いちにのさんで、勇者が出ますよ。ハイ、いち、に。
迷宮全土を緩やかに支配し続ける、色濃く広がる静寂の暗がり。……それを割って踏みにじる、コツコツと響く三人の速歩。
気負いに猛る緑の小男が「ッシャアオラァ!行くぞオラァッ!っしゃ行くぞァオラァッ!」掲げ持つ、入場通路を紅く翳らす松明の炎の灯り。
迎えのゴブリン(『勇者祭り』運営スタッフ)に先導されて、「オラッ気ィ据わったかゴラァ!上げてけよゴラァ!気分上げてけよァゴラァッ!!」(ウッス)切田くんと『猫目』は大広間へと向かう。これより、勇者祭りが開催されるのだ。
切田くんは、現在取り巻く状況について一通り説明した後、こう付け加える。
「なので『猫目』さん。僕があなたを出口までキャリーします」
「隙を見て脱出するんです。いいですね」
「わかってる。キルタ」
真剣な顔で、『猫目』は答えた。
「足手まといなんでしょ」
「そうです」切田くんはうなずいた。
そっけない声で『猫目』は応じる。
「アタシはあんたを盾にして、一旦ここから逃げ出す」
「そのとおり」
「ゴブリンの二、三ならアタシでも相手にできる。『出入り口』に残った敵は、あたしがなんとかするよ」
「そうしてください。僕はカバーには行けません」
「わかったよ」
ふたりは腕と肩をすくめ、背負い袋を後ろへと投げ落とす。――これから、間違いなく戦闘になる。
伝わってくる振動。
そして聞こえる、大勢が声を合わせる掛け声。
『…勇者!』
ドンドンという地響き。そして、大勢の掛け声。
『…勇者!』
大広間の入り口に立った先導ゴブリンは、中の喧騒に負けないよう、ふたりに向かって大声で喚いた。
「さあ、行けぇっ!『勇者』ァッ!!」
「『勇者祭り』の開幕だ!!」
◇
『勇者!!』
大広間内では百を超えるゴブリンたちが、大きく半円を作り、戦いの舞台を形作っている。
『勇者!!』
掛け声に合わせて一斉に足を踏み鳴らし、場の高揚を掻き立てている。
『勇者!!』
総勢が声と足踏みを合わせ、『耳削ぎの勇者』の登場を、今か今かと待ち望んでいる。
大広間に現れた先導ゴブリンが、大きな声でがなり叫んだ。
「『勇者、入場ォゥッ!!!』」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
――熱狂が、爆発した。
切田くんたちが入場すると、大きく取り巻くゴブリンたちは一斉に歓声を上げ、囃し立てる。
「勇者だ!」「来たぞ!」「『耳削ぎの勇者』!」「がんばれよー!」
(何故僕にまで応援が…)当惑しつつも闘志を掻き立てる。(…相手は誰だっ!)
半円の中心にいるのは、『出入り口』を守っていた胴鎧のゴブリンだ。
……全身は汗にまみれ、その表情は固い。震える声で、おどおどと名乗りを上げた。
「…ぉ…」
「…おれが勇者だぁ…」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
熱狂が、再度爆発する。
(……はい?)切田くんは内心、首をかしげる。
……いや、おかしなことはまだある。
(…ちょ、ちょっと待ってくれ…)
(…この臭いは…)
胴鎧のゴブリンから漂ってくる、独特の臭い。……どこかで嗅いだ臭いだ。
例えば夏の、
花火のような…。
(…おい…)
切田くんは何が起きているのかを察し、覆面の奥を強張らせる。……そして内心、強く毒づいた。
(…おいおい…)
(…冗談はやめてくれ…!)
パチパチと燃え盛る松明が、胴鎧ゴブリンの手に握られている。
ロープで体にガッチリくくられた背負子に、小さな樽を背負っている。花火の匂いと一緒に、揮発油が染み込んだ木の匂いも漂ってくる。
――切田くんは、なにか異物を見るような目で、その震えるゴブリンを睨みつけた。(…この人…)
(自爆する気だ!!!)
(あれは火薬…爆弾だ!!)
(くそっ…)思わず腹部に手を当てる。
眼前にて、「…ぉ、オ、」胴鎧のゴブリンはたどたどしくイキり立った。「オレがぁっ!!」
「い、いまから証明してやる!」
「絶対に証明してやる…」
「絶対だぞ…?」消え入るような声。
切田くんが口を開こうとすると、周囲が一斉に囃し立てた。
「勇気を示せ!」「ゴブリンいちの勇者!」「一番だ!」「いいぞ!」「男気を見せるんだ!」「逃げたら駄目だ!」「恐れず立ち向かえ!」「みんなのために!」「自分を捨てて戦え!」
「どうした!臆病者!!」
「…ああ?」声を震わせていた胴鎧のゴブリンは、その一言でカチンと来た。
トサカに来て憤慨し、囃すゴブリンたちを怒りのあまりに怒鳴りつけた。
「誰が臆病者か!!オレはお前らの中から選ばれし『勇者』、オレがここで一番の『勇者』だっ!!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
渦巻く熱狂。
「…そんなの…」
切田くんは呟き、そして慌てて大声を張り上げる。
「いけませんよそんなの!!戦うだけならいい!だけど、それは駄目です!!」
胴鎧のゴブリンに、もはや弱気は感じられない。
煽るように斜に構え、彼は雄々しく宣言した。
「臆したか、『耳削ぎの勇者』!!」
「さすればオレの、勇気が勝つぞ!!」
色めき立つ、熱狂の群衆。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
『勇者!!』
踏み鳴らされる、狂乱のリズム。
「そんなことをしたら、死んでしまうんですよ!」
「死ぬのが怖くて」
「『勇者』が出来るか!」
『勇者!!』
「何のために死ぬんです!そんなの無駄死にだ!」
「我々ゴブリンの、未来と栄光のためだ!!」
『オオオオオオ!』
どよめきと踏み鳴らし、感嘆と掛け声が入り交じる。
『勇者!!』
「……」ギリ、と奥歯を噛みしめる。「……自分の馬鹿で、戦って死ぬなら良い!」
「だけどそんな馬鹿を、他人にやらされて死ぬんですよ!」
「悔しくないんですか!!」
「我々の叡智と心根を解せぬ、『耳削ぎ』の野蛮人ごときが!!」
「お前の言葉など、オレには届かん!!」
『勇者!!』
切田くんは、憎しみを込めて強く睨みつける。……そして、煽る口調で強く宣言した。
「…僕はあなたを、一方的に殺せます!」
「僕を取り巻く魔法の守りを崩せなければ、あなたの攻撃は、僕には届かない!」
「欠片さえ届かないんですよ!そんなの犬死だ!」
ゴブリンの『勇者』は雄々しく立ちはだかり、自らの心臓を親指で指し示した。
「オレの意志は、他のみんなが継いでくれる!」
『オオオオオオ!』
『勇者!!』
「オレの欠片は、みんなの中に残り続ける!!」
『オオオオオオ!』
『勇者!!』
「さあ、さあ、さあさあさあさあ!」
炎を背負いて見栄を切り、勇者は手のひらを、ぐいと突き出して翳した。
「オレの生き様!目ン玉かっぽじって、よぉーく見ていやがれ!!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
『勇者!!』
◇
「なんなの、このゴブリンたち…」
背後の『猫目』が、慄きながらも呆れ、つぶやく。
「…わからずやっ!」切田くんも腹立たしげに吐き捨てた。
やりきれない衝動に満ちるその胸に、……黎明みたいに冷え切った、薄昏い感情が渦巻いている。(…熱狂に水を差して、頭を冷やさせてやる…)
(多連装を派手にばらまいて、力の差を見せつけて)
(恐怖を煽って、追い散らしてやる)
その冷たいのしかかりが、己の内に高揚と愉悦を呼ぶのが分かった。(…ハハ…)――フンハ、フンハと気勢を上げるゴブリンの胴鎧勇者を、冷淡な瞳でじっと眺める。
(…悪いけど、あなたと後ろのある程度は…)
(見せしめの犠牲になってもらうぞ!)
「さあ、イグゾォッ!!!」
ゴブリンの『勇者』は高らかに自らを鼓舞し、すっくと敵を見据えて、雄々しく駆け出すためにその一歩を踏み出した。
「『マジックボルト』」
シャープペンシルの先端から光条が迸った。それは胴鎧ゴブリンの額を貫き、呆気なく後方へと抜けた。
踏み出そうとした足が、力を失う。
へにゃりと崩れ、樽と背負子に潰される。
落ちた松明から火の粉が派手に飛び散って、樽に染み込んだ揮発油へと燃え移った。――あっという間に燃え広がり、火薬樽が炎に包まれた。
「今だぞっ!!!」
誰かが強く叫んだ。(…何っ!!)咄嗟の叫びにゾッと冷え込む。(…来るのか!?)慌ててシャープペンシルを走らせる。
「ヤアアアアッ!!」「うおおおおお!!」「行け!行け行けぇっ!!」
口々に気勢を上げながら、取り巻きゴブリンたちは崩れる様に走り出した。――倒れた『勇者』の骸、その、燃え上がる樽へと向かって。
(……?)
切田くんは一瞬、その意味を見失った。
「…なにを…」
思わずカッとなり、大きな声でゴブリンたちに向かって吠える。
「…何をしているっ!!!」
少年の叫びなど意にも解さず、ゴブリンたちは一斉に樽への距離を詰める。
バン!!
大きな破裂音。
樽に詰まった火薬が爆発した。
火薬と一緒に詰まった無数の鉄片が、小石が、折れた釘が。
爆炎と共に、音を立てて周囲へと飛んだ。