青碧の残像
「ロレンティーニャか……。フロスベルフが揃っていなかったら目視もできん奴らだな。まぁ……動揺すればそこまでだがな!」
一人が死んだことによって生じた息の乱れを捉えると、アズレアは見えない敵を前に双刃を構え、牙を剥いて急迫した。華奢な脚が地を踏み砕き、跳ね上がる青い飛沫。
「なにがおきてるのぽ?」
「動画映えしなそうですね……はは。なにがわかるんです?」
アレキサンダーとムギが慄くようにぼやいた。
そこに何かがいることだけは理解できたのだろう。
怪訝ながらもムギは両刃剣を構えたが。普通は見えない敵に目視もできないまま斬りかかるなんて出来っこない。いくら警戒を巡らせようとも踏み込むことはできなかった。険しい表情のまま尾が硬直していく。
「我はもう――貴様らごときで手間取る小娘ではないぞ!」
反して、アズレアは赤らんだ頬で口角を釣り上げた。露わになった牙。見開いた青い眼。撮影ドローンが狂暴な笑みを映し出す。
青く光輝する斬撃の残像。鎌とナイフが激突し爆ぜる火花。金属音が劈いた。振るわれた鎌の斬円を打ち流し、数瞬の間もなく長い間合いに潜り込んで敵を刺し貫く。
飛散するエーテルの血。一層強く輝く青色。
青く長い髪を乱しながら、海風で腐食した壁を蹴り駆け跳んだ。華奢な体躯からは考えられないほどの加速による連続跳躍。不可視の弾丸を全て避け切るとさらに一人、双刃で斬り裂き仕留める。
「我はグレンに随分と重いものを押し付けたのかもしれん。おかげで身体が軽くなった。本調子ってやつが少しは戻ってきた気がする。……我はもう落ち込んで俯きはしない。グレン、君が見ているからな? ……どうかね? 全盛に戻りつつある青色の姿は?」
誇らしげで、尊大で、どこか飄々とした様子でアズレアは微笑んだ。
フンと小さくなる鼻息。誇らしげにグレンに視線を向けたとき、青碧の残像が惨烈に人体を寸断して、三人目を仕留め終えていた。
「……野次馬の盗み見野郎を全員ぶっ殺し終えたらいくらでも感想言ってやる」
(あーあーあー! 格好つけやがってよ。オレの身体なんだからそんぐらいできてくれなきゃ困る。そもそもエーテルの血なんかなくたってオレは強い。特別だからな。泣き虫のお前とは違う)
刃を引き抜いたとき、頭のなかで憎たらしい声がグレンを嘲った。ただでさえ馬鹿にしてくるうえに、こいつがいなければローレンティーニャに気づくこともできなかったのだから余計に腹立たしい。
(そうかよタコ嫌い。あいにく俺は泣き虫だからアズレアとは気が合うんだ。それに軟体動物ぐらい俺一人で相手にできる。アズレアに斬ってもらっていたお前とは違う)
«蒼輝刀»が描く青い斬撃が鍔迫り合おうとした鎌刃ごと両断し、肩から腰部まで深く撫で下ろす。エーテルの血飛沫さえも消し去って、碧を青で塗り潰していく。……四人目。
ローレンティーニャの便利屋を相手に圧倒していく姿を前に、アズレアは愕然として目を瞠った。
凶暴さで研ぎ澄まされた青色と宿敵と同じ碧の雷撃が混ざり合って、グレンを塗り潰していくようにさえ思えた。
胸を撫でる懐かしさと、込み上げる不安で息が詰まりそうになる。
…………色んなことが起きていたから、涙脆くなっているようだった。機械の身体にしたはいいが性能がいささか良すぎたらしい。目頭が熱くなった。
「グレン……大丈夫なんだろうな? 無理をするな。異界道具を行使し続ければ感情は燃え尽きるぞ。想いが燃料だからな」
「嗚呼、大丈夫だ。信じてくれていい。俺はもう、お前のことを置いていかない。叶う限りはずっと手を握っていたいくらいなんだ。“俺だけ”がな」
頭のなかに響くノイズを牽制するみたいに念押しすると、«第六視臣»が青炎を灯し揺らし残光の尾を曳いた。
(……はぁ、チビはチビのままだな。泣き虫も治っちゃいねえ。これじゃいい女には遠いぜ)
(……見る目がないな。アズレアがいい女から遠い? ……あり得ないな)
脳裏に響く色付きだった男の声に軽蔑を吐き捨てながら、振るわれる無数の斬撃を全て潜り避ける。放たれる弾丸を剣戟で切り裂いてみせる。そして、距離を詰めた。
(オレを卑下するのはいいが、そのアズレアちゃんを育てたのは見る目がない最強の男だぜ? ……あいつには最強で最高の女になってもらわなきゃ困る。誰も塗り潰せない透き通った青色になってもらわなきゃな。……まぁ今の泣き虫状態でもお前には贅沢過ぎるな。お前が足りてねえ)
『0111。11。11。1101。0111。11。1101。0001。01001』
信号の明滅を繰り返し放たれる雷撃。
(……足りてないことぐらいは――そんなことぐらいは――――わかってんだよ!!)
グレンは構わず雷の濁流に浴びて、呑まれ、そしてかき分けると、加速と共に刀身を振るい薙いだ。
轟く雷鳴と迸るエーテルの蛍光。青い雷斬の海がローレンティーニャの雷撃ごと全てを呑み込んで、焼き斬った。……五人目。
最後の一人がその間に撤退しようとするのを、アズレアが先回りして喉首を斬り裂いた。
黒い海に侵蝕されたスラムの路傍に、夥しい量のエーテルの血が流れ広がっていく。数分にも満たない交戦の後に残ったのは不気味なまでの静謐のなか響く波音だけだった。
「これで全員だな。……もう瞳はいない。しばらくは時間を稼げるはずだ」
ゆっくりと«蒼輝刀»を収めると、青い眼差しがじとりと顔を覗き込んだ。
アズレアはグレンの前でそわそわと、妙に緊張しながら悠然とした態度を取り繕って、言葉を待つように物言いたげな双眸が向かう。
気圧されるようにグレンは顔を逸らした。
「……嗚呼、ええと。ドキっとした。アズレアがどんな形でも笑ってくれてるのは嬉しいし。それに、俺が見てるからって言ってくれただろ。……それが、ドキっとした…………」
言い終えると、互いに視線は噛み合わなくなった。ギィと。人形の身体がきしむ音が耳に残った。
ムギがおえーっと、犬みたいに舌を出して大袈裟な態度で茶化して、それから一人で勝手に落ち込んでいく。
アレキサンダーは状況はまるで分かっていないようだったが、そのムチムチとした手でムギの背を撫でて励ましていた。
(青臭えし、もどかしいし、かわいそうだろ? オレだったら両方を選ぶけどなぁおい。まぁ、どっちもオレに釣り合うには程遠いがな)
身勝手な声がやかましく適当なことをほざいてくるなか、アズレアは安堵するように胸を撫で下ろした。
「……グレンは、グレンだな。……よかった」
ぐしぐしと涙を拭って、アズレアはぎゅっと手を握った。
「嗚呼、俺は俺だ。……問題はない」
グレンはすぐにアズレアの手を握り返しながらそう言い切った。
「宇宙アメーバ一匹を倒すのもギリギリだったときと比べたら随分、その……強くなったと思ってな。それで少し、少し不安になってしまったんだ」
(フッ……! ハハハ!! 宇宙アメーバ一匹ぃ! ヒーーー! ハハハ…………)
しゅんとした態度のアズレアを賑やかそうと、ついでにグレンを心底馬鹿にしようと、ヴェルディオ・レルフは大袈裟に笑い声を響かせた。
けれど聞こえているのはグレンだけで、笑い飛ばすのが無意味であるのを思い出すように、声はだんだんと沈んでいった。
「……大丈夫だって言われてな。未だに少し怖くなってしまった。そう言って死んだ馬鹿野郎がいたからな。……グレン、君はそうならないでくれよ?」
「(嗚呼、そんな馬鹿野郎。反面教師にしてやるよ)」
グレンは二人に向けて豪語した。
同時、青い炎が双眸を、胸の奥を、メラメラと燃やし灯していく。
頭の中に居座った馬鹿野郎は黙りっぱなしになったが。彼なりに応えているように思えた。
「……それと、と、とにかく何か悩み事があれば次は雌犬ではなく我が胸を借りるように」
じめついた視線を向けながらアズレアは釘を刺すと、むぎゅりと一度グレンの顔を自分の胸に押し付け抱きついて。伝う柔らかな熱と機の拍動。
宥められるみたいにグレンは少し肩の力を抜いた。無自覚な焦りが消えていく。
――数秒。アズレアは何事もなかったかのようにすっと離れると、手を握ったまま逃げるための道を走り始めた。
ヴェルディオレルフの回におまけと、挿絵を追加しました。




