ターニング・ポイント
「…ねえねえ。…フフッ」魔力の灯りに金の瞳を煌めかせ、踊る子猫は嫣然と嗤う。「別にいいでしょ?『聖女さま』。これ以上は、お仕事に差し支えちゃう。…そうでしょ?」
闇に沈み込む、小柄な体躯。顔を伏せる『聖女』の御姿を、挑発的に斜に見る。
(仕方がないよね。こうなってしまったんだから…)『猫目』は、にこやかさの裏に表情を隠す。(ゴミ溜め漁りに欲に出て、…フフッ。聖なるかな。そういったものに擦り寄ったのが、そもそもの間違いさ)
この展開、決して意図したものではなかったが。刹那の感情や衝動を、すべて自分の中にしまっておけるわけでもない。――だったら今は、新たな関係性を築いていく。『聖女さま』と良い関係が構築できなかったのは残念だが、それならそれで楽しみにも変えられる。
だからひとまず、この場に戦力的な均衡を作り出し、緊張によって争いを安定させねばならない。(……そうしなけりゃ、アタシはっ!!)
(……また元の、一方的に奪われ続けるだけのあたしに成り下がるんだ。そんなの甘受出来るものかっ!!)そして少女は猛然と、反撃を開始した。
「ちゃんと誤解は解けたんだからさ。これで何もかも丸く収まったよね?」からかう口調ではない。白けきった冷淡な声だ。
東堂さんが眉を吊り上げ、キッと睨みつけてくる。『……ぬけぬけと……!』――深き地の底より響く吠え声。(『猫目』は内心ビクッとする)
――その時。『聖女』の宿す獣の瞳が、驚愕に見開かれた。「…ひゃっ…んっ…」
横から伸びた手が、彼女の手のひらを掴んでいる。急速に流れ込む波動が躰の内側を撫で、ビクリと体を震わせる。「…き、切田く、……うぅっ…」
(……まーたやってる……)げんなりする視線の先、
「鋼さん」穏やかな制止の声。
……彼女は細かく息を刻み、顔全体を紅潮させて、「…ぅぅ、…ズルい…」すっかりうなだれてしまった。「……そんなのズルいよ、類くん……」不貞腐れつつも手指を絡め、もそもそと握り直す。
……『猫目』は笑いの仮面越しに、その様子をじっと見ていた。
「……ずるい……」
挑発的な声。「キルタ。こんな程度のいざこざで帰ろうだなんて、腑抜けたこと思ってないよね?……ざっこ。たよりな」
「こんなの別になんでもないよ。ここには仕事で来てるんだよ?なのに、この程度の事で諦めるんだ?」
「……キルタだって、本当は下層に進みたいくせに……」
少年の顔を覗き込む。……否定の色はない。合っている。「……ふふん。当たりでしょ。だからキルタは困ってる」
「別に言わなくたってわかるよ。斥候という仕事は、抽象的な感じ方が出来ないと務まらない。難度の高い『迷宮』の階下に行くのならなおさら」皮肉げに煽る。
「…でもねぇ。その抽象的に感じたことをさ。言わずに黙って知らんぷりをすることも結構あるんだぁ。…アタシにもあるよ?勿論」
くるりと玩具を追う仔猫より、上から目線の嘲笑が発せられた。
「…それはねぇ、『コイツらには協力したくない』ってことなんだよ」
「そのパーティーがクズって事さ!…しょーもな。そんなのに抽象的なことを言ったって、通じるわけがない!」口汚く罵り、上目遣いで覗き込む。
「…そういうの、思うよね。キルタもさ」口元だけでニッコリと笑った。他所から来たこの頼りない少年は、そんな汚い感じ方だって共有してくれる。わかってくれる。「……フフ。……同じだね?アタシたち」少し声が、震える。
「……そんなアタシがさぁ、キルタの意図を汲んで、協力してあげると言ってるんだよ。ねぇ。この意味をわかってよ」
「このまま行くでしょ?キルタ」挑発的な前かがみで、言い含める様に続ける。
「斥候が行けると言うのに退くのなら、それは斥候を酷く侮辱することになる。…無能扱い。信頼に値しない。そう言っているのと同じこと」
嘲笑う表情がスン…となり、うつむいたままの東堂さんを一瞥した。
「…ま〜あ、この場合?アタシよりも『聖女さま』の協力が必要になってくるんじゃないかなぁ」
「…『聖女さま』はキルタのことが大好きなんだからさぁ…」少し口を、噤む。
「……キルタの言う事なら聞くんじゃない?だったらリーダー。言ってみせなよ。ここは折れて、今はおとなしくして。ってさ」
「空気読め」「状況に従え」「わきまえろ」「リーダーの言うことを聞け」「僕をあまり困らせるな」淡々と両手を広げ、大きく呆れて物を言う。「カッコイイー」
「それはキルタのするべき事だよ、この甲斐性なし。…みんな自由に動きたい。だけど放置すれば、必ず場を乱して不正に走る。あー、ヤダヤダ。あるある〜。…でも、そんなの当たり前のことじゃん」
「集団行動。少しの気に入らないことぐらい飲み込んで?一緒に居て命を賭けて戦うんだ。…そう言うのはアンタの仕事。あんたがリーダーなんだからさぁ」
……関係値も、暴力においても、現在『猫目』は不利である。『聖女さま』には警戒線を引かれ、少年の態度は相変わらずつれない。――それでも未だ、少女は自分に十分な目があると考えていた。
そして『猫目』の見たところ、切田くんはクソボケである。
同性愛者や不能ではないようだが、どうにもまともな反応が帰って来ない。盛り上げても直ぐにスン…となってしまう。……生理的嫌悪を向けてくる訳でもなし、明らかに異常であった。
彼の持つ『落ち着くスキル』が悪さをしているようにも思えるが、そもそも『スキル』の発現は、その人物の本質に深く起因するはずだ。――つまり彼は、本質的にクソボケなのだ。(……キルタさぁ、……あんたマジなの?)頭が痛い。
普段の少年は思慮深く、それでいて知恵者気取りの情の薄さも感じられない。甘ちゃん、……ではあるのだろうが、理を推し進めつつも感情面を洞察し、判断に組み込む性質を持っているようだ。(自縄自縛のドMタイプだね。考え過ぎてなんにも出来ない類の奴……)
だというのに、こと性的なアプローチにおいては、あまりに彼の態度はクソボケすぎる。『猫目』への対応もそうだが、下手をするとこの少年、『聖女さま』の好意さえも何かの手違いと思っているフシがある。(……いや、あんた正気?)げんなりしてしまう。
(…へそを曲げてグズる『聖女さま』に、こまめにフォロー入れるのは偉いけど。離れるまでの見切りがアンタ早すぎんのよ…)
(…もうちょっとさぁ…何か、あるでしょ?余韻の部分とかさぁ。相手が物足りなそうにしてるのぐらい見なさいよ…)ため息が出る。二人の関係は固いようで脆弱。
よって、まずは情に割り込む正しさを侵食させて、疎遠さを膨らませ二人の分断を図ることにする。――このルートが一番、自分にとって目があるはずだ。
そして『猫目』は、ついと目をそらした。
「…良いよ?別に。『聖女さま』だけには優しく言いなよ。アタシだってわきまえてるからさ」
「…ほら、とにかくさ」眼帯の少女はクソボケを見据え、うながすように片手を差し出した。
「言ってよ、キルタ」
◇
切田くんは無言のまま片手をスッと上げて、『猫目』のかざした手のひらを無造作に握ろうとする。
「…ひゃっ…!」彼女はビクリと竦み、手を背中まで引っ込めた。「……そっ……はぁ!?」(…そういうとこだよ!!)トサカにきた。
「なにしてんの!?そういうんじゃなくて!!…何のつもり?セクハラ!?」
必死な顔で抗弁する。……少年も、引かずに声を掛けてくる。
「『猫目』さん」
「…わけ分かんない!話聞いてた!?…自分でやってておかしいって思わなかったの!?」
猛然と抗議する。怒りと恥ずかしさで顔が熱くなる。目の前の、覆面を剥いだ少年は真剣だ。……何かがおかしい。こんなはずではない。「ねぇ、そういうんじゃないから。何勘違いしてるの!?」
「そのぐらいわかってよ!この先の、もっと先の、『迷宮』で生き抜く上での話とか…」(…知ってたさ!キルタはちょっと、こういうトコも馬鹿なんだ…)
(普段なら笑いや興味も誘うけど。…こんな時に持ち出されるとホンット迷惑!)心の中で毒づき、憎々しげに睨みつける。
「そういう真面目な話をしてるの!だからそんな知ったふうなベタベタしたマネを…」
「…わかってない真似をしないで。ふざけないでよ!今はそんな話じゃなくてっ!」
「『猫目』さん」
再び声を発した。……彼の手はいまだ、目の前に差し伸べられている。
反対側の『聖女』がビクリと反応し、そして、ついと目をそらした。
――少年は真剣に、語りかけてくる。
「僕も今は、何が正しい答えなのか、どう答えるべきなのかなんてわかりません」
「……でも、今は」差し出した手の周りが『スキル』エネルギーの飽和によって、パチパチとスパークしている。
「一緒に行きましょう」
「…うぁ…」『猫目』は赤面し、うめき声を上げる。(…バカなの!?…死ぬの!!?……恥ずかしいとか思わないワケ!?)納得がいかない。『猫目』は今、自分を曲げねばならない。
しかし、目の前の少年は揺るがない。彼女の言葉はもう、切田くんには届かない。
(…自分の都合で言ってるくせに…!)差し伸べられた手に走る、意図されたエネルギーの迸りが、今も揺れる金色の瞳に映り込んでいる。
「『猫目』さん」
いけしゃあしゃあとした呼び掛けに、少女は更に憤った。「…だから…だからそういう事じゃ…」「……うぁぁ……」声が、震えてしまっている。
(…まさかコイツっ!…わかってやってる!?)
(……あたしの気持ちにつけ込んでっ……!!)
凍りついたはずの胸が、今は熱くてぐしゃぐしゃに波打っている。思考の中が真っ赤に染まり、汗ばむほどに暑い。『猫目』は、自分が本当は何をしたかったのか、うまく考えられなくなっていた。
決断を迫られている。自分の態度を示さねばならない。「……ああぁ、もうっ……」目を泳がせ、耐えきれなくなったかの様に手を上げる。
震える手が、ゆっくりと差し出されていく。伸ばされた、切田くんの手のひらに向かって。
◇
表情のない空虚な目が、その光景を眺めている。
手指は未だ絡めたままだ。……ギリリと力が籠もってしまう。……黒き超越の波動。目の前の光景の受け入れ難さに、纏う空気がどんどん凍りついていく。
……その時、かすかな異音。
氷の表情が揺らいだ。「……いけないっ!!」ハッとして手指を振りほどき、素早く振り返って袖の短杖を握る。(…何だ!?)引っ張られて体勢を崩した切田くんも、咄嗟にシャープペンシルを取り出そうとする。
――通路の先、暗黒の向こう側。
ざらりと肌を逆撫でる、奇妙に撓んだ女の声。
「『いでよ』」
「『クラウ・ソラス』」
閃光が暗闇を染めた。
◇
猛り迫る灼熱の輝きが、沸騰する直線通路を絶叫に埋める。――裂帛の勢いに殺到する破滅の光が、今、視界一面に拡がった。
迎え撃つ『聖女』が叫んだ。
「『ディバイン』【ディフレクション】、ディフューズ!!」
殺到するプラズマ噴流直撃寸前。不可視の拒絶する鏡面が灼光を飛び散る油みたいに撥ねつけて、周囲へと撒き散らす。細い帯となって散る熱粒子が天井や石壁に吸い込まれて、たくさんの赤熱痕を残していく。
「……ああぁ……ごめんなさいっ!!……なんで私っ……!?」取り乱した東堂さんが、涙声を震わせた。「…どうして私、こんなに大事なことを…!」
「…本当にごめんなさい。私がどうかしてた。…夢中になって、…どうかしてたの!!」そして彼女は覚悟を決めて、震える声に険を込めた。
「……あいつは私がなんとかする。魔力も入れてもらったし……」
「駄目です」
即答にしょんぼりする東堂さんの横へと、切田くんは進み出る。
――プラズマ光の照射攻撃は、未だ途切れることなく継続している。凄まじい熱波が蜃気楼の様に、すべての光景を揺らめかせている。(…すっげー…)とてもかっこいい。
せっかくなので(せっかくですからね)切田くんは、この状況を活かそうと考える。……刹那の思考が加速する。(東堂さんが咄嗟に防いでくれた?)
(…だけど、何だこの、…ビーム攻撃?……んもー、そんなの有りなのファンタジー世界……)牛にもなってしまう。まるでSFやロボットアニメの世界である。迷子になった気分だ。
(…まあ、有るものは仕方がない。とはいえ、こんな攻撃を、僕は【ミサイルプロテクション】で防げるのか?)
彼の周囲を取り巻く矢避けの力場は、切田くんの持つ唯一の防御手段だ。――防御可、不可の判断は、当然、命に直結している。慎重に考えを巡らせる。(崩落した瓦礫は防げなかった。魔力旋風で吹き散らせない質量に対して、【ミサイルプロテクション】は無力…)
(…だけど、この攻撃は火炎放射や煮えたぎる油を投げつける類のもの。威力や熱量がどれだけ凄くとも、一度に降りかかる質量はそこまでではないはず…)
(…試す価値はある。慎重に行けよ切田類。【ミサイルプロテクション】を集中、収束。全周バリアとしてではなく、盾として僕の前面に展開してみる)
(……出来るかどうかは、このチャンスに検証すればいい。……行けっ!)
刹那の思考の区切りと共に、鈍速化した世界が通常速度へと加速する。急激に動き出す世界の中、その手のひらを超高温プラズマに差し向けた。――検証開始。
①:
翳した手のひらに、【ミサイルプロテクション】を凝縮する。
→たちまち力場は収縮し、手のひらに張り付く1メートルほどの球となった。
②:
追加エネルギーを注入。
→球全体が淡く発光し始める。
③:
光る球をポンと押す。『マジックボルト』の要領で、球体を推進させる。
→球はスイーと、滑るように移動して、
たちまち灼熱の閃光に晒された。
岩をも溶かす灼熱光が、淡く光る球を破壊・突破しようと均衡する。
※結果※
球の力が勝った。プラズマ噴流は防護を突破出来ずに、魔力の渦によって拡散、放散されてしまう。【ディフレクション】と同様に光熱粒子が周囲へとばらまかれ、細かい帯となって壁や床を焼き散らす。
◎◎◎ おめでとう。防御成功だ。 ◎◎◎
(検証完了。フルパワーなら直撃を防げる。これなら僕でも戦える…)
(…だけど、粒子ビーム自体は防げても、熱の放射は完全には防げてはいない…)チリチリと、焼ける熱波が肌を焼く。これでは直ぐに火傷へと変わってしまうことだろう。(…だったら…)
切田くんは覆面を下ろして『ガラス玉』を取り出し、仲間に叫んだ。「…正面から戦うべきじゃない。広場に!!」
「僕は後から追いつけます。鋼さんは『猫目』さんを!」
「…わかった!」声を受け、東堂さんが強引に『猫目』をひっつかむ。「ふわっ!?」「ちゃんと捕まりなさいっ!!」変な声を上げた少女を叱り飛ばし、白き『聖女』は爆発的に走り出した。
「ふわああああぁぁぁぁぁっ……!?」素っ頓狂な、恍惚とした声が遠ざかる。
――灼熱を防ぎ続ける球状の盾。いつまで保つかは見当もつかない。本来の盾であった魔法の反射鏡も今、失われた。急いだほうが良いだろう。両手に『ガラス玉』を掲げ、ふわりと舞う。
(…全力の空中機動で!)急旋回し、大気をギュンと切り裂いて、鋭い弧を描いて飛び去っていく。立ち塞がる瓦礫を瞬時に飛び越えて、少年の姿はたちまち通路の闇へと消えた。
◇
……『敵』影ロスト。黒革に覆われし四角の先、灼熱の噴流が先細り、止まる。
溶岩化した壁面が、今もチリチリ空を焼いている。――カツ、カツ、カツと、わざとらしい靴音が、熱波の『迷宮』内に反響している。高慢に、居丈高に歩む黒影を、輻射光が不気味に映し出している。
「タハー」血溜まりに倒れたままのプリーチャーが、剥いた白目をぎょろりと戻した。
そして天井を見据え、不気味な笑顔でキャッキャと笑った。「組んだ腕を影にして、かき集めた『障壁集中』によって胸部と頭部を守ったのだ!」
「流石は私!窮地においての咄嗟の機転。もちろんそれを呼ぶものは?我が身が鍛えしセーフネェット!キャハー!!…ゴフッ…ゴブッ…!」血反吐を吐き出しながらも、誇らしげに笑う。
「胃と腹に穴が空いてしまったではないかっ!つまり今回の私は?胃に穴が開くほどに頑張り抜いた男。そういう事になるのではないかね!?…ふむ、これは周りに自慢が出来るというもの。…しかぁしっ!!」
「『魔力に請われし贄に命ずる。根源たる流動に身を宿し、対価を我が身の組成と為せ。――捧げよ!』、【キュア・シリアス・ウーンズ】!!」
術者に似合わぬ清らかな光が降り注ぐ。鷲鼻男の全身の傷が徐々に塞がり、出血も止まっていく。強力な治癒の魔法だ。
……ブツリと消える。中途半端な状態で効力を失ってしまった。「…んん〜?」
「あっ、駄目。魔力足りない。ちょっとキミ!早くこっちに来て、私を癒やしてくれ給え!!」「はやくっ!!はやくっ!!」両手でピシャピシャと、床を叩いて催促する。
赤熱化する通路をものともせずに、黒いボディースーツがツカツカと歩み寄る。……寝転がったままの中年男を「わくわく、ワクワクッ」、上から冷たく睥睨した。
彼女は機械的に手を合わせ、指の四角を男へと向けた。
「『いでよ』」
「『ポーション・オブ・エクストラヒーリング』」
虚空より流れ出る赤い半透明の液体が、バシャバシャと顔に降りかかる。「うわっぷ」治りきらなかった全身の傷が、みるみるうちに塞がっていく。――強力な魔法の水薬だ。『魔女』ブリギッテが切田くんのお腹に使ったものと良く似ている。
ブルブル震えて水滴を切り、血溜まりの中、不敵な笑顔を浮かべる。「御苦労。おかげで助かったようだね?魔法の呼子笛は届いたようだ」
「…近衛兵団特殊魔獣戦隊、独立した単独行動を許されしS級召喚勇者。…『ジ・アイテムボックス』よ」
――鉄兜越しに撓んで響く、酷く冷たく澄んだ声。「いいかげん『迷宮』遊びは自重してください。『迷宮都市』教区統括、『説教師』ワイズマン司教。…枢機卿選挙をご辞退なされたそうですね」
裏返った素っ頓狂な声で、プリーチャーは抗弁した。「これ以上偉くなったら遊び…実地の差配が出来なくなっちゃうでしょ!これはあくまで神と布教と民草の、ひいては文化のためだよ!決して私欲から来るものなどではなぁい!!」
そんな様子を冷たく睥睨し、瓦礫の向こう側へと目を向ける。「…今の子供達は?」
「キルタ君たちかね?他国の勇者じゃないの。それらしき情報上がってない?」
「いいえ」
「彼らは割と使うよ。キミならば万が一もないとは思うが…」
対話を切り上げたがるかの様にそっぽを向いて、黒衣の女性は周囲を観察する。「見たところ上層のようですが。…座標的にもここは、完全に未到達区域です。司教に心当たりは?」
「…どうやらガバナが確保している、未確認の『出入り口』のようだねえ。国のためには放ってはおけまい?」
表面上はにこやかなプリーチャーだったが、……この状況、内心苦々しく思っていた。
(セーフネェット!の一つとして探索中の勇者を呼びはしたが、…その時点では、このような隠れ『出入り口』があるなどとは判明していなかった。…失策だったかもしれんな)
(…このまま新たな『出入り口』を、利権屋どもに渡すわけにもいかんか。『狂王』復活の妨げになってしまう…)
(…はぁ、『ジ・アイテムボックス』は利便性の高い『勇者』なんだがねぇ。…ああ、もったいない…)内心のことなどおくびにも出さず、しれっとした顔でにこやかに、プリーチャーは馴れ馴れしく接する。
「今回は深層で探索班を失ってしまってねぇ。緊急【テレポート】で石の中に跳んで、結果私はこのルートへと辿りついたのだよ。…そして、この局面で君が追いついた。ふふん。私の生存力も大したものだろう。どうだね?」
寝転がったままふんぞり返り、海老反りになってしまう。……そのまま、ふとした疑問を尋ねかける。
「…ところで君は、どうやって私に合流したのかね?正規のルートはもっと深い場所で、この区域につながっていたのだろう?」
「今回の探索、わたくしは『神代の迷宮』の」黒衣の女性は無造作に、その言葉を口にした。
「最下層に到達しました」
「…何…?」眉根を寄せる中年男を冷たく見下ろし、黒衣の女性は身を翻して歩き出した。「あなたの権限と貢献度では、これ以上の情報は開示できません」
「…国政を揺るがす怪しげな輩とのお遊びは、いい加減おやめになることです」呆けた男を尻目に、靴音高らかに『迷宮』を進んでいく。……切田くんたちの、逃げた側に向かって。
「待ちたまえ!私も一緒に…」プリーチャーは慌てて上体を起こそうとした。
……そしてうんうんと踏ん張り、叫んだ。
「……血が足りん!!」