変態 vs 東堂さん
「…くっ…!」悔しげに歯噛みをし、東堂さんはひとり、迫撃の動きを止める。
環境音満ちる静かな裏路地。流通用運河に面した、資材置き場のさらに奥側。――周囲に人の気配はない。積み込みや荷卸しのない時間帯なのだろう。雑多な資材の様子が目を引き、ちょっと楽しい光景だ。散策には丁度いいのかもしれない。
もちろん今は散策どころではない。焦れきった眼差しに、立ちふさがる魔術師と盗賊、そして磔にされた少年の様子をうかがう。――状況は絶望的。
倒された、当の切田くんには後悔しかない。(…やられたっ!!?)弁舌の囮に引きつけての後背より奇襲。型通りの事を型通りに決められてしまった。悔しがろうにも悔やもうにも、粘着弾に顔を塞がれモガモガさえ出ない。
息をしようにも濡れタオル越しみたいに空気を得られず、(…ま、マズい、呼吸がっ…)脳まで焼け付く息苦しさだけが、物凄い勢いで体内に侵入してきている。
両腕もガッチリと粘着力で固められ、喉に致命の刃まで突きつけられて、現状ほぼ詰みである。残機もゼロだ。
立ち尽くす『聖女』に嫌な目線を向ける魔術師が、ボソリと、猜疑と弄えの声を上げた。「お姉ちゃんのほうも魔術師かぁ?…今、おまえ。素手でかかって来ようとしてたよな?」
「……肉体強化をつかうのか?それともなにか?武器か何かを隠し持っているのか?」
盗賊が嬉々として調子を合わせた。「女はどこに何を隠しているか、わかったもんじゃねえからな!」
ゲラゲラ嘲笑う二人に、床を舐めた戦士が声を裏返す。「…おい!早く俺を治癒院か教会に連れて行け!このままじゃ、血が流れすぎて死んじまう!!」
「そのぐらいの傷、自分で手当できるだろ。どうぞご勝手に」「へっ、ざまぁねえな。日頃の行いだろ、日頃の行い」
「ああ!?」怒り心頭で食い下がる。「ざけんなっ!さっき全部売っちまっただろうが!!ポーションの類はよおっ!!……くそっ、てめえら後で覚えとけ。いいから早く運べって言ってんだろ節穴どもぉっ!!動脈撃たれてんのが見えねえのかよおぉぉぉっ!!!」
「おお怖い。怖いでちゅねぇ〜」
「痛い?なあ、痛い?」チラッと中指を立てる。
身内同士で仲良さげな彼らに、東堂さんは尋ねかける。
「…どうしてこんなことをするの?」
その問いかけは、不思議なほどに感情が抜け落ちた、透明な響きかたをした。
「はいぃ?なんだってぇ?」
「先に手を出してきたのはお前らだろうがよ!」ゲラゲラ。超楽しい。「おい聞いたかぁ?どうちてこんな事ちゅるのぉ〜」
「お前らから誘っといて恥ずかしげもなくぅ?…ああ?なんだよこいつ。カワイイ顔して眉ひとつ動かさねえ。…あーあ、白けるなあ〜」
「まあ、ここでは流民のガキはどう扱ってもいい、みたいなところがあるからな。決まりだよ決まり。世の中の」
「世の中のルールには、素直に従わないとなぁ?みんながルールを守ってる。みんなやってる事だろ。なあ」
凍りつく程冷ややかな視線を向けて、東堂さんは断固続けた。
「…切田くんを、治させて」
「治癒の魔法を使うのか。そりゃちょうどいい」「俺を先に治せよ!おいっ!!ぐぅぅ、…俺が先だ!!」魔術師と倒れた戦士が即答する。
盗賊が短刀で、少年の顎をぺしぺし叩いた。「へっ。どうせ死ぬぜ、こいつ。窒息してるのに暴れねえ。きっとナイフが肺まで突き抜けて、そっから空気が入ってるんだ。人の呼吸ってそういうものなんだろ?そこらの治癒師に治せる傷じゃねえよ」
「俺が死ぬだろノロマぁっ!なんで誰も言うこと聞かねえんだぁっ!?さっさと治せよぉ!!」
「……まあ、待て」戦士の喚きを制するように、魔術師は淡々と言った。
「じゃあ、脱げ」
「……」
「逃げられないよう、全裸になりな。急がないと弟くん、いとしのキルタくんか?死んじまうぞ?」転がる戦士へと目を落とす。「お前は目ぇつぶってろ。興奮で血が回っちまうぞ」「ぶは」「…なっ、て、てめぇら…っ!!」
絶句した東堂さんを上から下からジロジロ眺め、嫌味ったらしく煽ってみせる。「…いやあ、命の洗濯になるよなぁ。お前ほどの女にお外で進んで相手してもらうなんざ、生きていたってそうそうある事じゃない」
「そりゃあいいや。最っ高」盗賊がせせら笑い、もう一方の腕を伸ばして、地面と背中に挟まれた投げナイフに手をかける。……そのままグリグリと押しこんだ。
少年の頭部からくぐもった何かが聞こえ、体がビクリと跳ねる。東堂さんが血相を変えて叫んだ。「…やめなさいっ!!」「早くしろぉっ!!!」豹変した盗賊が、ドスを効かせて叫び返した。
ワナワナと体を震わせ、しばらく睨みつけた後、……彼女は無言で外套の革紐を外し、はらりと地面に落とす。
ローブの裾をつかんでたくしあげ、ためらう。――ボロボロの黒いストッキング。伝線した穴からすらりとした生足が見える。盗賊がヒュウと口笛を吹いた。
東堂さんは、地の底から響くような声で言った。「…切田くんが死んででもみなさい」
『全員肉団子にしてやる』
魔術師は鼻で笑おうと口元を歪めるも、その奇妙な表現と圧力にためらい、眉根を寄せる。「…口ではなんとでも言える。ほら脱げ。俺たちの気が変わらないうちにな」
「……っ!」唇を震わせ、彼女はダボダボの白ローブを一気にまくりあげた。――そこに隠されたものが顕わになる。
魔術師と盗賊は、思わず息を呑んだ。
ほっそりとした肢体をつつむ、見たこともない縫製の服。
娼婦でも表では履かないような、膝上までの短いスカート。
――それらは血まみれだった。
赤黒い血の塊が、ポロポロ地面に剥がれ落ちる。袖周りはズタズタに千切れ、特にその部分には血液が染み込んでいるように見える。――ローブを脱ぎ捨てた彼女の瞳が、猛獣みたいにギラリと光った。
「…なんだぁ?…おまえ…それ…」盗賊があっけにとられ、慄き、呟く。……まるで、恐ろしいものに魅入られたかのように。
◇
(…今だっ!)意識を圧搾し続ける痛みと窒息。気胸をおこした片肺の収縮。のたうち回る衝動を『精神力回復』で無理にでも押さえつけながら、切田くんは『マジックボルト』を放った。
――頭の横に発生した光弾が、切田くんの顔に向かって発射される。――まぶたと鼻頭、白い粘着弾が、かすめた光条に削り取られた。
まぶたが抉られ視界が回復する。血液が入り込む一瞬で盗賊をとらえ、素早く次弾を発生させた。――それは、切田くんの口腔内だ。
光弾が口内から唇と粘着弾を突き破り、そのまま短刀男の顎を貫通した。頭頂から上空へとまっすぐ抜け、見えなくなる。……「へぁ?」くにゃりと盗賊は脱力する。
ヒュウッ。切田くんはあえぐように、穴から大きく息を吸い込んだ。
「…なんだとっ!?」魔術師は驚愕する。『無詠唱』系のスキルや、杖以外の場所から【マジックボルト】が発生するのはまだわかる。――手練の魔術師ならば、焦点具や補助装置にこだわらない場所から魔法を発生させることもたしかにある。
だが、体内から魔法を発動させるなど、見たことも聞いたこともない。「……俺の知らない外の技術があるだと?……吐いてもらうぞ!小僧っ!!」魔術師は、短杖を突き出そうとした。
その時すでに東堂さんは、空中で平手を背負い、引き絞っていた。
『このおっ!!!』平手打ちが正確に、魔術師の頬へと吸い込まれた。衝撃に頚椎が外れ、頭がそのまま自らの肩を打つ。――全身が側転し、ヒュンヒュンと空中を飛んだ。
地面をこすり、転がって路地の壁へと激突する。……節々を複雑に折りたたんで、彼の体はそこで止まった。
東堂さんは怒りを込めて言い放った。
「……変っ態!!!」
(ありがとうございます)倒れたままの切田くんは、空気を求めて喘ぎながら思った。
◇
魔術師の死によって粘着弾が力を失う。バラバラと白い繊維がほどけ落ち、融ける様に消えていく。「…切田くん!!」悲痛な声を上げ、駆け寄る。
無残な様相を呈していた。右瞼から鼻頭にかけての皮がえぐれ、血が流れている。唇が千切れ、肉と歯が露出している。――呼吸は早いが弱々しい。うまく酸素を取り込めていないようだ。
ゲボッ、ゲボと咳き込む。破れた唇からコポリと、血が溢れ出す。吐瀉物で溺れないよう横向きに転がし、てきぱきとナイフを引き抜いて、背中の傷を塞ぐ様に手を押し当てる。
そして、気遣わしげに、……血で汚れるのも構わずに、ヌルリと彼の傷ついた顔を撫でた。
「…東堂さん…」地面を見つめて弱々しく呻きながらも、(……あぁ……)切田くんはドン底の気分だ。(…失敗した。失敗した失敗した。何が一人で殺れるだ…)
(僕の負けだ。宿った力を過信して、いつの間にかうぬぼれていたんだ。…ちょっとインチキが通ったぐらいで、イカサマ無双ピカレスクが始まるとでも思い込んで…)
(……)
(…ていうか、なんだ!『世界に選ばれたんだ(キラーン)』て、お前。…今思い返すとめちゃめちゃ恥ずかしいやつじゃないかっ!)グギギと捻じれる。(『能力が、相手の上をぉ〜』後ろグサー。バカバカバカ!…ぐおぉ…うごごご…)ドン底気分に恥辱が乗っかって、闇に飲まれるラスボスみたいな断末魔を上げる。世界を道連れにしたい。
(……いや、僕は東堂さんに『いいところを見せたかった』のかもしれない。インチキピストルひとつ使える程度で調子に乗って……)
(治癒にどれだけかかるだろう。人が来る前に急いでここを離れなければ!……なのに、僕が足を引っ張って……)ドロつく沼少年を手で押し出して、ゴロリと仰向けに寝かせ直す。覆い被さって覗き込み、――少し詰問する調子で、東堂さんは声をかけてきた。「…ねぇ、切田くん」
「…はい、すみません東堂さん。僕のミスです」
「そんな謝りかたはやめて」
たおやかな指が触れる。(冷んやりとした感触)――細い指先が脂汗をなぞり、前髪がかき上げられる。彼女は続けた。
「…でも、もうこんなことはしないで」
「…はい。僕はうぬぼれていました。東堂さんの言う通り、ここは逃げるべきだった」
「…そうじゃなくて」そっと額から手を放し、念を押す。
「自分で自分を傷つけるような戦い方」
「……」切田くんは黙り込む。
(目と口に穴を開けたのは、ベストな判断だったと思う。攻撃と通気を両立出来たし)
(…だけど、そこまで追い込まれたことは、やはり不正解だったんだろう)
頭の中でそう考え、内心で首を振る。(…いや、心配させるなってことだよな。目の前でそんな事をされたら、僕だって嫌だ)弱々しくうなずいた。
「…わかりました。約束します」
「…うん」彼女は羽のようにやわらかく、どこか愛おしげに頬から目元を撫でた。……そして、おだやかな微笑を浮かべた。
(…やさしい人なんだな…)慈愛を湛えた笑顔を、ぼうっと見上げる。
……なにか、違和感がある。
安らいだ気持ちは吹っ飛び、ビリリと背筋に怖気が走る。
切田くんには何故か、彼女が冷たく仄暗い空気を纏っているように思えたのだ。
(……何だ?)
唐突に東堂さんは目をそらし、背中から手を放して立ち上がった。「じゃあ、剥ぎ取りを始めましょう」「えっ」
「理想や気持ちはともかくとして、現実には立ち向かいましょう。彼らの装備はきみの言う通り、確かに有用よ」
「…あの、僕は重傷で」(また肺をやられた。運命は僕の肺に恨みでもあるんだろうか)弱々しく答える彼に、少しあきれて彼女は言った。
「もう治っているでしょう?」
「……え」
切田くんはボケっと立ち上がり、深く呼吸をして、傷ついたはずの自分の顔を撫で回した。そこには何の痛みも、傷跡も、違和感も何も存在しなかった。「つっよ」
「一人逃げたわ。急ぎましょう」
◇
「ひっ…ひっ…畜生…いでぇ…ひっ…殺される…畜生…聞いてねえ…あんな化け物女…殺されるっ…!」両腕で必死に地面を這いずる戦士。――その酷く歪んだ表情を伝い、脂汗がポタポタと地面に落ちる。「…死にたくねぇ!しにたくっ…」路地の向こうを曲がり、結構な距離を進んでいる。引きずった両膝の血が、踏み固められた地面に線を引いている。
追おうとする東堂さんを制し、切田くんは半身でシャープペンシルを向けた。――光条が頚椎を貫く。「けひゃっ」奇妙な声を上げ、そのまま地面に突っ伏した。
「…誰かに見られるかもしれません。深追いは危険です。彼は諦め、そこの二人の装備を奪って奥に進みましょう」
「…そうね。うん。急ぎましょう」
魔術師が持っていたショルダーバッグを肩に掛け、短杖を中にしまう。(…そうだ、お金も…)折り畳まれた体を叩いて確認し、財布らしき小袋を奪う。
東堂さんは、脱ぎ落とした白ローブを着込み直し、外套を身に纏う。
短刀を拾い、盗賊を引き起こして腰ベルトを外す。……大きなウエストバッグがついている。短刀の鞘、投げナイフが二本くくられている。
切田くんは最後に、食料の入った麻袋を肩に掛けた。「良し。行きましょう」
「ええ」じっと目を合わせ、うなずき合う。
差し出された手を取り合って、ふたりは路地の奥へと小走りで駆けていった。
後には、物言わぬ死体が二体と一体。
いまだ、彼らを見つけるものはいない。