エターナルフォースブリザード
弾け飛ぶ視界、跳ねる意識。唸る擦過音に、躰の芯まで響く衝撃。――全てが弾み揺れる一瞬の中で、黒衣の勇者はからくりに気づいた。
(…なるほど?魔力の糸を繋げて所有権を主張したのか。…『アイテムボックス』の性質を見抜かれたようだな?)衝撃に乖離する、軛より逃れし冷徹な思考。(……やってくれる……)
顎部に激しく着弾した、野球ボール大の魔力結晶弾。球体に透けて見える細い光のラインが、少年の手指まで繋がっているように見える。これが『収納』逃れの小細工だ。(……だが、)
(二度は通じない。『ムラマサ・ブレード』で結晶弾を迎撃、あるいはラインを切断して『収納』する)大きく体勢を崩しながらも、彼女の冷ややかな思考は回る。――脳震盪を起こしてはいない。最新技術で作られた鉄兜が衝撃を(スーツ側に)逃し、ダメージを軽減してくれている。(これで詰みだな。アドリブ頼りに苦境が見えるぞ、少年。…もはやまともな攻撃手段は残っていまい。あればとっくに使っている)――心臓を握られる程に歪む、猛烈なる不快の衝動。(…ぐぅっ…)
(……フン、手癖の悪い猿公め。薄汚い玉っころ顔に投げつけた程度でウッキッキーって?……ハハ。私の装甲性能を甘く見た事を後悔させてやる……)大きくたたらを踏みながらも、兜の奥ではニヤリとほくそ笑む。
油断なく体勢を立て直したところで、(……?)違和感。視界内に『敵』の姿が見当たらない。(逃げた?この一瞬で?)
――否。見えないのだ。眼前には暗闇が立ちはだかっていた。
「なんだっ!?」慌ててズレた鉄兜を直す。これが原因ではない。暗闇は確かにそこにある。――視界全体に広がる、照らすことなき魔力光。(幻影系の魔法?【ダークネス】の範囲拡大か)
(…あ〜あ、やれやれ。がっかりだな。…奴の手札は『無詠唱』や『詠唱短縮』、詠唱系の『スキル』ということか。蓋を開けてみれば、なんとも凡庸な事だなぁ…)時間稼ぎの目隠し魔法。短杖などの詠唱短縮系装備は見受けられなかった。よろめいたほんの一瞬の間に、まともな魔法など放てるものでもあるまい。
――ふと、脳裏によぎる、唾棄すべき感覚。(……このどさくさに紛れて、女を置いて逃げるつもりではあるまいな……)
浮かんだ疑念を、何ともなしに振り払う。(そんな真似をする子供ではないか。戦いぶりを見ていればわかる。…ふん。奴は『敵』であるというのにな…)
(……『敵』?)
(……そういえば、この少年たちは、何故、『敵』なのだったか……)暗闇に一人立ちつくす黒衣の勇者は、どうして今、自分が戦っているのか、うまく認識できなくなっていた。
だまになって錯綜する思考に、酷く苛立つ。「…ここまで私を不愉快がらせたのならば、どんな相手だろうと敵だろうがっ!!『迷宮』のモンスターごときが…」
「私の【センス・エネミー】には、貴様の蠢くゴミの姿が!はっきりと映っているんだぞっ!!」身を焦がす憤怒に、刀をギリリと引き絞る。
「魔を払うこの刀で切り払ってしまえば、まやかしの闇などどうということはないっ!……消えろおおぉぉぉっっっ!!」――妖刀をヒュンとひと振りすると、一瞬で幻影の闇は払われてしまった。……元のとおりに篝火照らす、石造りの大広間。「……ふん」
「……凡庸な子供のやりそうな事。ヒーローごっこか?」暗闇の向こう側に広がる光景に、鼻で笑う。
床にへたりこんだままの覆面少年が、白ローブの女を大事に抱え、こちらを強く睨みつけていた。――まるで、映画か何かのワンシーンのようだ。
ドス黒い血糊の跡が、血溜まりラインで伸びている。空を飛ぶ透明な宝玉で自身を引っ張ったのだろう。(なるほど?飛行するオーブ。移動用のマジックアイテムを武器として転用したか)
(…いや、待て。奴は小さな魔力結晶を弾丸として飛ばしてきた。このオーブが同じ物だとすると、…こいつのスキルは『状態解除のスキル』と『詠唱系スキル』、それに『魔力結晶を操るスキル』…?)不可解さに首をひねる。(数が合わないな。三つはありえない。私の知らない特殊な魔法が介在しているのか?)
(…まあいい。要は奴の反撃よりも速く、奴の防御を貫通する攻撃を仕掛ければいいだけのこと。…やるべきことは、結局同じだっ!!)黒衣の勇者は無造作に左手を突きつけ、能力発動の合図を唱えた。「『いでよ』」
「【ライトニング】」
バチッ、と弾けるフラクタルな軌跡。空気の絶縁抜ける眩き致死電流の雷は、「……なにっ!?」少年の前方、斜めに突き立った光の糸を伝って床面に放電した。
突如出現した魔力糸が、避雷針の代わりをしたのだ。――少年に魔法の詠唱を行った様子はない。間違いなく、何らかの『スキル』が働いている。(オーブに繋がっていた光の糸の能力!?……どれが『スキル』で、どれが魔法だ?……わからない。こいつの『スキル』構成が分からない!?)情報が不足している。黒衣の勇者は迷いに苛立つ。
◇
暗がりを【ミラーイメージ】で写し取って時間を稼ぎ、【ライトニング】を『マジックストリング誘電』によって防いだ切田くんは、抱え込んだ東堂さんを隠す形でじりじり場所を入れ替える。
左手には指輪を握りこんでいる。『詠唱短縮の指輪』は、接触を通して回路を繋げば、指に嵌めずとも効果を発揮してくれた。
(……ヒーローごっこ?こっちは必死なんですよ!必死!!)歯を食いしばり、顔を歪める。(血液が足りないし、東堂さんが殺られりゃ詰みなんだ。……こうなってしまったんだから、他にやりようなんて無いじゃないか!!)
意識を失ってはいるものの、抱える躰に脈も呼吸もあるようだ。――温もりと共に、わずかながら『生命力回復』の効果が漏出している。少しずつ、体力が戻ってくるのを感じる。(……よし)――切田くんは黒衣の勇者を睨みつけ、腹の底から怒りを込めて叫んだ。
「どうしてこんなことをするんです!?」
「……何だ?」せっかく身構えたのに、攻撃が来ない。(……はぁ?)突然投げつけられた詰問に「…またかっ!!」と激昂し、嫌々ながらも怒鳴り返した。
「…しつっこい奴!!とっくに殺し合いだぞ!?ふざけているのか!!?」
切田くんは強い意思で食い下がる。「あなたを騙して勝手をしたことに怒っているのなら、僕に言いたいことがあるはずでしょう!?」
「…それともあなたはあなたの勝手で、僕らを殺そうとしているだけなんですか!?…だったら!!」
油断無く構え直した黒衣の勇者が、挑発的に鼻で笑った。「ハンッ。この後に及んで対話が大事だの諦めないだの、甘っちょろいスカした事でも言うつもりか!?」
そんな巫山戯た様子を睨みつけ、……ボソリと、聞こえよがしに呟く。
「…逃げ回った言い回しばかりじゃないか、コイツ…」
「逃げているだと!?」憎々しげな独白に、カチンと来た。「どこがっ!?」
「答えて下さい!!!」絶叫めいた、絞り出す怒鳴り声。――忌々しそうに身動ぎした黒衣の勇者は、そこで、スッと冷えた。
天より高く黎明に澄み渡る、落ち着きはらった透明な声が、歪んだ鉄兜より朗々と流れ出す。
「……たとえ偽物だったとしても」
「より良きものに寄り添う想いさえあれば、こんなにもがき苦しむことだって無かったのに……」
……豹変。彼女は腹の底から衝動を絞り出し、濁った声で吠え猛った。
「お前の余計なお世話のせいで私はっ!」
「身を切るような吹雪の中で永遠に!際限なく湧き上がる怒りや憎しみに凍えながらっ!!…ずっと突き動かされて戦わなければいけなくなってしまった!!」
「…お前のせいだっ!!」
「全部お前のせいだっ!!!」
(……ぐっ……)切田くんは鼻白み、気圧される。
(……だからって!)
黒衣の勇者は高らかに、矮小なる虫ケラ野郎をせせら笑う。
「ハハハッ!だからお前がここで死ぬのは自業自得なんだよ!お前がここで死ぬのは当然のことなんだぁ!…ほらっ!おかえししてやるっ!!」
「癇癪をおこした馬鹿なガキが、大人に投げつけたおはじきだぁ!!」
全身全霊の衝動に、左篭手を思い切り突き出した。……彼女が手のひらに込めた想いが今、世界の仕組みとカチリと繋がる。「『いでよ』っ!」
「『無属性魔力結晶弾』!!…全弾発射だっ!くらえぇっ!!」
透明な結晶弾十数発が、勇者の周囲より一斉に発射された。音速に迫る勢いに甲高い風切り音を上げ、斉射のパノラマ火線となって切田くんに襲いかかる。
――そしてそれらは、急激に減速した。空中で静止し、一斉にストンと落ちて、床でカラカラ硬質な音を立てた。「なっ!?」黒衣の勇者やこの世界がどう呼ぼうと、転がる透明な弾丸たちは切田くんの『ビー玉』だ。……回路は未だ、繋がっている。
突然の反逆に慄く黒衣の勇者に、切田くんは隠し持った必殺攻撃を放った。――無色透明な宝玉の幻影を突き破り、鷲掴みされた光り輝く球体が、ボンと鈍い音を立て発射された。
「『ガラスの有線ミサイル』!!」
チャージエネルギー既にMAX。――透明球の幻影の陰、切田くんはずっとこれにエネルギーを注ぎ込み続けていたのだ。
細い光のラインを引きつれて、目も眩むほどに光り輝く宝玉の突撃。「……性懲りもなくっ!」黒衣の勇者はせせら笑い、「ラインが伸びているんだよぉっ!!」叫びと同時に下段から切り上げる。
空を裂く『ガラス玉』が変化球となり、捻じり込む様に軌道を変えた。……たわんだ光の糸が、不自然な動きでスイと離れる。『ムラマサ・ブレード』の切っ先が空を切った。……糸だけが躱したのだ。
「…どういう仕組みだっ!!?」
狼狽する彼女の左肩、抉る機動で『ガラス玉』が突き刺さる。「…ぐうぅっ…!」メキメキとめり込む。……瞬間、切田くんは叫んだ。
「『超高圧魔力爆石』、起爆!!」
閃光が走った。
◇
空間ごと爆ぜ割れる轟雷に閃光が溢れ、衝撃が全てを薙ぎ倒す。爆風に紛れた細かい破片が、甲高い音を立てて飛散する。――切田くんは東堂さんを抱え伏し、即座に魔法を発動させた。
「【ミサイルプロテクション】!」
指輪の力で詠唱省略し、魔力気流の防護フィールドが展開される。(…よし…)空を切って飛散するいくつかの小片が、鋭い音を立てて飛んでいく。『ガラスの有線ミサイル』は黒衣の勇者を巻き込み、確実に起爆した様だ。「…やったか!?」
……なにか、違和感がある。――無風状態。展開した【ミサイルプロテクション】が、何も防いだ様子がない。(……ぐっ……)顔を上げ、光景に顔を歪める。
黒衣の勇者は健在だ。元いた場所に立ち尽くしている。
左腕は無惨にも脱落し、無骨な篭手ごと床に転がっている。肩口からは血液が噴出している。……ダメージは与えている。『ガラスの有線ミサイル』は、確かに爆発を引き起こしたのだ。(…だ、駄目かっ!?爆発を吸い込まれてしまったの!??)
破壊痕は左肩のみ。爆破片は外方、天井や壁へと飛散したようだが、他に勇者がダメージを受けた痕跡は全く無い。――爆発を『収納』されたのだ。
屈辱に胸を掻きむしりたくなったが、反面、どこか納得もしてしまう。(…僕の腰が引けていたのか…?)
(…命中したのが急所だったら倒せていたはず。『有線ミサイル』の威力を過信して、爆発に頼り切った当て方をしてしまった…?)
――動じる気配も見せず、それどころかぼうっと棒立ちしている様にさえ見える黒衣の勇者が、ギギギと自らの左肩を注視し、強化された筋力によって圧搾する。吹き出す血液が止まった。「ふむ」不自然に落ち着き、うなずく。……そして、奇妙に上ずった甲高い声で語りだした。
「衝動にかまけて、私は一手ミスをしてしまったな。『魔力結晶を操るスキル』が正解か」日本刀を床へと突き立て、空いた手のひらを肩にかざす。「『いでよ』」
「『ポーション・オブ・エクストラヒーリング』」
高圧蒸気並みの勢いに、豪と赤い液体が噴霧された。霧の中から肌色が露出する。――欠損部が再生したわけではない。脱落した左腕は片方の『ガントレット・オブ・パワー』ごと、血溜まりへと転がっている。
「この程度のダメージなど、帰って『再生』するだけだ。だからといって、余り手間を掛けさせるな」諭すように言い、『ムラマサ・ブレード』を拾い抜く。――呆然とする少年を見つめ、「…ああ」落ち着き払った声で言った。「なるほど?」
黒衣の勇者は息苦しそうに、甲高く憎々しげな、濁りきった声を絞り出した。
「また、きみは、私を騙したのか。…また君は、私を裏切ったな」
「…きみとなら、生まれて初めて真摯な話が出来るかもしれないと、本気でそう信じたのに…」
(……はぁ!?)切田くんは虚を突かれ、(……なんなんだこの人はっ!?……いまさらっ!?)無性に腹立たしくなって叫ぶ。
「一方的にビーム砲で殺しに来て、その上あなたは、話しても話しても攻撃を繰り返したじゃないですかっ!…そんな人相手なら、僕だって戦うしかありませんよ!!」
「話しに来たのはお前のほうだっ!!私が話すと言っているのにっ!!!」耳障りな叫び返し。
……切田くんの胸中に、怒りよりも大きな、虚しさが広がっていく。(……話になんて、ならないくせに!!)
(あんたは、その場その場でそれらしい小道具を見せて、相手を自分の箱に飲み込もうとするだけの化け物じゃないか!!)
顔を歪める少年に、――歪んだ鉄兜を越えて、嘆きの声が甲高く吐き捨てられる。
「どいつもこいつも、みんなそうだ。上っ面で、フリばっかりで。…だから私はひとりがいいんだっ!その邪魔をしてっ…!」
「私ひとりだったら全部、うまく行ってた!……馬鹿なお前が、余計な邪魔をしなければっ!!」濁りきった殺意に、大気が撹拌する。
「ああああ!…嫌だ嫌だ嫌だ!こんな気持ちで戦いたくないのに!!」
「お前なんかもういらない!」
「ああ、そうさ!ゴミ道具のお前なんてっ!お望み通りに女と一緒にっ!!『クラウ=ソラス』で骨まで焼き払って汚物みたいに消毒してやるっ!!灰になってしまえばもう『再生』スキルだって効かないんだよ!!」
食いしばって耐え忍ぶ切田くんの、刹那の思考が加速する。――おそらく次の瞬間、空中発射の多重ビーム攻撃が来る。
(…落ち着け、切田類。怒りをおぼえるのは仕方がない。だけど、怒りを廻すな。思考の邪魔だ…)
敵の『スキル』パワーはどんどん膨れ上がっている。……予備動作の簡略、省略化。多重開口、同時発射。――今までの攻撃を総合すると、おそらく次は『多連装マジックボルト』と同様に、多数のビーム発射口が出現すると予測できる。
切田くんはビームの十字砲火に晒されて、一瞬で焼き払われる自分の姿を幻視する。(秘剣、十字砲火返しだ…)食らうのは自分。……【ミサイルプロテクション】では出力が足りない。『球の盾』では数を防ぎきれない。
(…まだ手はある。今の僕ならやれる…)追い詰められた者の活路は、常に前だ。ビーム砲銃座の内側に入り込み射手を叩けばいい。誰にだって分かる。誰だってそうする。……それが出来るものならば。
(…首の傷で結晶化したかさぶたを『ガラス玉』代わりに、ダイナミック体当たりしてゼロ距離から『マジックボルト』を撃ち込んでやる。…装甲を削りきるまで何度も、何度でも…)
(拡散されても打撃力はあるし、黒スーツのコーティングだって限界はある。ゼロ距離ならば攻撃吸収だって使えないはず…)
(…確証なんて無いけど、行くしかない…)――たとえ弾幕に晒され死ぬだけの突撃だったとしても、窮鼠であるのならば行くしかないのだ。切田くんはもう、何も考えないことにした。(…臆するなよ切田類。ガゼルさんの時みたいに、何も出来なかった昨日の僕じゃないんだ)
(数秒ぽっちでいい、少しは保ってくれよ【ミサイルプロテクション】。……さあ行けっ!)絶体絶命の窮地にて燃え上がる闘志。静かに『聖女』を横たえようとした、その時。
……冷たくて柔らかな感触が、首の傷に当てられた。
「…鋼さん…」
意識を取り戻した彼女が、手のひらを、優しく当ててくれている。「…ぃ、くん…」視線を交わすと、弱々しく笑った。切田くんも瞳を覗き込み、力強くうなずく。
重苦しい猛々しさに挿げ替わり、暖かくて強固な感覚が、己の内より湧き上がるのがわかった。……護りたい。その想い。この一瞬で、内側を蝕む黒き闘志は、――誇り高き決意へと、そして、覚悟へと昇華された。
こんなに強い想いに支えられる僕は、絶対に、誰にも負けない。
(……よし。……行くぞっ!!)強き使命と意志の力を内に秘め、今度こそ突撃を敢行しようと、(……って、)
(あれっ?)……いつのまにか、戦いのピースが欠けている。
首の傷は、『生命力回復』の効果で既に完治している。血染めのかさぶた結晶は支えを失い、首から剥離してしまったのがわかる。
強化された細腕にギュッと掴まれ、振り払える状態ではない。――無理に振り払って突撃するべきか一瞬迷うも、……駄目だ。飛行のバランスが保てない。
いや、迷うまでもない。切田くんはこの一連の動作によって既に何テンポも遅れ、突撃のタイミングを失っている。――時計が、カチカチと、進む。サアッと全身の血の気が引いた。(これ、不味……)
――ビーム砲の一斉射撃が来る。
東堂さんは空虚な瞳で、優しく微笑んでいる。
首元に彼女の爪が、ギリリと食い込む。
切田くんは、絶望をたたえた表情で、黒衣の勇者の姿を見た。
「…何をしたっ!!」
(…えっ?)黒衣の勇者はよろめいていた。(…何で!?)
状況がつかめない目の前、隻腕の勇者はバランスを失い、ミュージカルみたいに大きくよろめく。「あああ…頭が」歪んだ鉄兜に手を当てて、悲痛な声で憤った。「何をしているっ!頭が痛いっ!やめろっ!…割れるぅっ!」
「デバフを掛けているの!?…まだ隠していたのっ!?」激しく息を切らせ、鉄兜を脱ぎ捨てようともがく。……フルフェイスの首はスーツに複雑に固定され、片手では脱ぎ捨てることが出来ない。
「…ああああ、もうっ!!…くそおっ!!」癇癪をおこして、残った右手を乱暴にかざした。……『ムラマサ・ブレード』が投げ出され、カラカラと床に転がる。
「いでよ、『スクロール・オブ・ステータスビューイング』、…【ステータス】発動!」
「状態異常無し。…何で!?どうなっているっ!!『スキル』の効果を隠蔽しているのか!?」燃え上がる巻物など意に介さず、慌てて胸部をパンパンパンと何度も確認する。
「アミュレットも……ちゃんとあるっ!…死にはしないのに、…なんで…!?」頭を押さえようとして鉄兜に邪魔され、もどかしげに兜を揺すった。……グラリと片膝をつく。「ああああっ……もう、何でぇ……やめろっ!それをやめろぉ!!」
「そ、そうだ。撤退しなくちゃ!」
「そうしよぅ……仕切り直して、距離を取れたら私だって…」おぼつかない足取りで、黒衣の勇者はヨタヨタと歩き出した。……『迷宮』の奥へと戻ろうとしているのだ。
「やめろ…やめろぉっ…」通路を何歩か進み、泳ぐ動作で彼女は崩れ落ちる。
「……やめて……許して……」
「……なんで私ばっかり……」
粘液みたいに崩れ落ちて両膝を付き、石畳に伏して、ビクリビクリと大きく痙攣している。
突然の痛ましさに呆然とする切田くんは、……訳もわからず周囲を見回した。
――大広間の暗がりに、『猫目』が立っている。
苦しげな前かがみに腹を押さえる少女は、必死の形相で、倒れた勇者を睨みつけている。……弱々しく呟く。
「眼魔」
その右目は異常な程に充血し、金色の瞳は白く濁りきっている。……血の涙が頬を伝い、石畳を黒く汚した。
眼帯のない、少女は言った。
「『デスレイ』」