廻る世界
切田くんが必死の思いで放った二発の光弾は、黒衣の勇者の抗魔スーツと『アイテムボックス』に阻まれダメージを与えることが出来なかった。……しかしそれは、決して無駄な攻撃だったわけではない。
「くっだらない…!嫌がらせ紛いのことをっ…!!」苛立つ彼女は過剰なまでに憤り、不愉快さを吐き捨てる。「…これだから子供の相手は嫌なんだっ…!」
――出血多量で死に体を偽装し、完全に不意を討たれてまで食らった攻撃が、効きもしないただの【マジックボルト】だった。(……はぁ?)意味がわからない。この世の中を舐めくさった攻撃に対して身構え、全力で穿った対策を打ち出そうとしていた自分に、彼女は無性に恥ずかしくなっていた。(…子供のお遊戯に付き合わされたこの私がっ!…こうやって晒し者にされているんだぞっ!?)
(…物事の分別もつかない娑婆僧が、私の胸をモヤつかせてっ!!)
命を賭けた殺し合いをしているのだから、真剣に効率を突き詰め、その上で相手の裏をかいて戦うことは大前提である。それを踏まえて彼女は『アイテムボックス』による情報考察と攻撃・防御・使用アイテムの選択を、己の精神を削りギリギリの判断で行っているのだ。
そこへ来て、死んだふりをしてまで少年が使ってきた攻撃が、クソ単純な【マジックボルト】だった。(……???)本当いい加減にしてほしい。単細胞なのか?(……考えろよっ!!……もっと!!)フギギギ。
要はこの少年、何も考えていないか本当に死にかけるほど弱っていて、苦し紛れの攻撃を繰り返しているだけなのだ。そんな相手に一瞬でも真剣になってしまった自分が恥ずかしかったし、……好敵手。能力を過信し、裏切られた思いもあった。
もうさ、マジでやってらんない。ぷんすかと憤懣やるかたない彼女に、
「…あああ、もうっ!!!」効果中の【サーチ・エネミー】が異常を指し示す。「諦めが悪いっ!」
忌々しげに毒づき、急襲する動体に殺意の目線を向ける。――無様にシクシク泣いていたはずの『聖女』が、戦う意思を取り戻し強襲してきたのだ。
『アハハハハハッ!類くぅん!!!』響き渡る歓喜の雄叫び。豪と大気を引き裂いて、狂乱の美獣が猛然と迫る。横手に振りかぶられたヘビーメイスが渾身の一撃をこの身に叩き込まんと、すでに全力で引き絞られている。
(…この状況は良くない。図らずも、挟撃を成立させてしまっている)黒衣の勇者はスッと冷える。冷静さを取り戻し、双方相手に半身で構える。
――こちらの『ガントレット』よりも強化の出力で劣るとはいえ、未だ大型重機か魔獣かといった膂力を有した女だ。そんなものと総力を込めて打ち合う最中にペチペチ横槍が入るのは、さすがに面倒だ。
同時に対処するのが効率もいいだろう。……女の強化は減衰していた。己の自我を肥大化させる『スキル』の精神負担。時間経過で出力が下がるのは当然の話で、――ならばこの女は、先程よりもずっと弱っているはずだ。
さすれば同様に、片手でいなすのが丁度良いだろう。体勢を崩してさっさと少年を処理してしまって、またメソメソ泣かせてやればいい。アハハ。……それで終わりだ。お気の毒さま。黒衣の勇者は半身のまま、女に向かい篭手を翳した。
腕がもぎ取られる衝撃。「……何っ!!?」――空裂く打撃に突き飛ばされ、バランスを崩し大きくよろめく。「…なんだっ!?パワーが…!?」いや、腕はまだある。状況が理解を超え、混乱する。押し負けたどころの話ではない。攻撃の威力が高すぎる。
眼前にて巻き起こる破壊的暴風。「アハハハハッ!!私が間違ってた!!信じればよかった!!」壊滅招かんと竜巻担ぐ、感極まった喜びの声。「……あなたなんか、敵じゃないっ!!!」全身のバネと躍動を込めて、邪智暴虐のヘビーメイスが振り下ろされた。
豪と降りかかる凶悪な打撃。信じがたい想いで受けようとするも、…駄目だ。もぎ取られんばかりに派手に弾かれて体ごと崩されてしまう。(…ふざけるなっ!!?)千鳥足。こんなの受け止めきれるものか。(…こっ…こんなハズではっ…!?)圧力が凄まじすぎて戦闘体勢を維持できない。吹き飛ばされ転倒でもすれば、『アイテムボックス』を使う間もなく潰される。
焦燥の間隙、逆からまたもや『マジックボルト』が飛来した。「…しつっこいぞっ!?コイツ!!?」左手を翳して『収納』したのが【マジックボルト】であることを確認すると、「…あああ、もうっ!」黒衣の勇者は無性にバカバカしくなってしまった。「子供の嫌がらせに関わっていられるかっ!!」
殺傷力を持つとはいえ所詮は【マジックボルト】。黒装束の抗魔コーティングで容易に拡散できる。加えて今の自分は『ガントレット・オブ・パワー』で筋力を増強させているのだ。分かってさえいれば、着弾の衝撃など大したことはない。
――とにかく今は女の側だ。急に『強化』の力が倍増した嘘泣き女の圧力が凄まじい。まともに喰らえば致命傷になる恐れがある。
両手で『ムラマサ・ブレード』を構え、(フルパワーで、技術でねじ伏せ…っ!?)――降りかかるヘビーメイス。(うわぁっっ!!?)衝撃に激しく押し込まれ、必死によろめきを支える。完全に力負けをしているのだ。
「…押されているのか、この私がっ!?」焦りに駆られ、思わず毒づく。全身の汗が酷く冷たい。
――その時。彼女の脇腹に、凄まじい衝撃が襲った。「くあっ!!?」(…ニャんだぁっ!!?)メキメキと、骨が軋む。
肋骨がへし折れたかもしれない。たたらを踏みそうになるも必死に立て直す。すでに正面から次の巨大台風が迫っているのだ。
目の前の暴力女の仕業ではない。少年の狙撃だ。そして今回は、抗魔コーティングでエネルギーを拡散できていない。(…やられたっっ!!?)苦しみと憤りに息が詰まる。「別の攻撃だと!?」
騙されていた。無力を演じて侮らせ、油断を誘って隙を引き出されたのだ。
……いや待て。だったら何故、最初にこれをやらなかった?……意味がわからないっ!!!「どういう事だっ!!?」怒りを表す暇さえ無い。真正面から襲いかかる圧倒的暴虐が、
「『切田くんは私のだっ!!!…お前なんかにぃぃっ!!!』」地底より響く雄叫び上げて、宙を引き裂き叩き込まれた。
「うおおぉっ!!?」たまらず攻撃に飛び乗って、(…だっ、駄目だっ!!)反動で大きく飛び退った。……視界の片隅に、覆面の姿がチラリと映る。(…くそっ、くそっ!…ションベン小僧ごときがよくもつけ上がってっ…!)
(この私が翻弄されているんだぞ!?逃げる一方ではないかっ!!)現実を認めねばならない。この二人掛かりの攻撃は、自分には捌ききれない。
……このままでは、殺される。
黒衣の勇者ははっきりと自覚した。
一方、切田くんも悔しげに歯噛みをしていた。必死こいて引き出せた(偶然の)チャンスに、『ビー玉バレット』の威力では倒しきれなかったのだ。(『ビー玉バレット』…効きはしたけど貫通しない!?あの黒スーツ、防弾素材なのか!?)
かと言って、チャージ攻撃では気づかれる公算が高かったし、チャージのために結晶化を止めて、首の傷を無視するのも怖かった。――首の傷は、自身のすぐ側まで這い寄る『死』に直結しているのだ。(医療の知識なんて無いんだぞ。……どのくらいで僕が死ぬか、だなんて……)
切田くんは仕方なく、肩掛け鞄から次の『ビー玉』を取り出す。
◇
「…くそっ、くそっ、くそっ!!…来るな、くるなぁっ!!」自らの不利を悟り、哀れな様相で『ムラマサ・ブレード』をピュンピュンと振り回す。……そうやって、殴りかかろうとする女を威嚇して、
彼女は悲痛な声を上げた。「…そうやって、みんな、みんなそうやってっ!!」
「どうして私をいじめるの!?」
「いつもそうやって、みんなでよってたかって。あんたたちも二人掛かりで私をいじめるんだっ!!!」
黒衣の勇者は泣いていた。
悲しみを湛える声が、涙の気配に震えている。
東堂さんは鼻白み、躊躇する。
「…仕掛けてきたのは、あなたでしょう!!」刹那の迷いを断ち切り、『聖女』は渾身の一撃を振るった。――引き裂く大気に暴風巻き上げ、鉄塊が、唸りを上げて打ち下ろされた。
黒衣の勇者はスン…となり、裏返った気の抜けた声を出した。「……ああ」
「なるほど…?」思いきり床石を蹴る。――跳躍。
高く、高く舞う。強化された脚力で跳んで攻撃を躱したのだ。……いや、それにしては跳躍が高すぎる。体操選手のようにくるくると、膝を抱えて前転を繰り返す。その跳躍は、大広間の天井にまで至った。
弧を描き、落下に転じる。躰を伸ばして三次元回転。……世界が廻る。ひねりを加えた旋回に、視界が目まぐるしく移り変わっていく。
暗がり。
天井。
壁。
まわる。
床の篝火。
魔物の残骸。
まわる。
ヘビーメイスを振り切った女。
宝石を手のひらに載せている、覆面の少年。
弾道を曲げ飛来した『ビー玉』を、手を翳して『収納』する。――「アハハハハハ!!」上手くいった。超楽しい。
「どうだぁっ!?フハハッ!!」笑いながら落下していき、ズドンと足を揃えて着地した。落下の衝撃が床石を砕き、破片を巻き散らす。
◇
渾身のヘビーメイスが空を切り、激突の衝撃で石畳ごと地盤を爆散させる。(…くっ…!)床下まで振り切った東堂さんが、そこで迷った。――飛び散る破片の向こう。負傷したままの切田くんが、首を押さえてうずくまっている。
早く治したい。治すために触りたい。触って声を掛けたい。……掛けられたい。
でも今は、治さないといけないのに治せない。……こんなに急いでいるのに。どうして。
アイツのせいだ。
あいつさえ居なければ。
急速に空洞を埋め尽くす獰猛なる殺意に、思わずギリ…と奥歯を食いしめる。迷いを振りきり断腸の想いで、排除すべき敵へと振り返った。
――その時すでに、黒衣の勇者は、こちらに左手を翳していた。「『いでよ』」
「『【ライトニング】』」
雷光が閃いた。――刹那に焼き付く白い視界。バチッと弾ける耳障りな音。「あ゛うっ!!」
◇
一瞬の紫電光、(…うわっ…!?)焼き付く程に目を眩ます閃光の中、東堂さんが苦しげな悲鳴を上げてよろめく。躰を包む放電と白煙。『アイテムボックス』から放たれた雷撃が直撃したのだ。
(…こいつっ、東堂さんを盾にして…!?)敵は正確な着地にて、彼女そのものを遮蔽物にしている。射線が通らない。(…っ!駄目だろこれぇ!?)慌てて鞄をひっくり返す。
カラカラとばら撒かれる十数個の『ビー玉』と、ガツンと落ちる『ガラス玉』。(!急げっ、急げぇっっ!!)跳弾で狙撃するにしても、此処は大広間。壁も天井も遠い。……これでは援護が間に合わない。切田くんは心底焦った。
(…ぐっ…天井のほうがマシか!?いっ、行けっ!!)「『ビー玉バレット』、全弾発射!!」高い天井めがけ、鋭い音を立てて順次発射されていく。……カチカチと、時間だけが進む。
――黒衣の勇者は手を翳したまま、先程と同じ事を繰り返した。「『いでよ』」
「『【ライトニング】』」
「あぁっ!!」閃く紫電と消え入る悲鳴。のけぞった東堂さんが膝から崩れ落ちた。周囲の床がバチバチと放電している。肉や皮膚、オゾンの異臭。彼女の全身から白煙が上がる。
切田くんは圧えた首から手を離し、必死の形相で叫んだ。「やめろーっ!!!」――図らずも、射線が開いた。
整然と、光の魔弾が射出されていく。軌跡を描く光条が、空中に次々と美しいラインを描く。『多連装マジックボルト』だ。
(十字砲火だっ!!……行けぇっ!!)同時に『ビー玉バレット』が次々に火花を上げて天井を跳ね、火線となって様々な角度で降り注いでいく。全身の各所を狙う魔法弾の掃射と、降り注ぐ実弾の飽和攻撃。
「……ああ」他人事みたいに光景を眺め、黒衣の勇者は呟いた。「なるほど?」
これでは、もはや防御のために手をかざす意味など無い。彼女は結局、構えなかった。
すべての『マジックボルト』と『ビー玉バレット』は、黒衣の勇者に着弾する寸前に消失してしまった。
(……はぁ!?)――空中に多数の『アイテムボックス』収納口が発生し、すべての攻撃を取り込んだのだ。(なんでっ!?)切田くんは歯噛みさえ出来ずに、ただ呆然と事象を眺める。
(今まで、そんな事は出来なかったはずだ!?隠していたの!?)起死回生の攻撃を防がれた。『ビー玉』の残弾はゼロだ。(…やられた。腕の防御モーションはブラフだったのか!?)
力なく血溜まりにへたり込む少年を眺め、黒衣の勇者は、悠然とうなずく。
「……学びを得たな。きみの技、周囲中空からの【マジックボルト】連続発射。参考になった」
「力さえ通っていれば、定規杓子な『スキル』の形式など、どうでも良いということなのだな」……『今までは出来なかったが、今、学んだ』。この新たな成長を得た今、彼女が優先する順位はこうなる。
少年から堂々と視線を外し、『ムラマサ・ブレード』を逆手に持ち替えて、倒れた東堂さんへと歩み寄っていく。――とどめを刺す気だ。
すでに切田くんへの興味は失われている。攻撃してくる気配も備える様子もない。それは、『戦うに値しない。後回しでいい』、そう認識された事と同義だ。
舐められているのだ。
「…このっ…!」立ち上がることさえ出来ない非力な覆面の中身が、激情に、くしゃりと歪む。
首の傷を広く覆う結晶化したかさぶたからは、未だぽたぽたと血液が漏出している。……既にかなりの血液を失っている。残された時間は少ない。(…【ディテクトマジック】に映る東堂さんの【プロテクション】は、まだ解けてはいない。…生きてさえいるのなら、自動的な『生命力回復』で助かってくれるはず…)
(…彼女が生きるなら、僕だって生きるんだ!…とどめなんて刺させるものか!)
(侮られて感情的になっている場合じゃない。とにかく早く動くんだ…)――素早い動作を送りながらも、刹那の思考は高速で廻る。相対的に遅くなる首の出血など構わずに、既に脇に転がる野球ボール大の『ガラス玉』を引っ掴んでいる。彼に諦めの表情はない。
(…まだ終わりじゃない。どうして奴は、東堂さんを優先したんだ?)
(そう、脅威だからだ。…つまり現状、東堂さんがする攻撃ならば奴を倒せるってことになる。…何故?)
(ヘビーメイスの打撃は、エネルギー弾や実弾の様には吸い込めなかった。近接攻撃は吸収できないの?)
(…もし、王さまの剣が『スキル』効果に含まれていた事と同様に、他人の装備が吸いこめない縛りでもあるのだとしたら…)
(…『マジックストリング』で…)刹那の思考を衝動に換えて、「いけぇっ!!」――通常速度に急加速する時の勢いに、(成否に迷う暇なんて無い!これでなんとかなってくれっ!!)鷲掴みした『ガラス玉』を敵に向かって射出した。
「『ガラスのハンマーガン』!!」
ボンと鈍く発射された透明な砲弾が、加速しながら黒衣の勇者の顔面を急襲する。――『ビー玉』よりもずっと遅い。球体が大きすぎるのだ。
(…悪あがきを。ワンパターンなんだよ)意識だけを向けて、『アイテムボックス』に収納しようとする。
……違和感。(…『収納』出来ない?)迷った瞬間には、もはや回避不能だった。(……っっ!!?)耳障りな擦過音。鈍い激突音。跳ね跳ぶ頭部。(……!!?)――ガラスの砲弾は黒いフルフェイスヘルメットを轢き潰し、彼女の顎へとめり込んだ。
反動で弾かれる『ガラス玉』。黒衣の勇者はたまらずのけぞり、たたらを踏んで後退る。……足取りがおぼつかない。頑丈なフルフェイスは、叩き込まれた打撃によって刳られ、ひん曲がってしまっている。
――『ガラス玉』には『マジックストリング』が連結され、光るラインが切田くんの指先まで繋がっていた。すぐにでも千切れ落ちそうな、脆弱なつながり。それはたしかに『アイテムボックス』のルールに抵触し、『収納』を妨げたのだ。
伸びた糸を巻き取られたかのように、『ガラス玉』は手の中へと戻る。
……敵はまだ、倒れてはいない。