霹靂
……技と経験はヴェルディオに劣っている。
身体を巡る碧血の電圧が【碧靂】を勝ることはない。
能力は全て劣り、駆け引きにさえならない。
単純な戦力数ですら勝ち目がないどころか、アズレアは碧雷によって機体がシャットダウンして動けない。
頼りの綱は自分よりも弱い新人暗殺者とネットストーカー、それにずっと敵だった【剣威】。あとは……アレキサンダー。
諦めるか? ――あり得ない。ヴェルディオが戦ったときよりも仲間が多いなら可能性はあるだろう?
自分にそうやって言い聞かせて、……口角が吊り上がる。バカげている。本気でそんな風に思えるのか?
「ハハ……!! こんなことできるのは俺だけだな……!」
グレンは笑うしかできなかった。
むき出しになる牙がとっくに果てた息を噛み締める。爛々と光輝する双眸は永く異界道具としての力を行使し続け、頭を苦痛で軋ませる。
(ッチ、気でも狂ったか? ……いや、やることはやってるな)
ヴェルディオが呆れるようにぼやいていた。
(当たり前だ……! 俺は、お前とは違う……アズレアを置いて行ったりしない…………。絶対に――)
全てにおいて勝ち目なんてなかったのに。逃げ道なんてなかったのに。
グレンにはまだ意志だけが残されていた。
青く、青く、青く。ただ生きているだけだった自分を気づけば染め上げていた色で黒い夜闇と碧の灯りを塗り潰す。
「アズレア……」
理由も分からないまま最初は巻き込まれただけだった。彼女は会ったときから優しくしてくれる一方で、グレンを通して違う誰かをずっと見ていた。
「――いつまで、寝てる。またアレキサンダーが……バカしちまうだろうが……!」
いつからアズレアはグレン・ディオウルフを見てくれるようになったのだろう。青い眼差しがジっと見つめてくれるようになったのだろう。
とんだ悪女に心を奪われ、色付いてしまったことに責任を取らせたくて、苦痛を堪える。きっとアズレアは何だってしてくれるはずだ。
相応の無理難題を押し付け、こんな場面で眠りこけてくれているんだから。
(そうだな。間違いねえ。オレが知ってるあいつより、ずっとマセてやがったからな)
(……だろ? そのときが――来ても、お前は覗くなよ……。クソ野郎……)
そんな醜い欲望と彼女を救いたいなんて大層なエゴ、そして自我を綴る人格インクに彼女のことを書き連ねたいなんて願望が異界道具を行使する力になり続ける。
果てのない意志がどんな苦痛をも堪え身体を突き動かす力へと昇華され続ける。貫く弾丸に意識を手放すことなく疾駆する。
同時、アズレアの全身を巡った碧雷を塗り潰すために彼女の真似事を試みた。心臓を灯す青い炎で彼女に誓約を刻む。
『アズレア・ファリナセナは忠実なアシスタントにはつねに褒美を用意しなければならない』
馬鹿げた構文だ。もはやそれを強制するだけの力を込めることはできなかった。ただの、願望でしかない。
「……グ、レン」
それでも掠れ、ノイズ掛かった声が響いた。小さな手が頬を撫でる。そしてすぐに我に帰るように、青く透き通った瞳が見開いた。
「こんな、無茶をさせてすまないと思っている……。アシスタントとして手伝って欲しいなんて。酷いお願いをしたとき、君が、着いてきてくれると分かっていたんだ」
「知ってるよ。最初から最期まで色に振り回せれて、染められて、散々さ。……せめてアシスタントとして給料ぐらいは、生きて受け取らなきゃタダ働きになるだろ…………」
迸る雷撃を無視して走り続けた。
喉が渇く。舌が干上がる。
熱帯夜のじめついた空気を蒼で斬り裂いて驀進していく。
風切り音を超えて、思い切り地を蹴って、前を遮るものは空気抵抗さえも切断して貫き進む。
遮る敵を斬って、貫いて、斬って、斬って、斬って。走り続けたその末に。
「……無視だなんて悲しいなぁ」
なんてことのないようなぼやきが耳元を撫でる。
――――希望を打ち砕くように雷鳴が全てを劈いた。
視界が明滅し、空白が広がる。
全ての音が止まった。時間が止まったかのようだった。銃声は途絶え、藻掻き逃げる靴音は消え失せ、決死の咆哮は霹靂によって塗り潰される。
ずっと、ずっと離さずにいたアズレアの身体が宙に放り出された。
少女は激しく地面に転がりながら瞳を細める。
自分自身を呪いながら、震える青い双眸が眩く煌く碧を映し出す。
【碧靂】の雷撃がグレンの身体を深く貫いていた。
飛散したエーテルの血が粒子となって宙を漂っていく。蛍のように周囲をおぼろげに照らして、消えていく。
至高の便利屋は、血を分けたお人形の頭を鷲掴み、吊し上げた。
「が…………ぁ、…………ッーーー……」
襤褸同然の心身から零れ落ちていく声の断片。アズレアを抱え駆けていた足は地にさえも着かず、頼りなく揺れるだけだった。
「君の身体はワタシが手に入れたものなんだ。君の心はワタシが造ったものなんだ。……逃げないでよ。次のために参考にしたいんだ。君の物語をワタシだけが読みたいんだぁ……」
美しい碧の眼差しが力尽きた少年を見据える。浮かぶ満面の笑みに喜びはない。ただ歴然とした力の差を見せつけ、当然の結末を前にした失笑だった。




