終末のダンジョン配信
エピローグ:終末のダンジョン配信
「ッ………………」
グレンは寝返りを打てずに呻いた。
寝ぼけ眼をゆっくりとあけて、差し込める薄明かりにしばしばと瞬きをしながらゆっくり意識を覚醒させていく。
「ふふ、……もう朝になっておるぞ? ねぼすけめ」
囀りのような甘い囁き声が耳を撫でたから、自分を覆う影を見上げた。
ぼやけたシルエットは段々と色を帯びていき、透き通るような青い髪と瞳を映し出す。
「アズレア……?」
まだ曖昧な意識のなか名前を呼んで手を伸ばした。柔らかな頰を撫でると、少女はニヒヒと悪戯気味に微笑んだ。
「まだ寝ぼけておるのか? ……グレンは夜にその……するとすーぐ気絶するみたいに寝てしまうから起こしてやったというのに」
ふんと嘲り。ギィ、ギィとわざとらしく機体を軋ませながら、アズレアはぐでんと体を預けた。
柔らかに触れる熱。くすぐる匂い。小さな重み。知覚の全てが青一色に染め上げられて、ぼやけていた意識は吹き飛ぶみたいに目を見開いた。
「アズレア……!?」
慌てるみたいにいま一度、名前を口にする。
「うむ、アズレアだぞ? どうかしたのかねぇ?」
なんてことのない様子でアズレアは首をかしげたが、身に着けているものは服と呼べる代物ではなかった。
露わになっている腹部や細い肩。肌を隠すのは可愛らしい白いフリルと下着同然の黒い布地だけ……というより。
「……それ、前に着てた水着か? なんでセーフルームで――」
言葉が浮かばなくなって途切れる。グレンは困惑と上擦るような期待を前に顔を赤らめ硬直した。
理由なんてそう多くはない。動揺するグレンを見おろして、アズレアは満悦げにジトリと視線をくべた。
「なんでって…………、まさか我に言わせる気か?」
青い双眸がグイと近づく。あどけない相貌が目と鼻の距離にまで迫り、吐息が触れ合う。バクバクと加速していく鼓動。血が巡り体が熱くなっていく。
アズレアは小さく微笑んで、求めるように目を瞑った。
そして――。
「おはようのぽー!!」
バンと勢いよく扉を開けてきたアレキサンダーを前に、二人はビクンと大きく飛び跳ね距離を取った。心臓が飛び出しそうなほど脈打っていく。愛おしい空気は一転して緊張に満たされた。
アズレアも同様に、目をまんまるに見開いて固まっている。二人の目にはもう、変な顔の巨大キノコしか映っていなかった。情緒はあったものではない。
「ッーーー……! あ、アレキサンダー……? どうしたのかね……?」
「二人が起きる音がしたからきたのぽ。お腹すいたのぽ」
「「お、音……?」」
嫌な予感が脳裏に過った。申し訳なさそうに、アレキサンダーの影からムギが顔を見せてくる。
「あの、案件でもらったこの即席安全休憩所ですがその、……ぜんぶ音が漏れてます。昨夜から、ずっと」
ムギは恐る恐る告げた。ぺたんと狼の耳を畳んで、視線を逸らしながら尾を激しく揺らしていく。昨夜というと――。
ボン! と、アズレアは顔を真っ赤にして漏電した。
「な、なぜ言わぬ……!!」
「言えると思いますか? 貴方が、青色の便利屋が文字通りにゃんにゃんと鳴いているときに? 比喩ではありませんよ。全部聞こえてましたからね。グレンぇん……、ふふ……我にもっと甘えてほしいにゃ――」
「それ以上つづけたら殺してしまうかもしれぬ。……撮影ドローンはオフにしてくれただろうな?」
……沈黙。
アズレアは慌てて確かめるように部屋を飛び出した。グレンもすぐに後を追った。
“案件でもらった支給品でイチャつくな。40000L”
“案件企業先、商品一瞬で売り切れたけどな”
“色付きの便利屋の姿か……? これが……?”
“【蒼天】と【青契】なんだからお似合いです。50000L”
“アズレア様の死闘のおこぼれで色を冠しただけの寄生虫、貴様は深海に棲む醜悪な魚類の雄以下だ。あろうことかアズレア様を騙し喰らった挙げ句、『このアカウントは制限されています』350000L”
大量のからかいと妬みと殺意と怒りと……もろもろ。様々なコメントが眼の前を埋め尽くしたから、ナドゥルのいくつめかもわからないアカウントをブロックして視界を確保していく。
とうの昔に朽ちてひしゃげた地下空間は薄暗い。
放棄されて長い年月が経過し、忘れ去られ、どこの企業の建造物だったかさえ分からない。
地表からこぼれる僅かな光と、未だ点滅を繰り返す照明の残滓だけが照らしていた。転々と光が差し込める場所にだけ青い苔と藻が広がっていた。
ところどころに見える金属フレームは錆びつき、冷たく硬い金属の臭いが鼻をつく。
暗闇の奥にまで目を潜めると、ムギが対処したのだろうか、巨大な甲殻類の怪物とイカれた警備ロボットの残骸が転がっていた。
……一応は、危険な場所なのだが。
「ふふ……。ええと……そういうわけでどこでもベッドと快適な部屋で過ごせるド・マリニー社のセーフルームの紹介だったぞぉ……? さ、さて……。今回は気を取り直して、青い森で見つけた謎の企業廃墟の探索を再会しようではないか……!」
ポップな電子音を響かせて何事もなかったかのようにいつもの飄々とした態度を取り繕うアズレア。周囲を警戒している様子はなかった。
ギィ、ギィと軋みながらくるりんと回転。
青い髪を靡かせながら決めポーズ。カメラ目線。数秒、サムネイルように静止したかとおもうと、グレンを一瞥し、小さなウィンクを送った。
「ッ……。本当、勝てそうにない」
「ふふん、素直に可愛いと言えばいいであろう? 我であればいくらでも君の好きなところが言えるぞ? 【蒼天】……」
「その呼び名は慣れない。よしてくれ」
「ん、グレン♡」
「……」
言葉は一瞬で滞った。恥ずかしさと照れ隠しでぶっきらぼうな態度を取って、グレンは廃墟を進み始める。
「さて、今回の目的だが……特に目標はないのだよねえ。一番は我の新しい武器になるものが見つかればいいのだが期待すべきではなさそうだな」
宙を流れていくコメント群と会話をしながらアズレアは撮影ドローンを深くにまで巡らせた。
床のガラス素材は曇りひび割れ、かつての様相は想像もつかない。隙間から水が染み出しており、踏みしめると、かすかな水音が地下空間を冷たく反響していく。
そのうち、行き止まりにたどり着いた。
天井から垂れ下がるケーブルが淡く電光を散らし、ぼんやりと周囲の輪郭を描いていた。底抜けた床を満たす透き通った地下水。部屋を埋め尽くす樹木の根とツル。生い茂る青色の花々。おそらく地上にまで伸びているのだろう。
かつてどのような場所だったかは推測さえもできず、言葉を失うようにその光景に呑まれると、穏やかな静けさが広がっていく。
……美しい景色だった。
「わぉ……これは、すごいな」
アズレアが青い瞳を輝かせて、周囲を見渡していく。
最中、古びた設備から漏れ出した化学物質の甘苦い残り香が触れた。テクノロジーが腐敗し、自然とともに消えゆく過程の香りだった。
いずれ乾き消える人格インクの向かう先でもあるだろう。
――だが、それが選んだ道だ。後悔はなかった。
否、むしろ誇りにさえ思える。いくらだって自慢できる。アズレアに、視聴者に、ヴェルディオに。
青い背を眺めながららしくもない感傷に浸って、グレンは自分自身を鼻で笑った。惚けているとまたすぐにナドゥルに怒られてしまうだろうから。
「アズレア、せっかくだから試して見ないか?」
「ふむ……?」
きょとんと首を傾げるアズレアに、カーボン製の釣り竿を手渡す。
「釣れるのかね? こういう場所って」
「いや、知らない。けどひょっとしたら大物が当たるかもしれないだろ?」
そう言ってぽちゃんと、釣り糸を落とした。いつの間にかアレキサンダー達も隣で水を覗き込みながら釣り餌を仕掛けている。
「釣れないと動画として困るぞー……?」
アズレアの囁きに、グレンは不敵な笑みを返した。
「……釣れるさ。【碧靂】にだって勝てたんだから。不可能はない。アズレアがいてくれるならな」
「うぇぅ……。よ、よくも恥ずかしげもなくそのようなことを正面切ってだなぁ! まぁ、そこまで豪語するならよい。試してみようか。ふふ……」
堂々と口にされた言葉を前に、恥ずかしさのあまりアズレアはうめき声を零したが、すぐに調子を取り戻して笑みを向け返した。
ぽちゃんと、水面に釣り糸を垂らす。危険な場所であることも、配信中であることも忘れてグレンの隣に並び座る。
無自覚に、こてんと。グレンの肩に頭を寄せた。青い髪がグレンの首元をくすぐる。
「……こんなふうに君の時間を使ってもよかったのかね?」
「いいんだよ。俺はアシスタントだからな。最後まで一緒にいさせてくれよ」
「それは我が君に言いたかった言葉だぞ。……アシスタントとしてはまだまだだな? だけど――」
言葉が途切れる。吐息が頰を掠める。
「そんな君が好きだと、我は思うのだよ。……グレン」
影が柔らかに重なり合った。
撮影ドローンは“なぜか”二人を映していなかったようで、コメントが酷く荒れ狂っていく。
見せろだの、もう一回やれだの、プレミアで公開しろだの。言いたい放題。
けっきょく、魚が一匹も釣れなかったことを気にしてる人なんて誰もいなくて――――。
……いや、アレキサンダーだけは少し残念がっていたかな。
まずはここまで読んでくださり本当にありがとうございます。15万文字と小説一冊分より分厚い文字数ですからね。本当にここまで読んでくださり感謝しかありません。
先の展開とか、伏線とか、色々考えているうちにパンクしそうになりましたがそのたびにブックマークや感想、レビュー。沢山のものが支えになりました。そうした力が青色を一層強く輝かせたとのだと思っています。
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