表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転校少女はひとりになりたい

作者: ピッチョン

【登場人物】

泉宮藍衣莉いずみやあいり:田舎の高校に転校した二年生の女の子。刺々しい態度で人を遠ざけようとしている。

芦崎耀子あしざきようこ:藍衣莉のクラスメイト。明るく大らかで誰とでも仲がいい。



 人生で最高の恋だと思っていた。交わす言葉のすべてが幸せを表現していて、一緒に見る景色すべてがキラキラ輝き祝福していた。

 あたしたちによるあたしたちだけの世界。それさえ確かならばほかの何もいらないと思っていたし、相手もそう思っているのだと盲目的に信じていた。

 ――なんて愚かだったのだろうか。

 結局全部偽りで、あたしが信じていたものがどれだけ薄っぺらいものだったのかを思い知らされただけだった。

 くだらない。恋なんてくだらない。

 人に何かを求めるのも求められるのも、もうイヤだ。

 だったらあたしはひとりっきりでいい。



 季節は夏から秋に変わろうとしていた。あれだけ肌を焼いていた太陽の光も少しだけ穏やかになり、徐々に過ごしやすい気温へと変化している。都会よりも涼しく感じるのは、教室の窓からも見える近くの山々のせいなのかもしれない。

泉宮いずみや藍衣莉あいりです。よろしくお願いします」

 素っ気ないあたしの挨拶に、クラス中からの好奇の目線が向けられるのを感じた。

 一学年2クラスしかない田舎の高校にとって、都会から来た転校生というのはそれだけで珍しい存在なのかもしれない。もしくは髪色が明るいあたしの見た目が奇異に映っているのか。

 どっちにしろいい気分じゃない。案の定、休み時間になった途端あたしの机は取り囲まれた。

「泉宮さんって東京に住んどったんやろ~?」

「原宿行ったことあるん?」

「芸能人誰か見た?」

「その髪って自分でやっりょん?」

 まくしたてられる質問の数々。彼女たちの声は騒音以外のなにものでもなかった。うるさい。煩わしい。会話をしたくない。

 あたしは机に拳を振り下ろした。

 ドン、と大きな音と共に静まり返る教室。一瞬、強く叩き過ぎたかもと思ったがどうでもいい。

「――あたしのことはほっといて」

 スマホを取り出して適当にSNSのタイムラインを辿る。内容が頭に入ってこないがどうせこの場しのぎの格好だけだ。周りにいた人達が少しずつ離れていくのが視界の端に映り、とりあえず安堵する。馴れ馴れしくされるくらいなら嫌われてひとりになる方が何倍も楽だ。どのみちあと二年も経たずにここにいる人達とは会わなくなるんだから、印象がどれだけ悪くなろうが知ったことじゃない。

 そのとき、あたしに近寄る影があった。視線を上げると一人の女子生徒がいた。

 真っ黒のお団子ヘア。目はまんまると大きく、鼻はちょこんと小さく、良く言えば純朴、悪く言えば野暮ったい雰囲気の女の子。

 その女の子はあたしと目が合うと和やかに笑った。

「そんな怖い顔しょぉるとみんな恐がるよ?」

「…………」

 あたしの第一印象は『うざ』だった。言われなくても分かってる。分かってるうえでこんな態度をしてるんだから空気くらい読め。

「私、芦崎あしざき耀子ようこって名前やけんな。よろしく、泉宮さん」

 芦崎の挨拶に、ふぅー、と溜息をついてスマホに視線を落とす。

 この状況であたしに優しく声を掛けるような人間なんてあたしを潰そうとする悪人か、底抜けの善人か、空気の読めないバカだ。どれであっても関わり合いにならない方がいいに決まってる。

 無視してスマホをいじり続けていたあたしの顔を芦崎が覗き込んできた。

「どしたん? お腹でも痛いん?」

「……っ」

 目を逸らして会話を拒否する。あたしが答えさえしなければ諦めて自分の席に戻るだろう。

(視線が痛い……)

 クラス全員があたしの反応を窺っている気がする。

(別に暴れたりはしないっての)

 あたしはただ放っておいて欲しいだけ。話さず、触れず、気に掛けず。空気として見てくれればいい。

「んー……」

 芦崎が首を傾げてあたしを見つめていると予鈴が鳴った。内心でほっと息を吐くと気遣うように優しく肩を叩かれた。

「えらいんやったら遠慮せんでええけん先生に言いなよ?」

 えらい、とはしんどいとか疲れたとかそういう感じの言葉で、体調が悪いときにも使う。その気遣いは本気なのかそれとも口だけなのか。

 自分の席に戻る彼女を横目で追いながら、なんとなくこの会話だけで終わってくれないような予感を感じていた。



 この芦崎という女子はとてもお人よしでかつ空気が読めないバカという、今のあたしの天敵みたいな存在だった。休み時間になるとあたしの席にやってきて『東京と比べたらうちの学校のんびりしょぉるやろ?』と楽しそうに話しかけてくる。芦崎以外のクラスメイトは近寄ってすらこないのに。

(みんなが心配そうな目であんたを見てるのわかんないの!?)

 怒鳴ってやりたいくらいだったが、何故あたしがこいつに気を遣ってやらなきゃいけないんだと思ってやめた。

 あたしがやるべきは徹底的な無視。反応があると人は構ってしまいたくなるものだ。だから、何を言われても答えない。そうすればいつかは興味を無くすだろう。

 お昼休みになり、芦崎があたしのところにやってきた。

「泉宮さーん、一緒にお昼ごはん食べん?」

「……」

 弁当箱と水筒を持って無言で立ち上がり、教室を出た。

「どこ行くん? あ、外で食べるん? 屋上は入れんけん正門近くの花壇とかええかもね」

 当然のように後ろから芦崎さんがついてきた。こいつマジか、と思いながらあたしは廊下を強く蹴って駆け出した。

「あぁっ、廊下は走ったらいかんよー!」

「くっ――」

 とんちんかんなことを。逃げるために走ってるのくらい分かるだろうに。

 あたしは階段を駆け降り、玄関から外に飛び出した。前にいた学校と違い校舎内が土足OKなので外靴のまま出入りできるのは楽だ。

 外に出た後は校舎に沿って走り、体育館に到着したところで閉まっている大きなドアの石の段差のところにへたりこんだ。

「はぁ……はぁ……」

 久々に走ったせいか息がすっかりあがり、心臓がバクバクとうるさく脈動している。

「体育館で食べたいん? 中はいかんよ。飲食禁止やけん」

「――――」

 息も乱さず汗もかかず、芦崎があたしの隣に腰を降ろした。

「ここやったらかまんけん、食べようか」

「…………」

 ダメだ。体力が違い過ぎる。

 逃げることを諦めて、呼吸を整えてからお弁当の包みを広げた。芦崎もそれを見てほっとしたように自分のお弁当箱を取り出し、てきぱきとお茶を用意してから膝の上でお弁当の蓋を開けて小さくいただきますをして食べ始めた。

「ん~」

 おいしそうにほお張りながら芦崎があたしのお弁当を見る。

「泉宮さんのも美味しそうやね~。お母さんが作ってくれたん?」

「おばあちゃんが――」

 素で答えそうになって口をつぐむ。しかしすでに芦崎はあたしの返答を聞いてしまっていた。

「へ~、おばあちゃんこっちに住んどんやね~。今は泉宮さんもそこにおるんや?」

「…………」

 周囲を窺う。わざわざ校舎から離れた体育館の付近で昼食をとろうなんて物好きはいないようだ。

 諦観の息を吐き、芦崎に話しかける。

「芦崎さん、だっけ」

 とたんに芦崎の表情がいきいきとしだす。

「はいはーいっ! 私、芦崎耀子! なになに? どしたん?」

「……っ、あのさ、なんであたしにそうやって近づいてくるわけ? はっきり言って、迷惑なんだけど」

「え、迷惑やったん?」

 眉を下げる芦崎を見て、ざまぁみろ、とひとりほくそ笑む。それも束の間、今度はあたしが変な顔をする番だった。

「どこが迷惑やったか教えてくれん?」

「へ?」

「話し方? 態度? 顔?」

「どこがっていうかその、あたしはほっといて欲しくて……」

「なんで? 仲良うしょうやー」

「あたしは仲良くしたくないの!」

「…………なんで?」

 芦崎は本当に意味が分からないらしく、首を傾げてあたしを見返している。

(出た出た。顔見知りは全員友達とか思ってる頭お花畑ちゃん。これだからコミュニティが狭い田舎は……)

 都会だからといってコミュニティが広いとは限らないのだがそれはそれ。

「みんなでわいわい騒ぐのが好きな人もいれば、ひとりで静かに過ごしたいって思う人もいる。それだけよ」

「泉宮さんはひとりで静かに過ごすのが好きなん?」

「そうよ」

「じゃあ黙ってそばにおるのはええ?」

「……そばにいない方がいいんだけど」

「え~、静かなんが好きなんやったらかまんやん」

 これは多分話していても埒があかない。あたしははっきりと告げてやることにした。

「あたしはこの学校で誰とも仲良くなる気はないし、関わりたいとも思ってないの。今後一切あたしに近寄ってこないで」

「……もぐもぐ」

「好きで転校してきたわけじゃないし、こんな田舎くさいとこホントはいたくないの。服を買うのも不便だし、よくこんな所に住んでて我慢できるわね」

「……もぐもぐ」

「聞いてるの?」

「ちゃんと聞いとるよ。泉宮さんもはよ食べな時間なくなっても知らんよ」

「…………」

 あたしもお弁当を食べ始める。煮物や焼き魚、卵焼き。彩りはよくないが冷凍食品が一個も入っていないお弁当を食べたのは初めてだ。

「泉宮さん、みかん食べる?」

 早くも食べ終わった芦崎が半分に割ったみかんをこっちに差し出してきた。あたしはそれをにらみ返す。

「さっきの話全然聞いてないじゃん。あたしに関わらないでって言ったの」

「みかん嫌いなん?」

「そういうことじゃない!」

「嫌いじゃないんやったら遠慮せんでええんよ。うち、みかんめっちゃ余っとるけん。あ、いるんやったら学校に持ってこうか?」

「いらないから持ってくんな!」

 話しているだけなのに疲れてくる。こいつはなんだ。まともに会話も出来ないのか。いらいらしながら箸を動かしてご飯を食べる。さっさと食べ終わってこの場から離れないと。

 芦崎が残念そうに肩を落としてみかんの皮をむきはじめた。みかんの房を一つずつ取りはがし、そのまま口のなかにぽいぽいと放っていく。

「怒っても自分が損するだけやと思うけどね」

「……まだ話すの?」

「話すよ。クラスメイトやけん。クラスメイトやのに関わらんっていうのは無理やし、やったら仲良うするほうがええやんか」

 まっすぐ視線を向けられて、あたしは目を逸らした。これ以上こいつと向き合っていたらあたしの精神によくない。

「…………」

 無視して食事に集中する。

「あ、あと服買うとこやけど、車で40分くらいのとこにイオンあるけんそこでうたらええよ」

「…………」

「今度一緒に自転車で行く?」

(遠すぎるわ!)

 反射的に芦崎を睨むが、相手のにこにこ顔を見てすぐに視線を戻した。

(こいつのペースにはまっちゃダメだ)

 気を取り直してお弁当の残りを片付けにかかる。

「いつにしょっか?」

(行かないって言ってんでしょ。……いや言ってはないけど、雰囲気で分かるでしょうが)

「次の土曜日でかまん? 朝の10時に泉宮さんの家に集合なー」

「はぁ!?」

 あたしが反応すると芦崎がさらに嬉しそうに口元をほころばせた。

「なにか言いたいことあるん?」

「……一緒に出掛けるつもりないから家にこないで」

 無視をしても逆効果なら答えるしかない。

「じゃあ普通に遊ぶ?」

「遊ばない」

「え~、じゃあなにして遊ぶんよ~?」

「遊・ば・な・いって言葉の意味分かる? あんたと遊びたくないの」

「遊ぶのがイヤとか変わっとるね。勉強が好きなん?」

「そういうことでもない!」

 こいつと話してると調子が狂う。いや、意図的に狂わされているのかもしれない。芦崎の言動を見るにそんな気がする。わざとあたしに反応させてコミュニケーションをとっているんだ。

 廊下の方から喋り声が聞こえてきた。昼食を終えた生徒の何人かが体育館にやってきたようだ。ほどなく中からボールの弾む音が聞こえてきた。

 お弁当を全部しまい終えた芦崎がくいっと親指で体育館を指した。

「そんなに私と遊びたくないんやったらバスケで勝負しようや! 私が負けたら引き下がるけん!」

「……やらない」

 こんなバカっぽい提案も全部わざとなんだろうか。少し自信がなくなってきた。



 初日の授業が終わり、帰り支度をしていると芦崎がやってきた。

「泉宮さん一緒に帰ろー」

「…………」

 カバンに教科書を詰めてから教室を出て行く。相変わらずクラスメイトからの視線だけは感じる。

「泉宮さんは何で通学してるん? 自転車? 徒歩?」

「……あたしと帰るより友達と帰れば?」

「帰っとるやん。ほら、友達」

 芦崎が笑顔で自分とあたしの顔を交互に指さした。

「いつからあたしとあんたが友達になったのよ」

「お互いに顔と名前を知っとったらもう友達やんか」

「友達の定義ゆる過ぎ」

「でも友達は多くて困ることないやろ?」

「……知らない」

 嫌なことを思い出しそうになった。友達なんて多かろうが少なかろうがどうでもいい。あたしにはどうせ必要ない。

 駐輪場に置いていた自転車を取りに行き、正門まで押していく。隣には同じく自転車を押す芦崎がいた。

「泉宮さんも自転車通学やったんやねー。ちょうどええけんこの辺り案内しょうか?」

「興味ないからいい」

「なんでー? 色んなとこ自転車で走って探検するんわくわくせん?」

「男子小学生じゃあるまいし、あたしはそんなことでわくわくしたことない」

 正門を出てサドルに跨がり、ペダルを漕ぎ出した。芦崎もあたしについてくるが、気にせず足に力を込めて動かす。

 山の上の夕日が辺り一面を照らしている。このあたりは民家と畑ばかりで見通しがいい。見えない曲がり角から車が飛び出してくることを考えなくていいのは漕いでいて楽だ。少し漕ぐスピードを早めて芦崎を振り切れないか試してみたが、平気そうな顔で斜め後ろをついてきているのを見て元の速度に戻した。

「どこまでついてくるつもり?」

「泉宮さんの家まで行こうかと思ったんやけど」

「――それだけはホントにやめて」

 あたしが本気で嫌がっているのが分かったのか、芦崎はあっさりと引き下がった。

「じゃあ私の家は?」

「行く理由がない」

「遊ぶでええやん」

「だから遊ばないって――何回同じ会話繰り返すの……」

「泉宮さんが私と遊んでくれるまで」

 はぁ、と溜息。本当にあと何回繰り返すのやら。

「それやったらあいだとって二人で商店行かん? よく行っきょるとこがもうちょっと先曲がったらあるけん」

「え?」

「どっちの家とも関係ないとこやったらええんやろ?」

「…………」

「転校祝いでなんかおごるけん。な?」

「……うん」

 自分でも驚くほど素直に頷いたのは、多分嬉しかったからだと思う。まさかあたしの転校を祝ってくれる人がいるなんて思ってもみなかったから。


 その商店は一軒家に隣接するように建てられた小さなお店だった。建物は年期が入っていて、入り口のガラス戸には色あせた何かのポスターが貼られたままになっている。

 自転車を脇にとめて、店前にあったベンチに座り、あたしと芦崎は駄菓子を食べていた。先程商店の中で芦崎が買ってくれたものだ。

「このお店、私が小さいころから学校の帰りによく寄っりょったんよ。ほら、あっちの遠くにあるんが小学校で、私の家がこっちやろ? やけんちょうどこの道が通学路やってさ――」

 あっちこっちと指さしながら芦崎が話している。興味はないが他にやることもないので適当に相槌だけしておく。

「泉宮さんのおったとこはこういうお店はあったん?」

「コンビニかスーパーなら」

「じゃあもしかして駄菓子は初めてやったんちゃん?」

「駄菓子くらいスーパーで普通に売ってるから」

「なーんや、せっかく泉宮さんが喜んでくれたんかと思ったのに」

 たとえ駄菓子を初めて食べたとしてもそんなにテンションなんて上がらないが。まぁ、田舎の商店に入ったのは初めてだったので物珍しくはあった。

「あ、それやったら、これは? なんとこの商店……たまにパックの飲み物の賞味期限が切れてたりするんよ! どう? そんなん都会であったりする?」

「……いや、さすがにそれは見たことないけど」

「よし、これで一勝一敗やんな」

 はたして今のはどっちの勝ちなのか。

(ていうかさっきから普通にこいつと会話しちゃってるし)

 ここまで付きまとわれては完全に無視する方が難しい。接し方を考えるべきかもしれない。

「じゃあ次は……泉宮さん秘密基地作ったことある?」

「あるわけないでしょ」

「おっ、てことはまた私の勝ち! これで二勝一敗~」

「あーはいはい、あたしの負けでいいよ」

「……気にならんの?」

「なにが」

「私の作った秘密基地がどんなんか、気にならんの?」

「ならない」

「ちょっとくらいええやんか~。見に来てよ~」

「絶対行かない」

 不満そうにゼリーの棒を吸っていた芦崎だったが、ふとあたしの方を見たまま動きを止めた。視線は合っていない。あたしのすぐ横を見ているようだが。

「会ったときから思ってたんやけど、泉宮さんの髪ってめっちゃオシャレで綺麗やなぁ。羨ましい」

「え、あ……」

 自分の髪を手できながら見下ろす。明るい茶色に染まった髪は、毛先がカールしている。最初は美容室でやってもらって、それからは自分でコテを使ってセットするようになった。


 ――髪型変えたんだ。うん、すっごく似合ってるね。


「…………」

 懐かしい声が聞こえた気がした。ちくり、と胸の奥が痛む。それは過ぎ去ったいつかの記憶。今のあたしにはもう要らないもの。

「……芦崎さんのお団子の髪だって可愛いと思うよ」

「いやいやいや、私のなんてお母さんが『耀子は走り回って髪の毛ぐしゃぐしゃになるけん上でまとめとき』って言ってやってくれたやつやけん、泉宮さんのとは全然ちゃうし――どしたん? えらいん?」

 芦崎があたしの顔を見て心配の言葉を掛けてきた。それに首を横に振って答える。

「大丈夫。なんでもないから」

「ほんまに?」

「ホントだって」

 じっとあたしの目を見つめる芦崎。嘘を言っていないか確かめているんだろうか。

「……なんか持病があったりせんよね?」

「ないない」

「実は不治の病で、療養するためにこっちに来たとか」

「そんなドラマのヒロインみたいな……違うから」

「……ほんまに?」

「何回確認すんのよ。あたしの体は至って健康」

「――よかったぁ」

 ほっと胸を撫で下ろす芦崎に、あたしの心が揺れた。どんなに突き放そうとしても近寄って来て、誰よりもあたしを気遣ってくれる。それがどれだけ有り難いことかなんて考えるまでもない。もしあたしが普通に親の都合で転校してきたのなら、真っ先に友達になっていただろう。

 でも、そうじゃないんだ。

「……芦崎さん」

「ん?」

「なんで、あたしにそこまで優しくしてくれるの? ひとりぼっちの転校生に同情してる? ただのおせっかい? それとも――」

 こんな質問するべきじゃない。相手の心情を知りすぎてしまったら、もう今のままじゃいられなくなることをイヤというほど分かっているはずなのに、それでも聞いてしまった。

 芦崎がちょっとだけ考える素振りをして口を開く。

「私が小学校の高学年くらいのときにな、家の裏にどっかから若いタヌキが迷い込んできたんよ」

「はい?」

「そのタヌキ――私はポンちゃんって呼っびょったんやけど、足に大ケガしとってな、これは助けないかん思ったけんお母さんにお願いして動物病院に連れてってもらったんよ。そんで完全に治るまではうちで面倒をみることにしたんやけど、元が野生やけん引っ掻いたり噛み付いたりで、大変やったなぁあのときは」

 タヌキとあたしに何の関係があるのか。訝しむあたしに芦崎が微笑みかける。

「でも根気強くその子のお世話を続けよったらちょっとずつ心を開いてくれて、治る頃には撫でても怒らんようになったんよ? あ、ポンちゃんの写真見る? めっちゃ可愛いけん」

 スマホで撮った写真を見せられる。確かに懐いているタヌキの姿は可愛かった。

「……で、何で急にタヌキの話になったの?」

「泉宮さんもポンちゃんと同じやなぁって思ったんよ」

「はぁ?」

「傷ついとんのに周りを威嚇して遠ざけて、それでええわって顔しょぉる。でもポンちゃんと同じってことは泉宮さんとも絶対仲良うなれるってことやんか。やけん私はこうやって泉谷さんと一緒におるんよ」

「…………」

 あたしはタヌキでも野生動物でもない。勝手な思い込みで近づいてくるな。そう答えることも出来た。でも言わなかった。

(傷ついて、威嚇して、か)

 芦崎はあたしの事情を知らない。知るわけがない。だって知ってたら仲良くなろうなんて思うわけがないから。

 それでも、自分のことを少し理解してくれている人がいたことが、すごく嬉しかった。

「……あたしをタヌキなんかと一緒にしないでよね」

 照れ隠しの呟きに芦崎が笑った。

「タヌキよりヤマネコの方がええかな?」

「動物の種類の問題じゃないんだけど」

「でもヤマネコの方が泉宮さんっぽいよねぇ」

「それどういう意味?」

「なぁ、ちょっと撫でてもええ?」

「は!? いきなりなんっ、ちょ、頭触るな!」

「やっぱまだいかんかぁ」

「だから、動物と一緒にするなって言ってんの!」

 いつの間にか会話は弾み、あたしも自然と笑うようになっていた。こいつと話していたら仏頂面を保つことすら出来ないようだ。

(せっかくひとりになろうとしてたのに)

 人と関わってもいいことなんてないと分かっていても、優しさに甘えてしまう自分がいる。

(もしもまた裏切られたら、どうしたらいいんだろ)

 言いようのない恐怖に苛まれながら、あたしは芦崎との会話を楽しんでいた。



 芦崎と少し仲良くなったとはいえ学校でのあたしに対する周囲の反応は変わっていない。当たり前だ。初日にケンカを売るような真似をして誰が近寄ってくるだろうか。

 そんな状況でも芦崎はあたしに声を掛け一緒にいてくれた。もとからの友達だっているのに、あたしを孤立させないように気遣ってくれた。

 嬉しいけどそれと同時に、あまり自分から距離を近づけないように気を付けた。そうしないと、多分取り返しのつかないことになってしまうと思ったから。

「泉宮さん、数学の宿題やってきたん?」

「一応やってきたけど」

「お願い、見せてくれん? 今日私が当てられそうなんよ」

「まぁ別にいいけど」

「ありがとー! 泉宮さんって見かけによらず真面目やけん助かるわぁ」

「見かけによらずって言う必要あった?」

「大丈夫、褒め言葉やけん」

「褒められた気がしないんだけど」

 転校して一週間も経てば芦崎と互いに軽口を叩きあうのもすっかり日常になってしまった。このくらいなら普通の友達の範疇だろう。

「ちょっとトイレいってくる」

 宿題を写している芦崎を残してあたしはトイレにいくことにした。

ちょうど個室に入ったときに話し声が聞こえてきた。

「例の転校生聞いた?」

「なんのこと?」

「前の学校で事件起こしたけん転校してきたんやって」

「え、ウソ?」

「ほんまほんま。噂やけど――……と付きおうてたらしいよ」

「ウッソー!?」

「そういう噂。でもほんまやったらヤバいなぁ」

「ヤバいヤバい」

 あははと笑い声が遠ざかっていく。声だけじゃない。周囲の音すべてが聞こえなくなっていくような気がする。聞きたくない。知りたくない。考えられない。考えたくない。

 個室の壁にもたれたまま、呆然と床のタイルを見つめる。

(あぁやっぱり――)

 どのみちあたしはここでもひとりぼっちだ。



 あたしは前の学校で本気の恋をしていた。相手は八歳上の英語の先生。性別は女性。

 たまたま先生のお手伝いをすることになって放課後に残っていたとき、『泉宮さんって可愛いね』と褒められたのがきっかけだったと思う。先生に言葉を掛けてもらうたびに心が満たされるような気がして、先生と色んなことを話していくうちにどんどん距離が縮まって、先生から想いを伝えられて交際が始まった。

 付き合っているときは本当に幸せだった。

 先生のために髪型も眉の整え方もメイクも勉強して、先生の好みの女の子になれるようにいっぱい努力した。そんなあたしの変化を先生はすぐに気付いてくれて、いつも『似合ってる。可愛い』と言ってキスしてくれた。

 公にできる関係ではなかったけど、あたしたちは幸せだった。幸せだったんだ。

 先生の声が、優しい指先が、柔らかな唇が、肌のぬくもりが、全部全部あたしを幸せにしてくれていた。

 あたしの肩を抱きながら『高校卒業したら一緒に住もうか』なんて語ってくれたときは、これから進む未来が輝いて見えた。きっと、先生も同じものが見えているのだと信じていた。

 でも、違った。

 あたしたちの関係が他の先生にバレ、教頭や校長に伝わり、あっけなく終わりになった。

 それだけならまだいい。今離れ離れになっても、卒業してからまた付き合い始めればいいんだと。先生が語ってくれた未来に向けて一緒に歩めればそれでいいんだと。あたしは信じて疑わなかった。

 その日から、先生と連絡が取れなくなった。

 学校も辞めてどこに行ったのかも分からない。ただひとつ確かなのは、先生が校長たちから『あなたが生徒を誘ったのか』と質問されたときに『生徒から言い寄られました』と答えたらしいということ。

 何故あたしがそれを知っているのか。簡単だ。クラスメイトから教えてもらった。

 先生たちしか把握していなかった事件がどうして生徒に広まったのかは分からない。けどそんなことは今更の話だ。あたしにとって重要なことは、この世界に居場所がなくなったことと、先生とはもう二度と会えないんだろうなということ。先生さえいれば、そこがあたしの居場所になるはずだった。それだけあれば、あたしは他に何もいらなかったのに。

 祖父母の家に追いやられ、田舎の高校に通うことになってあたしが誰とも関わりたくなかったのは、怖かったんだ。あたしの過去を知ればみんなあたしから遠ざかるだろう。仲良くしていた友達から嘲笑を向けられるつらさはもう味わいたくない。

「…………」

 思い浮かべた顔は、転校して唯一あたしに優しくしてくれた女の子の顔だった。

(嫌われたくないよ……)

 声に出さない呟きがいつまでも頭の中で反響していた。



 授業開始を告げるチャイムが聞こえても、あたしはまだトイレの個室にいた。

 下ろした蓋の上で膝を抱え、何もせずただじっとしている。本当は学校を飛び出したかったが荷物は教室においたままだ。おばあちゃんが作ってくれたお弁当も入っているし、置いて帰るわけにはいかない。でも、教室には戻りたくない。

 ここに閉じこもることに意味がないことは分かっていても、そうするより他にやれることがなかった。

 不意に走る足音が聞こえた。その足音はトイレに入ってくるとあたしの個室の前で止まった。コンコン、とノックされる。

「泉宮さん?」

 外から呼びかけてきたのはあたしが今一番会いたくない人だった。

「…………」

「泉宮さんじゃないんやったら返事して」

「…………」

「じゃあそこにおるん泉宮さんやな。どしたん? お腹痛いん? 保健の先生呼んでこようか?」

 いつだってこの人は真っ先にあたしを心配してくれる。

 普段どおりの口調と態度だったことに少しだけ安堵した。まだ噂は耳に入ってないようだ。

「……体調は大丈夫。しばらくここにいるからほっといていいよ」

「なんで? 体調問題ないんやったら出てきたらええやん」

「出たくない」

「なんで?」

「……なんでも」

「それやったらわからんよ」

「あんたには分からなくていい」

「む――」

 隣の個室が開く音がして、再度芦崎の声が聞こえてきた。

「そっち行くけん、ちゃんとパンツ履いとってよ」

 ガタガタ、ドン、という物音と共に隣の壁の上から芦崎が顔を出した。そのまま「ほっ」と乗り越えてあたしの前に着地する。

 芦崎があたしの顔を覗き込んだ。

「体調大丈夫って言うわりに死にそうな顔しとるやんか」

「…………」

「なにがあったん? 私に話したら楽になるんちゃん?」

「……話したくない」

「あっそ。じゃあ話したくなるまで私もここにおーろぉ」

「あんたは授業に戻って」

「泉宮さんが戻るんやったら私も戻る」

「明日になってもあたしがここにいるって言ったら?」

「私もずっと一緒におる」

「……バカじゃないの」

「バカでええよ。バカ相手やったら何話しても平気やんな。バカやけんどんなこと聞いてもすぐわっせるよ?」

 すぐ忘れるから何でも話していいよ、と芦崎は言った。彼女の優しさがイヤというほど伝わってくる。さっきまで恐怖と不安で押し潰されそうだった心がふっと軽くなった気がした。

 もう、いいんじゃないか。黙っててあとでバレるより、自分でバラした方がダメージが少なくて済むかもしれない。

「……話したい、けど、学校はヤダ……誰もいないとこがいい」

 それでも、ここで話すことは躊躇われた。誰に聞かれているとも分からない場所で話したくない。

 芦崎はあごに手を当てて考えたあと、ぴんと人差し指を立てた。

「ええとこがいっこあったわ」



 舗装されていな山道を歩き、山をのぼっていく。運動が苦手なあたしはすぐにぜいぜい息が上がってしまった。

「カバン持とうか?」

「……いい。自分で持つ」

 荷物は芦崎が教室から回収してきてくれた。そのまま保健の先生のとこに行って早退の許可をもらってから学校を出てきた。家にも連絡しないでいてくれるということで話を通してくれたらしい。何から何まで面倒をかけっぱなしだ。

 しばらく歩いてから芦崎が前方を指さした。

「あ、あそこあそこ」

 木々の間にボロい物置小屋が建っていた。正直ひとりだったら近づきたくない類いの小屋だ。

「……へんなのとか出てこないでしょうね」

「へんなの? 虫は結構おるよ。ヘビもたまぁに見る」

「――――」

 幽霊より怖いんだが。

「虫は払えばええし、ヘビはマムシ以外はすぐ逃げるけん大丈夫」

「マムシは……?」

「あいつはじっとその場で動かんけん近づかんかったら問題ないよ。最悪咬まれてもすぐ病院いけば死にゃあせん」

「やっぱ帰ろっかな」

「大丈夫やって。私が前歩っきょるけん咬まれるとしても私だけやんか」

「……それもイヤなんだけど」

「ほら、あとちょっとやけん行こ」

 芦崎に促されて後に続く。小屋に近づけば近づくほど、ボロさが際立ってきた。ずっと放置されていたのだろう、壁板の所々に穴も見える。

「この小屋な、うちのひいじいちゃんくらいのときまで使いよったらしいんよ。この奥に畑があるけん、その農具置き場ってことでな。けど色々あって畑も作らんようになって、小屋もそのまま。そんでこの小屋を見つけた私が秘密基地にしたってわけなんよ」

 すごく嬉しそうに話しているのは、もしかしたらあたしに自慢したかったのかもしれない。高校生のくせになんともこどもっぽい。でも、ちょっとだけ可愛いと思った。

 芦崎が入り口の引き戸を開けて中に入った。あたしも中へ進む。

 秘密基地、というからもっとごちゃごちゃしているのかと思ったが、中は意外と片付いていた。電気は通っていないが採光窓のお陰で明るい。農具などは隅っこに寄せてあり、床にほこりや木屑などもあまり溜まっていない。匂いはさすがに古くなった木の匂いがしたが。

奥のスペースには畳が積み上げられていて小上がり和室のようになっている。畳の上には小さなちゃぶ台や座布団、段ボール箱、木の棚が置かれてあり、棚には女の子の人形や古くなった少女マンガの雑誌が並べられていた。穴があいていた壁の部分にはレースの切れ端が張り付けられていて、いかにも小さな女の子が頑張って修繕しましたみたいに感じられて微笑ましい。

「どう? 結構綺麗にしとるやろ?」

「うん。なんか普通に人の出入りがある場所みたい」

「出入りあるよ。私が週一くらいで来よるけんな」

「週一で? なにしに?」

「勉強したりぼーっと休んだり掃除したり、まぁ色々。なんかおかしい?」

「女子高生でいまだに秘密基地に通ってる子はそうそういないと思う」

「ここにおるやん」

「はいはい」

「じゃあこっちの上にあがってー。座布団新しいん持ってくればよかったなぁ。一応干したりはしょぉったけんカビてはないと思うけど」

「別にこれでいいよ」

 ちゃぶ台を挟んで二人とも座布団に座る。学校を出て適度に体を動かしたからか、あたしの精神的なしんどさもだいぶ治まっている。

 芦崎が窺うようにあたしを見た。あたしから話すのを待ってくれているのだろう。

 一度深呼吸をしてからまっすぐ芦崎を見返した。

「これからあたしが話すことを聞いても、変わらないでいてくれる?」

 自分でもずるいと思う。こんな聞き方をすれば答えを強制しているようなものだ。それでも、口だけでもいいから、芦崎の答えを聞きたかった。

「当たり前やんか。たとえ泉宮さんが宇宙人やって言うても友達なんは変わらんよ」

「さすがに宇宙人ではないけど……」

 あたしは気を取り直してから、前の学校であったことを含めて全部話した。

 あたしが女性の先生と付き合っていたこと。学校にバレて先生と別れたこと。友達からもそのことで散々いじめられ、こっちの学校に転校してきたこと。そして、こっちの学校でもそのことがバレつつあること。

 全部話し終えてすっきりした。もしこれで芦崎に嫌われたら、もう諦める。

 芦崎の反応は――微笑んでいた。蔑むでも嫌悪するでもなく、優しく微笑し、あたしを見つめている。

「ひとりで頑張ってたんやな」

「え――」

 芦崎が腕を伸ばし、あたしの頭に触れた。柔らかい手が労るように頭のてっぺんをゆっくり撫でる。

「よう頑張った。うん」

 これは、だめだ。

 今のあたしにそんな言葉と仕草を掛けたら、だめだ。

 心臓のあたりが収縮する。呼吸がうまく出来ない。頬が熱い。まともに芦崎の目を見られない。

(だから、近づきたくなかったのに)

 彼女に惹かれていたのは分かっていた。ただ、自覚するのが怖かっただけ。

 あたしは、芦崎のことが好きだ。

 惚れっぽいと言われようが、節操がないと言われようがしょうがないじゃないか。だって、好きになってしまったんだから。

「……あんたさ、傷心してる女の子に優しくするってのがどういうことになるか分かってる?」

「……仲良うなってええんちゃん?」

 まだピンときてないようだ。まぁ今は別にこのままでいい。これからちょっとずつ想いを伝えて、いつかあたしに優しくした責任を取らせてみせる。

 こう考えるだけで見ている景色が明るくなる。明日からの毎日が楽しく思える。たった少し、自分の心と向き合うだけで世界が変わったような気になる。

 あぁ、懐かしいこの感覚。

 結局あたしは、恋をすることをやめられそうにないみたいだ。





〈エピローグSS〉


小さな変化


 朝、芦崎耀子あしざきようこは教室に入るとすぐ近くの女子グループに元気よく挨拶をした。

「おはよー!」

「ようちゃんおはよー」

「おはよー」

 口々に挨拶が返されたあと、耀子はドアのところで待っていた泉宮藍衣莉いずみやあいりを手招きした。

 カバンを前側で両手で持ち、視線を泳がせながら藍衣莉がその女子グループの前にやってくる。

 女子たちは当然怪訝な顔をした。藍衣莉は転校初日の態度もそうだが色々と噂のある人物だ。耀子と仲がいいのは知っているがだからといって進んで仲良くなりたい相手ではない。

 戸惑う女子たちに向かって藍衣莉が意を決して口を開いた。

「お、おはゅ――おはよう!」

「え、あ……おはよう」

 藍衣莉はすぐさま耀子の背中を押して離れていく。

「泉宮さん、今噛まんかった?」

「う、うるさい!」


 顔を赤らめごまかそうとする藍衣莉の姿に、ファンが少し増えた。



突発告白


 休みの日になると藍衣莉と耀子は秘密基地で過ごすことが多くなっていた。木々に囲まれ、鳥たちのさえずりをBGMにくつろぐというのはなかなかに落ち着くものだ。藍衣莉はさらに過ごしやすくするためにアロマを持ち込んだり畳の上にマットレスを敷いて寝転がったりと秘密基地を作った本人以上にリラックスしていた。

 うつ伏せに寝ながらファッション誌を読んでいた藍衣莉が話しかける。

「そういやさー、この辺たまに動物の鳴き声が聞こえるんだけど、なにかいるの?」

 耀子はちゃぶ台の上でマンガを読んでいた。

「おるよー。猿とか猪とか。鹿はここらではあんま見んけど」

「へぇー。芦崎さんは見たことある?」

「ちらっとだけね。明るいうちはあんまり近くまでこんし。あ、猪は檻の罠に捕まっとんのを見たなぁ」

「うぇ、怖くなかった?」

「近くで見るとやっぱ怖いよ。あんなんにぶつかられたらケガどころじゃすまんやろうし」

「猿は? 観光客の食べ物盗んだりしないの?」

「あれは観光客がたくさんおるけん猿が学んどるだけ。ここらのは近寄ってすらこんよ。たまに民家の柿の木に登ったりするやつはおるけど」

「リアル猿カニ合戦じゃん」

「カニが近くにおったらな――ん?」

 耀子が藍衣莉の方を見て目を凝らしている。

「どうかした?」

「ちょお待って。そのまま動かんとって」

「え、え、なに? 怖いんですけど」

「髪にクモがついとる」

「――――」

「小さいやつやけんそんな怖がらんでええよ」

「と、と、とと取って取って」

 耀子がそろりと近づき狙いを定めて手を髪に押し当てた。

「あ、あ」

「ちょっと!? どうなったの!?」

「反対の方逃げよるけん体起こして」

 言われるがままに藍衣莉は上体を起こす。

「あ、頭のてっぺんの方来たわ」

「えぇっ、早く取ってよ!」

 なかば抱き着くようにして藍衣莉は頭頂部を耀子の近くに持っていった。耀子が手をお椀型にしてぽこんとクモの上から被せる。

「捕まえた!?」

「うん、だいじょ――あ」

「今度はなに!?」

「ジャンプして逃げてったわ……あっちの方行っきょる」

「離れたんならもういい。とりあえず、ありが、と――」

 耀子を見上げて、今の自分が抱き着いていることに気付き赤面する。 

「泉宮さんって虫苦手なんやねぇ。イメージ通りやけど」

「う、うるさい」

「まぁ毛虫とかじゃなかっただけマシやったね。……ん? どしたん? もう離れてええよ?」

 抱き締めた感触とぬくもりが惜しくて、藍衣莉は思わず本音を漏らした。

「……もうちょっとこのままでもいい?」

「ん? あっはは、急に甘えてどしたんな? ええよ。たまには甘えたいときもあるもんなぁ」

 耀子は腰を降ろして、藍衣莉の頭を優しく撫ではじめた。

 頭を撫でてもらうのはこれで二回目だったが、その心地よさに藍衣莉はすっかり虜だった。加えて今は耀子の腕と体に包まれている状態。これを天国と言わずになんと言うだろうか。

「一生こうやってたい……」

「え?」

 心の声に耀子が反応し、藍衣莉に戦慄が走った。今のはモノローグじゃなかったのか。

「あ、芦崎さん、何か聞こえた?」

「一生こうやってたいとかなんとか」

「…………」

「…………」

「一将荒野鉄隊っていう集団が西部劇の時代にいたらしい――っていうのは……苦しい?」

「苦しいなぁ」

 藍衣莉のなかの理性を司るナニかが切れた。

「えぇそうですよ!? 芦崎さんの腕のなかで一生を終えたいって思いましたよ!? 悪い!? 自分の好きな人に頭撫でられてそう思わない人間なんていないの!」

「……それって告白ってことでええん?」

「え……あ……ちが、いや、違うことはなくて、その、やっぱりえぇっと……やりなおしていい?」

「ええよ」

 ここまできたら勢いに任せるしかない。前に友達の関係は変わらないと言ったのは向こうだ。たとえ告白が失敗したとしても耀子なら友達のままでいてくれるはず。

 藍衣莉は正座をして背筋を伸ばして耀子を見つめた。

「……好き、です。あたしに手を差し伸べてくれたときからずっと。芦崎さんがいたから、今のあたしがいると思ってる。すごく感謝してるし、感謝してるからこそ好きって想いが強くなって。だ、だからって付き合って欲しいとかは望んでなくて、芦崎さんが友達のままの方がいいならそうするし――」

「私と付き合いたくないん?」

「そんなことない! けど……」

「じゃあええんちゃん? そのまま言ったら」

「……付き合って、くれるの?」

「うん」

「ほ、ほんとに?」

「ほんまやって」

 藍衣莉は息を飲み、感情が飛び出てしまいそうになる寸前で抑えた。喜ぶにはまだ早い。

「い、いいの? あたし自分で言うのもあれだけど、めんどくさいよ? 嫉妬とかすぐするし、ちゃんと構ってくれなきゃイヤだし」

「なんなん? 泉宮さんは私に振ってほしいん?」

「そうじゃなくて! あとで振られるより、今振ってもらった方が楽だから……」

「振らんよ。私もずっと考えよったけん」

「なにを?」

「泉宮さんに告白されたらどうしょっかなぁって」

「え!?」

「ほんまはな、泉宮さんの前の学校のこと知っとったんよ」

「うそ……いつから?」

「転校してきてわりとすぐに。私が泉宮さんと仲良うしょぉるけん、忠告のつもりやったんか他の子が教えてくれた。そんで『もし泉宮さんに好きになられたらどうするん?』って。でもそんときは泉宮さんのことをほっとけんかったし、『ほんまに好きになられたときにまた考えるわ』で終わったんやけど」

「…………」

 全部知ってたうえであれだけ優しくしてくれたのか。嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、藍衣莉は視線を落とした。

「そっから泉宮さんと打ち解けて一緒に遊ぶようになったやろ? そしたらまぁやっぱりその言葉がちらついてな、もし泉宮さんに告白されたらなんて返事するんやろって自分で考えるようになったんよ」

「その結果が……」

「うん、そういうこと」

「理由、聞いてもいい?」

「なんやろうなぁ。構ってあげたくなるとか話っしょって楽しいとか色々あるけど、一緒におるんが落ち着くっていうんが一番かな。大事やろ? これから先もずっと付き合っていくんやったら」

「……うん」

 これから先も、という言葉が藍衣莉には何よりも嬉しかった。本当にずっと一緒にいられるかは分からない。それでも今は、耀子の気持ちが嬉しい。

「さ、これでめでたく恋人になったけど、最初になんする? 泉宮さんが決めてええよ」

「な、なにって、えっと……」

 藍衣莉の脳内にキスやらそれ以上のことやらが浮かんでくるが、いきなりそんなことをお願いしてどん引きされたくない。悩んだ結果、無難なとこで落ち着かせることにした。

「ぎゅって、ハグしてもらってもいい?」

「ええよ」

 耀子が藍衣莉を抱き締めた。藍衣莉の全身を幸せが包み込む。おまけに耀子が頭を撫でてきたので表情が弛緩していく。

「はぁ~……」

「やっぱ泉宮さんはあまえんぼなんやね」

「……悪い?」

「全然。従姉妹に小さい子が多いけん、甘えられるのには慣れとるよ」

「じゃあもっと撫でて」

「はいはい。……まぁちょっと安心した」

「なにが?」

「横になって服脱いでとか言われたらどうしょっかなぁって思いよったけん」

「そ、そんなこといきなり言うわけないでしょ!」

「そのためにマットレス持ってきたんかな、と」

「違う!」

 必死に否定しながら、綺麗なシーツと毛布くらいは持ってきといた方がいいかなとか考える藍衣莉だった。



じぇらしぃ


 耀子には友達が多い。地元出身だし、彼女の誰とでも打ち解けてしまう性格が、自然と人を惹きつける。

 学校にいるときも常に藍衣莉と一緒というわけではなく、違う女子たちと話すこともしばしばある。

「むー……」

 藍衣莉は自分の席でスマホをいじるフリをしながら、仲良さそうに女子たちと話している耀子を睨んだ。

(付き合ってるんだから友達より彼女優先してよ)

 完全に嫉妬だった。ただ、耀子には耀子の友達がいるのは当たり前だし、そっちの交友も大事なのは理解しているので、直接耀子に言うつもりはない。それでも、気付けば視線を送ってしまう。

 不意に藍衣莉は女子のひとりと目が合った。慌ててスマホに視線を落とす。それを見て女子と耀子がこそこそと何かを話すと、耀子が藍衣莉の席に向かった。

「どしたん、泉宮さん?」

「……なんでもない」

「なんでもないことないやろ。こっち睨っみょったんやって?」

「……別に」

「話に入りたかったん?」

「そうじゃない」

「じゃあなに?」

「……仲良さそうにしてたから……」

 ぼそっと本音を言うと、耀子が嬉しそうに笑った。よしよし、と藍衣莉の頭を撫でる。

「寂しかったんやったらそう言えばええのに」

「こ、こらっ、頭撫でるな!」

「藍衣莉ちゃんはひとりはイヤやもんなぁ」

「し、下の名前は――!」

 ふたりっきりのときだけなのに。言葉を飲み込んだ藍衣莉の頭を、耀子がずっとよしよしする。

「だから頭を――」

 よしよし。

「みんな見てる――」

 よしよし。

「…………」

 藍衣莉が完全に沈黙してされるがままの状態になってから、耀子が藍衣莉を立ち上がらせてその腕を引っ張った。

「なぁなぁ、この子も会話に入れてあげて」

「あんたはあたしの母親か! やめろぉー!!」


 撫でられておとなしくなったり、取り乱して叫んだりする藍衣莉のギャップに、またファンが少し増えた。



じぇらしぃ2


 廊下で三人の女子生徒が会話をしている。

「泉宮さんってさぁ、最初怖かったけどなんか最近イメージ変わってきょぉらん?」

「きょぉるきょぉる。ちゃんと受け答えしてくれるようになったし、この前普通に『ありがと』ってお礼言われた」

「あ、うちも。お礼言うときさ、あの子めっちゃ照れてない?」

「照れとった照れとった」

「言われた方もなんか照れるんよね、あれ」

「好感度あげよう思っとんちゃん? 可愛いアピールで」

「可愛い言うたら、ちょっと前に耀子ちゃんに撫でられてペットの犬みたいになっとったの、めっちゃ可愛くなかった?」

「あー、あれは可愛かった。今度からなにかあったらうちらも泉宮さんの頭撫でてみる?」

「ええんちゃん? みんなで撫でて泉宮さんの顔を真っ赤に――」


「私のやけんな」


 彼女たちの背後に耀子が立っていた。曇りのない笑顔で三人を見つめる。


「泉宮さんの頭を撫でてええんは、私だけ。な?」


 耀子が去ったあと、誰とはなしに呟いた。

「……やめとこっか」

「……うん」



前に進むということ


 山の上で夕日が赤く燃えている。学校からの帰り、商店のベンチでお菓子を食べながら耀子が切り出した。

「藍衣莉んちに行ってみたいんやけど、いかんの?」

 付き合い始めてからまだお互いの家に行ったことはなかった。理由は藍衣莉が家に呼ぶのも耀子の家に行くのも嫌がっていたからだ。

「……来てなにするの?」

「藍衣莉の部屋を探索したり、おうちの人に挨拶したり」

「探索は、まぁいいとして、挨拶ってどういう風に?」

「お付き合いしてますって」

「ダメ! おじいちゃんもおばあちゃんもあたしが転校した理由は知らないんだから」

「じゃあご両親は? ちょいちょいこっちにきよんやろ?」

「……やめた方がいいよ。あたしのことどう思ってるかわかんないし、もしかしたら無理矢理別れさせられるかもしれない」

「付き合いよること伏せて友達って言うんもいかんの?」

「勘ぐられたら困るから、それもダメ」

「んー、でもいつかは言わないかんと思うんやけど」

「…………」

「じゃあ私んとこは? 私の家族に会ってみん?」

「……それもまだ怖い」

「ポンちゃんには?」

「ポンちゃんって――あのタヌキの? え、家にいるの!?」

「おるよ。もうだいぶおじいちゃんやけど」

「オスだったの!?」

「そこは驚かんでよくない?」

「そ、そうだね」

 耀子が立ち上がり大きく伸びをする。

「ん――まぁ細かいことはおいといて、ポンちゃんに会いにくるってとこからやってみん? それやったら気も楽やろ?」

「……ポンちゃんと会うだけなら」

「うん、決まりやな。そんじゃ行こ」

「今から!?」

「当たり前やん。会うだけやけんちゃちゃっと終わるわ。ほら、立って」

 耀子が手を差し出した。藍衣莉は一瞬だけ躊躇して、その手を握り返した。

 ひとりだと怖くて進めなくても、耀子が手を引いてくれるなら進んでいける。

 これから先、何があったとしても。



      終



方言はうちの地元っぽいのを。西のが色々混ざってたりしてます。


エピローグが複数なのはせっかく思いついたのがもったいなかったからです。たまにはこういうのもいいかなと。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] そういう後日談エピソードはいいですね。 ハッピーエンドの後、キャラたちのイチャラブシーンは尊い。 [一言] わたしもポンちゃんに会いたいです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ