史上最大の脅威
屋根から石畳まで5メートルの落下。(……南無三っ!!)打ちどころが悪ければ死が見える。
切田くんは屋根から転がり落ちた直後、「…このっ!!」片手で抱え込んだショルダーバッグ内に揚力を発生させて、空中でぐるりと半回転した。――クッション性の高い背負い袋から石畳へと落ちる。……背中に感じる、グシャっとした嫌な感触。
(…うわぁっ…)荷物の中から感じる水分、漂うアルコールと葡萄の臭い。
先程の屋根プレスで水袋が破裂したか、飲み口を締める紐が切れたのだろう。……背負い袋ごと投棄するしかあるまい。水滴や臭いが目印になってしまう。
「…一瞬でも惜しいのに、こんな時にっ…!」抱えたショルダーバッグを一旦除け、急いで背負い袋を脱ぎ落とそうと(左手がジクジクする)腕を竦める。――落下する白影。
少し離れた場所にカニンガムが落着したのだ。激しい衝突に、全身鎧が石畳にて火花を散らす。「……ぐむっ!!」「なにっ!?」(…行動が速い!?かなりのダメージを与えたはずなのに!!?)
彼の片腕はグシャグシャに圧し折れ、【フライ】の魔法効果も切れているはずだ。……だというのに、落下ダメージなどものともせずに、初老の男は素早く起き上がろうとしている。
執念に塗れ、すでにこちらを睨みつけている。「この程度がなんだというのだっ!!貴様は絶対に逃がさんぞっ!!!」衝動を吐き出し、よろめきながらも手を伸ばして、カニンガムはピッケルの如く岩盤に怨執を叩きつけた。
「…ググ…逃さんと言っている!!…魔除けをぉ、よこせぇっ!!!」
切田くんは焦りながらも背負い袋を脱ぎ落とし、肩紐の切れたショルダーバッグを引っ掴んで(…まどろっこしいっ!!)、急いで立ち上がろうと膝をつく。(…要らないって言ってるのに、そうやって殺すために追ってくるからっ…!)
(…そんな執念晒して追う価値のものが、どうして『迷宮』にポツンと落ちているんだ!?こんなものに、何の価値が有るっていうんだよ!?)慌てる覆面をギリリと睨みつけ、脂汗に塗れるカニンガムは、残った力を絞り出し怒鳴った。
「それは国の守りの要だ!民を守護するためのものだぞ!!…貴様が好きにして良いものではっ!!」
(……)
(……こいつ、言ったなっ!!)切田くんはカチンと来た。その言葉は今、目の前の軍人が言うべきではないセリフだ。
「…それが、民も守らず僕も守らず、あまつさえ民も僕をも殺そうとする人の言うことですか!!」
ギラリと睨み返し、腹の底より怒鳴り散らす。いくらでも怒りが溢れてくる。
鼻白み、汗まみれの顔を歪めるカニンガムに、噴出する衝動を絞り出し、叩きつける。「…理不尽に巻き込まれた人さえ守れないくせにっ…!なんなんですか!?あなたは!」
「民を殺して、異界の人間をこうやってめちゃくちゃにしてっ!!そんな口で偉そうに民の守護ですって!?それなら下衆をほざかれたほうがよっぽどいい!!」
「数の天秤を理由にするのなら、勝手にあなたが殺した死体に向かって、好きなように正しさ押しつけてればいいじゃないですかっ!!黙って殺りに来ればいいものを、自己欺瞞が煩いんですよ!!あなたはっ!!」
――煮えたぎる激情の裏側で、……水底、湖底。切田くんは冷え切った刹那の思考を高速で廻す。(…こうやって喚いて見せたところで、今の僕には、相手に強制する力が無い……)
(インチキ暴力でさえ圧されている現状。そんな状態の者が、『やめろ』『そうしろ』などと言っても意味がない。…つまり、僕がいくら吠えかかったところで、こんなのはただの嫌がらせだ…)
生殺与奪。望まぬ相手に言うことを聞かせるのならば、結局はそれに尽きる。――直接的な致死暴力。あるいは間接的な、兵站・生活破壊による餓え殺し。
そんな強制力も無しに言うことを聞かせようとする人間はペテン師だし、聞く人間はカモである。……切田くんは、衝動に任せて中身のない事を叫んでしまった事に、すっかり恥じ入っていた。(…うう…)
(…いや、この人は、民間人の犠牲に関しては動揺を見せていた。…抵抗の有る人ならば、多少の揺さぶりにはなったはず…)ギラリと、黒き闘志が燃える。
(……こうなったら、覚悟を決めて殺り合うしかない。……接近戦は不利だとしても、この距離ならば、僕には詠唱潰しの『ビー玉』がある)
(それに、『物質』だってある。魔力の籠もったカードキーを、僕の力で壊せるか?)
生殺与奪の攻め手に欠ける時には、相手の士気を破壊するハラスメント攻撃が鉄板だ。(……最悪ゥ!)物質と書いてものじちと読む、などと考え、少し愉快な気分にもなるが、……やっていることは卑劣そのものであることに、切田くんは内心穏やかではない。
(…卑劣に卑劣で返すことはしょうがないけれど、決して気分の良いことじゃない。…それでも、『卑劣に対して真摯に返す』なんてのは間違いだ。冗談じゃない)
迎合を見せて卑劣を増長させたり、それどころか『気持ちは分かる』などと勘違いさせては、後の被害は拡大する一方である。
そして、時として(その場の気分で)人はそれらを選びがちであることを、切田くんは身に沁みて感じていた。――加害の存在に対し護るだの調停するだのと言い張り、それを自慢げに強要する種類の人間に、彼はひどく辟易していた。(相手のハラスメント攻撃には、譲歩よりもハラスメント攻撃返しだよな。貴族みたいに)
……思考が脱線している。今は立ちはだかる加害の化身、白鎧の指揮官をなんとかせねばなるまい。(この人が、情を大切にする人だとしても。…軍人なら、国がさせれば従うしか無い。意思は強固ということ…)
(…僕に出来る範囲で現実に干渉するしか無いんだ。まずは少しでも影響力を出すために、この魔除けを『物質』にして…)
「わかった。俺が金を渡す」カニンガムは、はっきりとそう言った。
(……んぇ?)没入が途切れ、高速思考がズタズタに分断されて、たちまち通常速度に戻っていく。頭回らん。……切田くんには、彼の言葉がスッと入って来なかった。(……お金?)「……何ですって?」
◇
防御した篭手越しとはいえ、『ガラス玉』の直撃を受けた左腕は粉砕骨折。胸部や背部は加熱によって深刻な火傷を負っている。――更には屋根よりの、落下制御マントをも使わない自由落下の衝撃に、負傷は度合いを増している。
――思考を圧搾する激痛の中で、カニンガムは苛立たしげに思い返す。
緊急出撃とはいえブリーフィング不足、一本の指揮系統さえ混乱する始末。……何も探らぬまま行われた先制攻撃のうえ、民間への誤爆。……これはひどい。あまりにひどい。
それらを成した部下は、親衛隊という箔付けのために貴族のコネで入り込んだ、一応は採用水準に達しているらしい若造である。(…近頃の若いもんは、などとは言うがな。若いものなどいつだってこうだ!!だから洗脳まがいの訓練が必要だと言うのに…)
(人道は馬鹿を増長させる道具ではない!人が足りんのは頭数の話ではないのだぞ!どいつもこいつも見栄えばかりに固執しよって…)
新入りとは声を交わしたのも数えるほどで、厳しい指導をしようにも上から止められる。個人の意欲を探れど望み薄な反応でさえあった。――それを部隊指揮官の責任だと問われれば、正直、理不尽にもほどがある。
とはいえ近衛兵団は、国の税金により給料を賄う組織だ。……いくら理不尽でも、直属上司のカニンガムが責任を取るのが筋であろう。権威を傘に握りつぶすことも簡単だが、カニンガムにとって今回はそうするべき局面ではない。
(…せっかく見どころの有るはぐれが紛れ込んだところで、こうして敵に回ってしまっては意味がないではないか。総魔研のボンクラ共め…)
(…ええい、敵に回らずとも【洗脳】を付与する現在の召喚勇者システムでは、はぐれを引いたところで意味などないわ!まったく、何もかもがままならんわ!!)「……我々が誤爆した民は、貴様の仲間が癒したのだろう?権威を貴ぶ国が頭を下げることはできん。民には俺が、個人で補償をする」
荒ぶる内心とはうって変わって穏やかに、カニンガムは滔々と語る。……ギラリと鋭く睨みつけ、発声に険を込めた。
「…頭も下げろと言いたいか?貴様が空の謝罪を要求して私心を満たす輩であるのならば、俺としても強奪行為を止める意味がない。この話は無しだ」
「……」どうやら、白鎧の指揮官は手打ちにしようと言っている。切田くんも強く睨み返し、……そして、肩紐の切れたショルダーバッグを一旦落として、カードキーを頭から抜き放った。
「…近寄りません。投げますよ」
「ああ」
鎖付きカードキーを雑に投げつけると、カニンガムも無事な右手で無造作に掴む。
そして彼は、くるりと背を向ける。――『障壁』や装甲が有るとはいえ、その姿はあまりにも無防備だ。
ショルダーバッグに手を掛け、油断なくその背を見守る中。……カニンガムは姿勢を崩さずそのまま歩き去って、――上空へと舞い上がって見えなくなった。
戦闘終了。どうやら窮地は脱したようだ。(……ふぅ〜……)切田くんは肩の力を抜く。(…なんとか切り抜けたみたいだ。…補償だってさ…)
カニンガムはあの母子に補償をすると、確かに言った。しかし切田くんには、約束を守ったことを確認するすべがない。(…ただの口約束、って事だもんな。上っ面の…)守られたとしても納得の行くものかどうかは分からないし、母子のケアが行われることもないだろう。
そもそものところ、母子の問題は切田くんにとって、ただの気分の問題である。彼女らを案じることに、……偽善の感覚。忌避する思いさえあった。(…まさに、考えても仕方のない事か。…見知らぬ人に良識を期待したって、ガッカリしてドツボにハマるだけさ。ましてや敵になんて…)
(さて、東堂さんと合流しよう。『ガラス玉』も新しく作らないと)
ため息混じりに息を吐き出す。ふと、背を向けて去った男の残響が、切田くんの心を揺らす。「……それでも……」
「組織に背して自分を曲げてくれたのなら、わかってくれたと思いたいけど…」思わず口をついた独白に、背後の女性が答える。
「そうだね。お互いの都合をぶつけ合っただけなんだから、向こうだって都合で曲げて見せただけかもだね。覆面くん」
「でも、別にそれでいいじゃない。別にそれで良いと思うよ?良い事じゃない」
(……ん?)……ざわり、と、全身が逆撫でられる。……背後の女性?
(……敵かっ!?)聞き憶えなき親密なる声。切田くんは硬直し、咄嗟に振り向くべきかを迷う。――既に、相手の攻撃圏内。迂闊な動きは死に繋がる。
そんな機先を制し、気軽な声を掛けてくる。――話慣れした若い女性。年上であろう落ち着いた声。「要はきみに、『しがらみの上で、筋を通した納得のいく形を見せる』って事でしょ?だったら、そこは突き詰めなくてもいいじゃない。仕事を抜きにしても話せるおじさんっぽかったし。少なくとも陰でヘラヘラしないタイプなんじゃない?」
「……見てたよ〜。そういう覆面くんだって、結構熱いよね?」
「きみ、向こうの子だよね。がなりたいだけ、って感じじゃないし。……君みたいな子、私は好きだけどな。私はね」
背後よりポンポン投げつけられる、多連装お褒め攻撃。……背筋が寒くなったり顔が熱くなったりする。(な、なんなの突然っ!?…僕をからかっているのか?)
向こうでの切田くんはヘタレの赤面しいなのに、毎度変に落ち着いた返しをするので、普段から不特定多数によるかまちょの標的になりがちだった。……その手の相手をまともに取り合って、状況を悪化させるなど冗談ではない。
四日前までならそれで済んだ。――今は、警戒警報が全力で鳴り響いている。(……向こうの子って言ったな?……別の召喚勇者か!?)警戒をよそに、声の空気は和む。
「ああ、突然ごめんね。びっくりさせちゃった?ゴメンゴメン急に話しかけちゃって」
「こんなところで仲間を見つけて。しかも良い子そうだから。私も嬉しくなっちゃって。ていうかきみ、こっち来たばっかりだよね?それでさっきの立ち回り?……え、凄くない?やるじゃん少年〜」
「お互い大変だったよね〜。私のほうは、ちょっと前からでさぁ。ハハ、いやホント大変で。めっちゃ暗くなる。『ヴワァー』ってなるよ。だから、そんなふうに壁を作るのも分かるんだよね。…そのままでいいからね。安心して」
「それはそれとして、少しは私の相手もしてくれない?少年〜。ここでの情報交換もしたいし。それは良いでしょ?」
パーソナルスペースギリギリまで詰めてくる、真綿で首を絞めるような圧力。(……ま、まさか……)この感じ、憶えがある。(……こ、この声はもしや、……陽キャ!?)
けたたましく警戒警報が鳴り響く。――切田くんは陽キャと呼ばれる存在に、極めて高い脅威を感じていた。
陽キャの脅威。……世をあまねく支配する、三種の陽キャ。
まずは、陽キャ界の最大勢力、①プア充の陽キャ。自分の快楽を吐き出すことに終止するタイプの陽キャで、……当然、その関係性は、のしかかりや思い込み、独りよがりによって繋がっている。
場所を占拠し、人目憚らず騒ぎ立て、相手にもそれを強要し、身内のはずの集団内でさえ常に相手の攻撃性を伺い合って、コミュニティを破壊しないラインでマウントを取り合う関係。……言ってしまえば普通の人だ。
次に、②キョロ充の陽キャ。自分の意志や押しの強さを持たず、それでも陽キャコミュニティへと積極的にすり寄る、コミュニティに対してパッシブであることを好む集団。場の空気を良好に保つこと、その一辺倒に終止するタイプの陽キャであり、その関係性は、相手やコミュニティの質に依存する。
――その多くは善良ではあるが、①のプア充コミュニティに所属してしまった場合、その性質につけこまれ利用されて、果ては非業の最後を遂げる運命を持つ。そんな悲運の陽キャだ。
……そして、最も少数派にして最大の脅威。③リア充の陽キャ。
「…固まってる?ホントごめんて。そういうんじゃないからね?確かに私らの都合で声掛けたのはあるんだけど、…フフ、逆ナンじゃないからね。うける」
「だけどゴメン、ねえ聞いて。ちゃんとした用事があるんだよ。一方的に用事を言わないのは、聞く気になってほしいから。だから一旦は聞いて、それからゆっくり判断してほしいな。ね、お願い!…どうかな?覆面くん」(こ、この圧力っ!!?)
③リア充の陽キャ。真なる陽キャ。優れた洞察力と関係性の構築力、そして構築意欲に溢れた、コミュニティの支配者。
アドリブ力とカバーリングに優れ、その手腕によって領民を繋げて増やし、領地(場の空気)の運用能力によってコミュニティのステージを上げ続ける、圧倒的社交貴族。――経験によってインフレする能力は他の追随を許さず、付き従う者を指し置いて自らの爵位を上げ続け、格に見合わぬものは切り捨て進む。そんな覇王の宿命を持つブルーブラッド。
当然、学園カーストにて最上位。アウトカーストの切田くんにとって接点などありようが無いし、とても太刀打ち出来るものでもない。(…ヒェェ…)そんな存在。
「そっち行くけど大丈夫?嫌だったら言ってねー。じゃあ行くよー。キミもこっち向いていいよ〜」……背後の声が、迫りつつある。足音は聞こえない。――害意を感じさせない為の慎重さか、それかおばけか何かだ。(ひぃっ!?)こんな態度で押してくる相手など、陽キャか詐欺師に決まっている。それかおばけ。
それほど強力な存在が、無防備な背後に陣取って、奇襲によって近接攻撃を仕掛けてきている。チェストされてしまう。
切田くんは心底戦慄し、あまりの脅威に竦み上がった。
(陽キャ怖い!!)




