攻勢
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地上に出ると雨が降り始めていた。……運は良いほうだろう。
これから散々、身体を這うことになる雷撃が水を伝い、僅かにでも体内を貫く量は減ってくれるだろうから。
憂いげに空を見上げると、灰の雨が雷光を反射して瞬いていた。打ち付けるう水滴が地面に沈んだ潮と汚泥の臭いを舞い上げて鼻につく。
街中を巡る水路が酷く波打っている。相当海は荒れているらしい。……運は良いほうだろう。
黒い海の侵食が発生していれば、深海から這い上がる化け物共の処理に、少なくない数の発光生物や便利屋が処理に向かうだろうから。
「ずっとこの街にいたけど、本社に行く以外で一等区に向かう要件ができるとは思ってもいなかったな」
三等区画から二等区画へ。厳格に造られた壁門を飛び越えながらグレンはぼやいた。踏み込む地面、水たまりが勢いよく飛沫をあげていく。
「我もだ。君とこんな風に逃避行をするとは思ってもいなかったな。とんだ冒険談になると思わないかね? おかげで配信はトレンド入りさ。顔も知らぬ沢山の者が君を妬み、応援し、死ねといい、生きろと言っている」
«蒼輝刀»で空気抵抗を切り裂いて高く跳び、鬱蒼とした路地と水路を上方から強引に横断していく。
「死にたくないな。だって逃げ切ればおやすみの時に色付きの便利屋が、それもアズレアがキスしてくれるんだぞ」
そんなことを口にすると視界の奥へと通り過ぎていくコメントに惚気だなんだのと大量に書かれているのが見えた。そうだ。惚気けて何が悪い。
彼女の手を離さないようにすることの何が悪い。俺を作り出しておきながら何も教えず、飼うだけだった碧色に抗うことの何が悪い。
青い光を奔らせ、碧の雷光を散らし、蒼い軌道を描いて直進し続けていく。行く手を塞ぐケーブルを切り裂くと周辺の電光が途絶え暗闇が広がった。
「ふん……。恥ずかしい言葉をよくもこう……」
少しでも疾く、疾く走り抜けるために鉄条網を裂いて直進し、室外機を足場にして摩天楼の壁面を強引に跳んで駆ける。
異変に気づくように何も知らない街の人間がこちらを見上げた。ほぼ同時、視界が玉虫色に歪み眩む。意識を保てたのは«青き番犬の禁章»のおかげだった。
『グレン・ディオウルフは寝る前に御主人たるアズレア・ファリナセナへキスをしなければならない』
誓約が行使され、胸を灯す青い炎。グレンは険しく睥睨し、宙を漂い追跡し始めた月光腸へ無造作に距離を詰め、切り裂いた。
斬撃が青く鋭い円弧を描いて、斬りつけるほど消滅していく空気抵抗。飛び散るエーテルの血をグレンは正面から浴びて、身体を焼く雷光を深く息を吸ううと共に飲み込んでいく。
――邪魔をするな。
グレンはつぶやき、激情を駆り立てた。異界道具を行使し続けるために感情をくべていく。想いをくべていく。
知覚はとっくに限界まで研ぎ澄まされていた。«第六視臣»によって広がる視界から全ての感覚を瞬時に理解し、進むべき最短経路を突き詰める。足の運びは際限なく加速し続ける。
瞬間、嫌な予感が電流となって背を奔った。グレンは咄嗟にビルの窓、僅かな縁を掴み急停止してみせる。直後、無骨なアンカーが壁面を貫き穿いた。
衝撃は凄まじく、破片が飛び散り数発が身体を抉り突き刺さる。強い衝撃が突き抜けたが問題はない。即座にバランスを取り直していると、ワイヤーを巻き上げる強烈な摩擦音を響かせて無骨な有人機体が肉薄してくる。
黒い海にも対応した電解異鋼の重装甲に刻まれた錨と銛のロゴマーク。仕掛けてきたのはラマファ調汀協会の二級機体だ。
ビル越しに伝うジェネレーターの振動。ガチャリと音を響かせる照準動作。鯨を射殺すための鋭く巨大な銛が向けられる。
「邪魔をするな!!」
軌道を視て先んじて距離を詰めた。背後で轟く着弾音。鋭い穂先についた成形炸薬が爆ぜるなか、無造作に«蒼輝刀»を振り被る。搭乗者の頭部ごと空間を斬り飛ばし、一機目。
立て続けに迫る二機、三機を覆う青い炎。数多の斬閃を前に重厚な装甲など無意味で、容易く切り裂いて爆散していく。
遅れて、重々しい打撃音が鳴り響いた。弾丸のごとく迫る巨躯が更に迫る敵機を押しのけ、制御を失わせていく。
「ボクも戦士のぽ!」
無邪気な声と共に眼下で爆炎が広がっていく。
(油断するんじゃねえ。まだ来るぜ)
ヴェルディオの警鐘にグレンはすぐに我に帰り深く頷いた。
毒々しいネオンライトの看板を蹴ってさらに上方へ。僅かな電磁波を感じ取って、誰もいない場所へ切っ先を振り向ける。
「導け。«蒼輝刀»」
――引き金を唱え振り下ろした。
青い光芒となって放たれた斬撃が、不可視になっていたローレンティーニャ送電監査を切り裂いて仕留める。
「キリがないな……!」
追っ手を振り払おうと、ビルの壁面を駆け上るのをやめた。一発の発砲。窓ガラスが花火のごとく砕け散るなかに飛び込んで、金持ち共の住む高層マンションへ踏み入れる。回廊を駆け出して、すぐに首筋を殺意が撫でて、即座にグレンはその場から飛び退いた。
ほぼ同時、眼前にしなるワイヤー。豪奢なタイルを砕き斬る両刃剣。
「来ると思っていた!! 色付き様と、青臭えガキ!!」
険しく向かう睥睨。軋む牙。荒々しい炎のように揺れる狼の尾。最初から最後までリード協会とは縁があるらしい。




