息は合う
「目的は済まないが。まだ言えないんだ。すまないとは思うがね? だが悪いようにはしないさ。我としては君を今の状態から脱却させたいからね」
穏やかな微笑み。少し苦し気に胸を撫でると、指を追うように青い炎が舞った。
――言えない理由は誓約の問題か? だがその素振りはいくらでも嘘の可能性はある。彼女相手には疑うぐらいがちょうどいいだろう。
グレンは警戒を緩めないまま曖昧に頷いた。結局のところ、自分には無理矢理聞き出す術がないことは分かっていた。
「見えてきたのぽ。も、目的地にお水あるかな。このままだと僕の旨味が凝縮されちゃうのぽ」
しおしおになったデカキノコが水平線を見据える。赤褐色の水面に佇む巨大なガラスのドームが確かに視認できた。
ステルスや認識阻害、反ミームによる隠蔽はないらしい。
「ふっ、奴らもすぐに追いつくだろうなぁ。そのときは君が乗り越えるんだ。君がその身体の使い方を思い出すんだ。頑張り給えよ?」
人の命のことなんて構わないと思ってるのか、それとも謎に信頼を置いているのか。アズレアは飄々として嘲った。
「質問は――あと一つだ。くだらないこと限定でな。何かあるかね? 何もなければ視聴者に尋ねるが」
“好きな男性のタイプは? もしくは好きな機体”
“この前はもうちょっと胸大きかった気がするんだけど、もしかして日によってボディ変えてる?”
くだらないというよりもいささか下世話だ。グレンは不快感に顔を歪めて、視界を流れるコメントを振り払うように手を薙いだ。
「……さっきまで髪を結んでたが。結局下ろしたのか」
「あー……それはだねぇ。君が無反応だったから、好みじゃあないのかと思ってね? ……君はどっちが好きなんだい?」
ジトリと見詰めながらも視線は泳ぐようだった。自分の良さを惜しげもなく見せつけるように、細い体躯を今一度向かい合わせてくる。
陽光のバックライトがあまりに眩しい。
――――彼女に怪しいところがなくて、ただ本心で助けようとしてくれているなら。そんな仕草だけでも視聴者のようになっていたかもしれないが。
「……髪は短いほうが戦闘では有利じゃないか? まぁ、お前はそのままでもいいだろうけどな」
グレンは再び答えをはぐらかした。アズレアは数秒、柔らかに笑みを向けたが、一瞬の無表情。そしてムっとするように視線を細める。やけに表情豊かだ。
「その通りさ。君に戦いのことでとやかくを言われる筋合いはない。だがまぁ、そのままでいいというならそれでいいさ。うん、許す。とても」
上機嫌に言い切って。
建物の内部へ、入口となる発着場へとボートで侵入していく。外から見る限りではガラス状に思えたが、近づいていくと金属の光沢が煌めいていただけなことがわかった。
外観に反して無骨で物々しい正面入り口には放棄された船が多く残されている。人の気配はなく、扉の向こうから鬱蒼と蔓が伸びていた。
「どうやらそれなりの職員が不測の事態から逃げられなかったようだな。移動手段が残り過ぎている。……では視聴者諸君? 今度こそダンジョン配信の時間さ。準備はいいかね? ぜひとも応援、よろしく頼むぞ~?」
しわくちゃになったデカキノコを次元バッグに収納して、カメラ目線で手を振っていく。
“かしこま 30000L”
“解説欲しい。仕事中の数少ない娯楽だから。50000L”
“仕事中に見るものじゃないだろ”
「ではぼちぼちと見ていこうじゃないか。我のアシスタント、一緒にだ。一緒に。なに、安心したまえ。«第六視臣»が反応したなら入っただけで死ぬウィルスなどではないさ」
「だといいが」
不満と不安を一言でぼやくも、彼女はどこ吹く風だった。青炎の刃がほんの一瞬瞬いて、扉と、絡みついていた蔓と壁を全て切り裂いていく。
エントランスだった場所に出た。
吹き抜けの構造。三階までは最低でもあるらしい。射線が広く通っていて落ち着かない。
「クライオニクスのときより状態はいいな。まぁあれは墜落したからか……」
周囲を見渡して、緊張しながらも感慨深い様子でグレンは呟いた。アズレアの無警戒さまでは行かないが、知らない場所を探索していくのは楽しくないわけではない。
カビと錆で汚れた受付カウンターに転がる無数のコンピューター。倒れた自販機。どれもこれも植物と菌糸に覆われていた。
そのせいで足場が悪い。根が至るところに絡みついていて、苔はぬめりけを帯びて滑る。
「ここは精々、社員の食堂や来客用の場所と言ったところだろう。蔓は地下とこの奥から伸びているようだな?」
エレベーター、非常階段。そしてフロント奥に見えるガラスの壁の向こうから植物が生えているらしい。
未だに一部の電気は通っているのか、どこかで低く駆動音が響いていた。
「ふぅむ、どうやらガラス向こうは人工的に造られたビオトープの一つだったようだな。にしても分厚いぞ。見たまえ君ぃ、軽く60cm以上はあるんじゃないか?」
“悍蛸の水槽がそれぐらい分厚い”
“けどなんで結局そんな海の上に?”
ガラスの壁は言うなれば巨大なショーウィンドウだ。
かつて隔絶されていた人工的な自然が逃げ出して、辺り一帯の機材を呑み込んでしまっている。
海上とは思えない草木の量。照明が陽光の代わりとなって照らし続けていた。
「だとすると地下……海中か。も同じような場所があるかもな。壊れてない機材があればなんの研究をしてたかぐらいわかるんだが」
二人は慣れた様子だった。自然と出る言葉へ言葉を返すことに突っかかりもなく、互いをカバーするようにそれぞれの方向を確認しながら進んでいく。
「ふっ、随分と楽しんでるじゃないか。研究内容なんて便利屋にとってはどうでもいいことだろう?」
「心に余裕を持っているだけだ。お前を少しだけリスペクトしてやった」
「へぇーー。へぇ? 我の? ほーん…………感心じゃないか」
皮肉が無垢に返される。アズレアは喜ぶばかりで、グレンは苦い表情で視線を逃がした。
「……正しい入口はここではないみたいだな」
「知ったことではないな。壊れたものをさらに壊したって誰も文句は言われはしないとも」
消毒用通路のマークを無視して、気温だの湿度だの放射線濃度だのを調整する区域から、砕けていたガラスを跡形もなく切り融かした。
そしてビオトープ内の土を踏み締めて半歩。そこで立ち止まる。
グレンはスレッジハンマーを、アズレアは青刃のナイフを二本、深く構えた。槌頭と刃先を物音の方へと突き向ける。
やがて姿を見せたのは全長3mほどの巨大な両生類だった。
赤褐色の濁った身体。二足歩行で尾鰭は長い。弓状の頭部。目は頭頂部と側面に四つ。
「ビオトープで育ててた生き物ではないな。尖頭鰐だっけか? この海の固有種だったはずだが……この廃墟のせいで随分生活スタイルを変えたらしい。目が増えて立ち上がる程度にはな」
「見たまえ視聴者諸君。新種だ新種。名前は何にしようか? コメントで募集しちゃうぞ?」
“カマセイモリ”
“アズレアちゃんに勝って襲ってくれたらめっちゃお金入れる”
“グレンクソトカゲ”
野次と揶揄が舞い飛ぶなか、キャピンとホログラムのハートが瞬く。しかしすぐに真摯な眼差しをグレンと敵へ向けた。
「うーむ……数が多い。今ばかりは我も手伝ってやろう」
「数? 一匹しか見えないが」
「たわけ。もっと自分の知覚を使え。その身体はお前が知っているよりもずっと強い。思い出してみろ」
――彼女はこの身体のオリジナルに関わりがあったのか? 今すぐにでも尋ねたかったが。その余裕はなかった。
言われるがままに警戒を深くまで巡らしてわかる……臭い。
磯臭さに気づくと、彼らも勘づいたように擬態をやめた。生物発光がバチバチと点滅させて、どこに隠れていたのか大量に姿を現し距離を詰めていく。
「――誓え。≪青き番犬の禁章≫」
アズレアは異界道具の力を発動させる引き金を唱えた。
輝く双眸。飄々とした表情で何を想うのか、凄まじい力と呪いを及ぼすものほど多くの感情を贄にしていくはずだが。彼女は平然としていた。
四方に広がる青い鎖。胸を灯す蒼炎。一方的に誓約が刻まれ、宙に得体の知れない文字が刻まれていく。
不可思議なことに読むことができた。沢山の両生類共すらも、読み上げるように視線を上げる。
『この地帯において同数以外の戦闘は許されない。さもなくば、呪われる』
アズレアはこの場所自体に誓約を刻んだ。
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