1.【 こコまでの人生ヲ 贄トしマすカ? 】
9/3(日)まで昼夜二話ずつ更新します!よろしくお願いします
天も地もない。すべてが不浄の泥に塗りつぶされた最終決戦の地で、俺はぶざまに這いつくばって、霞んでゆく意識をなんとか繋ぎとめていた。
起き上がろうにも四肢に力が入らない。喉奥にはせりあがってきた何かが詰まっている。口の中いっぱい、鉄の味だ。
ようやっと頭を持ちあげる。てっぺんの見えないほど高くそびえ立つ聖樹ユグドラシルは、今や世界の終わりの象徴と化し、黒い淀みを延々と垂れ流し続けていた。
どうしてこうなったんだ。世界を守護する存在とされてきた聖樹が、どうして今、世界に害をなそうとしているんだ。
黒泥は魔物に姿かたちを変え、南北東西へ散り散りになってゆく。
南――フランベルグは無事だろうか。やめてくれよ。あそこには俺の親友がいるんだ。剣聖でありながら、国のトップに君臨する女王。逃げ延びていてくれたらいいが、きっとあいつはそれを選ばないんだろうな。
(……また、駄目だった)
何者にもなれなかった俺が、この世界に召喚されて、何度も何度も繰り返して、今度こそ救えると思ったのに。今度こそ、何者かになれたと思ったのに! 悔しさに嗚咽がこみ上げる。口からごぽりと生ぬるい液体がこぼれた。
そのとき。視界が暗転してゆく中、真っ赤な光が一閃、終焉の中心地へと向かってゆくのが見えた。息をのむ。火竜だ。
魔物も聖樹も黒泥も、この世のぜんぶを焼き尽くさんとばかりに飛んでいった火竜は――彼女は、狂ったように叫び、炎を吐いた。
激しいその咆哮は、嘆きのようだった。
「ティコ! もういい、やめろ……っ」
竜騎士である俺の相棒、火竜・ティコ。なけなしの力を振り絞って名を叫ぶが、俺の声はもう彼女に届かない。
襲い来る魔の手をかいくぐり、全身に傷を負い、それでも彼女は抵抗する。相対する敵がどれなのか、もう判別がついている様子じゃなかった。
憎い。嫌い。――許さない!
皆を奪った世界、お前を許さない。
リンクしている彼女の精神から伝わってきたのは、悲しみ一色に塗りつぶされた激情だった。
約束したのにな、相棒。竜のくせに人一倍さみしがりのお前を、絶対、ひとりにしないって。ごめんな、守ってやれなくって。ごめんな、こんなに痛くてつらい思いをさせて。
ごうごう燃え盛る炎と、おどろおどろしい黒。まだらの色が躍る世界が、崩れ、壊れ、終わりに向かってゆく。
「あ、…………だめだ、ティコ!」
消耗しきったティコの翼を、聖樹の枝が貫いた。
ぐらりとバランスを崩した彼女の身体は、聖樹の根元にある黒い泥だまりへ落下していく。俺は叫ぶだけ。なんにもできない。赤と黒に飲みこまれてゆく世界の中で、ただただ絶望することしかできないんだ。
狂気に包まれたティコは、落ちてゆく最中、まるで断末魔のように悲痛な叫びをあげた。
――さみしいよ。
俺には、そう届いた。
「……ッ、あ……あああ!」
全身が痛い。それよりもっと、胸が痛い。
また失敗した。また救えなかった。
(何べん繰り返したって……結局、俺は)
これじゃ、あの頃と何も変わらない。
高校生活に馴染めず、引きこもって、歳だけくって、続々と就職や進学にコマを進めていく同年代のやつらがいることに焦っていた。何者かになりたい。けれど、何者にもなれない。
そうやってぐずぐずしていたこの世界に来る前の俺と、何も変わらないじゃあないか。
両眼から涙が落ちた瞬間、あらゆる音が止んだ。力なく落ちてゆく火竜、燃え盛る炎、すべてを飲みこむ黒。俺の視界にそのワンカットを焼き付けたまま、世界は停止し、モノクロになった。
劇的な背景に不釣り合いな文字列が、機械的に浮かび上がる。
十七回目の異世界召喚。
そのエンディングをあらわす文言だ。
【 end.17 火竜の嘆き 】
コンセントを無理やり引っこ抜くような横暴さで、ぶつん、と世界が暗転した。
◆◆◆
起きろ。
世界のシステムから促されるようにして、俺の意識は半強制的に覚醒させられる。重たい瞼を上げる。上下左右が真っ暗な空間だ。底のない闇に尻をつき、俺はうずくまっていた。
全身が軋むみたいな痛みも、呼吸するたび口いっぱいを満たす鉄の味も、もうしない。何もかも元通りだ。竜騎士の鎧も傷もなく、装備は初めてここへ呼び出されたときと同じ、よれた部屋着になっている。
ただひとつ、ここが異世界であることを示す象徴は健在だった。暗闇の中、唯ひとつ光輝く深紅の紋章。膝を抱えた俺の右手の甲に、それが運命の刻印のように光っている。
初めてこれを見たときは、――正直、心が躍った。俺は特別なのかもしれない。世界に選ばれし者だったのかもしれない、って。
十七回目を終えた今、あるのは無力感だけだ。
ここからの流れは、いやというほど知っている。長方形の白枠が、ブウン、と暗闇に浮かび上がった。俺のステータス画面だ。
この異世界を救うために『竜騎士』として異世界召喚され、十七回の失敗を犯した、十七回分の役立たずな功績たち。
レベルはもちろん、力、魔力、速さ、その他。すべての能力は勿論カンストしている。世界共通の通貨『ギル』だって、手持ちだけで既に9999,999Gだ。はみ出したぶんは王都の金庫に預けてある。装備? オリハルコン仕立ての最高クラスに決まっているだろ。
他人ごとのように目をすべらせながら、所持スキル欄を人さし指でつつく。
「火竜の加護」「剣術S」「弓術S」「槍術S」「白魔術S」「黒魔術S」「騎馬S」「調合S」「状態異常耐性S」「気配検知S」「四次元収納S」――きりがない、もういいや。
最後に、称号の欄を惰性でひらく。
【 異界の竜騎士 ソウタ・クルルギ 】
「は、ハハッ! アッハハ……」
長方形の全てを見渡して、腹から笑いがこみ上げてきた。ついさっきまで頭を埋め尽くしていた絶望も悲しみも吹き飛んで、空っぽになる。人間って不思議だ。ほんとうの虚しさでいっぱいになったときって、逆に笑えてくるらしい。
しばらくして、笑いも空っぽになった。
がらんどうになった腹の底からふつふつと熱いものが湧いてくる。やがてその熱いものはみぞおちのあたりを焦がすほどになり、俺の顔じゅうをめぐり、最後に脳天まで突き抜ける。
――これは、自分への怒りだ。
「何が能力カンストだよ。金持ちだったら何だってんだ? スキルも称号もそうさ……俺の十七回かけて集めたものなんか、結局、ただの飾りだったじゃねえか!」
無機質なステータス板を拳で叩く。ざざ、と一瞬ノイズをはしらせたそれは、すぐさま別の画面へと切り替わった。ウインドウが浮かぶ。これも見慣れたものだ。
【 ここまでの人生を記録しますか? 】
怒りのあまり、視界が真っ赤に染まる。
「人生をゲームのデータみたいに言うんじゃねえ! っぐ、……う……ちっくしょう」
なっさけねえ。そう思うのに、嗚咽があふれるのを止められない。
一回目はさ、よかった、ってほっとしたんだ。初めに俺が所持していたのは、異世界召喚ボーナスとかいう、初期ステータス値が一流の騎士に届く程度の凡庸なものだったから。成長率に上昇補正がかかるバフもあったっけか。
だから、二回目こそ頑張ろうって思いなおすことができた。三回目も、四回目も同じ。記録して【 データを引き継いで最初から 】を選ぶたび、俺はますます強くなる。スキルもステータスも、ギルだって引き継げるからな。
皮肉ってこの人生をゲームのデータ風に言うなら、『強くてニューゲーム』ってことだ。
でも、さすがに十七回目。
「は、……いい加減、折れるって」
ず、と鼻を啜る。今回こそは、と誓ったんだ。相棒も、親友も、仲間も、世界も、ぜんぶを救うことができるって。掛け値なしにそう思えるくらい、完璧な状態だった。
それなのに、あのざまだ。
次に足を踏み出すとしたら、――ああ、もう十八回目なのか。つまるところ、俺が元の世界で何者にもなれないまま鬱屈していた十八年の人生、回数的にはそれを越えるということになる。
このまま、終わるのか? 同じだけの歳を重ねても、結局、何者かになりたくて、何者にもなれないまま。
「……いやだ」
いやだ、いやだ、いやだ。
世界でもない、他の誰でもない、自分自身への情けなさで頭に血がのぼる。甲に刻まれた紋章が輝く右手を振り、ウインドウを殴りつける。何度も何度も、大声をあげながら拳で叩く。
「いやだ。同じだけ生きて同じまま終わるなんて、いやだ! 絶対にあきらめてなんかやるもんかよ。能力もスキルも称号も、何ひとつ変えられないんじゃただの飾りだろ! ……こんなもん、……こんなもんっ」
そうして俺は、右こぶしを振り上げた。みっともなくぼろぼろ泣いて、顔をぐしゃぐしゃにして、血がにじむ右手を叩きつける。
「全部、くれてやるよ……!」
握りしめた手指の第二関節がウインドウを突いた、そのときだった。
「……なん、だ?」
無反応かつ無関心を貫いていたウインドウに、ざざ、とノイズがはしる。文字列がまばらにちらついて、乱れて、歪んで、――消えた。
呆然とする俺の前へ、代わりに、新たなウインドウが浮かぶ。
じじ、じ、と妙な音を発する不安定なその板は、ところどころが妙な文字を並べて、俺にこう告げたんだ。
【 こコまでの人生ヲ 贄トしマすカ? 】
贄。捧げる、ってことか? お前に。
十八回目を目前として、初めての変調だった。こちらの意志など完全無視だったこの世界が、初めて綻びを見せた。ぞくん、と背すじが戦慄いた。
つまり――世界が、俺に隙を見せたのか。
「……ああ、やってやるよ、十八回目」
十八歳で異世界へ招かれた俺の、十八回目の異世界召喚。この変調を逃したら次はない、という気がした。何より、絶望一色だった俺の心が息を吹き返している。昂っている、ということを認めざるを得ない。
贄というのが何を意味するのか? そんなもの、やってみなくちゃわからない。けれども俺には、このわずかな『隙』にしがみついてでも成し遂げたいことがある。救いたい人がいる。傍にいたいやつがいる。
ためらいなく【 はい 】を押した。
「どんなリスクと引き換えにしたって、それだけの動機があれば十分だろう? ……なあ、異世界様」
暗闇をつんざいて、目もくらむほどの赤い光が俺を刺す。得体のしれない濁流に飲みこまれ、どこかへ運ばれていく、そんな感じがした。
辿りつく先は、きっと王城の大広間だ。いつもと同じ、召喚魔方陣の真上だろう。
さあ、――十八回目の異世界召喚へ。
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