01注文主
商人が一人、長く続いた取引の相手に難色を示す。
張りのある声を保ちながらも、その中には甲高く粘っこいイの音が混ぜ込まれ、時折現れるこの音は、抑揚と緩急をもたらし、油断すると心地よさをも感じさせる。強調する母音を意図的に外し、聞き手の聴覚の期待を裏切り、音ではなく、声の意味するところへと意識を集中させる。
1つの物も生み出さないこの半端者が、人を結びつける機序と距離を置きながらも生存を続けていられるのは、自らの声を、正確に言えば、声が相手の意識へ働きかける効果を、自在に操る力によるところが大きい。
地上に生じた幾つかの変更の末、これを幸とする群が定住暮らしを選択。自らの腹を満たすためだけではなく、集団全体にとって、自らの死後における子孫にとって、その地での生存が永続化する条件を整えるために、地上の改変を行った。
実に不相応な所業。だが、あらゆる配置は理に適い、これに伴う規則的な行動は合点のいくものであり、つまりは、美しかった。
定住の群と、それを拒否した群。別離が数世代にわたり、生存、その意味すらも異なりだした2つの群は、もはや別の種となり、争い、いずれは片方のみが地上に残る。ところが、そう遠くないはずの時が訪れる前に、異変が起きた。
いずれの群にも属さぬ、否、属せぬ半端者が、各群の補いに注力したのだ。
ーー
いやいやいや、それはないって。いくらなんでも無理だ。
あんた、わかってるのかい。傷のない上等な皮をもらうだけでもきついんだ。それなのにあの連中全員分だなんて。ちょっと多すぎる。運ぶだけでも大変じゃないか。銀2本ってのは、あまりにも、なんて言うか、見合わない。
えっ、それは違うんだよ。たしかにな、これまでの取引でいやあ、銀の棒2つもあれば足りそうだろ。でも、そんな簡単なことじゃない。ウサギ1羽でオオカミを1匹おびき寄せられるとしてよ、じゃあ、ウサギ5羽でオオカミ5匹をおびき寄せられるのかって話だ。
手に入れる量が増えれば、それだけ考えないといけないことが増える。
はあ、わかりにくいか。まあ、そうだよな。これまでの付き合いで、こんな揉めることなかったもんな。ちょっと、おれの仕事がどういうもんかってのを説明しなきゃなんねえか。
……そろそろ、そんな頃合いなのかもな。ちょっと水をもらってもいいかい。
おっ、それ、ほんとうかい。いやあ、嬉しいねえ。ありがたい。いつ以来かなあ、じゃあ、遠慮なくいただくぜ。よっと。
あああ、たまんねえ。
熱が全身をめぐるこの感覚は、酒にしかないもんだよな。
昔よ、初めて酒飲んだとき、親父に言われたんだよ。触れてみると冷たいのに、喉を通ってすぐ熱くなるのは、なんでかわかるか、ってな。わかりませんって答えたらよ、親父のやつ、おれもわからんって大笑いするのな。意味わかんねえよ。ははっ。
そう、あの親父がよ。あんときだけだな、一緒に笑ったのは。
だろ。あんただって、あの、いつも怒った顔してた親父が笑ったとこ、見たことないだろ。
……もしかしたら、わかってたのかもなって思うよ。
ほら、だってよ、もう若くなくて、体も細い。なのに、わざわざ戦争に行くって決めたんだぜ。生きるのをやめるつもりだったのかもしんねえなあって。
でよ、そんときさ、親父が初めて酒を飲んだときのことを教えてくれたんだ。兵隊になりたてで、余所から入ってきた狩人を見張る仕事をさせられてたんだってよ。
なんでか忘れちまったが、一応、そいつは客分のような扱いで、その狩人と一緒に初めての酒を飲んだ。で、なんで飲んだ途端に酒が熱くなるのかを聞かれた親父は、まったく答えられなかった。ずっと気になってて、考えてたんだってさ。
な、いつも険しい顔してたのに、頭ではそんなこと考えてたんだぜ。ははっ。
なんなんだよって感じだよな。みんな、気を使ってたのによ。損した気分だったぜ。
……いま思うと、そんときから決まってたのかなあ、おれが狩人のとこへ行く商人になるのは。
あれ、なんの話だったっけ。いやあ、久しぶりの酒で、頭ん中がまとまらねえや。そうだ、おれの仕事の話だったか。なにから話せばいいんだろうなあ。
ん、ああ、銀ね。これがよ、まず、狩人に銀を渡しても、そんなに喜ばれないんだよ。
そうだなあ。なかなかピンとこないわな。
おれらが銀を喜ぶのは、それで食いもんと交換できるからだろ。で、狩人は自分で手に入れるから、使いみちがないんだよ。
これまでだって、どんなに苦労したか。これがあれば他のものと交換できるって言っても、なに言ってんだ、こいつ。肉は腐るけど銀は腐らないから便利だぜって言っても、こんな硬いものは食えない。まったくわかってくれないんだ。
ん、これまでか。だから、どうしようもないから、そこらの石とは違うだろ、光をきれいに見せてくれるぜ、これだけで押し切ってんだよ。
おい、そんな顔しないでくれ。他にやりようがないじゃないか。こんなのじゃ、相手してくれるのはほとんどいないから苦労してんだよ。
そりゃあ、おれらが銀をありがたがってるって、知ってるやつもいる。銀の価値をさ。でも、そんなやつらは、銀そのものには興味がない。おれらの暮らしぶりに興味があるんだ。
そういうのを相手にすると、あんたらが危ない目に遭うぜ。だから、おれらの暮らしぶりに興味ないやつを探さないといけないんだよ。
言ってみりゃあ、ほんとうの狩人だな。そういうやつのほうがいい仕事をするし、いろいろと好都合なんだよ。まあ、銀の価値をわかってくれないから大変なんだけどな。
ああ、そいつらが欲しがってるものか。それはいろいろある。堅い刀、丈夫な紐、パンを喜ぶやつもいる。あとは酒もだな。そんな嵩張るものを持っていくのは大変だし、途中で銀をそんなものに変えることもある。
でもよ、それでも簡単なことじゃあないんだぜ。あんたにもわかるように、いつも取引って言ってるけどよ、実際のところは取引なんかじゃない。
これをやるから、代わりにあれをくれ。こんな簡単なこともあいつらには通じないんだよ。
ピンとこないか。まあ、そうだろうな。おれだってずいぶんと苦労したよ。
説明しろってか。面倒だなあ。
取引っていうのは、おれが思うに、代わりになにかするってのが肝だ。おれらはさ、代わりにやってもらうことに慣れてる。でもな、ほんとうの狩人は自分でなんでもしちまうんだ。
ん、ああ、そうだな、言い方が悪かったか。なんでもできるわけではないな。おれらができて、あいつらにできないことはいっぱいある。
なんて言ったらいいんかな。そうだ、あいつらは、あいつらが望んでいることを自分でやっちまうってことだ。いや、違うな。酒好きなやつが酒を作るわけではないし。
……ああ、あいつらは、自分でできないことを望まないんだ。うん、これがしっくりくる。
おい、あんたが説明しろって言ったんじゃないか。もう少し、興味をもってくれよ。
はいはい、わかりましたよ。あれ、なんの話だったっけか。ああ、取引じゃないってことか。なんて言えばいいんかな。
あんたは傷のない皮が欲しい。で、それを持っているやつ、まあ、そんな都合のいいことなんてほとんどないから、傷が目立たないように狩りをしてもらうよう頼むことになる。あいつらは好き勝手したがるから、うまいこと言わないといけないんだ。
いや、そんなに難しいことじゃない。どんな仕留め方があるのかを教えてもらって、こっちが都合のいいのを選べるように話を進めるのがコツだ。狩りを見せて欲しいって頼むのもいい。
で、傷がつかない狩りを見せてもらったら、これがいちばん大切なことなんだが、ものすごく驚いて喜ぶんだ。まるで気が狂ったようにな。
ふふん、簡単に思うだろう。そうさ、狩りをしてくれたら簡単なことだ。難しいのは、狩りをしてくれるまでのことさ。なあ、もう一口飲んでもいいかい。
ありがとよ。
ふふっ、こういうことさ。悪い気にならないでくれよ。あんたは、おれの話を早く聞きたい。で、おれは、せっかくのこの上等な酒をもう少し飲みたいって言った。これを飲んだら、おれは話を始めなきゃなんねえ。これって取引だよな。いつも思うよ。狩人の連中も、こんな感じで話が進めばいいのになあってさ。
なあ、狩人に頼むとこまで成功したとしてさ、じゃあ、いつ、狩りをしてくれると思う。
だろ。そう思うだろ。でもな、これが困ったことに気分次第なんだ。その日のうちって期待しちゃあいけない。
ははっ、残念ながら、次の日も怪しいもんだ。さて、話に合うように、舐めるように飲みながら、のんびりと説明するとしようか。次の満月くらいには、それなりに話が終わってるかもよ。
怒るなって、冗談だよ。酒をやるから早くしてくれって言うとするだろ。まあ、狩人は喜んで酒を飲むよ。でも、それで終わり。酔いつぶれちまって、なかなか狩りをしないなんてことも多い。なにかを渡しても、その代わりにってことはほとんどない。ありがとうと言われて終わり。
いや、無理だ。早くしろって指図するような真似、おれにはできっこない。それは、あれだ、お互いが相手のためにやるってのが染みついてないとな。狩人相手にそんなことしたら、揉めるだけ。で、おれに勝ち目はない。獣と同じように仕留められるだけだ。傷のないおれの皮が体から剥がされる。そんなの要らないだろう。
この前なんてよ、おれ、どれくらい待ったんだっけなあ。気のいい狩人で楽しかったんだけどよ、いろいろなとこへ連れてってもらって、水浴びしたり、木に登ってみたり、そんなこんなで、そろそろ行くかって言われたとき、あれっ、なにを頼んでたんだっけって思っちまったくらいさ。ま、そんなの、珍しいことじゃあない。
そう。あんた、頭がまわるね。あいつらを見たことがないのに、大したもんだ。さすが、主だね。
えっ、でも、まあ、あんたがいないとこの村はなに1つまわらないんだから、主みたいなものだろう。
まったくあんたの言う通りさ。あいつらが気分よく、おれのためになにかしてくれるような、そんな関係になるのが大事なんだ。ほとんどの場合、そのために銀を使う。なにかしら土産を持ってったり、あと、どんな狩人なのかを知るためによ、近くの街で過ごしたりするのにな。
ん、ああ、そうだよ。でも、こんなきれいな石を、って話をするのは、ある程度、仲よくなってからさ。まずは、おれの話を聞いてもらえるようにしなきゃいけない。
ああ、さすがに馴染みの狩人はいる。もう長いこと、商人やってるしな。でも、今回は、そいつらに頼むだけでは、とてもじゃないけど足りねえよ。あの連中全員分ってのはなあ。だから、なかなかな旅になる。そこでだ、銀5とは言わねえが、せめて4は出してくれないか。
えっ、いやいやいや、2は無理だって。危ない目にも遭うんだ。そんなに言うんだったら、あんたが行けばいいだろ。
はあっ、嫌だよ。絶対に教えない。おれがどれだけ苦労したか。安全なところでちょっと聞いてってので、手に入れられてたまるかってんだ。いくらあんたの頼みだっつっても、馴染みの狩人だけは絶対に紹介しねえ。誰にもな。
……すまん。声を荒げて悪かった。
でもな、商人にとって、これは、畠と一緒なんだ。誰にも奪われないように、あんたも兵隊をたくさん集めてるだろ。あとな、あんたが行ったところで、ほんとうの狩人がどうにかしてくれると思っちゃいけない。あいつらは気難しいんだ。言っておくけど、下手したら、死ぬぜ。
だめだ。断る。さっきも言ったろ。誰にも教えないし、誰も連れてかねえよ。護衛をつけてくれる気持ちだけ、受け取っておく。とにかく、おれの知ってることは、おれだけのものだ。
なあ、ちょっと想像してみてくれないか。
いつでもおれの命を奪えるやつがいてさ、そいつは、なにをするにせよ、気分次第なんだ。いくらか一緒に過ごして付き合いがあるって言っても、なにか1つ機嫌を損ねることをしちまったら、それで終わりなんだよ。とんでもなく縄張り意識が強くて、しかも、心の底ではな、狩人と違う生き方を軽蔑してる。
わかるかい。こっちは命がけなんだよ。おれはおれのことだけで頭をいっぱいにしなきゃいけないんだ。おれはな、人と話すのが好きだし、一緒に旅をしたら、そいつのことをきっと気に入っちまう。そうなったら危ないんだよ。だから、情が生まれる前におれは見捨てるぜ。わざと危ないところへ足を進める。尾けてきたって同じことさ。
そう嫌な顔をするなって。払うもんを払ってくれるんだったら、あんたはここで安全に過ごしながら、村のやつを失うことなく、欲しい物が届くのを待つだけ。
な、あんたはあんたの仕事をして、おれはおれの仕事をする。それでいいじゃないか。それって、畠仕事でもおんなじことだろ。
それは違う。あんたのことを信頼してないってことじゃない。誤解させたなら悪かった。商人として、おれは一人で行かなきゃならねえんだ。
そもそもな、言っておくけど、おれは今回の取引に乗り気じゃないんだ。多すぎる。手間を考えたら、他のことをしてたほうが得なんだよ。あんたじゃなけりゃあ、おれは銀4って話もしないまま、どっか行ってるさ。
ほんとさ。親父んときからの付き合いだし、小さいとき、ああ、あれだ、あの木の枝に乗せてもらって嬉しかったのを忘れたことないよ。
おれは、ずっとあんたのことが大好きだったし、商人になっていろんなものが見えるようになってからは、尊敬してるんだ。この、立派な村をよ、たった一人でまわしてる。あんたは、あんたにしかできないことを完璧にやってる。
おれにはわからない苦労も多いんだろう。あの連中全員分だなんて、他のやつには理解できない考えがあってのことだと思う。だから、できるだけ、あんたの欲しい物を渡したいって思ってるんだ。
ああ、そうさ。これまでだって、ちゃんと用意してきただろ。危ない目にも遭ってんだぜ。でもよ、2じゃあ、どうやっても手に入れることができないんだ。商いをしながら移動しても、どう考えても足りないんだよ。少なくとも3はないとな。おれの取り分を考えたら、4は欲しい。頼むよ。
ん、いいのかい。ありがとう。じゃあ、これで終わりにするよ。あんまり飲みすぎると、眠くなっちまうしな。
へへっ、飲みっぷりを褒めてくれるのは、あんただけだよ。なんて言うか、体の真ん中っからあったかくなって、こんなになると、なんで酒が熱くなるのかなんて、どうでもいい話だよな。とにかく、酒はそういうもんなんだよ。まったく、親父は変なやつだぜ。
ええっ、それはないよ。しまったな。余計なことを言っちまった。はああ、あんたには敵わんなあ。
そうかい。まあ、あんたとおれの仲だ。今回だけだぜ。わかったよ、3。でも、先に払ってくれ。手持ちがないから、ここで3を受け取っておかないと、どうしようもない。あと、道中で商いをしないことには3でも無理なんだから、使えそうな物も付けてくれないか。
そうだなあ。ああ、手斧、余ってないかい。なるべく硬いので作ったやつ。木を相手にできるやつだ。
いや、別に誰かに頼まれたってわけじゃないんだけどよ、あいつらご自慢の石刀は肉を相手にするもんで、木を相手にできるほどの強度がないんだ。それよりもずっと硬い石で作ったのを見せればさ、なかなか驚かせることができるんじゃないかって、ふと思ったんだ。まあ、商人としての勘だな。結構当たるんだぜ。
ああ、ありがとよ。もう一回言うけど、今回だけだぜ。あとな、1つ約束してくれ。おれが3で手を打つのは、あんただからだ。他のやつには4、いや5は払えと言う。だからな、他のやつに今回のことを話すとしても、3だったとは言わないでくれ。
ん、ああ、じゃあ、そんときには5ってことにしよう。これは約束だ。
でな、頼みがある。あんたが思ったのよりも上等な皮が手に入ったらさ、別に1を払ってくれないか。やっぱり、そういうのがないと、おれだって張りがないじゃないか。