アレキサンダー
『掃射!』
淡々とした掛け声と共に無数の銃声が轟き重なる。物体的な弾丸を用いたものではない。対怪物用に特化したエネルギーそのものの放出だ。
物理的な衝撃では絶対に死ぬことはない«エーテルクラゲの電灯»や«月光腸»も、彼らの放つ排熱砲を前に消し飛ばされていく。
『走れ! 我々は君をずっと見ていた。憎いぐらいだが、命知らずだけがこの作戦に呼び出されたものでな』
「チャンスのぽ! ボクらは逃げるのぽ!」
今しか機会はなかった。グレンは躊躇うことなくアズレアの手を握ると、彼らが作り出した直線的な逃走経路を全力で駆け抜けた。
飄々としていた【碧靂】の表情が歪んだ。飛び散ったエーテルの返り血を舐めて、首を傾げる。
「嗚呼。グレンの気持ちならまだ予想がつくけれど――君たちは色付きに敵対する意味を理解してい――――」
白い閃光が返答代わりに眉間を撃ち貫いた。飛び散る血しぶき。立て続けに二発、三発と。熱が肉体を貫くたびに翡翠に煌めくエーテルが飛沫をあげていく。
【碧靂】が人間であれば、即死していただろう。だが彼女は倒れることはおろか、怯む様子すらない。ヘラヘラと笑みを浮かべるだけの怪物だった。
「うーん、ワタシはとても優しいほうだね? まだ君たちが生き残る方法を残してあげてるんだから。簡単だよ? 銃を下ろすだけでいい。愚にもつかない衝動は後悔することになる」
『我々はただ生きるために生きているわけではない。コードウォーカーは怪物から市民を守るための組織である。怪物を射殺すための組織である。もとより便利屋はどう生きるかではないだろう。どう死んだかが語り継がれる。……幸い、このチームは全員モテない』
グレンは苦渋するように歯を軋ませた。背後を照らす白い輝きと雷鳴の碧が激突して、都市を照らす色に呑まれていく。
「っー! んンッぐ……! クソ…………。バカかよ。クソ……が……!」
敵うはずがない。彼らはわかりきっていたはずだ。だというのに、彼らは愚行をやめようとはしなかった。
グレンは自責を飲み込んだ。頬が引き攣っていくのを堪えるみたいに悪態をつきながら、アズレアの手を必死になって引いていく。
「グレンが、思い詰めることではない。全ては我の力不足だ」
アズレアは決然としていた。色付きにまで登りつめた便利屋である以上、人が死ぬことに慣れているのは必然的なんだろう。
――だから、自分を殺そうとしたやつすら殺せない俺を気遣ってくれていた。許せない。情けない。この肉体のもともとのやつなら、きっとこんなことは言わせなかったはずだ。
「そんなことを言わせてること自体が許せないんだよ……! ックソ、絶対に逃げ切るからな。じゃないとあいつらに顔向けできねえし、ナドゥルのやつが何言うかわかったもんじゃねえし、情けねえし……!」
どうしようもない劣等感さえも異界道具は燃やしていった。«第六視臣»が視続ける行き先。«蒼輝刀»が切り裂くジメついた気化エーテルの湿気。
「あの人達は後悔なんてしてないのぽ。好きなようにやって、やりきったのぽ」
「…………っ」
重なり続けていた銃声はだんだんと断続的に反響するだけになった。顔も知らないコードウォーカーが死んでいく様を見ることはできない。
ただ背を突き刺す音と閃光だけが、【碧靂】を敵にした者の末路を知らせてくる。
排熱砲の甲高い銃声をかき消す霹靂。重く轟く反響が身体を揺らす。発光生物達を消し飛ばしていた白く眩い輝きを塗り潰す雷の濁流。
走る先までもを照らし、碧一色に視界を突き刺してくる。同時、斬撃がすぐ隣の壁面を切り裂いた。カツン、カツンと。響く靴音。
長い銀の髪を揺らして、«別ち刃»の鈍色の刀身が煌めく。
「だから、言ったんだ。私達は道具でいればいい。そうすればあんな犠牲を支払うこともなかった」
【剣威】が再び立ち塞がる。振るわれた斬撃をアズレアは即座に受け止めいなし、彼女の身体を蹴り飛ばしたが。
「嗚呼、楽しかったよ。新しい肉体も沢山手に入ったし。……それで、次は誰を犠牲にするんだい? アズレア、グレン」
乾いた拍手をわざとらしく響かせて、【碧靂】が追いついた。
瞳が映し出していた道が――途絶える。
「…………」
グレンは沈黙した。
このまま戦ったところで勝ち目はない。逃げるしかない。……最良が不可能ならば最善の選択をするしかない。
そんな考えが過って、立ち止まりかけたとき、アズレアの蒼白とした表情が、見開いた双眸が向かう。そして、ぼよんと。巨躯が戒めるみたいに身体を前へ突き飛ばした。
「グレンは……とまっちゃだめだよ。一緒に逃げようって、女の子の手を引っ張ったんだから、好きなようにしなきゃだめのぽ。好きなようにすることを押し付け合わなきゃ、この世界じゃ呑み込まれて食べられちゃうのぽ」
アレキサンダーは緊張感のない足音を響かせて、怪物の行く手を阻んだ。
「エイン、待って……やめてくれ」
グレンは青ざめ、息までも引き攣らせた。アズレアもまた、アレキサンダーの行動を予測していなかったように目を見開いて強張る。
どうしようもなく足が止まりそうになる。
「そうかそうか。次はそのへんちくりんを犠牲にするのかい?」
「犠牲なんて心外のぽね。ボクもみんなも好きなようにしてるだけのぽ。だからね、グレン。走って! 大丈ー夫のぽ! ボクはこう見えても強いのぽ。電気なんてへっちゃらだから、二人のこと、守ってあげられるのぽ!!」
アレキサンダーが【碧靂】の間に割って入ると身体を包み込む痺れが消えた。奇っ怪な肉体が電気の流れを拒んで【碧靂】の力を遮断してみせる。
「奔るのぽ! ボクはね。グレンにしあわせになってほしいのぽ! 悔やんで欲しくないのぽ!!」
奔れと。後悔をするなと。
優しい声が無慈悲に背中を押してくる。
「ほんのちっちゃなことがね。たくさんあったんだ。アチアチの砂漠を歩いたり、お出汁のジュース買ってくれたことも。窓でボクの身体が詰まったときに押し込んでくれたときとかも!」
ぼよん。ぼよんと。ふざけた音が笑えない。
「ただ生きてるだけじゃね。わからないことだったのぽ。だからね、だからね。ボクはグレンが、インクで出来てたとしてもね。ボクとのたーいせつな思い出が綴られたグレンにはね。幸せになってほしいから――奔るのぽ!! とまっちゃだめのぽ!!」
「ッーー……!! ッーー!」
視界が熱で滲むなか、グレンは俯いた。
アズレアの手を強く握り、再び走り出す。焦燥に呑まれながら、もがくみたいに不格好に。
「グレン、まって。待ってくれ……! 我は――!」
「ダメだ。ダメだダメだダメだ!! 今は待てない!! 無駄にできないんだよ……!」
疾く、疾く。疾く!
追いつかれないように。振り向くことさえできないまま一心不乱に疾駆した。振り下ろした足で地面を後ろに蹴り飛ばす。
乾いた喉。干上がった舌。反して滲み流れる無力さが頬を濡らす。ぶざまに張り裂けそうな鼓動。もう、足掻くことしかできなかった。間違っても止まることなんて出来なくなった。
先にアレキサンダーが望んだものがあるかもわからないのに。敵に背を向けて走るしかなかった。唯一できた友達に背中を預けてしまったから。
「ごめん……。ごめん……ッ、アズレア……今は、とまれないんだ。とまっちゃ、だめなんだ……! 絶対に、逃げ切らなきゃ――……ッ!」
アズレアは息を乱すことはなかったが。
ぎゅっと強く手を握り返した。痛いぐらいに指が震えていた。




