罰
アクセルとブレーキの踏み間違いにより、妊婦を轢き殺した石川イトの裁判は今日で三回目になる。
今回は、検事による求刑まで進行する予定である。
七十二才のイトは、酷く憔悴していて九十代のように見える。それは罪の意識によるものか、これから決まっていく罰に対する恐怖によるものか分からない。
拘置所に閉じ込められている為、イトの足腰は急激に弱り、ヨチヨチとしか歩けなくなってしまっていた。
傍聴席には被害者の夫が座っていた。大切な家族を奪った張本人だが、自分の母親よりも高齢の老婆があまりにも憐れで、怒りよりも絶望に近い感情に襲われている。
被告人席に立ったイトに目もくれず、機械のように検事は話し始める。
「今回の事件により亡くなった被害者、遺族の無念は筆舌に尽くし難いものであり、被告人には重大な責任がある。よって……」
イトは震えた。
――あたしはどんな罰を受けるのだろうか。
「アクセルとブレーキを踏み間違えた罰として、右足と左足を足首から切断、入れ替えて再接続する手術を求刑する。麻酔は認めない」
あまりのことにイトは何も言えなかった。
神さま。酷いことをしたことは分かってます。反省してます。
でも……でも、これはあんまりじゃないですか。
先立たれた夫の顔が浮かんで、涙が滲んだ。
――お父さん、助けて。
裁判官が弁護士の発言を促した。若い弁護士は「待ってました!」とばかりに話し出す。
「この求刑は間違えてます! アクセルとブレーキを間違えたのは事実ですが、どちらも右足で操作します。左足はクラッチですが、被告人の自動車はオートマチック車です。このような罰は完全に筋違いです!」
裁判官は「確かに……」といった表情を浮かべ、それに対し弁護士は満足気な表情を浮かべる。
閉廷前、イトに発言が許された。
「もっ……申し訳ありませんでした」
絶望と恐怖で塗り潰された頭では、その一言を言うのがやっとだった。
その夜、イトは拘置所の薄いふとんの中で恐怖に震えている。
足を入れ替える?
両足の親指が外側になるということだろう。立てるのだろうか。歩けるのだろうか。
その前に、手術中に気が狂ってしまうんじゃないだろうか。
いつまで経っても、震えは収まらなかった。
三週間後、最後の裁判が開かれた。ついに判決である。
裁判官は咳払いを一回して、ゆっくりと話し始めた。
イトは死人のような顔をして聞いている。何故か、被害者の夫も同様だった。
「求刑は足の入れ替えでしたが、弁護人の言い分が正しいと判断しました。よって被告人には……」
イトは、「足の入れ替えは避けられた」と少しだけ安堵した。
そんなイトの顔を見ながら、裁判官は続ける。表情ひとつ変えない。
「被告人には、右足をふとももまで酸で溶かす罰を与えます。やはり、左足は関係ないですね」
その言葉の意味を理解した瞬間、イトは絶叫した。泣きながら絶叫した。
「嫌だあ! 片足になるくらいなら入れ替えて下さい! お願いします! あああああ! お父さん! 助けて! お父さん! お父さん!」
傍聴席で、その救いがない光景を見ていた被害者の夫がぼそりと呟く。
「どっちでもいいだろ。……どうせ、オレの家族は帰って来ない」
当然、泣き喚いているイトには聞こえなかった。
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