02征服者の娘
半端者は、半端者ゆえに強欲となる。地を定め、あたかも一体の生物のように振る舞う群は、その存続のために個の利を劣後させ、対して、地を定めぬ群は、自らを逸脱する欲の怖さを知り、これを嫌う。いずれの欲にも限りがあり、節度ある美しさを生む。
地上の条件に適応したものは、その条件が好都合である範囲、すなわち自らの領分を堅守する。だが、自らの領分を有さぬ半端者は、常に欲し続け、身を満たすものが手中にあれども常に他を望み、際限なく求めることを止めようとしない。
失望、それは退屈。節度を眺むことで得られるのは一時の耽美。綻びのない均整は、次第に冗長極まりないものとなり、失望を生む。場を乱す強欲者が勝手振る舞い、結実した先にあるものは、次なる失望を生むのか、それとも永続の耽美か。
食えもせず、柔らかい銀をこれほどまでに好む傾向は、理に反する。生存に欠かせぬ物よりも価値を大とする不相応な扱い。銀から跳ねた光を見、騒ぎ立てるが、無論、陽の明るさと比べるまでもない。
地上の理よりも大なる価値を銀に託すのは、半端者による、命あるものが逃れられないはずの、生来的な本能に対する反抗である。
ーー
生き返ったよ。ありがとう。もうほとんど水がなくってさ、ちびちび飲むだけじゃあ、この暑さだ、渇きなんてましになるわけもなく。なあ、もう一口もらってもいいかい。
ありがとう。あんまりに暑くてさ、とてもじゃないけど、これ以上は歩けないなあって思ってたとこで、やっとこの街が見えたときにゃあ、嬉しくて嬉しくて、つい走っちまったんだ。そしたら一気に汗が吹き出して、口も大きく開けたまんまだったから、喉が渇いて渇いて。
いつもここに来るときには、ほら、あの前歯が全部折れた見張りが居眠りばっかしてる集落に寄ってくんだけどよ、ちょっと今回は面倒だったし、寄らなかったんだ。
いや、別になにかあったってわけでもないんだけどよ、あそこに寄ったら、ここに来るのが遅くなるじゃないか。あんたの顔を早く見たいって思ってね。ちょっと近道しようとさ、あのでっかい砂地を通ったんだ。久しぶりだったから、ちょっと迷って、結局、ここに早く着けたってわけじゃあないのが辛いところよ。干からび損ってだけ。
でも、まあ、いいさ。そのおかげで、美人に介抱されてるんだ。いつもだったら、こんな近くにいさせてくれないもんな。おれにとっては嬉しい渇きさ。
ははっ、お世辞なんかじゃないぜ。
覚えてるかい、おれが初めてここに来たときのこと。あんときはさあ、おれ、言葉らしい言葉なんて1つも出なかった。あんたの横顔を一目見て、なにも言えなかったんだよ。
もちろん、長の娘さんってことで緊張したのもあるがよ、それ以上に、こんな美人を見たことがなかったんだ。あの子が長になったいまでも、あんたの姿は変わらないね。鼻筋がきれいな美人のままだ。いや、ずっとずっと美人だな。
えっ、そりゃあ、あんたは自分の姿をはっきり見たことがないから、そう思うだけだろ。
同じだけ生きてきた他の女を見て、自分も同じように見えるって思い込んでるだけさ。あんたの理屈で言やあ、そうなのかもしんねえけど、実際の姿を見てるおれからすりゃあ、あんたがそう卑屈になってるのは、まあ、言葉は悪いかもだけど、はっきり言って、滑稽だね。
いや、こればっかりは譲れねえ。おれがあんたを美人だって思う。昔よりもずっとな。それを否定するのは、おれが、おれの目を否定するってことで、そんなのできるわけないだろ。
だってよ、見えてるもんを正しいって思えなきゃ、なんにも信じられないまま、生きてかなきゃなんねえ。しかもよ、あんたは、あんたの姿を見ることができないんだぜ。そんなあんたの言葉を、実際にあんたの姿を見て美人だって思ってるおれよりも信じるなんてことは、理屈に合わないだろ。
な、だろ。ほんとに、どうしたんだよ。なんで、そんなに自信ないんだよ。変な話だぜ。
えっ、そうなのかい。
へええ、あの子がねえ。あんなに引っ付いて離れたがらなかったのに、それも成長ってやつか。あんたの姿が少しでも見えなくなると、あのかわいい顔をくちゃくちゃにして、大泣きしてみんなを困らせてたのにな。
ははっ、行かないでーってしゃくりあげてさ。あんときは、早く一人でしたいことに集中してくれればなあって、でも、大きくなって、長にもなって、一人でも平気って感じになると、まあ、寂しいよな。おれだって、そんな話、聞いたら寂しくなっちまう。
ああ、そうだな。いまとなっては、一日でもいいから、あのときみたいに、いつ泣くのかヒヤヒヤしてたときに戻りたいね。
えええ、そんな言い方ってないぜ。おれだって寂しいよ。
そりゃあ、おれ、商人だし、どこかにずっといるってわけじゃないけどよ、この街にいるのが一番好きなんだ。
生まれた村から出てって、いろんなとこに世話になって、で、だからこそ、おれは一番好きなとこを自分で決めることができるんだ。みんな自分のいるとこが一番って思ってる。でもよ、他のとこを知らないのに、そんなのはおかしいだろ。もっと気に入るとこがあるかもしれないじゃないか。
おれは、この街が一番好きだ。ここに居続けてるやつよりも、確かな気持ちさ。だから、あの子のかわいさがみんなを振りまわしていたときを、懐かしく思うんだよ。
わかんないか……あんたがいるからだよ。
ここに来てあんたの姿を見るのが一番好きなんだ。商人続けてるのも、それが理由さ。この街で暮らしても、こう目の前で長いこと話すなんてできないじゃないか。前の長の娘さんで、いまは長の母親だ。そりゃあ、おれだって、この街で、いい身分で生まれてたら、ずっと居続けてるだろうよ。
……なあ、もう一口もらっても、いいかい。
ありがとう。嬉しいよ。こんなに嬉しいことはない。
まあ、なんだ、長は、あんたのことを避けてるってわけじゃないと思うぜ。そりゃあ、長になってから、じっくりと話したことないけどよ、人間、芯の部分はそうそう変わるもんじゃない。ほんとうはずっと一緒にいたいんだろうけど、そうも言ってられないから、無理してるんだと思うぜ。
そりゃ、あれだ、長には長の立場があるってことだろ。だってよ、考えてもみなよ。ここの年嵩のやつらは、若い頃、バリバリの賊だったんだぜ。
ほら、入り口でずうっと外を睨んでるあの爺さんなんか、ここいらじゃあ知らない人もいない強者だったんだ。だから、狩人の集団もこの街には手を出してこない。だから、この街は、ずっと豊かさを蓄えていられる。
他の爺さんらも、みんな細くなってるのに、目つきなのか、纏う空気って言うのか、若いのと明らかに違うじゃないか。もう馴染みの付き合いだけどよ、おれだって、すれ違う度にさ、喉元がひんやりとするもんな。兵隊連中よりも、まだまだ強いんじゃないか。
ん、関係あると思うよ。だってさ、そんな荒くれ者を従えるってのは、かなり気を使うことだろ。ちょっとした言葉で怒り狂うのもいるだろうし、目が合った合わなかったで軽んじられてるって思うやつもいる。
しかもよ、それが本人じゃなくって、周りがさ、誰それさんの気持ちを代弁してやるって言い出したら、もう騒ぎはおさまらない。
そりゃあ、考えるって。だってさ、あんたたちがこの街を征服したとき、長はまだ産まれてもいないんだ。この街を手に入れる働きをしたやつらが心の底ではどんな思いで自分を見てるのか。立場としちゃあ上なんだけども、決して軽んじてるって思われちゃあいけない。
眠れない夜をいくつ過ごしてきたんだろうって思うよ。
いや、そういうわけじゃなくってさ。ここの荒くれ者どもは、反逆するつもりなんてないってのは見てたらわかるよ。長は小さい頃から聡い子だったから、でも、だからこそ、荒くれ者どもが、いまでもずっとあんたの親父さんを慕い続けてて、その姿を自分に重ねてるって理解しているんだろなと思う。
……まあ、似てるもんな。
ん、ああ、あんたの親父さんと長はそっくりだよ。
ははっ、まあ、あんたから見れば全然違うってなるかもな。近ければ近いほど、ちょっとした違いに目が向くし、まあ、娘に対する眼差しと母親に向けるそれって、別もんだろしなあ。でも、おれらからすりゃあ、あんたの親父さんと長は、ほんとうによく似てる。
どこがって、そうだなあ、あんたにもわかる一番はなあ、ああ、表情だ。あの穏やかな笑みを絶やさないところ。
おれが初めてここに来たときはさ、この街を征服したばかりだったろ。覚えてるぜ。すげえ、ピリピリしてた。頬を掻こうと肘をちょいと上げただけでも殺気のこもった怒鳴り声を浴びせかけられてさ。そんな中で、親父さんだけはずっとニコニコしてた。場に合わない穏やかな表情が、正直、怖かったよ。
そうだよ。ほんとうに、なんでこんなとこに来ちまったんだろうって、おれ、あんときは心の中で大泣きしてたんだからな。
ははっ、なあ、それが一番好きな街になるって不思議なもんだよ。
でな、長は、親父さんと同じ表情なんだよ。荒くれ者どもが長に逆らわない理由の1つだろな。親父さんが流行病で死んじまってから、あの強面どもは涙を見せずに泣きながら、親父さんを探してるんだよ。で、長もそれをしっかりとわかってて、あんたの親父さんを、いや、あいつらの親を演じてるんだよ。
だからさ、長は、人目を気にして、あんたとたくさん話すわけにはいかないんだろう。
わかるさ。おれも似たようなもんだったからな。
実はさ、おれの親父は兵隊を束ねてたんだ。首領の下になるんだけど、首領が手に入れた村の1つを長いこと任されてたんで、ほとんど村長みたいなもんだな。で、おれの親父が出先で死んだ後、周りの目が、おれの中に親父を探そうとしてるのに気づいたんだ。
……だけど、まあ、結果、見ての通りの商人さ。ははっ。
ちょっと笑いすぎだぜ。まあ、こんなおれだから、長のことを立派だと思うわけさ。
ん、そりゃあ、長が兵を率いて勢力をどんどんと拡大すれば、いまよりずっと気楽でいられるんじゃないかな。
でもな、そんとき、残されたあんたはどうなる。遠征している間、この街は無防備だ。こんなに豊かな街なんだぜ。隙があれば手に入れようと考えるやつらは、いくらでもいるだろ。
わざわざ他の街を攻める必要なんて、冷静に考えたらまったくないんだよ。あんたの子は、自分の権威のために、あんたに危険を引き受けさせるような、そんな愚かなことはしない。あんたのことが大好きなんだよ。あんたを案じてるからこそ、この街に居続け、戦もせず、どこか肩身の狭い思いをしながら、長としての役目を果たしているんだ。
これも1つの戦いだろうな。強くて優しくて賢い。大した人間だよ。
あれっ、なんの話をしてたんだっけか。まあ、だから、あれだ、長は、あんたのことを軽んじてるわけじゃないってこと。長がここから離れてかないってことが、その証さ。
えっ、それはできないよ。そりゃあ、小さい頃は一緒に遊んだもんだけどよ、いまとなっちゃあ、長の正面に立つことすら、怖くってできやしねえ。もう長と二人っきりってわけにはいかないだろ。
だってさあ、口がすべってまずい話にでもなってみなよ、強面どもがなにをしでかすかわかったもんじゃない。いやね、おれの言葉のせいで、おれだけが酷い目に遭うんだったら仕方ないぜ。でも、下手したら、おれとの話を口実にして長の座を狙うやつが出てくるかもしれねえじゃないか。
ああ、考えすぎなんだとは思うよ。でもよ、おれは商人だ。いろんな人の集まりを見てきた。人じゃない、人の集まりだ。
……人ってさ、集まるとおかしくなるんだよ。二人、三人が同じようなことを、まるで自分が思いついたって顔をして、同じような言葉で言い始めるんだ。そしたら、どんどんどんどん人数が増える。
で、同じようなことしか言ってないからだろうな、声が大きくなってく。自分の言ったことが他のやつらに影響してるってことを示したいんだろう。そんなことないのにな。そのうち、過激な、極端な言葉が飛び交うようになって、これも、どんどんどんどん、でかい話になってくんだよ。
なんなんだろうな。獣の群は、まとまりがあって賢く振る舞うのに、人の集まりってのは、急に賢さを失ってくときがあるんだよ。
いや、そんな光景をたくさん見てきたけどさ、なにがきっかけになるのかってのは、そのときにならないとわかりっこないんだ。きっかけになるのも、大したことじゃないのがほとんどで、同じことが常に揉め事になるってわけでもないんだよ。だから、起こった後で、ああ、あれがきっかけだったか、って思うことができるくらいでさ。
まあ、そんなことがある、しかも、そんなに珍しいことじゃあないってことを知っただけ。
そう、怖いんだよ。人が集まってる中での話ってのは、危ない。口数を少なくしてるのが安全だし、黙ってていいんだったら別だけど、長になにかを言うってのは、おれにはできないことだよ。
一緒に虫を獲って遊んだ子がよ、それを優しく眺めてた美人がさ、おれの軽口で不幸になるのは、どうしても避けたいんだ。野っ原に寝転んで、雲の形がなにに似てるか、あの鳥はなんて鳴くのか、みたいな話ができてたのは、ほんとうに貴重なことだったんだよなあ。
さて、長居しちまったな。そろそろ行くとするよ。ありがとう。
ええっ、とんでもない。あんたとこうして話ができただけでも、おれにはもったいないことだよ。夜を過ごすってなったら、長に睨まれちまう。
そりゃあ、もっと、あんたと話したいよ。でも、行かないと。ちょっと頼まれものがあってな、そいつを集めないといけないんだ。集まったら、また寄らせてもらう。
……ただ、それはいつになることやら。今回は長い旅になりそうなんだよ。
ん、ああ、傷のない皮だよ。兵隊が着るのに使う大きさの。珍しい品ではないんだけど、ちょっと量が多いんだ。馴染みの狩人んところへ行ってってだけじゃあ、とてもじゃないけど足りなくてさ。まだ会ったことないのにも頼まないと。
なあ、少し、おれも愚痴っていいかい。
ありがとう。
……怖いんだ。凶暴なやつかどうかを見極めないといけないしさ。下手したら、おれが皮を剥がされちまう。
まあな。正直なところ、おれも乗り気ではないんだよ。でも、長く取引してもらってたやつからの話で、なかなか断れるもんでもないってのが辛いところさ。おれは商人だからね。もしかしたら命を落とすかもしんねえってことで、最後になるかもしれないから、あんたの顔を見にきたってわけさ。別に頼まれものもなかったのにな、ははっ。
ま、こんな近くで、長いこと、あんたと話することができたんだから、もう悔いなく、皮を探してくるぜ。
じゃあ、行ってくる。
おいおい、そんな顔してくれるなよ。わかったよ、気をつけて行ってくる。約束する。
……ああ、そうだな。ここに戻ってこれたら、拾った命だ。少しばかり、泊まらせてもらおうかな。励みになるよ。
えっ、そうなの。いやあ、それは助かる。そんなつもりで来たわけじゃないんだけどよ。ありがとう。
……で、どれくらいありそうかい。
ああ、頼む。ちょっと調べて欲しい。ありがとう。ここで半分くらい集まるんだったら、あとは狩人三人ほど訪ねれば、なんとかなる。
それだったら、馴染みのところだけで済むし、うん、寒くなるまでには戻ってこれるよ。