレビの2画面で表示される状態にしておいたんだ。
多くのPCでは、ディスプレイが2台あるときの表示の仕方を設定できる。この場合、事前に同じ画面が両方に表示されるように設定して、家族の電話だと偽って早退。着替えに入ったときにテレビをつけて、画面をスマホで撮った。
問題すべてを録画はできなかっただろうけど、それでもカンニングとしての効果はあげられる。
ケーブルはいずれ回収するつもりだっただろうけど、今日は歳園さんが騒いだりして、できなかった」
「証拠はあるのか?」
「このケーブルを買った店に、阿木くんを連れていけば分かる。そこまでしようとは思わないけど」
「ごめんよ。成績が落ちると、家族に心配されるから、つい……」
阿木くんは謝ったが、歳園さんは
「私が求めている謝罪の方法は、それじゃない」
と言った。
阿木くんは流れるように土下座した。というか、させられた。
*
「すまん! 勝手な疑いをかけた!」
職員室ではさらに稲垣にも土下座させるあたり、さすが『ハートの女王』だ。
和臣は歳園さんの美しき怒りに、少し怯えた。
「……というわけで、これで一段落だな」
歳園さんは和臣に言った。
「疑いが晴れてよかったね」
「だいたいは君のおかげだ」
歳園さんは和臣に微笑んだ。稲垣に土下座させたままで。
「君ならば、もしや……」
「もしやって、何?」
「いや、私はこの性格だから、抱え込んでいる問題がいくつかある。
その中の推理が必要な問題を、忠信くんに任せようかと思ってな」
「……ちょっとそこまでは」
「引き受けてくれれば、君の名前を覚えよう! これは相当名誉なことだぞ」
「……まだ覚えてなかったの?」
どうやら、歳園さんの周りにはまだまだ事件があるようだ。
二人は、土下座する稲垣を尻目に、職員室を出て校門に向かった。