関わるな
「……血でなにかわかるのか?」
「わかるさ。グレンが身体の使い方を思い出したこと」
指が胴を沿って撫でる。指先、走る微弱な電流。……痛みはない。むしろ疲労が解けて、緊張が強引に抜けていく。
「あの女が、オリジナルとグレンを混同して無茶苦茶をしようとしてることもさ。可哀想だよ。グレンはグレンなのに。あなたは一人しかいないのに」
ピアノを奏でるように電流がバチバチと音を響かせた。跳ねる指、肌の奥を知覚だけが突き抜けて、碧色が身体を流れていく。
「…………ッ、普通に連絡してほしかった」
「うーん、だってああやって主張しとかないと青色ごときが勘違いしちゃうだろう? それよりさ。名前を呼んでよ。それとも【碧靂】だと知ったら嫌いになっちゃったの? だとしたら……寂しいなぁ」
「エイン……。別に嫌いになったわけじゃない。けど、隠し事をしてたのはそっちだ。どうして色付きだと言ってくれなかった?」
与えられた色と同じ瞳がじっと顔を覗き込む。気圧されるようにグレンが距離を取ろうとすると、満面の笑みを向けられた。
「ほぉら……。怖がっちゃうじゃん。前は会えて嬉しそうにしてくれてたのに。今は別人みたい。――ワタシのことをとても警戒してる。今この状態が証明してるよね?」
「それはエインが【碧靂】なのとは関係ない」
「そんな顔を青ざめさせないでよ。妬いちゃうじゃないか。そんなに青色のことが心配? それとも、碧と青色の板挟みになることが不安かな? ふっ……大半の便利屋なら泣いちゃうだろうね。喜びで。だってぇ、モテモテじゃん? ヒュー……!」
ただチヤホヤされるだけだったら喜び以外にはないが。そうじゃない。言葉にできない嫌な感情が絡み合っている。
オリジナルと相棒で、何が目的でか接触してきた青色の便利屋と。
オリジナルをぶっ殺して、複製して、人格インクでグレン・ディオウルフを創り上げて所持品にした碧色の便利屋。
ただの、強くて可愛い何者かじゃない。アズレアの態度からして明確に敵対しているうえに、エインもおかしな牽制をして、見せつけるみたいに呼び出してきた。
――――俺は当事者だというのに、当事者じゃないみたいだ。前世の因果が、はた迷惑なことに絡みついて解けそうにない。
考えると、苛立ちが拳に力を込めさせた。……嫉妬? その通りかもしれない。アズレアは……グレンじゃなくてこの身体と、肉体に残った記憶の残滓のようなものに深く執着しているように思えた。
ぐるぐると巡る思考。勝手に落ち込んだのさえ見透かされて、エインに顎を持ち上げられた。
「ワタシはオリジナルの個体なんてどうでもいいんだ。グレン・ディオウルフは君だけなんだから。ワタシは家族に傷ついて欲しくないから呼んだんだ?」
「ッ……それで、要件は?」
勿体ぶるような素振りだった。グラスに合成酒が注がれていく。淡い蛍光の揺らめきが鼻腔を突き刺していた。
「人格インクはもう自分で買わなくていい。ワタシが完全に、君の存在を保証してあげよう。ちょっと放任主義が過ぎてしまったようだからね」
「……対価は?」
「対価というには変な表現になってしまうな。グレンのための警告なんだから。……青色にもう近づいちゃだめだよ?」
ズキリと、重く言葉が突き刺さる。……逆らえる理由がない。人格インクが乾けば、今こうして巡る思考も感情も全て白紙になるから。
「そうだね。あとはお別れの挨拶代わりに【青契】に伝言もお願いしようか。……この街に近づくなって、……二度目の死を体験したいなら別だろうけど」
「………………なぜ?」
長い沈黙をおいて、ようやく吐き出せた一言。
【碧靂】は、ふんと鼻で笑った。沈黙に気遣う様子はない。
「君のクリアランスでは教えられない。……なんて言い方は怒るかな? でも、理由を言っても君は青色を信じてしまうよ。ワタシを信じていないから。今はそういう目をしている。それでも言うなら……君の存在が消えかねないからさ。ワタシはそれを望まないよ」
«第六視臣»をじっと覗き込まれた。飄々とした相貌が映り込む。グレンは悟られない程度に瞳の力を行使したが……何も指し示さなかった。
「……従わなかったらどうするんだ。彼女が――【碧靂】の言うことを聞くはずが」
「そのときはワタシが青色を塗り潰すだろう」
食い入るように言葉が上書きされる。――沈黙。張り詰めた緊張はとっくに限界を超えていた。……彼女の言葉に冗談は何一つない。
事実としてアズレアとオリジナルの肉体は二対一だったうえで殺されたのだから。
「ッ、とにかく。伝えはする」
「嬉しいなぁ。近いうちにまた会ってもいいかなぁ?」
ぎゅっと手を掴まれた。握らされた小さな容器。中で揺れる人格インク。
こんな水筒の水よりも少ない液体がグレン・ディオウルフを構成する全てだったから。受け取る手に無自覚のまま力が籠った。
「…………構わない」
逆らうことができるはずもなかったんだ。深く俯いて、エレベーターへと戻った。笑顔で手を振るエインを前に、必死になって作った笑みを向けると、扉が閉まった。ボタンを押さずとも、下へ、下へ。
その間、頭のなかを巡っていたのは無力さか? 嫌悪か? 未練か? わからない。自己保身もあるだろう。
そうやって、客観的に自分を見て冷静に、なんてことのないフリをする。
『……なぁ、話したいことがあるんだが』
『ほう! 君からなんて随分と積極的じゃないか? 我嬉しいぞ?』
連絡をつけると秒で返事が来た。ごくりと、息を呑んでも強張った頬が戻ることはい。
最悪なことに、アズレアとの行動がそれなりに面白おかしく感じていたから、余計に喉の奥で嫌なものが圧迫していた。
胸の内側で青い炎が揺れる。
「好きなようにしたらいいと思うのぽ」
いつのまにか出てきたらしい。さっきまで怖がって引っ込んでたくせに、無垢な言葉で突き刺してくる。
「なにかあったらボクが何度ボコられたって蘇って助けてあげるのぽ」
「……はッ、そりゃ頼もしいな」
なんとも思ってない様子で適当なことを吐き捨てたが。グレンは僅かに頬を緩ませた。




