ヴェルディオ・レルフ
「ッ……」
ズキンと、不意に頭が軋み痛んだ。
(はっ、ガキのくせに女二人連れ、それもオレの大事な【青契】までたらし込んでいいご身分じゃあねえか?)
麻痺する聴覚の奥で粗暴な声が響く。訳もわからずにグレンは辺りを見渡したが、他の誰にも聞こえている様子はなかった。
周囲にあるのは夜の闇とぼんやりと宙を漂う碧の蛍光、磯臭さだけだ。
足元を見たって錆びた鎖や魚の死骸、それに砂利しかない。
(けど青色の隣に立つにゃあ、まだ箔が足りねえな。吹けば吹き飛んじまいそうだぜ。てめえ)
「……アズレア、変な声が聞こえなかったか?」
「ふぅむ……? 我は幽霊では驚かないタイプだぞ。見たことあるし。あれの正体は大抵が異界の力や異界道具に結びついたものでな。……無事に脱出できたら詳しく教えてやろう」
陰鬱さと暗がりを誤魔化すみたいにアズレアはニヤリと笑みを浮かべて、青い眼差しを煌めかせた。
「おばけこわいのぽ……」
震える無垢な声。ムギが沈黙したままアレキサンダーの巨躯を撫で宥めていく。
――誰も聞こえていない。
グレンは心当たりを撫でるように胸に手を置いた。指の隙間から青い炎が溢れていく。
(おい。……バカにするだけバカにしてだんまりか?)
心のなかで罵ってみたが返事はなかった。言葉が途切れて静謐を波が満たす。
ミナマタ港湾のコンテナ群を横切り、碧光照らす方へと向かっていく。
街へ向かうほど闇は消え、人だかりが増えていった。指名手配されていてもおかしくないが、少なくとも都市のすべての人間が敵対しているわけではないらしい。
「逃げているはずなのに戻ってきましたね……」
散歩をした場所と似ていたからだろう。ムギは自分の首を撫でながらぼやいた。
廃材と錆びたコンクリートで造られ重なり合う有象無象の建造物が目についていく。
「区域が同じだけで俺の住んでた場所とは真逆だ。一応は……進んでる」
黒い海に沈んだ道路を横断する廃材の橋を渡った。鼻につく食事の匂い、磯臭さ、ドブの悪臭。なにもかもが混ざり合って慣れ親しんだ不快感が体を満たしていく。
得体の知れない物を売り買いし、カゴを椅子代わりにする酔っ払い共を見ていると僅かな安堵が込み上げてきた。
最初からずっと現実でしかないのに、現実に戻った気がして力が抜けそうになる。
このまま何事もなくアパルトメントに戻って……朝早くからアズレアとどこかの企業廃墟に行けてしまいそうな……願望だ。錯覚だ。
咄嗟に牙を軋ませた。
――戻る場所はもうない。
(おいおい! 辛気臭ぇーなー! アヴァンチュールな男女が駆け落ちした初夜だぜ? そこの雌犬もお前を慕ってるんだから堂々と胸でも揉めばいいじゃねーか。両手に花ってやつさ。そのほうが金も入るし、やれることも増えるってんだ。どうせ長生きもできねーだろ?)
グイと勝手に腕が伸びた。咄嗟にもう片方の手で押さえ込んだが、むにゅりと、指が柔らかな感触を撫でていく。瞬間、射殺すような視線とジトリと湿度を帯びた視線が突き刺した。
「……グレン? な、なにをしているのかね? 突然人肌が恋しくなるにしても、なぜ……そこの雌犬に?」
「へへ、うへ……。さすがは……御主人様です。不意をついたサービスシーンを見せることで、視聴者に……ずっと飽きさせないようにしたんですね……? 必要であれば、このスーツのボタンも……どうぞ外してください」
引き攣るアズレアと蕩けるような笑みを浮かべるムギ。グイと自らの体を差し出してくるからグレンは咄嗟に身を引いた。
「いや、悪い……考え事してた」
嘘をついた。正直に胸のうちの正体を明かすことができなかった。
ぼふんと絡みつく狼の尾に対抗するみたいに、アズレアがぎゅっと腕にしがみついてくる。悪い気はしないがそんな状況ではない。全てに対する侮辱だった。
(下世話なことをするな。お前は……誰なんだよ)
グレンは頭を抱えた。食い込む指。皮膚を刺す爪からエーテルの血が滲む。答えはわかっていたが確信が欲しかった。
(わからねーか? オレだよオレ)
答え合わせみたいに«第六視臣»が光輝した。青、体のなかを疼く青色。――声の主はヴェルディオ・レルフだ。アズレアより前に青色の便利屋だったもの。この身体の生前の――持ち主。
湧き上がったのは憧憬でもなんでもない。嫉妬でもない。やるせない苛立ちだった。共鳴するように身体から青い炎がこみ上げてくる。
(なんでアズレアに何も言ってやらなかったんだ。どうしてあいつに、その偉ぶった態度で出てきてやんなかったんだ……!? アズレアがッ! どんな想いでここまで――)
(お前にしか声は聞こえねーよ。言われただろ? 魂は結びつきがないといけねえ。アズレアちゃんがあの機械の身体で平気でいられるのが異常なんだよ。死んでるんだからな。これだって奇跡みたいな状態だ。っと、無駄話してていいのか? 見えるだろ? オレの力がお前にはある。お前ならもう――目は使いこなせる)
«第六視臣»が見えないものを目視させていく。暗闇だった場所に映し出される緑の雷光。彼らが握る機械仕掛けの鎌と銃器は信号機のごとくチカチカと点滅を繰り返していた。
黒い鹿追帽に長い裾のインバネスコートの奴と分厚い防電着に暗視スコープの連中。
どちらも電気鮫のロゴマークが着いていた。ローレンティーニャ送電監査局と電探監査局の連中だ。
「都市の瞳……」
襲撃は任務ではないらしい。彼らは姿を隠した状態でこちらの情報をずっと送っているようだった。
(オレなら問題ねえな。特別だから。んで、お前は? あいつらに触れると痺れるぜ?)
グレンは応答を返さなかった。ただ深く敵を睥睨し、«蒼輝刀»を構えた。
刀身が触れる空気を消し続けて周囲が歪んでいく。絶えることのない感情の濁流を飲み干そうとする切っ先を。
「導け。«蒼輝刀»」
――引き金を唱え振り下ろす。
斬撃が切り裂く間合いは刀身を超え、青い光芒となって軌跡の尾を曳いた。遠く離れていた敵一人を問答無用で寸断していく。
エーテルの血だけが鮮やかな碧色で周囲を照らし染めて、アズレア達も気配と存在に勘づいた。
『00110。0100。10101。0100。11。10。0100。11。01011。』
状況報告を伴う信号灯の明滅。敵は瞳でいることをやめると鋭利な鎌の切っ先を、鈍色の銃口を突き向ける。
ロレンティーニャ送電監査
エーテル電光の下部組織にあたり、全ての所属職員が電気から情報を読み取る生体改造を受けることで成立している送電監査課。その職務内容は電気の用途調査だ。都市の定める法に逆らう者は少なくない。しかしそうした犯罪は人間が関わる限り電気を切って離せることはない。
電気に残る来歴を探り、状況に応じて処理を行う都市の感覚器である。生体電気を探り獲物を求める様を名付けるにはお似合いだろう。
ロレンティーニャ送電監査のアクティヴを3つ以上装備時、差し込みスキルが使用されるたびに電気カウンターを1つ得る。あなたが使用しても発動する。また、対象が異界道具設置物を破壊した際に電気カウンターを1つ得る。




