合流
「……平気ですか、『猫目』さん。今、明かりをつけます」
「……わがっだっっ……ケホッ、……大丈夫」
指パチして光球を作り出す。魔力の灯りを映し込む煙霧。……視界が悪い。もうもうと埃が立ち込めている。
(……うわぁ……)凄まじい破壊の跡が、そこにはあった。
かつての天井は大きく脱落し、落着した瓦礫が床石に衝撃して、互いに傷つけ合い砕けた破片がそこかしこに散らばっている。(……修羅場かな?)
崩落後の天蓋も酷い状態だ。がっぽり空いた落盤の周り、蜘蛛の巣状に亀裂が錯綜し、砕けた石が浮き上がって今にも脱落しそうだ。――割れ目は側壁まで達している。崩壊寸前。まさに危険な状況である。
パラパラと小さな破片が落ちてくる。(アカン)このままでは更に崩落するかもしれない。少し後ろに下がる。
(……なんだろうな、これ……)切田くんは唖然として、自らの手によって破壊された『迷宮』を眺めた。(……こんな事が出来ていいのか?……ここまでの損壊が起こるなんて……)
少しの力への陶酔はあったが、そこには誇らしさなど微塵も無かった。――ただうそ寒さだけが、胸中を支配している。(……こんな得体の知れない、拾っただけの力で……)
攻撃の威力がありすぎる。いつの間にか持たされていた透明な拳銃が、今や戦車砲並みの火力を有している。……とても生身の人間に向けて良いものではないし、個人で扱う威力でもない。
仮にこのインチキを『自分個人の力だ』などと誇ったのならば、切田くんには内外問わずの悪意がエスカレートして、次々と呼び込まれる事となるだろう。――そんな嫌らしさが、ここにはあった。
だが今回は、構造物に立てこもる敵を、構造物ごと倒せはした。
(……敵の攻撃を差し止めるための脅しにはなるんだろうけど……)――ふと引っ掛かりを感じ、首を振る。
(いや、そんな風に思い詰めるのは良くない。いくら行儀が悪くたって、そういった自分の重しはどんどん茶化していかないと。……『でないと身動きが取れなくなって潰れちゃうんだぜ、ボーイ』。ニコー)塹壕の教えだ。(ありがとう、なんかうろ覚えの人)シュッ。
(それより今は、石の中にいる死体を確認してもらわないと)「『猫目』さん……」
「……キルタ」硬い声色が、名前を呼んだ。少女は眼帯を上げたまま、厳しい表情で天井を見上げている。……力なく、ボソリと言う。
「……駄目」
「奴は生きてる」
「『…なんてことをしてくれたのかねキルタくぅん!!!』」
(うわぁっ!!?)猛烈な台風みたいに突き飛ばす大音声。鼓膜ごと身体を殴り抜ける、苛烈なる音波の衝撃。共振した壁がビリビリと震えている。
音割れ爆弾にて周囲を埋める、中年男の憤慨した声。――文化おじさん。プリーチャーだ。(……馬鹿なっ!?)ぐにゃりと心が曲がるのが分かった。そんなはずはない。鷲鼻男が生きているはずはない。
胸の奥が掻き乱され、息が苦しい。覆面を伝って脂汗が滴り落ちる。……間違っている。理不尽だ。(……あれだけ溜めたパワーなんだぞ……)
(ほら、見てくれよ!『迷宮』だってこんなに壊せたんだ。……なのに、どうしてっ!!)(……なんで文化おじさんが生きているんだ!?不死身なのか!?)
横では『猫目』がチラチラ見上げ、気づかわしげに彼を見る。
「…ねえ、あいつ、天井の奥に離れてく。…ねえ、キルタ…」声を震わせ、遠慮がちに裾を引く。……切田くんには何も答えられない。
周囲の壁をビリビリ震わせ、プンスカ声が轟く。「あーあーあー、これホントに駄目なやつっ。『アミュレット・オブ・ライフセービング』が壊れてしまったではないかっ。一度だけ命を助ける護符なのだぞ!」
「『迷宮』深層探索の必需品であるのに深層でしか発見されていない、レアなびっくりアイテムなのだよ!」(……身代わりアイテム!?そんなのアリなの!?……)
(……だって、おかしいだろ、そんなの……)信じようが信じまいが、何らかの超常手段で必殺攻撃を防いだことは間違いないのだろう。どうやら、この世界での情報不足が露呈してしまったようだ。(…いや、情報とかじゃないでしょ。おかしいだろ!?なあっ…)
冷たい焦燥が膨らんでいく。重ねて戦慄が、――そして、……絶望がよぎる。
(…ああああ、不味いマズい。今、この人を仕留めきれなかったのは、本当にまずいんだ…)
(…多彩な魔法、高速詠唱…)
(そしてなにより壁抜けの魔法!…あれは暗殺のための魔法だ!)迫り来る、確実な死の予感。……もはや、どう足掻いても逃れることは出来ない。そんな正確な予測。
(『猫目』さんがずっと見ていてくれるわけじゃない。…いつでも僕らを暗殺できる敵を、手掛かりもなく見失うことになる…)
(…そんなの詰みだ…)
(詰みじゃないか!どうしたって。もうこの人が、僕の攻撃が届く範囲に入ってくることは、絶対に無い!)
(…どうしたら……どうしたらいいんだ!?)立ち竦む切田くんと、おろおろする『猫目』。そうする間も見下ろす天井が素っ頓狂に喚き散らす。
「ああ〜、もう、びっくりしたぁ。…キルタ君!?ねえこれ、すっごくお高いやつ!弁償なんて出来ないよ!?ドーシテくれるのこれぇ。…ちょっと、ねーえ!」(だ、駄目だっ!…引き止めないと!何でもいい…何か話して…!)
氷の海に沈み込む様な、侵食する絶望感。ガリガリと過負荷のかかる嫌な幻聴が聞こえる。……それでもなんとか切田くんは、震え裏返らない、落ち着いた声を吐き出せた。「逃げるんですか?プリーチャーさん」
「……んん?……」
突如投げかけられた不敵な声に、プリーチャーは胡乱げに問いただす。「…なんだね突然。きみィ…」手応えがない。(…無理筋か?…くそっ…)
(…それでもゴブリンたちの様に、頭に血を昇らせて衝動に飲み込めば、きっとチャンスが…)「逃げ出すんですよね、プリーチャーさん。あんなに見たがっていた、大切な祭りを放り出して。たかがお守り一つ壊れた程度で…」
「『死んだらどうする!!!』」
(うわぁっ!!?)猛烈すぎる音圧が降り注ぎ、二人はたまらず耳を押さえた。『迷宮』がビリビリ共振する。
「何を言っとるのかねキルタ君!安全だからスリルは楽しいの!」
「優れた文化の使徒たるこのワタシを、危険に身を晒して強さをアピールしよう等という、ノータリンのアンポンタンどもと一緒にしないでくれたまえ!!んまったくもう…」
「文化の担い手が死んでしまったら、誰が文化を伝えるのだね!主催が祭りに参加するかね?祭りの出来を眺めるだけだろう!」
「…お祭り気分で身を呈して戦う?死線に身を晒す?」
「そんなもの、下働きがやればいいのだっ!!」
(最低だこの人)
真顔で思う。(…でも、まあ、ごもっとも…)
口を噤んだ切田くんに、何故かプリーチャーはうろたえた声を出す。「…ああ、もう。そんなにシュンとしないでくれたまえよ…」
「ほらほら!確かにきみには楽しませてもらったからね。ここを去る前に、いろいろときみに教えてあげよう。ほら、元気を出したまえ。サービスだよ、サービス」
「…あー、キルタ君。私は自主的にこの場を去るのだ。決して逃走などではないよ?」
「……たとえばきみは、壁の中からの暗殺を不安がっているのだろう?」
(……ぐっ……)図星によろめく。……しかし意外にも、プリーチャーは声に慰撫を込めて、こう言い放った。「安心したまえキルタ君!そんなことは、やりまっせぇーん。私はそんな下世話なことなど、しっなーいのだ」
(……えっ?)拍子抜けと混乱。
(……なんで?……どうして。僕たちは殺し合ったし、そちらにもかなりの損害だって出たはずだ……)「……何故です?」
「私は偉いから」
壁の中からフンス、と、プリーチャーは言った。
(……)黙り込んだ切田くんを尻目に、鷲鼻男の言葉は踊る。
「『人格的に』だって?褒めてくれたまえ褒めてくれたまえ。もっとだもっと、んもっとだよ!」
「…おっと。私は今、いわゆる権力や立場の話をしている」
「こう見えて私は勉強家でね。貴重な文化を見出すためにこうやって実地に出て来てはいるが、本当は結構なお偉いさんなのだ」
「そしてその立場は日々、存分に利用しているのだよ」
「…当然、立場が及ぶ限り、出来る限りのセーフネットを用意して出てきている。壊された『アミュレット』や、失った探索班のようにね」
「…遊びだって安全を気にする。仕事ならば、もっと気にする。遊び以上にセーフネットを何枚も噛ませるということだよ。わかるよね?」
――神の言葉を告げるが如く厳かに、プリーチャーは教え導くように言った。
「……つまり、君たちを暗殺するのは私ではない。私のつての先の誰かだよ」
「相手が持っていない力で戦う。相手の嫌がる方法で戦う。戦いの基本だね?」
「君たちの戦いぶりは素晴らしかった。正攻法なら勝ってたさ。…故に我々は、十分な対策をして、確実に君たちを暗殺するとしよう。対策をするというのは尊敬をするということだよキルタ君。私は君を尊敬する」
「雇い主はガバナかね?『出入り口』を長期確保、隠蔽出来そうな国内の組織など、ガバナ以外に思い当たらん。…では、ガバナごと君たちを封殺するとしよう。我々とて『出入り口』は欲しいからね」一旦言葉を止めて、しみじみと呟く。
「だけどあれだよ、キルタ君。せっかくだから国外にでも逃げておきたまえ」
「…きみほどの『勇者』だ。個人的には非常にもったいないのだよねえ。でもほら、私にも立場が有るから」
……切田くんは天井を見上げたまま、無力に駆られて立ち竦んでいた。胸の底から、大事な力が抜けていく。
(……終わった……)これからどうすれば良いのか、もう、何も考えられない。
(僕の負けだ。もう、取れる手段がない。ここで粘っても、無駄に死んで全滅するだけだ…)
(…そうなったら、死ぬのは僕だけじゃない。みんな死ぬんだ。…こんなの一体どうすればいい?…何か手は無いのか…?)
(……誰か教えてくれ。……駄目だ。何も思いつかない……)
(……そうだ、……この人の言うとおりに、すぐにこの国から逃げ出さなくては。惨めな思いで、しっぽを巻いて。……もう、それしか無いのか……)
デッドエンド。打つ手なし。もはや取れる手段は本当に何もない。終幕の哀しみさえもぼやけ、ただ、天を仰ぐ。
「さて、そろそろさよならの時間だ。もう会うことも有るまいね」天井の奥の人物が、優雅に一礼をした気がした。
「ではキルタ君。バイバイ」
……そして、プリーチャーは、怪訝そうに言った。
「……なんだ?」
(…なんだて。…なんだ?)
◇
絶望の沼に沈む少年の耳に、不思議な声が響いてきた。――進行方向、『迷宮』の奥からだ。その澄んだ声は、奇妙なほどに『迷宮』内を反響し、この場所にまではっきりと伝わってくる。
「『世にあまねく聖なるものよ、淀みを祓う清浄さよ』」
「『ここに清らかなる浄音となり、波動となり、光となり、力となりて、穢れしものを、不浄を滅せよ』」
「『切田くん、構えてっ!!』」
「えっ」徐々に近づく凛とした声に従って、「は、はい!」切田くんはシャープペンシルを構えた。
「【スーパーソニックピュリフィケーション】!!!」
散乱する瓦礫の外方。暗黒の洞を捻じり裂き、ヘビーメイスを構えた東堂さんがうねりと共に飛び出して来た。
風雷神の横紙破りに暗闇緞帳引き裂き散らし、彼女は壊滅的竜巻の如く大気を巻き込み一回転して、
『やああああああああああああああぁっっっ!!!』大きくフルスイングさせたヘビーメイスを、渾身の力で『迷宮』側壁に叩きつけた。
衝撃が、絶叫を震わす。
壁が破裂し、乱反射して跳ね回る。放たれた光粒子が衝撃と共に爆発的に広がり、星空の燭光となって構造を煌めかせる。
(…うわぁっ!!?)追って襲いくる衝撃波が、切田くんたちを煽り、よろめかせた。
……ぬるっ、と、天井からはじき出されたプリーチャーが落ちてきた。
「あ痛」瓦礫の隙間を狙った様に、平らな床にビタンと落ちた。
……瓦礫の向こう。東堂さんが力尽きたかのように、その場で崩れ落ちるのが見えた。「東堂さん!?」頭の中が真っ白になる。もうワケ分かんない。切田くんは心底焦った。(なんなの!?)
とにかく駆け出す。――行く手を塞ぐ瓦礫の只中、プリーチャーが頭を振って立ち上がろうとしている。(……くっ、こいつだけは……)泡を食い、どちらを優先すべきなのかを見失う。
……なんだか無性にムカッ腹が立ってきた。いつもいつもこいつは、切実な時に邪魔をして、その都度それを嘲笑ってきたのだ。いくら何でもトサカに来るでしょ。(……そうやって、邪魔をするからっ!!!)
「どけぇっ!!!多連装『マジックボルト』!!」
もはや握ったシャープペンシルなど関係なく、駆け寄る切田くんの周囲より大量の光弾が、整然と、そして猛然とプリーチャーを襲う。
「『障壁』が!…駄目だ、急には出力が…ならば【シールド】の多重展開で…」
「…【シールド】が足りん!!」同じく泡を食い、何もかもが間に合わないと悟ったプリーチャーは、夜道でハイビームを浴びたが如く両手を十字にかざして叫んだ。
「あひいいいいいいいいいいんっ!!いやん」
「うるさいっ!!……東堂さん!!」全身から血を吹き出し倒れるプリーチャーを振りほどき、慌てて瓦礫を乗り越える。
小さな瓦礫に足を取られ、転びそうになる。もつれよろめきながらも、何とか『聖女』の元へとたどり着いた。「東ど…」
慌てて脇にしゃがみ込むと、キツそうに身を起こし、彼女はガバリと力なく抱きついてきた。
「…切田くん、魔力切れ…」もたれかかって荒い息を整え、嬉しそうに笑った。
「……信じてた……」
「……フフ。ごめん、切田くん。迎えに来るのを待てなくて…」
「そんなの…」(……良かった。無事みたいだ……)切田くんはほっとする。
ぐったりと、彼女の重みが両肩にかかっている。――高熱も伝わってくる。魔力だけでなく、その躰もだいぶ酷使されていたようだ。
密着の圧迫と、柔らかさと熱。……ほのかな良い香りと彼女の汗の匂いなども意識してしまい、切田くんは慌てた。(へへへ変態みたいになってる場合じゃない!!今は、心配する局面なんだから……)
『……嘘をつくなよ、切田類……』
……冷や水を浴びせられる感覚。(……ぐっ……)目眩が襲い、歪みきった視界が廻る。『忘れたのか?自分のしてきた事を』
東堂さんに抱いたわけのわからない嫉妬や懊悩が、堰を切って一気になだれ込んできたのだ。(…あれだけ恨みがましく思っておいて、何なんだよ、僕は…)
(卑怯者?…そうか。こんなの僕の手のひら返しか。なんだ、『無事で良かった』って…)浮かれ気分がブクブク沈没する。(なかったふりをすれば無かったことになるって?…思ってさえいないか…)
(上辺ばかりの狡い男のやること。ハハ。文化おじさんにだって結局は、東堂さんのおかげで勝てたのにな。…あーあ。ざっこ)
信じてくれる彼女を口先で騙し、ごまかして、……結果、こうなっている。(……こうして頼って、安心してくれている。そんな純粋な気持ちに答える資格などあるのか?)ネーヨと天に叫びたい。(無いのだとしたら、僕はどうする?…いつものように小狡く立ち回って、上っ面で彼女をたぶらかして、この場をそれらしく仕上げるべきなの?)
想いを巡らせるも、答えが思い浮かぶことはなかった。切田くんは考える事を止め、静かに目をつぶった。
――そこには剥がれ落ちそうな感覚がある。
(……わからない。でも、今はこうしてもいいと思う)
(おままごとのまま終わるのだとしても……)
(……今はきっと、望んでくれている)「…無事で良かった」切田くんは東堂さんのことを、ギュッと強く抱きしめ返した。
「…っ…」一瞬身を固くした彼女は、すぐに表情を和らげて、「…フフ…」力を抜いて身を任せてくる。「……ん。私も……」
身動ぎと微笑み、しなだれかかる重み。積極的に腕を絡めて、もっと深く抱きしめ返してくる。……収まりが良くなった。「……切田くん……」穏やかな答えに浮かぶ、安堵の表情。
望んで押し付けられる柔らかい躰。その向こう、鼓動が強く高鳴っているのが分かる。……強化された細腕にガッチリ捕まり、切田くんは抜け出せそうにない。
くっついたまま顔を埋め、彼女はスンスンと匂いを嗅ぐ。――ちらと顔を上げ、少年の困り顔を一瞥する。
そして、ふたたびボフと顔を埋めて、フスーと思い切り息を吸い込んだ。(!!フギャア!!?)
「ちょ、ちょっと!?」(…こ、これは『猫吸い』!?ぼ僕は決して猫ではない!)慌てた少年の顔(覆面)を覗き込み、表情を和らげる。
「切田くんの匂いがする」
上体を離し、奥を探る。――見つめ合っている。奥底を覗き込まれている。
額同士が、こつんと当たった。
「…ふふ…」東堂さんは照れくさそうに吹き出した。切田くんも照れてしまい、覆面の下で困ったような笑い顔を作った。
「聖女様!無事だったんだね!」
突然かけられた声に、彼女はいたずらっぽい表情のまま、離れる。
未練がましくも上品な仕草で立ち上がり、瓦礫を乗り越えてくる小柄な姿に、ニッコリと笑いかけた。「ねえ、『猫目』さん」
「どうしたの?」駆け寄る少女の耳元に、優雅な所作でかがみ込む。……ボソボソと囁きかけた。
「…どうしてあんなに」
「切田くんからあなたの匂いがするの?」
虚ろな目をした女が、張り付いた笑いを浮かべている。
固まった少女に顔を寄せて、スンスンと匂いを嗅ぐ。……そして、口元だけで嫣然と笑った。
「ほらぁ」
「あなたからも、切田くんの匂いが。ほら、こぉんなに」