ハートに火をつけて
軽い破裂音、燃え散る爆炎。風切り音を上げて飛び散る、殺傷小片の乱気流。
樽に群がるゴブリンたちの三日月陣形が、ブワ、と一瞬の内に吹き飛ばされた。――爆圧に跳ね飛ばされ、一瞬の熱雲に焼かれて、体のそれぞれを無数の飛来物によって貫かれていく。
切田くんは真正面での爆発に、機械的に手のひらをかざした。
流動する防護力場に追加エネルギーが過剰に注ぎ込まれ、球形の外殻が淡く発光する。――飛来する木片、鉄片、小石、煙や熱風。害なす全ての飛来物が魔力気流の力場に捻じ曲げられて、四方八方に散り飛んでいく。
「…凄い…」その光景に、背後の『猫目』が感嘆の声を漏らした。
熱狂の最前列、爆発をもろに食らったゴブリンたちは、跳ね飛ばされた挙げ句にもんどり打って、伏して動かなくなる。後に続いた者もほとんどが倒れ伏し、力なく息をしたり、苦しんだり、耳を押さえたりしてうずくまっている。――その光景、まさに死屍累々だ。
……呻き声が、広間に満ちている。
誰かが、絞り出すように叫んだ。
「欠片を受けたぞ!」
ゆらり、ゆらりと身を起こしながら、ゴブリンたちは口々に叫ぶ。
「俺もだ!」
「勇者の欠片だ!」
「これで、これで俺も勇者だっ!!」
「俺も受けたぞ!」
もはや起き上がる力もない、全身に破片を受けたゴブリンが、震える手で自らの傷をさする。手のひらに付いた血を弱々しく差し上げて、掠れたしわがれ声を上げた。
「……見てくれえっ!俺はこんなにっ、こんなに欠片を受けたぞっ!」
「おお、すごいな!」後ろのゴブリンが素直な賞賛を送る。
「えへへ…」
倒れたゴブリンは、自慢気にくしゃりと笑った。
◇
眼前に繰り広げられる祭事の光景を、切田くんはただ呆然と眺めていた。
彼らにとって受傷は誇りであり、体内に入った異物は勇気と継承の証しであって、自身の階位で下々の称賛を集める為の、イニシエーションの祭具なのだ。(…馬鹿じゃないの?)何とも言い難い表情。度し難い光景。
ひとりのゴブリンがバッと顔を向け、高揚を載せて叫ぶ。「『耳削ぎの勇者』!待っていてくれ!」
「やつは勇者だ!みんな、勇者の心を信じるんだ!……見ろ!待っていてくれている!」棒立ちの少年を、誇らしげに指で差す。
「準備を待ってくれている!勇者はそんな心意気を持った存在なんだ!」
その尊敬に満ちた響きに、切田くんは覆面の奥を激しく歪めた。(…ぐっ…)
(こちらの甘さに付け込もうっていうのか!?)
(そういうのを、『おためごかし』と言うんだっ!)
「準備急げ!」
傷を押してゴブリンたちが背を向けて、資材の置かれた壁際へと走り出す。
「あっ…」切田くんはシャープペンシルをその背に向け、泳がす。
そして、忌々しげに吐き捨てた。
「…くそっ!」
「…キルタ…」
気遣わしげな、『猫目』の声が聞こえた。
◇
「勇者の装備を身につけろ!『ゴブリン・グレネード』スタンバイ!!」
「勇者になりそこねたものは、新たな勇者に手を貸してやれ!応援もしてやるんだ!!」
資材置き場に集う勇者たちは一斉に背負子を背負い、各方がたが点火前の松明を次々手に取る。流れ作業にて火薬樽が積まれ「榴弾、搭載良し!」、数人がかりで結束されて「固定宜し」、ザバリと揮発油が浴びせられる「点火剤ヨーシ」。「グリーン!!」
篝火にて松明を点火する。――燃え上がった焔と共に気炎を吐き、最初の勇者が高々と叫んだ。
「みんなの力を貸してくれ!…『勇者祭り』、再開!!『勇者祭り』、再開!!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
どよめきが、広間を包んだ。
「頑張れよ!」
皆の声援と期待を背負い、新たなる勇者たちは雄叫びと共に走り始めた。――燃え盛る無数の松明が、爆弾樽が、地を踏み鳴らす喜色満面のゴブリンたちが迫る。
「…キルタ、撃たないの!?」切迫する声。
切田くんは呆然と呟く。「…こんなの…」
「…キルタ!!」
「黙っていてください!!」
怒鳴り声に鼻白み、少女は焦りと共に交互に見る。「…だって!!」
(…くそっ)
当の切田くんは、ただ、覆面の奥で歯噛みをしていた。
(くそっ、くそっ、くそっ!!)
(なんで…)
(…なんで撃てないんだ!!)
(人間相手だってあんなに簡単に、僕は殺したじゃないか!!)
戸惑うシャープペンシルの先。全力で駆けるゴブリンたちは、戦意ほとばしる怒鳴り声を交わす。
「『耳削ぎの勇者』は、遠くからの攻撃をプリベントするぞ!」
「接近しろ!張り付くんだ!」
「目と足を潰せ!」
「手投げ弾を使え!」ゴブリンたちは次々に小袋を取り出し、松明にかざして着火する。振りかぶって山なりに投げつけてきた。「投げたぞー!!」「着火、投げーっ!!」
投げ入れられた手投げ小袋たちが、弧を描いて次々飛来する。
――切田くんもこれには躊躇なく、素早く正確にシャープペンシルを向けた。
「…多連装『マジックボルト』!」
整然と発射された光条たちが、すべての手投げ弾を正確に貫いた。――被弾した手投げ弾は次々と破裂し、激しく煙を上げる小片を振り撒く。
たちまち辺りは煙に包まれる。煙幕を盾に、接近するつもりなのだ。
(…そうかい!)切田くんは心のなかで毒づいて、その場にしゃがみこんだ。
「『猫目』さん、おぶさって!」
「えっ!?…うん!」素早く察した『猫目』が、躊躇なく背中に抱きつく。
「『勇者』の攻撃をおおおおおおっ!」煙幕の中を激走するゴブリンが、背中の樽に火を焚べた。たちまち燃え上がる爆弾樽を背に、煙幕を抜けて肉薄する。「くらっ!!」
そして叫んだ。
「いねえ!!」バン!と大きな音を立てて爆発し、彼は周囲に弾け飛んだ。
今まさに樽に着火しようとした二番手が、目の前の光景に躊躇する。……瞬間、松明が手元から折れ飛んだ。
上空から連続発射された光条が、次々と『勇者』の松明をへし折っていく。その内いくつかは、折れ飛びながらも激しく火の粉を散らした。――揮発油に引火し、樽が燃え上がる。
「ああああアアアアアアーーー!!」
奇矯な声を上げながら、ゴブリンたちはバン、バンと爆炎を上げた。四方より飛び散る殺傷の破片が、勇者たちを襲う。「うわあああっ!!」「やめろっ!敵は上だぞっ!!」
破片を受けた勇者が数人倒れ、さらに幾人かの樽が松明や火の粉によって引火する。バン、バンと弾け飛び、さらに爆炎と破片を散らした。
出遅れた勇者たちは、樽を背負ったまま立ち止まり、薄くなっていく煙幕越しに呆然と狂騒を眺めている。
「…みんなで行ったら死んじまう…」
「やめろっ!協力し合うんだ!!」
「弱気にっ!弱気になるなっ!!」呟きと怒号が飛び交う。
――『ガラス玉』に両手でしがみつき、大広間の高い天井を浮遊する切田くんは、彼らに向かって腹立たしげに叫び下ろした。
「あなた達がそう望むなら!」
「僕は高い安全な場所から、あなたたちを一方的に潰します!!」
そして渾身の憎しみを込めて、腹の底から叫んだ。
「……死にたくなければ下がれっ!!」
◇
勇者たちは、(事実を伴って)降り注ぐ叫びに臆し、後退る。「そ、そうだ!…『耳削ぎの勇者』の言うとおりだ!」「下がれ、下がれ!」「下がれと言ってるんだぞっ!」慌てふためくゴブリンたちが、周囲の様子に慌てて背を向ける。
必死に縄を毟って樽を投げ捨てたゴブリンを、別の『勇者』が殴りつけた。
「逃げるのか!臆病者!!」
殴られてもんどり打ったゴブリンは、それでも必死に立ち上がり、さまざまな体液を流しながら逃げ出した。ひるんで後退ったはずのゴブリンたちが、無様な光景にいきり立つ。「恥さらしめっ!!」
「相手の強さを認めるんだ!勇気ある撤退を行え!」
「『パレード』だ!」
「状況は『パレード』に移行!」
樽を背負う『勇者』たち、そして応援者たちが一丸となって奥へ駆け込んでいく。……出入り口や宝箱の部屋ともまた違う、第三の通路が口腔を開けて、『迷宮』の奥へと誘っているのだ。
最後尾のゴブリンが腕まねきをしながら、大声で叫ぶ。
「『耳削ぎの勇者』よ!!神輿はこっちだ!…来ぉいっ!」
あたふたと踵を返し、彼も通路の奥へと消えた。
◇
撤収を見届けて『ガラス玉』を降下させ、切田くんはゆっくりと地面に降り立つ。――状況は、『パレード』に移行している。山車や神輿となって練り歩くのはこちらの側だ。……東堂さんが待っている。急がねばならない。
大広間は酷い有様だ。爆発の残骸がそこかしこに飛び散って、落ちた松明や煙玉が未だチロチロと燻ぶっている。――その様相、まさに爆撃を受けた戦場跡。片付けて欲しい。
(閉所に引きずり込んで、こちらの持ち味を殺す気か…)
(『パレード』のルートに合わせて踊れっていうんだろ。…行くさ。もちろん)
「降りてください」背中へと声をかける。そこでは『猫目』がギュッと抱きつき、ぴったりと貼りついている。
……なんだかぐでっとしている。微かに、「えへへへ。特等席」などという声も聞こえる。(…特急券はお持ちでしょうか?)こちらの声は聞こえていないようだ。
「『猫目』さん!」
「はい!」『猫目』はびっくりして顔を上げた。
そして見回し、不承不承に背中から飛び降りる。
すかさず『出入り口』方面を指し示そうとすると、遮るように『猫目』は言った。
「変化の激しい下層と違って、この『迷宮』上層は比較的安定してる。――先の道順も、罠の位置も、敵の潜んでいそうな場所だって特定できるし」
「…あたしなら、自然発生した新しい罠も見つけられる」
「キルタ、出来ないでしょ」フフーンと、眼帯少女はふんぞり返った。
切田くんは素直に答える。「出来ませんね」
(……力を貸してくれる、と言っているのか。『マジックマップ・オブ・クレアボヤンス』か、あるいは『暗いところでもよく見えるスキル』を使う気だな)どうやら『猫目』はついてくる気のようだ。――迷宮の『斥候』職。軍勢相手の主祭は終わっているのだから、確かに力を借りたい要件である。
(ならば、今は信じるしかない。僕には罠のことなんてまったく分からないんだから。……わけも分からず嵌め殺されて、無駄に死体を晒すわけにはいかない……)
「あたしも行くから」
「ええ。頼みます」
「えっ」『猫目』は、即答に戸惑う。
切田くんは踵を返して歩き出した。顔色をうかがうように、おそるおそると少女が従う。
彼の歩み寄る先。――そこには仰向けのまま、短く荒い息をつくゴブリンがいる。
全身に破片を受け、ぐったりしている。その箇所からは血液がどくどくと溢れ出ている。止まる気配は無い。
……近づく少年を横目で見ると、緑の小人は、息も絶え絶えに言った。
「…見ろ、この勇者の欠片の量を…」
「…俺のほうが、あいつらよりも…」
わずかに上体を起こし、絞り出すように吐き捨てた。
「『耳削ぎの勇者』!俺のほうが、ずっと勇者だ!」
「お前よりずっと、ずっとっ!!」
そして力尽き、ぐったりと寝そべる。
――荒い息を付き、自慢げに唇を釣り上げて、なにかを期待するように切田くんを見た。
切田くんは答えた。
「とどめは?」
「へぁっ!?」鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。……期待した答えではなかったようだ。
「とどめは?いらないんですか?」切田くんが辛抱強く繰りかえす。
――ゴブリンは目を白黒させ、キョロキョロと落ち着かなげに視線を泳がす。
「…え?…あ…」そして彼は、目をそらしたまま、どこか怪訝そうに答えた。
「…じゃ、じゃあ。ほしい…かな?」
「『マジックボルト』」
シャープペンシルからほとばしった光条が眉間を貫く。ゴブリンの身体は軽くビクンと跳ね、そして動かなくなった。
「…キルタ…」背後の『猫目』が、気遣わしげな声をかける。
(…何故、さっきは撃てなかった…?)もし、あのまま棒立ちでいたら、切田くん達は間違いなくぐちゃぐちゃのミンチにされていただろう。この事実は変わらない。(…ミンサーが無いから粗挽きなんだよな…)
(…甘っちょろいためらいでしかなかった?…そりゃあ、あのまま殺されていたのなら、無知や傲慢の結果なんだろうけど…)
(……だからといって当然ぶった顔で、『非情になれ』とか深刻ぶるのは嫌なんだ。……冷たい結論はいつだって、短絡的で近視眼なんだから……)……いけない。お気持ちばかりで具体案が浮かばない。感覚で身勝手を言う厄介勢だ。
(…結局は、僕が状況判断の出来ない娑婆僧ってだけなのかな。…僕は一体、どうするのが正解だったんだ…?)
迷いに踊らされた末だとしても、結果として切田くんは生き残っている。だとしても、彼の胸モヤが晴れることはない。
「キルタ、怒ってるの?」
背後の声。「まさか」と答えようとしたが、思い直す。
――自分は今、怒っているのだ。苛立っている。
「……ねぇキルタ、あんた今日はさんざん負けたじゃん?」ニュッと首を突っ込んできた『猫目』が、弄える顔で覗き込んでいる。(……突然刺してくるじゃん?なに、急に……)やめたまえ。普通に凹む。
「恥ずかしいね?最低な気分でしょう。その上あんなのの相手をさせられて…」
「同情しちゃった?哀れんじゃったんだ?」
「……あんな奴ら、簡単に裏返るのに……」昏い目の少女は唇を吊り上げ、嘲笑う。
「…あたしも助けて空も飛んだのに、あんな奴らに引っ張られて。可哀想なキルタ」
「キルタ。アンタ弱いんだから、分をわきまえなよ。あんたにアイツらは救えないよ。…弱けりゃ答えになんて届かないんだよ」
(……慰めてくれているのか)気を使わせてしまったようだ。散々な言われようだが、確かに気分は晴れた気がする。
(…そうだ。『猫目』さんの言うことは正しい。僕が彼らに出来ることは、何もない)
(今はとにかく、悪意から十全に、自分の身を守る事だけ…)切田くんは複雑さを押し殺し、短く答えた。
「どうも」
「むー!!」少女はフシーと怒った。つま先で蹴られて痛い。(…なんなのぉ?)