6.共通ルート 入学式
重苦しい気分のまま入学当日を迎えた。制服代わりの赤い共通スカーフも心なしか萎れている。淑女教育も忘れて猫背で荘厳な校舎をトボトボ歩く。オリエンテーション開始時間よりかなり早く着き、校舎には殆ど人が居ないので姿勢など構わなかった。居たところで、知り合いが一人もいない初めての場所に通わないといけない事には変わり無い。その事に先日のマリヤの話が追い討ちをかけている。
私も学院なんて通ってる場合じゃないんじゃない?時間が経てば経つほど向こうの記憶は薄れていく。2ヶ月経った今、もうどの単元を習っていたか解らない。宿題が出ていたかなんて全然覚えてない。そのうち席やクラスメイトの名前も忘れていくのが怖かった。帰っても馴染めなくなる前に早く、早く帰らないと。
考えながら歩いていたせいで、志津江は気づけば行き止まりに突き当たっていた。曲がるべき所を見落としてしまったのだろうか。それともどこか階段を登るのか。受付でもらった地図に目を落としても自分の所在に自信がない。とにかく一旦戻ろう。時間に余裕があって良かった。踵を返そうとした瞬間。
「そこで何をしている」
質問の形式だが詰問のように鋭い声をかけられた。恐る恐る振り返れば少し離れたところに青年が三人立っていた。三人とも明るい金髪に同じ背格好で白い服を着ている。正直見分けは難しいが真ん中だけ学生証のスカーフをしている。スカーフのない前後の二人は、動きからして護衛のようだ。となると真ん中のハリウッド俳優ばりの美丈夫は偉い人。志津江は背筋を伸ばしてそっと腰を落とす。敵意はないムーブだ。
「お恥ずかしい話ですが、道に迷って途方にくれておりました。恐れ入りますが、小ホールとはどちらでしょうか。お教えいただけませんか?」
演劇部の顧問と、サカラの指導を思い出す。
(これはエチュード。私は男爵令嬢。貴族社会の最下層。理不尽にあっても心に芯を持つ誇り高いご令嬢)
「地図を持っているではないか」
護衛Aが嘘を言うなと言外に責める。そんな事言われても。
「それが小ホールが載っていないのです。案内板でも出ているかと思い歩いてきたのですが」
本当に困ってるんですよのポーズを忘れない。確かに行き止まりにうろついていれば怪しい事この上ないので、そこは忘れていただきたい。
「何故小ホールと?」
真ん中の偉い(と思われる)人に質問された。頭を下げて楚々として答える。
「そこでオリエンテーションが行われると、入学案内にあったものですから。私は今日入学する新入生なのです」
「今持っている?見せて」
鞄から案内を取り出せば、護衛Aが受け取ってくれた。そして軽く確認してそのままハリウッド俳優に渡す。
「ああ本当だ。ありがとう。小ホールというのは多目的ホールの事だよ」
護衛A経由で案内を返しながらハリウッドが志津江に地図を確認するよう促す。
「多目的ホール、確かに載っています。ありがとうございます。助かりました」
はい、ここで令嬢スマイル!志津江は渾身の笑顔を見せた。
「君、名前は?」
「志津江ルロー小故島と申します」
名乗ればハリウッドは何かを納得したようだった。そして彼は一緒に小ホールへ行こうと提案した。志津江は畏れ多いからと断る。
「目的地が同じだからね。ここで別れたところで君の後を僕が追うか、僕の後を君がついてくる事になるけど?」
それはそれで気まずい。志津江は同道する事にした。
「式典等で学院生全員が集まる講堂があってね、そこと比べて大ホール小ホールと呼び分けているんだ。通称だよ」
「だから地図に載ってないんですね」
道中ハリウッドはとても気さくに話しかけてきた。護衛Aがピリピリしているのもお構いなしだ。護衛Bは空気になっている。同僚なら何とかして。
「じゃあ僕らはここまでだ。小ホールはあの突き当たりだよ。もう解るね?」
「はい、お世話になりました。ありがとうございます」
志津江は振り返らず真っ直ぐ小ホールに進む。後ろからハリウッドが護衛に指示出しする声が聞こえた。
「案内板の有無を確認して、ないのであれば案内人を立てるよう実行委員に伝えておいてくれ、今なら充分間に合うだろう」
すごいなハリウッド偉そうなだけあって、ちゃんと仕事してるんだな。上から目線で感心した志津江が、ハリウッドが大公の第三子と知るのはオリエンテーションでの在校生による歓迎の言葉だった。
小ホール改め多目的ホールはやや大きめの会議室のようだった。そこにやはり会議室のように長机が配置され、最奥の教壇と移動式黒板でセミナー会場然としている。その壇上でハリウッド改めエルヴェ・ガティネが快活に語りかけるのを見る志津江の背中は滝のような汗だ。彼の背後には先程の護衛ABが控えている。間違いない。
「個々に学習進度は異なるから卒業もきっとこの顔ぶれ全員が揃うことは無いだろう。だが同期とは人生の重要な一時を共有する仲間だ。生涯の友と出会う者も居るだろう。なに、同期でなくても構わない。仲間や友と一口に言っても様々ではあるが、願わくば切磋琢磨できる相手を見つけて欲しい」
エルヴェがそう締め括ると、それなりの拍手が湧く。笑顔で返しつつ護衛を引き連れ退室していった。
替わって教師が登壇しこれからの予定とカリキュラムについて説明が始まった。事前に配られた冊子をめくる。ふと、隣の席でやたら紙をめくる音に気付く。どうも該当ページが無いらしい。乱丁だろうか。一緒に見るかと声をかけようかと思ったが、当該男子生徒の背後にも護衛らしき人物が控えている。怖い。志津江がチラリと護衛を見れば目があった。怖い。声をかけるのも憚られて、志津江はそっと冊子をお隣さん寄りに置いた。覗き込まなくとも見ることができるギリギリのラインを攻める。狙い通り少年は冊子に気付き、志津江に視線を寄越した。咄嗟に笑顔が出せたりしない。日本人の性で軽く頭を下げると、少年は小さく頷いて返した。良くやった私、と満足感に浸るも護衛の視線が突き刺さる。背中の汗が止まらない。
「ではこれから校舎を案内する。ここには戻らないので荷物を持って移動するように」
教師の指示にしたがい席を立つ。三十人もおらず程なく全員が廊下に並んだ。列になるでもなく、教師を先頭に何となくの塊で移動する。話しやすそうな相手はいないか新入生を見ていると、先程のお隣さんが寄ってきた。こうして見ると銀髪美貌の儚げな美少年ということに気付く。とんでもないお隣さんだった。護衛が居るからには、身分も相応にお高いのだろう。
「さっきは助かった」
「あ、いえ余計なお世話じゃなかったら良かったです。お気になさらず」
護衛の視線を感じる。自意識過剰だろうか。淑女教育丸っと忘れて素で答えてしまったので忘れて欲しい。そんな気持ちを込めてそっと離れる。すると好奇心に眼を輝かせたチャーミングな女の子が話しかけてきた。
「私エマって言います。宜しくお願いします!」
「あ、私は志津江です、宜しくお願いします」
「シジェ?」
発音が難しかったらしい。
「言いにくかったらコジーで良いですよ」
「じゃ、コジーで!ね、セイクハイリ様と何話してたんですか?」
誰。とは思うものの話した相手などお隣さんしか居ない。
「配布された冊子に不備があったみたいで、私のを見せたからそのお礼でしたね」
面白くもない内容だがそのまま答えた。しかしエマの表情は変わらず好奇心に満ちている。何故愛称がコジーなのか問われ、姓の小故島から取ったのだと説明した。
「コジーってもしかしてルロー?」
聞き慣れない家名で察したらしい。転移者であると告げればエマは小さく悲鳴をあげた。
「そこ、私語は構わないがもう少し小さく。あと説明はきちんと聞いておくように」
「すみません」
「はい、すみません」
注意こそされたが、弛さに志津江は驚いた。エマは慣れているのかケロッとしている。
「ごめんなさいね、私ルローの方とお会いした事ほとんど無いから嬉しくて。もし困ったり解らないことがあったら聞いて下さいね」
「ありがとう、その時はぜひお願いします」
エマに嫌な感じはしなかったため、志津江はほっこり頷く。兄姉が卒業生との事で、エマは学院についてとても詳しい。教師の簡素な説明に小話や注意点を添えて教えてくれる。自分に聞けと言うだけの事はあった。
学院では各教師に研究室とそれに付随する教室が与えられており、生徒は授業毎に教室を移動する。生徒固定の教室は無く、行事などで必要な場合は、そのための空き教室を利用するとの事だった。校舎を一巡した後は屋外の実習場を見学して本日は終了となった。エマと帰りにお茶をしようと話しているところで教師が今日を締め括る。
「気をつけて帰るように。ああ、リーネとルローはこの後私の研究室へ来ること。では解散!」
同期にリーネとルローがいる事に生徒達はざわめいたが、次第にばらけていく。
「ごめんエマ、先帰って良いよ」
「もっと話したいし待ってる。学食にいるから」
「待てなかったら帰って良いからね!」
「解った解った」
打ち解けてタメ口で話すようになった二人は別れ、エマは学食へ、志津江は魔素基本研究室へと向かう。地図を見ながら前庭を抜ける時だった。
「忘れ物ですよ」
後ろから声をかけられた。心当たりは全くないが、周囲には他に誰もいない。志津江に声をかけたのに違いなさそうだ。足を止めずに歩きながら振り返ると、志津江の少し後ろに焦茶色の髪をした長身の男がいる。恐らく同期の新入生だ。顔が良く、見るからに軽薄そうな男は少しペースを上げて志津江に追い付くと、薔薇を一輪差し出した。
「え、それここの庭のですよね」
「そう。はいどうぞ」
男は志津江の髪に薔薇を挿した。不思議と嫌悪感は無かった。
「ここの庭のですよね!?」
「そう。花の精霊だね」
嫌悪感は無かったが、ややキモかった。男はチャラいだけあってとても板についているのだが、志津江がそのノリに慣れていない。
「じゃあ行こうか。魔素研」
もしかしなくても魔素基本研究室の事だろうか。一緒に行くのだろうか。それはつまり
「俺リーネ。君がルローだろ?ネーミングが安直だよねぇ」
「何か由来があるんですか?」
詰め込むべき教養は山ほどあり、そう言えば雑学のような物はまだ学んでいない。
「流浪してるから転移者がルロー、転生者は輪廻転生の輪廻が訛ってリーネ」
「安直ですね」
「ねえ本当」
話してみればチャラ男は大変話しやすかった。転生者との事だが前世は日本人だったのかもしれない。
「俺ね、伯爵家の三男なの。兄貴が二人と姉貴が二人の末っ子。別にうち貧乏じゃないけど流石に裕福ではないわけよ。どっかに婿入りするか立身出世するしかないからさ、まあ魔力多くて助かったなーってとこなんだけど。これ何の呼び出しだろうね」
「何でしょうね……」
「敬語じゃなくて良いよ。タメ口嫌なら俺も敬語で話しますが」
「まあ慣れたら追い追い変えますけどしばらくは敬語で話すと思います。そちらはどちらでも構いませんよ」
彼の口調は砕けているが馴れ馴れしさはなく、距離感の保たれた親密さを感じていた。
「解った。お、ここかな魔素研」
ノックをすると返事があった。失礼しますと声をかけて入室すれば、応接セットでオリエンテーションをしていた男性教師が茶をいれている。黒髪だが顔の造形は欧米系であることに違和感を覚えるのは志津江があまり映画も見ない片田舎育ちだからか。ソファを勧められ、教師の対面に二人並んで座る。
「シヅエ・ルロー・オコジマとリュカ・リーネ・ベルナールで間違いありませんか」
「はい」
「はい」
「ところでその薔薇はどうしました」
「あ」
髪に挿されたままだった。そっと外して鞄に挿しかえる。チャラ男はベルナールと言うらしい。今知った。そして男性教師は改めて自己紹介をした。アンリと言うらしい。今期入学した新入生のクラス担任との事だった。オリエンテーションで同様の話をしていたが覚えきれていなかった志津江にはありがたい。無表情黒髪教師がアンリ。覚えた。
「オコジマさん、こちらの世界では三ヶ月ほど過ごされているとの事ですが、慣れましたか?」
「いえ、その、慣れたかなと思う辺りで環境が変わるのでなかなか……」
パン屋で約一ヶ月、シシリカイレの研究協力に一ヶ月と少し、そしてこの学院入学だ。慣れる隙がない。
「成る程、まあそうでしょうね」
「解ってんのに聞くんすか先生」
チャラ男改めベルナールが茶化せばアンリは鼻で笑った。
「たまに居るんですよコミュニケーション能力の権化みたいなのが。私は不要な気遣いをするつもりはありません。ですが必要な気遣いはします。オコジマさん困ったら、いえ、何かあればいつでもお出でなさい。可能な範囲で力になります。ちょっとした事であればそこのベルナール君に聞いても良いでしょう。ベルナール君、これは強制ではありません。お願いです。助けを求められたら可能な範囲でオコジマさんを助けてあげてください。そして関係なく君自身が困る事があれば話を聞きますよ。力になれるかは内容次第ですけれど」
無表情なアンリの言葉は、淡々としながらも暖かかった。ベルナールも少し驚いているようだ。
「僕も良いのですか?」
「勿論です。リーネであっても物語の中の騎士役だの恋敵だの色々あるのでしょう?」
何か詳しかった。アンリはどうも学生時代シシリカイレに師事していたらしい。ベルナールもリーネであると判明した時分に研究協力をしたとの事で、三人の共通の話題として少し盛り上がった。
最初に供されたお茶も無くなり、そろそろ次のお茶をという頃合いでお開きとなった。研究室を辞する折、アンリは志津江とベルナールを呼び止めてこう告げた。
「私達は研究者ですが、同時に教師です。悩んだり困ることがあれば頼ってください。貴方達だけではなくどなたも」
語り口こそ平淡だが、表情や声から情が感じられる言葉で志津江は面食らった。ベルナールは軽妙に謝辞を述べていた。流石だ。彼のような人物をコミュニケーション能力の権化と言うのだろう。権化とは玄関に向かう廊下途中で別れ、志津江は食堂へ向かった。
食堂には生徒達がまばらに席についており、ざっと見回してエマを探す。エマは観葉植物に隠れたそこそこ明るい机に陣取っていた。広さを有効活用するように、書き物や食堂の軽食を広げている。
「遅かったね」
「ごめん」
「いや、責めてるんじゃないから。何か注文してきたら?」
脳裏を先ほどのアンリの言葉が過る。
『悩んだり困ることがあれば頼ってください』
エマの言葉ではない。教師に頼れという意味なのも解っている。だが転移後すぐを過ごした村で常に値踏みされていた志津江は、シシリカイレの元で過ごし、アンリの言葉が後押しをして、ここへ来て初めて、自分から人を頼っても良いのかもしれないと思えた。
「あの……注文したいんだけど、着いてきてもらえない?」
「良いけど」
エマの即答にネガティブさはない。純粋に何で?という顔をしている。
「ここのお金の使い方と注文に自信がない…です」
「そっか、良いよ!行こう」
志津江が転移者である事を思い出したのだろう。エマは指をパチンと鳴らして立ち上がった。
「サンドイッチのパンがすごく美味しかったよ」