玉砕
三章:青碧の独占欲
ちゅんちゅんと。小鳥の囀りが優しく耳を撫でた。ゆっくりと目を覚まし身体を起こすと、吹く風は柔らかで。窓の向こうの日差しは白く眩く、思わず目を細めた。
広がる花園は青一色。ファリナセアが咲き敷いていた。地平線、透き通った空気と混ざり霞んで、遠くまで青く煙るようだった。
「…………ここは。天国か? オレは死んだのか?」
違う。……こんな場所は現実ではない。嫌な理性が働くと、頭部に重さを感じて、装置を外した。
五感が現実に引き戻される。嫌な薬品臭。狭いコンクリートの部屋。曇り窓から見える景色は黒い海と浸水したスラム街だった。自分は……ベッドで眠っていたらしい。
やがて、タイミングを見計らったかのように白衣の老人が訪れた。
「あー……。ナドゥル・クリシュナーさん。骨盤の多発骨折。外傷性内臓出血および損傷。もろもろですね、ええ。治療させていただきました。ですが……どーしても、一つ治せなかったことがありましてね」
なんとも思ってなさそうに闇医者は淡々とカルテを読み上げていく。
「…………命にかかわることか?」
「いえいえ、ですがですねーその。まことに残念ですが――――睾丸全摘です」
「はーッぁ、ッあふぁーー!?」
時が止まる。
確かに……身体が軽くなった気がする。っ、いや、そんなことを言っている次元ではない。信じられずに確かめたが。……本当に、あるべきものは存在していなかった。
「ふぁう……ッー!!」
生気が抜けていく。眩暈がして、ばたりと、ベッドに倒れ込んだ。
「ええ。治療費がもー少しあったら頑張ったのですがねぇ。ええ、まぁということで入院費も今日までなので準備次第出て行っていただいて――。嗚呼、あと。お見舞いの方には何も言ってないのでね。デリケートな場所ですし。ふふっ……」
医者は鼻で笑うと部屋を後にした。遅れて、ドタドタと無数の足音が響いてくると、コードウォーカーの同期や部下が流れ込んでくる。
仕事の時間を縫って来てくれたらしく、巨大な対怪武装を背負ったままだった。
「ナドゥルさん! 動画見ましたよ! 結果はあれでしたけど! サムネになってますサムネに!!」
「アズレア様の動画のメイン回に使われています! 最高でした! あの野郎……チャージ中に攻撃なんて卑怯なことしやがって」
暗視鏡越しの視線に軽蔑や侮蔑はない。敬意と称賛だ。思わず、目頭が熱くなってナドゥルは息を呑んだ。
「お前ら…………」
「あんな勝ち方はたまたまだ! 先輩が容赦なく犬女ごと撃ち抜いてれば勝ちだったんですから!」
「たま……」
「ほら、先輩! 動画見てみましょうよ! きっと目玉飛び出ちゃいますよ!」
「玉…………」
無垢な言葉が突き刺さる。いっそ明かしてしまうべきか? 否、彼らはお祭りムードなんだ。その雰囲気を壊すことも、先輩としての威厳を失うことも許されない。
「ふっ。オレは諦めん。むしろ強くなったんだ。同じ攻撃を喰らおうが二度目はない」
弱点は克服された。次ならば殴打されても気絶することはないだろう。
ナドゥルの言葉に彼らは勢いよく湧き上がった。最中、静止するように同期の男が手を伸ばした。
「……無理はするなよ。お前、装備を盗まれただろ。現場戻ったら確実に大目玉を食らうぞ。今回は減給で済んだが次は――」
「玉……。そんなことで、推し活やめれてたら……凸なんてしねえよ」
苦痛を呑み込みながら豪語した。ナドゥルは苦い笑みを噛み締めて、強気な笑みを取り繕う。
「……はぁ。お前はいいやつなんだが。その強情さだけは玉にきずだな」
「玉にきずッーー……!!?」
噛み締めたのは痛みだ。殴打の痛みではない。大切なものを失った痛み。敗北の苦痛。目を瞑ってしまったのは僅かな間だ。
ナドゥルはすぐに真剣な眼差しで部下たちを見据えた。
「……オレは諦めちゃいない。……アズレア様のチャンネルをつけてくれ。次の作戦を考える。あいつを……あの野郎を引きはがすためのな」
彼のオリジナルがアズレア様の相棒だった? 関係ない。【碧靂】がかかわっている? 知ったことか。
ホログラムに映る美しい青色を前に、ナドゥルは満面の笑みを浮かべて多額のお布施をぶち込んだ。
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