構造物破壊
身体に熱が、絡みついている。
火傷する程に高い体温。互いに感じる、強い脈動。――汗ばむぐらいの湿気に茹だる、他に誰もいない、ふたりの密室。
「……ねぇ、キルタ。……今も見られてる……」外套越しに蠢く、意図して強く、押し当てられた躰。
「…フフ。…恥ずかしいね?」
「…あたしたちがこうしているのも、全部アイツに見られてるよ…?」
「……ねぇ、キルタ。今、どんな気持ち……?」
(……ど、どんなキモチって……)戸惑うほどに軽い重み。密着越しに幾重にも取り囲む、少女の甘い、蠱惑の匂い。
引きずり込まれている。
(……いけないっ!)ガリガリと音を立て、淀んだ意識が浮かび上がった。(……文化おじさんめ。やはり見ていたか……)
(…『猫目』さんはうまく立ち回ってくれていた。おかげで奴は油断しているんだから…)
(千載一遇のチャンスって事だ。……しかしながら、敵は分厚い石壁によって守られている。迷宮の構造越しに奴を倒せるほどの、強力な攻撃が必要だ……)
(……しかも、放つ瞬間まで、決して奴に気づかれない攻撃が……)
途方に暮れる。(……そんなの有るの?)ネーヨと叫びたい。厶キー。
プリーチャーは、今もこちらの一挙手一動足を観察し続けているのだ。下手な動きは出来ない。
(チャージ攻撃は気づかれる。鎧を貫くやつや砲弾は使えない。…かといって、普通の攻撃では石の中に届かない…)
(……何かないのか、……他になにか……)
その時、見慣れた光源が視角を掠めた。(…あった。これだ!)
照明代わりに浮かぶ光球。『飛ばないマジックボルト』だ。(これを『マジックミサイル』に転用すればいい。明かりの魔法としか思われていないはず…)
(…しかし、問題もある。『マジックミサイル』へのチャージは、流入するエネルギーによって激しく発光してしまう。ではどうする…?)切田くんは迷いを振り切り、一縷のアイディアに望みを託す事にする。
(畢竟、奴に気取られないために、表面上の光を全く変えずにエネルギーを注ぎ込む事が肝要だ。…このまま行けっ!)
(……第一弾階。物質化エネルギーを注ぎ込み、光球の内部のみを結晶化させる)
刹那の思考の区切りによって、鈍速世界が通常速度に加速する。――その只中、不可視の回路を経由して、エネルギーが静かに『飛ばないマジックボルト』へと流れ込み始めた。騙し討ちで十人の偽装盗賊を倒した時のように。(…エネルギー、注入開始。ゆらぐなよ、光を変えるな…)
(…素知らぬ顔で、騙しきるんだ…)思いつめた顔のまま、くっつく少女に囁きかける。「『猫目』さん。演技を続けてください」
「…ふふ。…フフフ…」妖しい目つきの『猫目』は、実に楽しげに笑った。
耳に唇が近づく。「はむ」
(うひゃあ)
心地よい怖気が走った。
耳たぶが、少女の可憐な唇に、やさしく啄まれている。
「…ちょ、ちょっとぉ!?」
「らぁに?演技が必要なんれしょう?」
「…え?、ええ」
「続けゆよ?」
……切田くんはうろたえた。……それはもう狼狽えた。
(…ど、どど動揺するな。そこまで難しい要件じゃあない。光量を維持しながらエネルギーを込めるだけの、簡単なお仕事なんだぞ…)刺身にタンポポを載せる仕事よりも工数は少ない。念じるだけだし、実際には醤油やワサビパックを載せる仕事も兼任しているはずだからだ。
(エネルギーを詰め込んだ『マジックミサイル』。チャージを物質化に寄せた『ガラス玉』。この二つで要領は掴んでいる。…飽和した物質化の力が、内部で形を作ってくれるはず…)
懊悩する耳たぶを咥えてはむはむする『猫目』が、唇を離して囁きかけてくる。「…ねえ、キルタ?」
「…なんです」
「キルタは『愛なんてわからない』って、あたしに言ったよね?」「ええ」
「その時は残念に思ったけど……」ゾクゾクと、誘う吐息が鼓膜を揺らす。
「…だったらアタシは、キルタに賛成」
脱力し、深くもたれかかる。――もう離さない、逃さないとでも言うかの様に。
「フフ。そうだね?それって『良くないこと』なのかもしれない。世間様はあたしたちを責めるかもしれないね?」
「『愛がわからないだなんて、この人でなし』」
「『心が壊れている。愛する心がないなんて、人として壊れているんだ』」
「……じゃあさ、キルタ。あたしたちは仲間ね……」
「フーッ…」耳の穴に息を吹き込む。
(…あわわわ…)籠もる風音。
「…キルタ。これ、抱きしめ合ってるの、裸同士だったら良かったね。そっちのほうがずっとあったかいし」そしてボソボソと、挑発的な言葉を吹き込み始めた。
「ねぇ、キルタ?やっぱりあたし、キルタだったらいいよ。これでもあたし、結構ドキドキしちゃってるんだ。……伝わってるよね…?」そう言いながら舌を伸ばし、彼の耳たぶをねぶる。
「…ほあほあ。…フフ。キルタだってコーフンしちゃってるんでしょ。さっきも準備出来てたもんね。意気地がなかっただけだよね?」
……そのまま舌をすぼめ、耳穴に舌の先を突っ込もうとした。
(うわぁっ)肌を粟立てた切田くんは、思わずビクリとして首を逃がした。「や、やりすぎです!」
「なぁに?」「演技ですよ!」
耳元でクスクスと、彼女は笑った。「…わかってたでしょ。キルタ…」
「…あたしは本気だって…」
――光球内部へのエネルギーチャージは順調に進んでいる。光量は安定し、少しのブレさえ見せていない。しかしながら、本当の中の様子は、外部からではまったく把握出来ない。ぼんやりした感覚だけが頼りだ。
落ち着かせようと『精神力回復』の力を強める。「…んっ……ふっ…」濁流みたいに流れ込む波動に、少女がビク、と震えたのが分かった。……肩にうずもれ、大きな呼吸を繰り返す。
そして『猫目』は艷やかに、実に楽しげに囁いた。「……わかった。『強制的に落ち着かせるスキル』だ」
「状態異常を直したり、素早い判断をするためのスキルでしょう?」
(…見破られた…?)緊張をよそに、――安心しきった彼女は、ふにゃりともたれかかる。「…あたし、それ好き…」
「フワってなって落ち着いて、…そのあと、胸の奥がジワってなるの…」
暫しだらーんともたれた少女は、極限まで声を絞り、ひそひそと秘め事を囁き始めた。「…ねえ、やっぱりしようよ。キルタ」
「愛だのなんだの考えないで、動物みたいに貪り合おうよ。お互いに求め合ってさ」
「…嫌じゃないって言ったよね?」ふぅーっ、と吐息が吹き込まれる。
「あたしね?割と本気でキルタとエッチしたいな、って考えてるの」
「抱いて欲しい、抱いてあげたい」
「気持ちよくなりたい」はにかみ、頬を赤くする。
「…気持ちよく、してあげたい…」
――豹変。可憐な唇が釣り上がった。
「そしたらアタシね、見下ろしながら、甘く甘ぁく、せせら笑ってあげる…」
「『キルタってば、だらしない顔』」クスクスと嫌味な声が、耳の奥を逆撫でる。
「『こんな年下の女の子に良いようにされてぇ~』」
「『アヘアヘ言っているだなんて。もう、やだ~、キルタ、はっずかしい~』」
「『ねぇキルタ、恥ずかしいと思わないの?ねぇ。言ってみてよ今の気持ち。ね~ぇ~』」
「…そしたらね、キルタは泣き出しちゃうの」
「消え入るみたいな声で言うの。『恥ずかしい…』って」
「…そしたらあたしね、慰めてあげる…」
「……口ではあなたを罵りながら、一生懸命慰めてあげる……」
(…なにそれ最高…)意識の枠がグラリと揺れる。……このままでは、本当に引きずり込まれてしまう。(……ん゛ん゛ん゛ん゛〜……)脳内でジタバタする。
光球の内部はそろそろ結晶化したはずだ。工程を強く意識することで、崩れかけた意識を持ち直す。(やるべき事を忘れるなよ、切田類。……第二段階。『飛ばないマジックボルト』の内部結晶に、さらに破壊のエネルギーを注ぎ込む…)
(…本当の限界ギリギリまで。迷宮の壁などものともしない、一撃で仕留める力を…)「ね〜ぇ〜、キルタ。聞いてる?」決意を割って脳に浸透する、甘い囁き。
「……聞いてますよ」ふてた返答に、少女はクスクスと笑った。「操を立てるなんて幻想だよ。奥手が怖くて竦んでるだけ。ヘタレているだけ。…そうでしょ?」
「ねぇ、女に恥をかかせないで。キルタってそういうの嫌いでしょ?…そうだよね?」
「でもね。ちゃあんと『聖女さま』には黙っててあげる」
彼女の口調が、どこか変わった。「……ねぇ……」
「それかキルタが話してよ」
「女を囲う人だって、ふたり以上の奥さん貰う人だって。甲斐性あればフツ―じゃん」
「キルタの甲斐性なし。知ってたよ?決めるところで決めるキルタは結構素敵だけど、…あんた、ホントの性根はざこざこだもんねぇ〜?」
「……じゃあさ、アタシが養ってあげるよ」クスクス笑いに、どこか妖しい熱が籠もり始める。
「あたしが何でもしてあげるよ?ご飯も作ってあげるし、代わりに働いてあげる。…もちろん昼でも夜でも、好きなときに相手をしてあげる…」
「…だって、アタシはキルタに味方になってほしいし…」
「…それがキルタだったら、アタシ、正直興奮する」
打って変わった真剣な口調。「ねぇキルタ。本当に言ってみてよ。…真剣に話したのなら、『聖女さま』だってきっと、こう言うんじゃないかな?」
「『キルタくんがそう望むなら』」
「『キルタくんにはそうするだけの力がある』」…『聖女』のものまね。少女の顔に、邪悪な笑みが浮かんだ。
「…それとも、こう言うかも?『夜のキルタくんは、私一人じゃとても包みきれない。まるで野獣みたい』」
「ねぇ、キルタから言ってよ。『聖女さま』に」
「『今夜は三人でしよう』って」
「そうでしょう?そうすれば全部解決する。高いところに立つ『聖女さま』に、あたしたちの所まで降りてきてもらおうよ。…そうすれば、みんな幸せになれる」
「ねぇ、キルタぁ。そうしよ?…ね〜ぇ〜」
スポンジみたいにグズグズになる脳に、言葉が廃液の如く浸透する。切田くんはいつの間にか、ぼうっと聞き入ってしまっている。――思考が停止している。身体が動かない。
その時。ミシ…という、微かな軋みが聞こえた。『飛ばないマジックボルト』が軋んでいるのだ。
(……!?圧力限界!!いけるか!?)「…『猫目』さん」
「ん?」小首を傾げる少女に、一言だけ伝える。
「撃てます」
素早く察した『猫目』は、鋭い目つきで眼帯に手をかけた。
「…目を見ないで!」上体を離し、眼帯をめくりあげる。――何もおかしなところのない、右目と同じ金色の瞳だ。
即座に鋭い声を放つ。「キルタ、直上っ!」
「離れてっ!!」(この、出歯亀がっ…!!)
叫びと同時に『猫目』が跳んで離れる。
めくれた覆面を引き下げ、切田くんは天井を見上げる。
光球に、誘導のための回路をつなぐ。――それらはすべて、一瞬のうちに行われた。
(これが僕の、『超高圧魔力爆石』だっ!…くらえっ!!)
「対構造物『マジックミサイル』、発射!!」
砲丸投げの動作に、球体は跳ね跳んで急加速。――次の瞬間、天井に※ゴン※と音を立てて深く深く突き刺さった。
飛び退った頭上、天井が亀裂の形に火を放つ。ドゴンと重く爆雷音が響き渡り、構造体が大きく盛り上がった。(うわぁっ!!?)崩落する。
巨大な落盤瓦礫が頭上を襲う。質量が重すぎて【ミサイルプロテクション】では防げない。とっさに『ビー玉パリィ』で、――不可能。跳ね除けられる重さではない。
(…自爆で死ねるかっ、このおっ!!)一瞬の極限集中に、すべてのものが緩慢に見えていた。
そのまま全身の力を叩きつけ、自身の体を逆に押し出す。……ビキビキと、腕や肩の筋肉が悲鳴を上げた。
半回転しながら切田くんは、その巨大瓦礫の落下から逃れた。
たたらを踏んだそば、脱落した破片たちが次々と降り注ぎ、轟音を上げる。……まだ崩れる。慌てて大きく距離をとった。
「当たった!」
煙る粉塵の向こう、見上げる『猫目』が喜色を込めて叫んだ。切田くんも天井を見上げる。
「……やったか!?」