「これが…『だいしゅきホールド!』」
勇者祭りに先駆けて(かっこよく)脱ぎ落とした荷物は、今は回収せずに先へと進むことにする。……戦闘は未だ継続中だ。余計な重みは足枷になる。
そもそも、東堂さんの荷物だって宝箱部屋に置きっぱなしなのだ。(食料の大半がその中にある)――もちろん、決着がつくまでそれらが無事である保証など、何処にもないが。
「止まって」先頭を行く『猫目』が、小声で制止する。
「五歩先の床、落とし穴がある。…キルタ、わかる?」
目を凝らしてみる。『飛ばないマジックボルト』の光が、ザラザラした石組み通路を照らしている。……さっぱりわからない。
「…僕にはわかりません」
「そう?」少女にからかう様子は無い。
「落とし穴の中にゴブリンがいるよ。隠れてる」
「…なるほど」(落とし穴に落ちるか、通り過ぎたら襲いかかって自爆する算段か…)
パレードを歓迎する準備は万端のようだ。ならば、此方も手を振り返すのが営業努力というものだろう。電気的にシャープペンシルの狙いをつけて、(…ハハッ…)問いかける。
「…この辺ですか?」
――眼帯を素早く下ろし、『猫目』は振り返る。真剣な顔で腕をつかみ、射撃方向を調整している。「…もう少し…」再び軽く眼帯をめくって、敵の位置を確認する。
「…ここ」「行きます。鎧を貫く『マジックボルト』」
少しの溜め。金切り声を上げる杭状のエネルギーが先端から発射された。……耳障りな音に、『猫目』がビクリと肌を粟立てる。
※コン※。光の杭は真っ直ぐ瞬時に、床を小さく斜めに穿った。
(……こういう時?歌えばいいと思うよ。『ローンドブリッジ、フォーリンダン、フォーリンダン、フォーリンダン……』)そのまま様子を見守っていると、――落とし蓋が垂直に跳ね跳び、破裂音と白煙が吹き上がった。
焼け焦げた残骸がポーンと跳ね上がり、蓋を追い越してべしゃりと張り付く。剥がれる前に、穴の内部を跳ね回った曳火弾が、念押しのように天井へと突き刺さった。
(…あれだけ撃つのをためらった相手でも…)
(『マイ・フェア・レィディ…』。そうやって、罠に嵌めてやろうと手ぐすね引いて待ち構えるのなら、躊躇は有りません。簡単に殺せますよ)
仄暗い考えに揺蕩う切田くんは、『猫目』の力を少し見直す。(今の所、僕らはうまく噛み合っている。『暗いところでも見えるスキル』…赤外線視力か?)
(熱を持った生物は赤外線を発している。…ほんの少しの隙間があれば、熱反応で見えるのか。彼女の感知能力は正確だ)
(…有用だな。これならば『猫目』さんと積極的に関わり、関係を深める事も十分な利がある…)
そう考え、眉をしかめて頭を振る。(……何なんだ僕は。いまさら手のひら返して、彼女におべっかでも使う気か?自分の都合で距離を置いたくせに……)
(……そんなの、ただの卑怯者じゃないか……)卑劣な奴だと思われるのも、そうなるのも本意ではない。慎重に言葉を選んだ。
「…助かります」
――『猫目』は半身で振り返り、不服そうに言った。
「そっけないね。キルタ」
ぷいと、切田くんの腕を放り出してスタスタ歩き出してしまった。
(…なんか、難しいな…)結果は芳しくなかった。
切田くんはムムムと頭を捻りながらも、(……マジで分からーん…!)彼女の後へと続く。
◇
眼帯を捲って目を凝らし、魔法の地図を広げながらも、『猫目』はスムーズに分かれ道を選び取る。踏み板を避け、壁のスイッチを警戒して、(実に高性能)ふたりはどんどん『迷宮』の奥へと分け入っていく。
「……いるよ」曲がり角の手前、『猫目』がふたたび切田くんを制した。
「待ち伏せ。角の奥に二匹いる」
「わかりました」(敵の位置が奥すぎて、壁抜きでは狙えない。…ならば…)
切田くんはぶっつけ本番、試したことのない魔法の詠唱を開始した。
「『魔力の光よ映し出せ。揺らぎ無き蜃気楼の鏡像』。【ミラーイメージ】」
――切田くんが現れた。
二人目の出現に、『猫目』は目をぱちくりさせる。
「触ってもいい?」「駄目です」などと小声で囁き合うのを差し置いて、空間に映し出された切田くんが音もなく歩き出す。「…じゃあ、代わりにこっち触るし」「…やめなさいよ、集中してるんだから…」「…ひひ…」
曲がり角に差し掛かると、スタイリッシュで派手なアクションで曲がった先にシャープペンシルを向けた。(ヒュー)自画自賛だ。……呼応して、奥より怒号が巻き起こった。「来たぞぉっ!!」
「勇者アァァァッ!!取ったどぉァァァ!!」裏返った叫び声と共に、ドタドタ足音が鳴り響く。燃え上がる樽を背負ったゴブリン達が、曲がり角に猛然と突っ込んできた。
「あえ?」幻影がパッと消えてしまい、たたらを踏んだ。
慌てて辺りを見回す。――曲がった角の遥か先で、……『猫目』がニッコリ笑って手を振り、切田くんはペコリと頭を下げる。――ゴブリンたちは硬直した。
もう、間に合わない。
「ズッ…」
「ズルいぞおおおおおおおおおおおっっっ!!!」
彼らは絶叫と共にバン、バンと破裂し、破片を撒き散らした。
◇
散らばるベチャベチャを(…うへぇ…)踏み越えて、二人は『迷宮』の奥へと進む。
しばらくすると『猫目』が立ち止まり、三度声をかけてきた。「キルタ」
「…敵はどこです?」慎重に辺りをうかがう。敵はまた何処かに、巧妙に隠れているのだろうか。先に狙撃できる位置ならば良いのだが。
眼帯を戻しながら振り向いた少女は、ひどく真剣な顔で、こう言った。
「キルタ、ハグして」
「……はい?」
切田くんは硬直する。『猫目』が真面目な顔で急かす。
「はやく」
思わず困惑する。(…この子は何を言ってるんだ…)
「…あの、ふざけている場合じゃないんです。先を急がないと」
「抱っこしてくれないと進めない」
そういいながら彼女は、軽く両手を広げる。
「ん」
……沈黙し、切田くんは毅然とした態度で伝えた。
「…急いでいるんです。はやく東堂さんのところにたどり着かないと」
――苛立ちと、少しの沈黙。
眼帯の少女は、口元だけでニコッと笑った。
「……駄目だよ?ざこキルタ」
そして、煽る口調で言葉を並べる。
「キルタは本当に駄目。ざこざこキルタ。ざこキルタ」
「ざ~こ。ねえキルタ。アタシの力が必要なんでしょ?」
切田くんは真剣にうなずく。
「そうです」
「だったらちゃんと察して、感情を込めて抱きしめてくれないと」
「……」
そっぽを向いてため息をつく。「…ほんとニッブ」
振り向いた時、彼女は笑っていた。……せせら笑いだ。「…まだわからないの?自分の立場が」
「あたしはキルタを脅してるんだよ?いくら汚らわしいと思っていても、ハグぐらいなら出来るでしょ」
「キルタがアタシとセックスするのが嫌だっていうのは、よ~くわかった」
「…だけどもう、アタシの体に触ることさえ嫌なの?キルタ。生理的にダメ?」
切田くんは辛抱強く言い含める。
「だから嫌じゃありませんよ。でも今は、そんな場合じゃない」
「今がそんな場合なの」口元に笑いを貼り付け、彼女は続けた。
「あたしの力が必要よね?」
「…ええ」
「『聖女さま』を助けに行きたいよね?」
「もちろん」
「ねぇキルタ」笑い顔のまま前屈みになって、眼帯の少女は下から切田くんを覗き込んだ。
「アタシはそのための道具なの?」
「自分の都合で利用して、使い捨てるだけの道具なの?」
「アタシなんか仲間じゃない」
「ただの組織が付けた見張り。だったら都合よく使い潰してやる」
「そういうこと?」
慌てて否定する。「…違いますよ。それは」
少女は半歩踏み込み、ゆったりと食ってかかった。
「違うなら証明して」
「愛を証明してよ」
「あたし、生まれてこのかた、『都合のいい』『その場の気分だけの』『愛』しか見たこと無いの」
「…もちろん、そんなのはまだマシな方なんだけど。汚らわしい話なんて聞きたくないでしょ?」自虐に歪ませ、彼女は嗤う。
「キルタにとっての『聖女さま』は、本物の愛を向けるに値する存在なんでしょう?……だったらキルタは知っているはず。本物の愛の向けかたを」
「本気じゃなくても良いんだよ?本当にキルタが『聖女さま』を愛するに値するのなら。……出来るよね?」
「ねぇキルタぁ。見たいな~?『愛』。ね~ぇ~」
「……」
「……」
突如『猫目』は、小馬鹿にして言い立てた。
「ねえキルタ、あんた」
「『聖女さま』と釣り合ってないよ」
「高望みしすぎ」
「なのに薄っぺらいたぶらかしだけで、『聖女さま』を自分のものに出来ると本当に思っているの?」
「…舐めてるよね、それって」
「都合の良さを押し付け合って、上辺だけ仲良くして」
「セックスの予感に高ぶるだけの愛しか表せないのなら」
「…キルタは『聖女さま』にふさわしくない」
両手を祈りの形に握って想い、彼女は陶然として言った。
「あの人は気高くて、綺麗で」
「そして強いの」
憎々しげに顔を歪める。「あんたなんかとは内に秘めたパワーが違う。生きてきた道そのものが違う」
「……そう思うでしょ?『ざこキルタ』」
それを聞いた切田くんは、覆面越しに頭をグリグリと掻きむしり、視線をそらす。……そして、ポツリと言った。
「……思いますよ」
「そうでしょう!」歓喜の声を上げ、満足げに顔を歪める。くるりと背を向けて天を仰ぐ。「ほら!…そうよね!」
「やっぱりそう!」
「だったら似た者同士、こんなにも弱くて汚らわしい、こんなあたしにさえ愛を示せないのなら!わからせられないのなら!」笑いを収め、遠い声で言う。
「『聖女さま』と繋がっていられるのは、おままごとが楽しいわずかな時間だけ」
「あなたたちは必ず破綻する」
「…うまくいくわけ無いでしょう?常識で考えてよ。だったらそんな安い了見で『聖女さま』を汚さないで」そして、くるりと挑発的にかがみ、上目使いで言った。
「ねぇ、キルタ?」
「だからさ。試しにあたしを抱きしめてみてよ。ほら。だっこだっこ」
「ハグを通してでも、キルタが好きなたぶらかしからでもいいよ。欠片でも、あんたから伝わってくる愛を感じたのなら」
「アタシはもう何も言わない。あたしには見ることの出来ない、キルタの中の愛のために、喜んで協力して『聖女さま』を救い出す」
「だって、それって」陶然と、頬に両手を当てる。
……うっとりとした声が、辺りに響いた。
「とおっても清らかで美しいことじゃない?」
しばし官能に浸る彼女は、次の瞬間すべての表情を消し、スッと片手を差し伸べる。
「…さあ」
「示して。キルタ」
◇
(……そんなこと言われたって……)心底困ってしまう。切田くんは愛について、とてつもなく疎かった。
世間は愛にあふれているようだった。
しかし自分は、それを掴んで行使したことなど一度もなかったし、掴めるとも思ってはいなかった。――ずっと漠然と生きてきた彼にとって、それは自分に最も似つかわしくない言葉だと、そう感じていた。
自分の周りで愛を語る人々やメディアは、剣闘士がおのれの武器の見栄えを語るように、いつもそれを誇らしげに振り上げ、光にかざして見せていた。
そんな二枚舌たちのポジション闘争に進んで参加することは嫌だったし、正直ピンとこなかった。
もちろん、そういった人の我欲に捕らわれない、おだやかな存在が世界のどこかに存在する。そのことについては疑わなかった。……それに対する幻想や憧れもあった。
しかし、取り巻く現実を見渡すと、自分の力ではその壁を超えられない。……決してたどり着くことはない。
おそらく自分は、『愛』を名乗る蠢き合いを、遠くからただ眺めながら、これから先もずっと生きていくことになるのだ。
いつしかそう、切田くんは実感していた。
(おそらく自分は『魔女』の言うように、冷たい人間なのだろう)
(…僕は愛なんて言うものを持ち合わせてはいない。見せようがない。示せと言われて提示できるものは、何一つない)ポッケナイナイだ。(…叩いたって増えないよ。お菓子が無いんだから…)
(…このままでは『猫目』さんに見捨てられ、僕は単身で…)
(地雷原。死の罠と敵の待ち伏せに晒されながら、手探りで進まねばならない。……おそらくそれは、詰みだろう)
(……さて、どうする?切田類)
◇
切田くんは後ろめたさを感じながらも、慎重に、打開のための思索を巡らす。
(…もちろんここは『精神力回復』を使わせてもらう。それ以外に無いんだから、当然の選択だ。…『猫目』さん、すみません)冷たい選択肢は、いつだって短絡的で近視眼だ。(…ブーメラン…!)
(…彼女はよく見ている。意図はどうあれ、ぐうの音も出ない)
(…身の程知らずか…)『精神力回復』を意図的に起動する。――『スキル』が作った鎮静が、身につます無力感や忌避感すらも鎮め、薄めて気にならなくなってしまった。……それはどうなんだとも思う。
(僕の力不足なんて、場を構成する要件の一つでしかない。それはそれだ)
(何かを感じることと、それによって足を止め、思い悩んでダメージを受けることは、実はセットのことじゃない)
(『僕は力不足だ』。それによって苦しむ選択は、僕にはない。誰かと比べて弱くても、その力を使って今を進むしか無いんだ)
(……だから『猫目』さんが苦しみを感じて、今、その足を止めているのなら)
(僕の『スキル』で無理にでも動かすだけだ。…そして今、僕はそうする)切田くんは少女に向かい、穏やかに話しかけた。
「『猫目』さん」
挑戦的に、彼女は答える。「…なぁに?」
「せめて真剣に話します。僕が見せたくない自分をさらけ出します」
切田くんは堂々と、なんの奥面もなくこう言った。
「僕には愛なんて示せません。愛を持ったこともありません」
「……」
眼帯の少女は切田くんの瞳をじっと見つめ、しばらく沈黙する。
そして呆れ、しらけた顔でそっぽを向いた。
「あっそ」
ズイと、切田くんは進み出た。
「…えっ」少女の腕を取り、持ち上げる。……抵抗はない。
「…何?」
怪訝そうな、あるいは何処か熱を持った彼女の腕を引き、自分の側へと引き込む。――少しの恐れを見せる、少女の片目を覗き込む。
「…抱けますよ。もちろん」
「あなたが本当にそう望むのなら。それは、僕にとっても心地良いことです」
そして屈み込み、彼女のことをしっかりと抱きとめた。
「…っ…!」『猫目』は身を固くする。……そのまま彼女を持ち上げてしまう。これですぐには振りほどけない。切田くんは遠慮なしに、フルパワーで『精神力回復』の力を流し込んだ。
雷に打たれたかのように、彼女は硬直していた。
そしてぼうっと、覆面を見つめる。
「…ねぇ、キルタ」
「なんです?」
「あたし、キルタの素顔を近くで見るのが好き。…覆面を取ってもいい?」
そのぐらい問題ない。とっくに素顔はバレている。「ええ」
拘束から両手を引っこ抜いて覆面をまくり上げ、――中の瞳を覗き込んで、ふにゃりと笑った。
「…えへへ。さっき椅子の上で抱きしめ合った時も」はにかんで視線を外し、そして戻す。
「『あっ、この顔好きだな』ってなったし」
「どうも」切田くんは短く答える。
少女はぐいと強引に顔を寄せ、頬を寄せてくる。そして彼の首に両腕をガッチリと回し、強く抱き支えた。――華奢な両足もガッシと腰に回して挟み込み、その太ももとふくらはぎで、強く締め付ける。
抱きつかれている。
(これは…『だいしゅきホールド』!)
切田くんは頭がおかしくなった。……口元のすぐ側にある耳へと、『猫目』は囁く。
「ねぇ、キルタ」
「なんです?」
「いいんだけど、なんか変。もやもやも、ムラムラした気持ちも、全部消えちゃった」
「…ねえ、キルタ…」
「なにかした?」
強張った顔を直ぐに戻し、切田くんは諦め顔で肩の力を抜く。
「ええ」
「そ」
短く答え、抱きしめ具合を深める。……触れる程に唇を寄せて、からかう声で囁きかける。「……キルタ。あたしね?ずっとずっと、キルタに言いたかった事があるんだ」
「なんです?」
突如の真剣。消え入るほどに微かな囁き声が、切田くんの耳に吹き込まれた。
「あいつがいる。あの鷲鼻の男」
思わず『猫目』を取り落としそうになった。しかし、彼女がガッチリとくっついているので事なきを得た。
「…なんですって?」
「あたしを箱に引きずり込んだ、あの男」
神妙にささやく。ウィスパーボイスが、耳をくすぐる。
「いるよ。…ずっと」
「そしてまだ、アタシが気づいていることに気づいていない」