終わりを綴るために
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――そして、ゆっくりと目を開けた。
朧げな視界に映り込む空は朝でも夜でもない。昼でも、夕方でもない。……曖昧で色はなかった。
ただ見覚えのある荒野が広がっていた。エーテル電光管轄都市の外に広がる無秩序だ。
渇き漠々たる大地を遮るものはなく、荒涼としていて、照らす電光もなく、ただ自由が広がっていた。
「……なん、だ。ここ」
軋むような頭の痛みに顔を歪めながらグレンはぼやいた。
「たわけ。我のアシスタントでありながら何をボケっとしておる。ナドゥルのアホにエスコートさせたいのか?」
フフンと、誇らしげな笑みを浮かべてアズレアが手を差し伸ばしてくる。彼女そのものとも言える青色さえも曖昧で、白と黒とも言えないものが満たしている。
「グレンが疲れちゃったならボクがね。担いで走ってあげるのぽ」
ぼよんと存在を主張するアレキサンダー。後ろから尾を絡めてくるムギ。誰にも色彩は存在していなかった。
ただ、それでも眼の前の光景は眩くて、逃げる先に求めていたもので、グレンは息を呑み込んでアズレアの手を握った。
「ふん、見惚れて言葉も出んか?」
「そうかもな…………」
ニヘラァと蠱惑的な微笑み。それだけで心臓が止まりそうになる。容易く翻弄される自分を鼻で笑ってから、応えるようにアズレアの身体を抱きかかえる。ギィと、軋む球体関節。
アズレアは拒否することもなく背を預け、腕に寄り掛かりながらグレンを見上げた。
「ふむ、よろしい。しばらくこのままがいいなぁ? なにせ初めてこうして抱っこされたときは我の意識が飛んでおったからな」
……そうだ。【碧靂】から逃げていたはずだ。なのにどうしてここにいる? なぜこんなにも心地よい。
訳がわからなくなって立ち止まると。鋭い睥睨が向けられた。
「おい、見せつけた挙句にいちいち立ち止まるな。お前はいつまでもそうだな。すぐに立ち止まる」
ガチャリと対怪物武装を突き向けて、ナドゥルが嫌味をこぼしてくる。
「……俺じゃなきゃダメなんだろ?」
「やっぱりオレはお前が大嫌いだ。ぽっと出のくせに、嗚呼、頼むから早くインク切れしてくれ。お前の物語が終わればこの苦しみと憎悪は晴れるはずだ」
ぐちぐちと殺意と敵意を露わにしながらナドゥルは向き直った。
行く先に果ては見えない。だが、じめついた空気も海の臭いもしなくて、清々しさだけがそこにあった。
それで、――歩き出した。アズレアを抱えたまま。
「どこに向かうかは決まってるのか?」
「ふふ、決める余裕があったかと思うかね? だが行きたい場所は沢山あるぞ?」
グイと、腕に華奢な手が絡みつく。長い髪が肌をくすぐるから、少しこそばゆい。
「白い砂漠にはずっと夜の巨大な市場があるというし、我が故郷も見て欲しい、青い森はとても綺麗なんだ。花園が地平線まで伸びていてな。君は花畑を見たこともないだろう?」
砂塵舞う風の中を突っ切っていくなか、アズレアは夢を語るように楽しげに尋ねた。
「……モンターニュ社管轄都市はどうだ? 巨大なテーマパークがあるって聞いた。まぁ、……アズレアが一緒に居てくれれば俺はどこにでも行くさ。アシスタントだしな」
「当然だとも。君の想いに我はいくらでも応えよう」
……きっと全てを見て回るほどのインクは残っていないだろう。それでも考えるだけで満たされていく。涙で視界が霞んだ。
「……ッ、ヴェルディオ?」
風が吹きつけて、砂塵が晴れていくと自分と同じ姿をした男が立っていた。
青い髪が靡いていた。«第六視臣»の双眸に炎を灯し光輝させながらニヤリと、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「こんな風に話せる機会があるとは思わなかったな。小僧」
「……ああ、俺もそう思ってるよ。クソ野郎。俺なんかよりアズレアに言うことはねえのか?」
「そりゃあな。言いたかったことも、言いたいこともたくさんあるぜ? 悪い男に騙されるな、とかな」
相変わらず傲慢で嫌味な奴だった。グレンはふんと、鼻で笑いながら、抱っこしたままのアズレアを見せつけた。
「あるなら言えばいいだろ? まぁ気まずいか? 飯食いながらぐらいが気楽かもな。……あんたも一緒に来てくれよ。腐っても元色付きだし、頼もしいからな」
そう言ってグレンは前へ歩き出したが、ヴェルディオが着いてくる気配はなかった。
ただ黙したままグレンを見据えていた。
「……いつまでこうしているつもりなんだ?」
音が途絶えた。
「何が言いたい」
「……わかってんだろ。オレの身体はお前だ。こうして一緒に存在するはずがねえってことぐらい。オレはお前に継がれた青い炎の残滓でしかねえからな。」
真摯な瞳が向かい合う。
――息ができなくなりそうだった。
「ここはお前の夢のなかでしかねえんだよ。……わかってるだろ」
グレンは目を瞠った。涙が流れようとも、ヴェルディオは言葉を止めてくれはしなかった。
「お前がこうあって欲しいと願った物語の結末が作り出した夢だ。本物じゃない。綴られることなく描かれているに過ぎない。……分かっているだろ? わかっていただろう? でも、目を醒ませない。……続きを綴るのが怖いんだろう」
「……わかってないわけないだろう」
必死に声を振り絞った。吐く息は情けなく震えていく。
「けど、……ここは眩しくて、目が開けられないんだよ…………。この光景が、あり得ない未来が……目に焼き付いて俺を塗り潰す。ずっと、ここに、いたくなって――」
「終わりがあるから物語になるんだ。ここにいる限り、てめえが成した偉業は誰にも語られることはねえ。……てめえはてめえのことぐらい、書き終えられるはずだ。なんたって、インクなんだからな。…………冗談だろ、笑えよ。情けねえ」
「ッーー……」
言葉が突き刺すほど、脆い夢は崩れていった。ナドゥル達も、アレキサンダーも、アズレアも。夢のなかには見えなくなってしまって。
涙を流し立ち尽くした。
言葉が出てこない。嗚咽ばかりこみ上げてくる。
「なに泣いてやがる。全部無くなった気でいるのか? ……泣くなよ。グレン・ディオウルフ」
ヴェルディオは子供をあやすみたいにグレンを抱きしめた。背を擦った。
「お前の望む結末はなんだ? ……立ち止まるな。疾走れ。そこに向かえ」
彼の青い炎が、魂が。混ざり合っていく。
「心が何度挫けても、倒れて足がとまっても。何度でもオレ達が起こしてやる。背を押してやる。道を作ってやる。だから、オレ達を信じろ」
ヴェルディオの身体が青い炎となって消えていく。……否、魂のすべてを燃やして、身体を巡っていく。碧の血を青で塗り潰して、蒼く染めていく。
グレン・ディオウルフに色を与えていく。
「……ほら、空を見てみろよ。もうじき朝が来る。お前の向かう先に闇はねえ。照らす光は電光以外にもいくらだってあるんだ」
色のない空に薄明かりが差していた。藍と朱の混ざった遠い空がクッキリと、視界に映し出されていく。ヴェルディオの身体が透けていく。
「バカ野郎が、あんたは――!」
「……悪いが、てめえがオレの言いたかったことを伝えてくれよ。年頃の娘に話しかけるってのはぁ……バカな父親には難しいからよ。――頼んだぜ」
抱擁は消えた。語りかけていた声は途絶える。
ただ胸の内側を熱く、熱く灯していて。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
目を醒まさなければならないから。
力強く叫んだんだ。
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