しっこくハウス『やあ』
『おぉおおおおおおぁあああああああっっっ!!!』狂える悲嘆が、『迷宮』を揺るがす。緑の大鬼より吐露されし、凄惨なる激昂。
脳天焼き焦がす衝動に奥歯をギリリと噛み締めて、奇妙にねじれた老人の姿を、狂おしくも遠く眺め下ろす。「……ぉおおおおお……爺よ、おお、爺よぉ……」肩を怒らせ慟哭に震えて、――激情のあまり烈風の如く吠えかかった。
「真なる『勇者』か『智者』であって初めて、王たる我の側に置けるのだぞっ!!…その唯のひとつであった爺を貴様はっ!!」
「!よくもっっ!!かああああああああああっ!!!」憤怒を纏い振り下ろされた王の長剣は、無慈悲な鎚鉾の横薙ぎによってあっさり腕からもぎ取られた。――長剣は折れ曲がって吹き飛び、更に壁でへし折れて火花を散らした。
「ぐぬうううううっ!!」奇妙に折れ曲がった右手首を投げ出して、脂汗に塗れながらも腰の格闘用短剣を探る。……無い。ヨロヨロ下がり片膝を突き、必死に武器になるものを探す。
その眼前では白き女が、ヘビーメイスを片手でヒュンヒュンと、バトントワリングのように回している。「おじいさんしか頼るものが居ない。おじいさんが居なければ何も出来ない。…同じ【ゴブリン】のくせに、他の人たちのことが嫌いなんでしょう?邪魔だと思ってる。…フフ。哀れな哀れな王さまね」
「さっきの事をもう忘れたの?あなたはとっくにパワー負けをしている。格付けなんてとっくに済んでいるのに。…しかも、切田くんに支えられた今の私は、あの時よりもずっとずっと強いんだよ?無駄な抵抗は止めたほうがいいんじゃないかな」
「だって、無駄だもの」
氷結凍気逆巻く霊峰より見下されし王は屈辱に震え、張り裂けんばかりの形相で、奥歯をメキメキ噛み締める。爆発寸前。
――その様子を『聖女』は無感情に見下ろし、価値も興味もまるでない瞳を、眉間あたりにツイと向けた。「私たちのくにの敵、それは私たちのあいを辱める者たち」
「…そうね。その観点で言えば、あなたの敵性はちょっと落ちる」
「あなたは切田くんに少し親切だったものね。馬鹿にしたのは腹が立ったけれど。…だから、許してあげても良い」両手で下手に握ったそれを、ガンと突き刺した。部屋中が衝撃に震える。
透明な声が、虚空に響いた。
「脇に寄り、ひざまづいて頭を垂れよ」
――その声は、神託を告げるが如く澄みわたり、そして有無を言わさぬほどに絶対だ。「あなたがボーッと突っ立っていたら、迎えに来てくれた切田くんが心配してしまうでしょう?」
「そのくらい察しなさい。下賤なる者よ」
……屈辱に噛み締めた王の奥歯が、バキリと嫌な音を立てた。
『フ゛ン゛ア゛ア゛ァッッッ!!』狂乱に爆ぜた衝動が、鷲掴みで床に叩きつけられた。――衝撃と破砕。床石に埋め込まれた左の五指がギリリと食い締められ、ひび割れた音を立てて『迷宮』の石畳が浮き上がる。
王はすっくと立ち上がり、もぎ取った最後の武器、いびつな石を引き絞り、へし折れた右手を差し伸べて見栄を切った。
――ゴブリンの王グッガは厳かに、腹の底から声を放った。
「『ゴブリン』の、『王』である!!!」
「……愚かなり!」東堂さんも凛と答え、ヘビーメイスを蜻蛉に構えた。
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!!」『ぁあああああああああああああああ!!!』石を振り上げ突撃する王に対し、『聖女』は躊躇なく大気を引き裂き、強弓の如く無慈悲の一撃を振り下ろした。
「…くっ…!!」そして彼女はたたらを踏んだ。「……何度もぉっ!!」悔しげによろめき、ヘビーメイスが空を切る。
そこに降りかかる渾身の石打ちは、見えない防護にて激しく火花を散らし、無残にも粉々に砕け散る。よろめいたふたりが交錯する。
「…王よぉっ!ガボッ…いけませぬっ!!御身さえ無事ならば、そこが国にございます!!!」しわがれた声。床に伏したままのゴブリンの老人が、ビシャビシャと血を吐き、印を東堂さんに向けている。
「退くが重畳!王のお力ならば、『迷宮』の奥とて…!!」
『……邪魔をしてええええええぇっ!!!』瀕死の叫び引き裂く、地の底より轟く絶叫。――白き女はブチブチ悍しき異音を上げて、暴走重機みたいに豪腕を振るった。
「…王よ!勝利ゥォッ!!」高音を立てた投げナイフが額にめり込む。反動で、老人の体はズルリと滑った。
拘束より解かれた『聖女』が体勢を立て直すと、ゴブリンの王は必死の形相で黒門へと取り付いていた。邪魔な神輿が蹴飛ばされ、床を滑る。
「…すまぬ爺よ、無駄死にはさせん!!…この屈辱忘れんぞ、女!!この奥底より煮えたぎる力を持ってすれば、『迷宮』下層の武器も現地のゴブリンとて…!」ゴブリン王グッガは、下層に繋がる『迷宮』の黒門を、大きく開け放った。
◇
――そこには人が立っていた。
光沢を持った鋭利なデザインの、フルフェイスの黒兜。革状かつ特殊な素材を思わせる、漆黒のボディースーツ。……女性的なシルエット。
おかしなことに、その人物は完全に無手だ。肩や背中、ひとつなぎのロンググローブに覆われた両手には、武器どころか何の荷物も持ってはいない。
「んなっ…!」流石の王も驚いた。……黒衣の人物は棒立ちのまま、ゆったりと王を睥睨している。
「…冒険者、迷宮探索者であるか!?…そこをどけっ!邪魔だっ!!!」王は人物を突き飛ばそうと、乱暴に踊りかかった。
その時すでに黒衣の人物は、まるで祈るかの様に両手を合わせていた。
両手指を使って四角を作り、透き通った女性の声で、こう言った。
「『いでよ』」
「『クラウ・ソラス』」
閃光が走った。
◇
苛烈なる熱量に空間が瞬時沸騰し、忽ちのうちに破裂して渦を巻く。狂躁に嘆き叫ぶ極光が膨れ上がり、バチバチと噴流して空を焼く。――黒衣の女より放たれし、眩き灼熱の閃光は、大気を焼き切り蹂躙するままに真っ直ぐ『聖女』に肉迫した。
その時すでに東堂さんは、袖から必死に短杖を取り出し、高らかに叫んでいた。
「『ディバイン』【ディフレクション】!!」
噴流プラズマ激突寸前。――拒絶の鏡面が直撃を弾き返し、鋭角にその軌道を変えた。捻じ曲がった光の龍が『迷宮』壁を焼き暴れ、絶叫と共に床や天井、側壁を赤熱化させていく。
高温によって溶岩が更に蒸発する。押し寄せる熱波に陽炎が歪み、チリチリ満ちる焦熱が、全てのものを蒸し焼きにする。
「くぅっ…!」東堂さんは酷く辛そうに、短杖を構えたまま後ずさった。
「…切田くんの『ビー玉』が!?」
ローブ越しにブラウスのポケットをぽよぽよとまさぐり、泣きそうな顔になる。
「…私ってばすぐに調子に乗って……無くしたって謝らないと…」
……その時。照射攻撃の限界か、このままでは埒が明かないと判断したのか。襲い来る灼熱噴流が止まった。
東堂さんはグスと鼻を鳴らし、即座に踵を返す。豪と空気を引き裂いて、瞬く間に『迷宮』の暗闇へと消えた。
溶岩が雫となり、歪んだ天盤からボタリと落ちる。
粗末な神輿が、床面で炎を上げている。
黒い全身ボディスーツの女性は、倒れてくる焦げた下半身をじっと見つめる。――ずるずると階段を滑り落ちるそれを嫌そうに避けて、黒門を通り抜け、未だ輻射熱放つ部屋へと足を踏み入れた。
◇
逃げに転じた東堂さんが飛び込んだ部屋には、十人ほどのゴブリンが集まっていた。背負子と樽爆弾を背負ったものもいる。
突然の出現に、心底驚いたゴブリンの一人が叫んだ。
「姐さん!駄目だよ、神輿に居なきゃあ!!人質なんだぞ!?」
東堂さんは思わず足を止め、ゴブリン達に謝った。
「ごめんなさい。でも、後ろから『勇者』が来ているの」
「後ろからぁ!?」ゴブリンたちはどよめく。
「……じゃあね。あなた達も逃げなさい。……急いで!」
迷わず駆け出し、大気を割って瞬時に通路の奥へと消える。……彼女が来た側の通路を見やり、ゴブリンたちは当惑してまごつく。
「だってさあ、いつの間に裏を取られたんだ?『勇者』って『耳削ぎの勇者』だろ?覆面の」
「いや待てって。『耳削ぎの勇者』は姐さんの仲間だろう。おかしいじゃないか」
「別の『勇者』なのかな。勇者祭りと聞いて居ても立ってもいられずに、参加しに来たんじゃないかな」
「俺、言ってねえぞ。宣伝とかしてねえし」
「俺だって言ってねえよ」
「なあ、姐さんが急げって…」
「それよりさ。…相手が『勇者』なら、こっちも『勇者』が迎撃しないとだろ?」
「嫌だよ俺」
「臆病者!」
「だったらお前やれよ」
「俺『勇者』じゃないし」
「なんだよ!ズルいぞ!!」
「ズルいも何も、そう決まってんだろうが!やんのか!?」
いきり立ったゴブリンたちは、そこで、一斉に黙り込んだ。
カツカツ、カツカツと、冷たく硬質な音が聞こえてくる。……歩む靴音高らかに、奥から誰かが近づいてきている。
息を呑み注視する中、――その影は、ヌッと現れた。
違う。彼らが見た『耳削ぎの勇者』ではない。
「…やっぱり違うぞ!誰だお前!」
「どこの『勇者』様だコラ!?」
騒ぎ立てるゴブリンたちに向かって、黒衣の女性は無辜への祈りを捧げるが如く、その両手の指を合わせた。




