狭く小さな安泰
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「んぐぅ!?」
グレンは腹部に強い圧迫感を覚えて飛び起きた。視界に広がる自分の部屋、低階級向けのボロ賃貸は分別前にスクラップと酒瓶だらけだったはずだが。全て綺麗さっぱりなくなっている。
「あ、ごめん踏んじゃってたのぽ」
むにょりと体格に不釣り合いなちっちゃい足がどいた。デカキノコがのしかかっていたらしい。それで、昨日のことが現実だったと改めて理解して。
「……頭が痛くなりそうだ」
ぼやく他なかった。ギリギリと牙を軋ませながらボロ布のカーテンを開ける。眩い晴天。嫌になるぐらい蒸し暑い。建付けが悪いせいで僅かに開いたままの隙間から生臭さが上がってくる。
“起きたな(確信)”
“アズレアちゃんどこ?”
“サブチャンネルのほうにはいないぞ。ここにいるのはデカイキノコと野郎だけ”
“グレン・ディオウルフはアズレアちゃんを誑かし、甘い汁を吸う寄生虫。すぐに絞首刑にすべき”
撮影ドローンが勝手に起動したらしい。アズレアの所為に違いない。部屋に対する苦言。殺害予告。からかい。好き勝手な言葉が朝一番から流れてくる。
「嫌ならあの女のチャンネルに行けばいいだろう……! 部屋にいる時間のほうが少ないんだ。余計な金を払いたくないから――痛ッぁ!」
ぶにょんと。背後からデカキノコがぶつかった。
「この部屋狭いのぽ……」
全長2~3メートル。そんな生物が入る想定の部屋ではない。
「お前がでかいんだよ……。だからそんな動き回るな。なにしてるんだ」
「朝ごはん作ってたのぽ。アズレア様がお小遣いくれたのぽ」
「俺の分の金はあるか?」
“最初に聞くことが金かよ”
“金金って便利屋のくせによぉ”
“君の分は我が直接渡そう。仕事をしたらな?”
「うわ……見てるのかよ」
思わず変な声が出た。言動はあの女に監視されているとわかると、頬が引き攣る。一方、デカキノコは構う様子もなく段ボールのテーブルに食事を載せていった。
安物のクラッカー。得体の知れない汁物。陸ダコの肢を串で刺して焼いたもの。値段は大したことはないだろう。
「おい、一人で市場に行ったのか? 自分の価値を考えろ。危険だ」
「心配してくれてるのぽ? でも大丈夫、僕はそれなりに強いのぽ。それに何かあっても苗床は作ってあるからすぐに次のボクが出てくるのぽ!」
「別に心配はしちゃいない。事実を述べているだけだ。……苗床? いや、まぁいいが。変なものをあまり置くなよ」
“野郎のツンデレに需要なんてねえんだよ”
“心配なんてしてないんだからねッ!?”
「嗚呼くそ、……いちいち言葉を取り上げるな!」
調子を狂わされている気がしてならない。誤魔化すようにデカキノコが用意した食事を掻き込んだ。クラッカー以外は思いのほか味は良い。
「……これ、何のスープなんだ? Bレーションでもないだろ?」
「僕の出汁のぽ」
グレンは沈黙し、達観するように目を閉じた。開き直るように飲み干していく。
「……装備を整えたら次の探索地点を見に行く。場所は言えないがな。こんな配信されてる状況で横取りされたくはない」
立ち上がった。グレネード類の補充。クライスラーE.雷鎮鎚の点検。装備全般の防水、防塩加工のチェックもろもろを済ませていく。
“次の目的地は海だな? このあたりであり得るとしたらディープポイントか? 我はせっかくだし水着を持っていこうかなぁ”
“どこだよ。秘密にされたってわたしのとこ海ないよ”
“病気になりそうな色してたけど水着なんかで平気なの?”
「知らん。あの女に聞けばいいだろ? そもそもお前もわざわざコメントせずに端末で連絡を入れたらいいんじゃないか?」
『それもそうだなぁ。いやいや,案外電話なんてしないものだから慣れなくてねぇ? 君ぃ、そういう訳だ。ミナマタ港湾で生きて合流しよう。羽虫は自分であしらいたまえ。…………あ、アレキサンダー(デカキノコ)は連れてきて構わん』
意味深な言葉を残して通話が切れた。
ミナマタ港湾は怪物蔓延る黒い海で漁業と貿易を行う企業の拠点だ。とは言え明確な警備などはなく合法的に行くことはできるだろう。
「デカキノコ、荷物持ちは頼んだ」
循環式呼吸装置、暗視三眼鏡などの現地装備を持たせ、扉を開けようとするといつもよりドアヒンジが重く軋んだ。それだけなら建付けが悪いだけだが。
――羽虫は自分であしらいたまえ。
彼女の言葉が脳裏に過ると不意に背筋が凍えた。
「下がれデカキノコ!! 敵がいる!」
叫ぶと同時、一歩下がった。瞬間、ドアは勝手に全開し、鋭い金属繊維が輪を描いて煌めいた。糸は首元スレスレを弾き飛ばすと、衝撃をそのままに天井を抉った。
「……ッ!? だれがこんなことを?」
冷静になるためにぼやいた。心当たりは二つ。あの女に試されているか、コメントでキレ散らかしていたやつが本当に殺したいぐらい怒っていたか。
どちらにせよ、素人の罠ではなかった。不発したと分かればすぐに追撃の手が来るはずだ。
「窓から出るぞ。緊急事態だ。探索は後回しに――」
できない。グレンの言葉を拒絶するように«青き番犬の禁章»によって埋め込まれた蒼い炎が心臓を灯した。
“暗殺? 残当。でもアレキサンダーは殺さないで”
“窓から逃げても無駄。全て見えている”
「そりゃ見えてるだろうなぁ……! 配信が消せないんだから」
撮影ドローンが臨場感あるアングルを撮影しようと狭い部屋をぐるぐると巡る。
「グレン、たすけてほしいのぽ!」
ふと窓を見るとデカキノコの巨体がぴっちしと窓に挟まっていた。
どうしようもなく退路が断たれる。